- ポリコレ少女舞依
- 第1話 誕生! スーパーヒーロー!
- 第2話 集え! フェミニスト!
- 第3話 アキレウスの鎧
- 第4話 どうして僕では
- 第5話 初めての体験
- 第6話 少女の夢
- 第7話 多摩川防衛ライン
- 第8話 ひらけ! パンドラの箱!
- 第9話 降臨・童貞神
- エピローグ
- あとがき
ポリコレ少女舞依
ベッドに横になると意識が遠のき、気がつくとわたしはポリコレ少女舞依に改造されていた。 「ほずみくん! 今日からキミはポリコレ少女舞依! 空中にMの文字を書くことで、変身と解除ができるはずだ!」 「わかりました! ケンゾウさん!」 「わたしのことは博士と呼んでくれたまえ!」 「はいっ! ところで、博士! わたしが寝ている間、エッチなことはしてませんよね?」 「エッチなことぉ? 具体的に言わんとわからんなぁ? 何をされたのかなぁ?」 「そうやって聞くことがセクハラだっつってんだよっ!」 わたしは思わずケンゾウ博士を正拳で突き飛ばし、博士はその一撃で5メートルほど吹き飛び、壁に激突! 「ふっふっふ……自然と出るようになったな……それが、ポリコレ少女舞依の力だ……」 「これが……ポリコレ少女舞依の……」第1話 誕生! スーパーヒーロー!
わたし、§
恋のお相手は§
「ごめんくださーい」
って、お隣ケンヂんちは、空手の道場。
ここでケンヂのお父さん、ケンゾウさんが近所の子どもに空手を教えているけど、ケンヂは空手や運動は苦手なタイプ。
道場の扉が開くと――
「丁度良かった!」
と、稽古着のケンゾウさんが仁王立ち。
「あの、ええっと……」
ミサに頼まれた靴下……
言おうとしたら、
「ほずみくん。ガールズヒーローになる気はないか?」
って、腕を掴まれた。
「ちょ! それってなんですか!?」
「時間がない! 話はあとだ!」
ケンゾウさんはわたしの手を引いて、ずんずん歩く。
「待って待って! 落ち着いてください! ちゃんと話を聞かせてください!」
道場の奥。
『我、闘うゆえに我あり』の書が掛かる壁に追い詰められた。
「とにかく、下へ!」
ケンゾウさんが壁を正拳で突くと、壁は隠し扉のように反転、するとそこはエレベーターになっていて、ぐんぐんと下に下りはじめる。
「ちょっと待ってください、これってなんですか?」
「それだよ、ほずみくん!」
それ? それって、どれ?
「ほずみくんはこの危機に直面してさえも、そうやって敬語で訴える!」
「はあ? それが?」
「命の危機に直面しているのだよ! なぜ爆発しない!」
「それはその、はあ? なにを言ってるんですか?」
「なぜ、本気で抵抗せぬ! ほれ! 目の前にはワシのキンタマがある! 膝で蹴り上げれば倒すことができるというに、なぜ戦わぬ!」
簡単に言うけど、リスク高すぎるし、膝にそれが当たるの、やだ。
エレベーターが揺れて、地下最下層に到達、扉が開いた。
視界に飛び込んできたのは謎の研究設備。
「地球に危機が迫っているのだ!」
ケンゾウさんは謎のガラクタをまたいで、ぐいぐいとわたしの手を引いていく。
「危機って、いったい?」
「詳しくは言えぬが、ほずみくんにはガールズヒーロー――ポリコレ少女§
マントひらひら空を駆けて現場に直行!
4~5人に取り囲まれたひとの姿を発見!
あれが被害者に違いない!
高度を下げて確認すると、なんと!
「ケンヂくん!」
しゅたっと降り立って、ポーズをビシッ!
「なにものだ、この女!?」
「正義のヒーロー! ポリコレ少女舞依! 社会正義に反するヤツは、このわたしが許さない!」
「ポリコレ少女だと!? こいつぁとんだお笑い草だ!」
ていうか、空飛んで来たんだぞ。わたしが驚いてんだから、おまえらはもっと驚け!
『聞こえているか! ポリコレ少女舞依よ!』
インカムから、博士の声が!
『聞こえていたら、現状を報告せよ!』
「博士! 被害者はあなたの息子さんのケンヂくんです! ただいまより救出します!」
『わかった! よろしく頼んだぞ!』
悪漢どもは、わたしがなにか言うたびにゲラゲラ笑っている。だけど、笑っていられるのもいまのうちだ!
「おまえたち! ひとりの男に寄ってたかって! 卑怯だぞ!」
「男だと? いったい誰のことだぁ?」
「とぼけるなぁっ! そのちょっと情けないナヨっとした高校生のことだ!」
「はっはっは! こんなナヨナヨしたホモ野郎なんざ男じゃねぇ! オレたちが根性叩き込んでやってたところよ!」
「なんてひどい! この多様性の時代、彼みたいなひとがいたっていいじゃない!」
「多様性!? 笑わせんじゃねぇ! だったら犬と交尾するヤツだって、死体と愛し合うやつだっていていいってことだな? それが多様性なんだろっ!?」
「そ、それは……」
『惑わされるなポリコレ少女!』
「博士!」
『この場合の多様性は、画一性に対する対概念であり、多様であるか否かは関係がないのだ!』
「ええっと、つまり……?」
『結果としての多様性を受け入れる社会! われわれはその結果を尊重することが求められているのだ! 多様であることを目的とはしない! あくまでも結果を受け入れる! それが多様性だ!』
「な、なるほど……」
『覚えておくがいい、ポリコレ少女よ! 敵はこのように、文脈を読まず言葉尻だけを捉えて反論してくる……それが、アンポコのやり口だ』
「アン……ポコ……?」
『アンチ・ポリコレ。略してアンポコ。ポリコレ少女の敵だ』
「アンポコが……わたしの敵……!」
『世の中、ここまでアホな人間はいない。いたとしたら、そいつはアンポコ、すなわち魔物だ! 殺せぇっ!』
「ちょっと待てい! さっきから適当なこと喋ってんじゃねぇぞ!」
しばらく無視してたせいか、悪漢がキレた!
わたしも……敵がアンポコ……魔物だと聞いて……吹っ切れたぁぁぁっ!
「とりあえず死ねぇっ!」
ミニスカをものともしない破廉恥な大開脚!
「おおおっ! こ、これはっ!」
ハイキックと見せかけてからのぉぉぉぉっ……!
「ポリコレ・ビィィィィィィィィィム!」
「ごええええええええええええっ!」
殺した。しかし、相手はアンポコ。魔物だ。
「……あ、ありがとう、ポリコレ少女……」
「気がついたようだね、ケンヂくん! 礼は要らないよ。あたりまえのことをしただけだからな」
「……? どこで僕の名前を?」
「どきっ! そ、それは、わたしの素晴らしい情報網によるものだ!」
「そうなんだ」
「それよりもケンヂくん。キミは、ホモなのかい?」
『ポリコレ少女ーっ!』
「なんですか、博士?」
『それは聞いたらいけないの!』
「えっ? どうして?」
『どうしても!』
「だけど博士! ホモってことは、女に興味がないってことですよ? 女を知らない純真な突起物! そこを流れる、誰のためでもない純白のブンピツ液! 女好きの凡百なクラスメイトか、汚れなき天使か、それがこの答え次第で変わるんですよ?」
『だーかーらー、そういうヘンな妄想を垂れ流すのがダメなのっ!』
「ええ~っ!? 『キミってホモなの~』って、他愛もない世間話ですよ~? 好きな音楽を聞くように、ホモかどうかだって聞いて良いのでは~?」
『そういう愚かな例え話で話をかき回すのは、アンポコの常套手段だ! たとえば、ヘビメタ好きが死刑にされる社会でも、「キミはどんな音楽が好なの~」と、ひとに聞くかね?』
「いや……それは……」
『ポリコレは、的はずれな例え話にまどわされてはならぬ! 気をつけてくれたまえ!』
そうか! 知らない間にわたしは、アンポコに毒されていたんだな!
「わかりました!」
『それに、「ホモ」という呼び方はいかん。せめてゲイと言いたまえ』
「ええーっ。めんどくさぁーっ」
『ポリコレ少女! じゃあキミは、会社の面接に行ったときに目の前にいる社長だか部長だかわからんひとを、めんどくさいって理由で「オッサン」と呼ぶのかね?』
「それは呼ばないけどー」
『面接では相手のことをちゃんと呼ぶ、性的マイノリティはめんどくさいので適当に呼ぶ、これを差別というのではないのかね!』
「なーるほど。でもちょっと納得行かない」
『納得行かない? どこが?』
「わたし、こういうウンチク垂れるの、ポリコレ少女の役目かと思ってたけど、説教される側だったんだ」
『それな』
「それなじゃなくて」
『まあ、これも問題があるんで、次回からはちゃんと勉強してキミの方から頼むよ』
「了解でっす!」
「あの、もしかして、インカムから聞こえてる声って、お父さん?」
空気になってたケンヂがようやく絡んできた。
「そう。ケンゾウ博士だよ。よく気がついたね」
「お父さん! 聞こえてる!?」
『ああ、聞こえとるぞ、空気』
父親からも、空気呼ばわり。
「これ、どういうこと? 説明して」
『どういうこともなにも、おまえがアンポコに襲われていると知って、急いで通りすがりの少女をポリコレ少女に改造したんだ。感謝したまえよ』
通りすがりの?
「待って、博士。それじゃ、わたしを改造したのって、たまたま?」
『な、なにを言うかね! う、運命の導きだ!』
「しかも、自分の息子を助けるため?」
『もちろん、それもあるが……あー……それだけじゃないぞ……なんていうか……社会正義のため……? みたいな?』
「ちょっとあとで話がある」
『ああ、はい』
「それからケンヂくん!」
「えっ? ああ、はい。なんでしょう?」
「これ。オカルト部室で脱ぎ捨ててった靴下」
いろいろあった一日だった。
日が暮れて家に帰ると、上気した兄がスケッチを見せてきた。
「さっき商店街のはずれにガールズヒーローが出たんだよ、ほずみ!」
って、そこには、わたしがポリコレビームで敵を蹴散らす場面が描かれていた。
「ちょ、待って……なんか、エロすぎない……?」
「え? 普通でしょ?」
「わ、わたし、こんなに……ここ……大きかった?」
いわゆる、おっぱ……い的なものが、非ポリコレ的に強調されていた。
「えっ? わたし?」
「あ、いやいや! なんでもないの!」
まあ、体にはいろいろコンプレックスあったし、セクシーに描いてもらえるのは嬉しいけど……。だからって……。実の兄に……。
「まあ、これはイラストだからね。すこし強調してるけど、実際に見て受けた印象はこんな感じだよ」
「ええーっ……」
なんか、きっついなぁ……。
第2話 集え! フェミニスト!
「ねえ、見て!」 と、ミサがスマホで動画を見せてくるここは図書室。 見せられたのは、こないだのわたしの動画。だれが撮ってるのかなぁ、こういうの。 「なんか、無駄にエロいし、男子が好きそう」 って、ミサが言うけど、たしかにポリコレ少女に変身したわたしは、ふだんよりちょっとセクシーだった。いや、ちょっとじゃないな。かなりだぞ、これ。 「そうかなー。男子、引かないかなぁ……」 衣装のデザインもあるけど、見るからに肉感がアップしている。 博士曰く、無限のエネルギーを発生する光学なんとかってのがあって、それによって、変身時にはホルモンのバランスも変わるし、素体能力もアップしているらしい。 とか考えてたら、ミサもまたミサで、「うーん」って。 「どうしたの?」 「ほずみ、ちょっと、ポリコレ・ビィィィィィィィィィムって言ってみて」 「えっ? なんで?」 「なーんか、この声……ほずみの声に似てるんだよねー」 「ドキッ!」 「それに、ほずみにも太ももに痣があったよね? ポリコレ少女にもあるの」 「えっ? あ? 痣? なんのこと? バサッ」 思わず、読んでた本落としちゃった。 「ん? ところで、あんた、何読んでるの?」 って、ミサが覗き込む。 「こ、これは……」 「ジェンダー論!? あんた、そんなの読んでるの!?」 「まあ……なんてゆーか……」 だって、ちゃんと勉強してないと博士が説教するんだもん。 「って、ほずみ……あんたまさか、フェミになるつもり!?」 「ち、違うよ! そんなんじゃないよ! 基礎知識だよ!」 「あーあ、終わった。あんた、モテないし、我が強いから、いつかそうなるって思ってたんだー」 「はぁ? なんなのそれー。モテないのと、フェミニズムは違うと思うよ」 「本人がそう思ってるだけでしょう? フェミになんかなったら、もう二度と彼氏できないよ? それでもいいの?」 「そんなことないよ。わかってくれる男子だっているよ」 「だれ? ケンヂ? あいつ、ホモだってウワサ聞いたんだけど?」 「そういうこと言わないのっ!」 って、思わず立ち上がった。 「……って、なに? どうしたの、ほずみ?」 まずいまずい。わたし、いまはポリコレ少女じゃないんだ……。 「あ……。ごめん。なんかちょっと……」 ミサは呆れ顔でため息をつく。 「ね? そうなるから、フェミなんかやめといたほうがいいの」 「そうかなぁ」 「そうよ。これは親友からの忠告。フェミだけはやめときな。自分から殴ってくださいって宣言するようなもんだから」 うーん。 殴られないためにフェミニストにはならない。 つまり、殴る側であるためにフェミニズムを否定する……。 それってどうなの。§
帰宅。
太ももの痣のことすっかり忘れてたけど、小さいころ事故にあったとかで、身体中にツギハギみたいに痣がある。だいぶ目立たなくはなってきたけど、手の甲にはくっきりと紋章のように残ってて、これもわたしのコンプレックス。
兄はポリコレ少女舞依で連載を取るとか言って、原稿を描いてる。
編集に見せたら、ものすごく反応が良かったって。
わたしも読ませてもらったけど、怪人に襲われて服がはだける場面があって、そこはちょっとって思った。
「お兄ちゃんさぁ」
「ん? なあに?」
「もし舞依がわたしだったら、どう思う? はだか見えてうれしい?」
「だって、これはほずみじゃないから」
兄の設定では、舞依の体には無数のビーム照射孔があって、いろんなポーズで、いろんな方向に、複数ターゲット同時にビームを撃つことができた。
「八十八のビーム砲が体に埋まっているんだ」
「なんで八十八? 茶摘み?」
「バッカだなぁ、ほずみは。八十八と言えば――」
八十八とと言えば?
「――四国霊場巡りだろう?」
「バカはそっちじゃない?」
「第一番、§
朝から待ち伏せの通学路。
学校への坂道、九条くんの黒いベントレーが見える。
わたしは上空から一気に降下、車の真ん前に降り立つと、九条くんは急ブレーキ、大きく体を揺らして、爆出したエアバックに突っ込んだ。
ぷしゅう……。
ぷしゅうって! 天下の九条家の御曹司が! ぷしゅう!
「降りてこい! 九条§
バーチャルビジョンに地図を写して、アラート源を特定!
4人の悪漢に囲まれた少女の影が見える。接近。対象確認。
ミサだ!
どうして!?
しゅたっと降り立って、今日はセーラームーンポーズ!
「ひとりのか弱い少女を、大勢で取り囲んで何をしている!」
「むっ!?」
「なにものだ、貴様!」
もう一回セーラームーンポーズ!
「ポリコレ少女舞依! わたしが定めた正義で、あなたたちを討つ!」
「それは正義と呼べるのかーっ!?」
「ぐだぐだ言うなーっ!」
ドトールの看板ぶん投げる!
ポリコレ少女舞依は、ちょっとした有名人だ。
その威容を見て、男たちは警戒している。そして――
「ポリコレ少女……?」
と、怯えた目のミサ……。
乱暴に扱われたのだろう、体中に擦り傷がある。
それを見ていると、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。
「許せない……」
「ま、待ってくれ! オレは関係ない、ほかの3人が……」
4人のうちひとりが、後ずさる。
「黙れ! 卑怯者! わたしが来たからには、ただですむと思うなよ? これから貴様らの罪を裁いてやる!」
「こ、この女が、ケンカを売って来たんだ」
「そ、そうだ、後ろから『邪魔だ、どけ』って……」
「そんな言い方はしてないわ! 横に並んでると迷惑ですって言っただけじゃない!」
「うるさい! 同じことだ!」
「同じじゃない! わたしはお願いしたの! それをあなたたちは勝手に……!」
「こんの、糞アマァ! 女のくせに生意気だぞ!」
男は膝を立てて、飛びかかろうとするが、喰らえ! カーネル・サンダース!
「黙れ! クズども! 裁定はわたしが下す!」
とりあえず目についたものをブン投げるのが、ポリコレ少女だ!
「黒井美紗と言ったな?」
「言ってないけど……?」
あれ?
まあいい。続けよう。
「黒井美紗! おまえもフェミニストになれ!」
「はあ?」
「フェミニストになったら救けてやる! ならないんだったら、わたし、こっちの4人のほうについて、あなたの服剥いて、後ろから抑えるから! 胸の先っぽのポッチとか、しゃぶられたらいいのよ! あんがい感じてあんあん言っちゃうんじゃない? あんたそーゆー妄想好きでしょ、このムッツリ変態おかっぱ」
『ポリコレ少女よーっ!』
「博士、いちいちうるさいです! わたしを自立したひとりの女性として尊重してください!」
『できるかボケーッ!』
まわりにはスマホを構えた野次馬がいっぱい。
「これはヒーローからの忠告。フェミニストにならないなら、あなたの恥ずかしい動画がネットで拡散されるのよ!」
『ポリコレ少女ーっ!』
ミサは怯えながらコクコクと小さく頷く。
「そうこなくっちゃ!」
とかやってる間に、ひとり逃げ出そうとしてる!
「ポリコレ・ビィィィィム! 第三十六番!
――ポリコレビーム第三十六番は、§
「ただいまー」
と、家に帰ると、
「おかえり! ほずみ! 今日も出たんだよ! ポリコレ少女舞依!」
兄が上気してスケッチを見せてきた。
「いやぁ、今日の舞依は凄かったよ! 見てこのポーズ!」
「なにこのポーズ……いくらなんでもこれ……」
「いやいや、見てよこれ」
と、元になった動画を見せる兄。
「はいはい。お兄ちゃん、そういう目で見るからいやらしく……」
……って、エッロ!
「こ、これ……なに……?」
「なにって、ポリコレ少女舞依」
「こんなの、わたしじゃない……」
「いや、ほずみだとは言ってないよ。んん? ははーん、そうか。ほずみは舞依と自分を同一視しちゃってるのかな?」
「そんなんじゃないけど……」
わたし、今日は勇気を出して九条くんに告白して、そのあとミサのこと救けて……
「九条冬葵を調教してる動画もあるけど、見る?」
「……って、調教!? 九条くんを!?」
再生ポチッ。
――聞くがいい! 九条冬葵! わたしはここで正式に、貴様に交際を申し込む!
「なに言ってるのこれ!?」
「凄いよね、ポリコレ少女。九条つったら、公家の家系で、九条財閥の御曹司だろう?」
――もし、交際を受け入れる気になったら、純白のタキシードでこの場に現れるがいい!
「こ、これほんとに、わたしが言ったの!?」
ぜんっぜん自覚ないんですけど……。
「あははは。もうそのネタはいいよー、ほずみー」
「どうしよう……」
「こりゃあ、面白いことになってきた! 僕も頑張って描くよっ!」
そんなぁ!
わたしこれから、どうなっちゃうのーっ!?
第3話 アキレウスの鎧
朝7時15分の目覚ましで飛び起き、急いで朝ごはんかきこんで、髪をブラシでとかしながら、 「いってきまーす!」 「ああ、いってらっしゃい。気をつけて」 と、玄関を出て、学校へは向かわずそのままお隣、ケンヂんち! 「お邪魔しまっす!」 「あら、ほずみちゃん、ケンヂならもう出たわよ」 ケンヂのお母さん、静江さん。黒髪を軽くまとめた、おっとり優しい日本女性。 「おはようございます! 静江さん!」 片付けたばかりの台所には、まだほんのりと味噌汁の香り。 「ケンゾウさんはいますか?」 「夫だったら、道場にいたはずだけど……」 静江さんは洗い物の手を止めて、ふたりで玄関脇の渡り廊下、道場へと来るも、 「あら? いないわねぇ。どこに行ったのかしら?」 と、ケンゾウさんはいない! 「大丈夫です! 少しここで待たせてもらいますから!」 ケンゾウさんはたぶん、地下。 「そう? 悪いわね。学校、遅れないようにね」 静江さんはチャーミーでグリーンな笑みを残して、母屋に戻って、顔を上げるとそこには、筆文字の額装…… 『我、闘うゆえに我あり』 ケンゾウさんは確か、このあたりを正拳で突いていたはず……と、 といやっ! わたしも正拳で突いてみると壁が裏返りそこにエレベーターはなく、穴! 待って! 床がない! 真っ逆さまに地下、奈落へ! どっかーん! って、間一髪、ポリコレ少女に変身したから良かったものの、これ、生身だったら死んでた! 「やあ、ほずみくん。おはよう」 「おはようじゃねぇよてめぇ!」 「ほっほっほ。ポリコレ少女に変身したほずみくんは口が悪いのう」 「笑い事じゃねぇよ! 今日はこのことで来たんだよ!」 それにしても、このまえは気が付かなかったけど、そこいらじゅうアニメのポスターとフィギュアばっかり……。わたし、こんなクソ野郎に改造されたの……? 「おおっと! フィギュアに手を触れるんじゃないぞ~。どれも一品物でけっこうな価値が――」 「うっせ、ボケ」 とりあえず2~3匹叩き落して踏み潰した。 「――なんてことをするんだね!」 「それはこっちのセリフだ! 変身したら人格まで変わるなんて聞いてねぇ!」 「ああ、すまぬ。言ってなかったな。それはスーパー・エストロゲン……超女性ホルモンの作用だ」 「超女性ホルモン?」 「さよう! 強力なホルモンだが、基本的には、ほずみくんの精神に感応して効果が変わる!」 「わたしの……? 精神に……?」 「そうだ。ほずみくんの気持ちが高ぶれば高ぶるほど、口調が高圧的になる。もし、変身まえの性格を維持したいのなら、平常心を保つことだ」 「それじゃあ、わたしが九条くんに見せた態度……あれは、わたしのせいだというのか……?」 「ああ。いまもずいぶん高ぶっているようだな。気を鎮めてみろ。ふだん通りに話せるはずだ」 「そう……なの……?」 たしかに、怒りを抑えると、普通に話せる気がしてきた。 「そうだったんだ。そういうこと、ちゃんと説明してくれたら……良かったのに」 「すまなかったな。強い女が好きなものでな、それでつい言いそびれてしまった」 「フッ……強い女か……ならば致し方ない」 ……って、まずい。いまのもちょっと口調が違ってた。 「ちなみに、この部屋の存在は静江にはナイショにしておいてくれ」 「言ってないんだ……」 「ああ。地下にアニメのフィギュアをコレクションして、そこに隣んちの女子高生を連れ込んで改造したとバレたら、血の雨が降る」 「やっぱ、なんかいろいろ引っかかるんだがーっ!?」 思わず博士の顔面にコークスクリュー! 体は浮き上がり空中で回転して壁にどーん! 「そ……そうじゃ……それでこそ……ポリコレ少女……じゃ……」§
「最近、ほずみ、冷たくなったよねー」
ミサとふたりの通学路。朝。
「ええっ? そうかなぁ?」
「昔はアニメの話でも、アイドルの話でもいっしょに盛り上がったのに……」
「昔の話にしないでよ~! アニメキャラもアイドルも性的搾取の象徴なんだよ♪ オタクって最低だよね~♪」
「ハァ……そういうとこだよ……」
「なんで溜め息つくのよ。あなただってポリコレ少女と約束したでしょう? フェミニストになるって」
「あれは無理やり約束させられたの! だいたい、なんであんなエロコスチュームの女にポリコレのこと言われなきゃなんないわけ?」
「い、衣装は、だって、ほら、本人が望んで着てるとも限らないしー」
「お金のために、しょうがなくやってますって? ケッ。AV女優じゃあるまいし」
「ミサ! 女優って言わないの! ジェンダー・ニュートラルに『俳優』って言うの!」
「AV女優はAV女優よっ! 男か女かで需要が違うんだから! 商品なの! 商品!」
なんて話しながら、角を曲がると、黒いスーツのデカイ男にぶつかった。
「キャッ!」
「なにしてやがる! ここは通行禁止だ! 商店街の向こうをぐるっと回るんだ!」
って、ひとりかと思ったら、ヤクザっぽいサングラスの男がずらーっと!
「そんなことしてたら、学校に遅刻しちゃう!」
って、ミサ!
「な、何やってんのよ、ミサ! 言う通りにしようよ! ヤバいよ!」
「わたし、フェミニストになったのよ! ポリコレ少女が助けてくれるんでしょ? ほずみもほら! こんな連中無視して、まっすぐ行くわよ!」
って、なんか、行動が極端だなぁ。
黒服は三十人ほど? 車をずらーっと止めて道を封鎖、携帯で連絡を取り合って……その向こうには……あれ? 九条くん? なんで九条くんも? もしかしてこれ、九条財閥関係者? ってか、九条くんも黒い服!
「あんにゃろう、白いタキシードで来いっつったのに……!」
「えっ? なに? どうしたの? ほずみ?」
あ、まずい。
「おい! ここは通るなと言ったはずだ!」
黒服がミサの腕をつかむ。
「ちょっ!」
ミサ、抵抗するも吊られてぷらーん。
わたしはミサを放置して、脇道へ! 看板の陰! 誰もいない! ここで空中にMの字を書いて舞依に変身! とうっ! そしてそのまま、九条くんのまえに躍り出る!
「なんのつもりだ! 九条§
目を開けると、ピンボケの天井。視界の端に割り込んで、わたしを覗き込む顔が見えた。
「気がついたんだね、ほずみちゃん」
ケンヂくん……。
「父さんとふたりで、ここまで運んできたんだ」
「ここは……?」
「遠賀川道場。ぼくんちだよ」
「そうか……わたし、どうなったの……?」
「ソフトウェアを緊急アップデートして、爆発は抑えたけど、高熱でビーム砲が暴発したみたいだ」
暴発!?
「ミサは!?」
「心配ない。衝撃波で2百メートルほど吹き飛ばされたみたいだけど、命に別条はない」
「そっか」
丈夫だな。
「でもびっくりだよ。ほずみちゃんがポリコレ少女だったなんて」
それから、わたしとケンヂのヒミツのスパーリングが始まった。
「あら、ほずみちゃんも空手を覚えるの?」
と、静江さん。
「ええ……なんか、そうみたい」
もちろんわたしは気が進まなかった。
だけどポリコレ少女に変身したあとも理性を保つには、素体の能力を高めるしか無い。
静江さんは星飛雄馬の姉のように、特訓するわたしたちを見守ってくれた。
スパーリングでクタクタになったわたしたちに、いつもハチミツに浸したレモンを用意してくれたし、「ぬるかったらすぐに薪をくべますから、言ってくださいね」と、竹の筒でカマドを吹いてお風呂を沸かしてくれた。
遠賀川道場は古風だし、そこで世話をする静江さんもまた古風なひとだった。
わたしとケンヂくんとで稽古をすると言っても、鍛えるのはわたしで、ケンヂくんはサポート。わたしのパンチをミットで受け、ハイキックで揺れるサンドバッグを押さえ、腹筋では足を押さえ、腕立て伏せでは背中に乗ってくれた。
「あなた! こんなことではほずみさんの身体が持ちません!」
「やかましい! 女は黙ってろ! ボカッ!」
というやりとりを幾度か目にしたが、ポリコレ少女の生みの親がこんなことで良いのだろうか。まあ、いろいろ片付いたらケンゾウ博士も殺そう。わたしには全身に八十八門のビーム照射孔がある。いつでもどこでも好きな人を殺せる。いや、殺すのは好きな人ではない。嫌いな人を好きに殺せる。
びーっ、びーっ、びーっ!
ポリコレアラートが鳴り響いた!
「こ、これは……?」
戸惑う静江さん。静江さんはまだ、わたしがポリコレ少女だとは知らない。
「なんでもないよ、母さん! ちょっとでかけてくる!」と、ケンヂ。
「信号は商店街方面から! 急ごう!」
§
商店街で少女が襲われてる!
しゅたっと参上!
「ポリコレ少女! 助けに来てくれたのね!」
と、被害者の顔を確認してみると、
「なんだ、ミサか」
「なにそのテンション! わたし、あなたに言われてフェミニストになったのよ!?」
「ああ、ごめんごめん」
敵はナンパ目的のチャラ男。
「ポリコレ少女舞依が来たからには、あなたたちの好きにはさせない(棒読み)」
チャラ男相手だと、テンション上がんない。
「待ってくれよ~、誤解だぜ舞依っち~」
と、チャラ男A、ロン毛タイプ。顔は四千頭身の左側。
『ひとりごとかもしれんが、聞こえておるぞ! ポリコレ少女!』
「ありゃ?」
「オレたち、宗教二世のカノジョを救ってやりたいんだよね~」
同B、ツーブロック。ドリアンみてぇなアゴにおちょぼ口。
『ポリコレ少女ーっ!』
「宗教二世!? それって、ミサのこと!?」
たしかにミサは、古いお寺の子だけど、二世というか、もっともっと歴史は古いと思う。
「そーなんだよね~。ミサっち、家族に洗脳されてんだよね~」と、四千頭身。
「このままじゃ~、行っちゃうんじゃな~い?」と、おちょぼ口。
「行っちゃうというのは?」
「合同結婚式とか~、そ~ゆ~の~」
あー、はいはい。まあべつに、ミサの好きにすればいいしー、と思って聞き流してたら、
「わたし、二世じゃないから」
って、ミサの反論。
「わたしの家は縄文時代から代々続く密教の家系! わたしで一二七代目!」
って、縄文時代!?
「かの天皇家より一代多いんだから!」
『その女を黙らせろポリコレ少女ーッ!』
「って、密教って縄文時代からあるの!?」
「わたしんちのお寺は仏教の歴史よりも古いのよ、ポリコレ少女!」
なにそれ。
『新しい情報が入った! ポリコレ少女よ!』
と、ケンゾウ博士。
『そいつらは九条財閥から金をもらって、ポリコレ少女のヒミツを探っている! 気をつけるのだ!』
どっから入るの、その情報って。
「あーっはっは! バ~レてしまったようだね~!」
って、チャラ男~。いちいち語尾伸ばす~。
「よ~く聞いて、舞依っち~。ギリシャのマニ§
すべて片付いて、道場へ。
「戻ったか。ほずみくん」
「なんか今日、いろいろめんどくさかったんですけど!」
「ああ、そのことだ。ほずみくんにだけは説明せざるを得まい」
「いや、そういう面倒なのはいいんで。うちの扇風機、修理してくれない?」
「扇風機は直してやるから、聞け。ステュクスというのは、アーマーに塗られる塗布剤のことだ」
「えーっ、とふざいじゃわかんない。もっとわかりやすく言って」
「ええっと、乳液かな? お肌ッャッャになる」
「お肌ッャッャ!」
「この乳液をスーツに蒸着させ、原子レベルで特殊なパターン配列にする必要があるのだ!」
「もっとわかりやすく!」
「ええっと、この乳液でスモークするのだ!」
「なんと! スーツをスモーク!」
「そう! 第4話 どうして僕では
「ほずみさぁ、フェミニストになったんだよねぇ?」 って、いつもの通学路でミサ。 「うん。なったよ」 わたしは答える。 「その割にはなんか、めちゃくちゃ言うようになってない?」 「えっ? そうかな?」 「いまは、チャラ男やワナビーのこと言ってるだけだけど、その調子で虐げられてる側までバッサバッサ斬り捨てるんじゃないかって、不安視する声が読者から届いてるの」 読者って、なんの話よ。 「ぶっちゃけ、嫌いなものに対する表現がひどい」 フェミニズムについてはたくさん学んだつもりだ。 世の中には、フェミニストの振りをしながら、女を悪し様に言うものもいる。「女性問題を訴える」ということを免罪符にして、えげつない表現を表に出す連中もいる。だけどわたしはそうじゃない。なぜならばわたしは、正義だからだ。 なのにミサは、 「わたし、気づいたんだー」 って、うらめしそうにこぼす。 「き、気づいたって?」 ちなみに、このようなドモリ表現も本当は良くない。これは80年代に問題になり、90年代に入るまえに絶対に必要不可欠な箇所以外では使用しない、というガイドラインが生まれた。これはゲームやアニメではなく、主に広告やドラマでの話だったが、その直後、漫画家の小林よしのりらがこういった流れに反発、これらを「言葉狩り」であるとして退け、過度な自主規制は姿を消した。 ドモリの表現は、このトレンドに乗り遅れたアニメや漫画に多く残ることになり、オタクは驚いたときなどに、わざとドモって話すようになった。吃音が社会の中で昔ほど目立たなくなる一方で、オタクがわざとドモって喋るようになり、この問題は意味不明の迷宮に入っていったと言ってよいだろう。 「あなた何か、隠し事してるでしょう?」 ミサは、麗子像の目でわたしを睨んだ。 「し、してないよ? なにを言い出すのかなー。あは、あははは」 「はいはい。わたしには何も言ってくれないよねー。どうせわたしはオカルト好きで、家族で駒沢公園でヨガやってるような怪しい宗教家ですー」 「あの、ヨガやってるひとたち……あのなかにいたんだ」 「いまちょっと、引いたよね?」 ごめん、正直、ちょっと引いた。 「わたしんち、一二七代続くお寺なんだけど……」 そもそも、そこよ。 「……お父さんは次男坊で、いまは寺を離れて東京で暮らしてるけど、伯父に子どもがいなくて、ゆくゆくはわたしが寺を継ぐしかないの!」 「まってまって! お寺って、女子でも継げるの?」 「系列のお寺から名のある僧侶を婿に迎えるんだって。そうしたら大日如来様が、わたしの胎内に宿ってくださるから、おまえは毎晩30分、お堂の天井を見てあんあん言っていればいいんだよ……ってお父さんが言うの!」 「それを口にするお父さんもお父さんだなぁ」 「あんあんって、阿吽の『あ』と『ん』がひとつになった、宇宙開闢の真言で――」 「知らんがな」 「白い襦袢をまとった姫カットの少女が、大日如来が見守るお堂で、袈裟衣の坊主にぬっぽぬっぽされるのよ! そんなの堪えられない!」 「ポリコレ! ポリコレ気にして!(作者注:厳密にはこの案件はポリコレ対象ではありません)」 とか言ってたら、 びーっ、びーっ、びーっ! ポリコレ救難信号だ! 「……なにそれ?」って、ミサ。 「な、なんでもないの! 携帯? みたいな? ちょっとまってて!」 ミサを置いてダッシュ! コンビニに駆け込んでトイレで変身! ポリコレ少女舞依!§
びゅーんと飛んできて、ここは公園!
区役所の職員が、ホームレスを排除している!
あれだな!
「とーうっ!」
「何者だっ!」
「わたしは、ポリコレ少女! 家のないホームレスの居場所を奪う、悪の区役所職員! 貴様らを地獄に落とすためにやってきた!」
「はあ? まってくれ! オレたちはただの公務員だ!」
「悪とか正義とかないんだよ! 仕事なんだよ!」
「そんなことを言うやつはハンナ・アーレントを読むといい!」
「ハンナ……アーレント……?」
「トムとジェリーとか……?」
「それはハンナ・バーベラ! §
場面は変わって、来た! 高尾山!
かつて天狗が§
「ただいまぁ」
と、道場へ帰ると、
「まあ! どうしたのほずみさん! そんなに怪我だらけになって!」
と、静江さんが大パニック。
見ると、わたしの両手も両足も痣だらけ。
「どうりで、帰りの電車でまわりがちょっと引いてると思った」
「ケンヂさん! これはどういうことなの!? お母さんに説明してちょうだい!」
「あ、いいんです、おばさま! これ、わたしから頼んだようなものですから」
「あなたが頼んだにしてもです! 正直におっしゃいなさい、ケンヂさん!」
「母さんには関係ないよ。ほずみちゃん、怪我の治療するから、道場へ来て」
ケンヂは道場へ。
「ケンヂさんっ!」
わたしはちょっと躊躇。
「本当にだいじょうぶなんです、おばさま」
「あまりケンヂと夫を庇わないでくださいね、ほずみさん」
静江さんは眉をハの字。
「いや、その、庇ってるだなんて……」
俯いた顔を上げて、遠くを見るように――
「わたし、気がついているんです。ケンゾウさんがわたしに何か隠し事をしてること。それが大事にならなければ良いのだけど……」
静江さんは目を潤ませる。
「か、隠し事だなんて……男性にはそういうの、だれにだってあるんですよ」
まあ、隠れてフィギュアを集めてるひとはいるだろうけど、隣の女子高生を改造した変態はそうそうおるまい。
で、その地下室。
「母さん、なんか言ってた?」
って、ケンヂ。
「うん。あなたとケンゾウさんが隠し事してる、って」
「そうか……母さんが……」
治療してもらいながら、話していると、
「げっぽっぽ、げっぽっぽ。静江も勘づいていたか……」
と、不審なオノマトペを響かせて奥の隠し扉からケンゾウさんが姿を現した。
「てゆーか、げっぽっぽってなんの音がしたの?」
「果たして、いつまで隠し通せるか……」
「げっぽっぽって」
「というか、そこまでして隠さなきゃダメなこと?」
と、ケンヂ。げっぽっぽ気にしろよ。
「まあ、いろいろあってな。ほずみくんのお母さんとのこともあるし……」
わたしのお母さんとケンゾウさんの関係?
もしかして、男と女の関係的な?
「ねえ、父さん……」
と、ケンヂはシリアスな視線を床に落とした。
「どうして僕ではダメだったの?」
「うん? なんのことだ?」
「どうして僕をポリコレ少女に改造してくれなかったの?」
「そのことか……」
ケンゾウさんは遠い目で、過去の父子の会話を思い出しているようだった。
「……それはおまえが、男だからだ」
ケンヂはその言葉に、フッと悲しい笑い声を吐いた。
「そんなの関係ないって言ったのは、父さんじゃないか。たしかに僕は、身体は男だけど、自分が男だって思ったことは一度もないよ」
「それでも、ダメなものはダメなのだ! 仮におまえが、女になったとしても、女になった男でしかないのだ!」
って、それはダメでしょ、博士。
「それではトランスジェンダリズムの否定になります! 差別です! ポリコレ少女の生みの親がそんなことで良いのでしょうか!?」
「ほずみくん。それにケンヂも。よーく聞くのだ! ポリコレ少女になれば、肉体の機能が数百倍に高まる。事実、ほずみくんはスーパー・エストロゲンのシャワーを浴びて、エロい妄想が止まらなくなっておる!」
「あ。あの妄想って、そのせいだったんですね」
ちょっとホッとしたっていうか。
「たぶん」
「たぶんじゃ困ります、断言してください」
「これを、男の肉体を持つおまえが使ったらどうなるか……男の場合は男性ホルモン、アンドロゲンの増加によって、たしかに筋肉は隆々になるだろうが、性格はそのぶん凶暴になり、しかも性欲に支配される」
「そんなぁ……。LGBTはポリコレ少女になれないっていうのか……?」
「それは違うぞ! いいかケンヂ、LGBTは、男女以外に4つのタイプがあると言っているのではない。百人のひとがいれば、そこには百のタイプがある。ゲイだからダメ、トランスだからダメではない、おまえだからダメなのだ!」
「だけど、僕だってアンポコと戦いたいんだ!」
「もし、敵を倒す力がほしいなら、その肉体を活用せよ、ケンヂ! おまえには、強くなるか、女になるかの二択しかない!」
これも異議あり!
「ケンゾウ博士! それじゃあ、女は強くなれないと言ってるのと同じです! それは差別でしかないし、それに……そんなの……ケンヂくんが可哀想です!」
「女が相対的に弱いのは事実だ。たとえば、最強のレスラーになりたいが、同時に女性になりたいというものがいたら、矛盾があると言わざるを得ぬ。それにそもそも、強くなって解決するという方法論が、強い肉体を持った男が作り出した虚構なのだ。しかもことは、スーパーヒーロー! ケンヂがポリコレ少女になったとしたら、スーパー・アンドロゲンの大量分泌で性欲魔神と化す……。ケンヂ……。おまえはそれでも良いのか?」
「それは……」
「パンドーラ研究所の真の目的は、このスーパー・ホルモンに堪えうる人造人間パンドーラの開発だったという。ポリコレ少女になるのは、それほどに危険なことなのだ……」
「人造人間パンドーラ……?」
「そう。本来なら、この強烈なスーパー・ホルモンに、通常の人間は耐えられぬのだ」
「ええっと……わたし、普通のひとなんですけど?」
「……もともと女性としての魅力に欠けるほずみくんだからこそ、耐えられているのかもしれぬ」
「待てコラ」
「おそらく、九条財閥の目的は、人造人間パンドーラの完成だ。軍需産業と手を組み、米国政府にこれを売り込もうとしているのだろう」
「そんなことだったら、なおさら僕も戦いたい! 性衝動くらい抑えてみせる!」
「ならぬ!」
「どうして……?」
「ケンヂよ。どうして、処女神はいても、童貞神はいないかわかるか?」
「童貞神が、なぜいないか……?」
「ああ。それが答えだ。……それに、ポリコレスーツは一着だけ。ほずみくんがポリコレ少女になった以上、もうほかにポストはないのだ」
と、そう聞いてケンヂくんは落胆しているけど、
「わかったよ。ほずみちゃんから役目を奪いたくはない。僕はサポートに回るよ」
ふっと漏らした笑みは爽やかだった。
「わかってくれたか。そろそろメシの時間だ。ほずみくんも食って行くといい」
と、地上に戻って、道場の戸を開け、外に出ると、チェーンがシュルシュルッ! ケンゾウさんに巻き付いてびゅーん!
上空には愛国戦士マスキュリニティ!
「うわっはっはっは! ケンゾウはもらっていくぞー!」
なんて安易なセリフなんだ。
「父さんがさらわれた!」
ケンヂのセリフもまた安易!
「助けに行かなきゃ!」
えーい、わたしも!
§
愛国戦士マスキュリニティを追ってやってきたのは、売れない漫才師がネタを練習し、怪しい集団がヨガをやって賑わう駒沢公園!
「なるほど、ここなら何か起きても売れない劇団が練習してると思われるだけって寸法か」
「あんまり考えてないと思う」
チリリン広場のほうに、マスキュリニティと機動隊員の姿が!
「遠賀川ケンゾウもこの程度か」「どうした、本気を出せ!」
と、機動隊員がケンゾウ博士を殴る蹴る! このままではケンゾウ博士が!
空中にMの字を書いて、ポリコレ少女舞依に変身!
すると、
「ほずみ……あなた……」
背後から聞き覚えのある声!
振り向くと親友の黒井美紗! 変身するとこ見られちゃった!
「あなたがポリコレ少女だったの……?」
あー、どうしよう……。
「うぎゃあああああああああっ!」
ケンゾウさんの声!
ええい、ミサにはかまってらんない!
「詳しいことは、あとで話すから!」
びゅーんと現場直行!
ケンゾウさんは、機動隊に押さえられ、マスキュリニティからサンドバッグにされている!
「待てい! おまえらっ! ケンゾウ博士を離せーっ!」
「そうは行くか。この男がポリコレ少女と関連していることはわかっているんだ」
「うっさい! 言う事を聞かないなら……」
ビームの照射孔を開いてロックオン! だけど、マスキュリニティはビームを弾く……へたをするとケンゾウ博士を撃ち殺すことになってしまう……待てよ……でも博士もろとも敵を一掃できるんだったら……
「ポリコレ少女よーっ! おまえのココロの声はすべて聞こえておるぞーっ!」
って、そうだった。忘れてた。
えーい当たって砕けろだ! 肉弾戦だ! とやーっ! チェーンがしゅるしゅるっ! 捕まった! 砕けた! そこに――
ずっきゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!
銃声だっ! どこから!? ケンヂだ! ケンヂがピストルを撃った! そしてその弾が機動隊の眉間をめがけて飛んでくるっ!
すげぇ! わたし、動体視力すげぇ! 弾が見えるっ! このまま機動隊員が死ぬとこ見れちゃうんだ!
と、思ってたら、ケンゾウ博士、裏拳で機動隊を剥がして、人差し指と中指で飛んでくる弾丸をつまんで止めたーっ!
「な、なにこれ……?」
「貴様らーっ!」
ケンゾウさんの一喝! わたしとケンヂを睨んでる! すくみあがる一同!
「これが貴様らの特訓の成果かっ!」
ケンゾウさんがわたしに駆け寄ってきて、往復ビンタが5往復! 痛い痛い痛い痛い痛い!
ケンヂに向き直って更に5往復! 痛そう痛そう痛そう痛そう痛そう!
それ、マスキュリニティに食らわしてよ!
「こんなもので敵に勝とうなど! 日本男児の恥!」
「わたし男児じゃないし、ケンヂもホモだし!」
「ドサクサに紛れてその言い方はどうなの、ほずみちゃん……」
ケンゾウさん、ケンヂから奪ったピストルへし折って捨てる!
「ひ、必殺技はちゃんと考えてきてあります!」
とっさに口に出たけど、
「それがウソだってことくらいわかるわーっ!」
ケンゾウさんの飛び膝蹴り! 華麗に避けるとマスキュリニティにヒット!
なんなのこれ! なんなのようもう!
パトカーのサイレン、応援が集まってくる。機動隊もいっぱい。
わたしに絡んでたチェーンはいつのまにか解けてる。
「逃げよう!」
ってケンヂに合図して、とにかく逃げ去った。
ケンゾウさんは機動隊相手に暴れてるけど、知らん。
あと、ミサもいたけど、知らん。
自分の命がいちばんだいじ。
§
ケンヂとふたり、道場に戻ってテレビをつけたら、7時のニュースでケンゾウさんが機動隊相手に無双してた。
「あんなに強かったんだ……」
「うん……ウワサには聞いてたけど……」
――それでは通りすがりの女性に、状況を聞いてみましょう。
って、ミサがインタビューされてる。
――ともだちが……わたしに隠し事をしてたんです……
そう、それな。
ごめんよ、ミサ。こんど、ちゃんと話すから。
「地下に父さんの、若いころのビデオがあるよ。見てみる?」
「そうなの?」
「うん。必殺技のヒントになるかもしれない」
武者小路実篤(たぶん)の額の下を正拳突き! 地下室へゴー!
ガラクタの中から古いビデオテープとデッキを引きずり出して、『遠賀川ケンゾウ・十番勝負』とラベルがついたビデオを見た。
「しゅげー」
しゅごかった。
「あのひと、禁断のツボを押したんだよ」
「禁断のツボ?」
「そう。それで爆発的な力を得たんだけど、すぐにそのパワーに耐えきれなくなって、筋組織が崩壊、格闘界を引退したんだ」
「なにそのありがち設定」
「それがなにかのはずみで戻ったのかもしれない……」
そう話していると、背後に何者かの気配!
だれかがゆら~っと立ってる雰囲気に、
ケンゾウさんかな?
と、振り返ると、そこにいたのは静江さん!
「あのひと……」
静江さんは、目も虚ろ。
「……フィギュアはすべて捨てると言ったのに……こんなところに……」
やばっ!
「か、母さん、落ち着いて!」
で、で、でも、フィギュア隠し持ってるのがバレただけよね?
駒沢公園で起きてることに比べたら……
「ほずみさん……」
おどろしいエフェクトを纏った静江さんが、ギロリって、わたしを睨む!
「あ、はい! わたし!? わたしがなにか!?」
「あのひとが禁断のツボを開いたの、12年前に、あなたのお母様を救うためなの……」
わ、わたしのお母さんをっ!? なにそれーっ!?
「あの男……このフィギュアも捨てるし、あの女のことも忘れるって言ったくせに……」
ちょっと待ってー。
「……許せない!」
なんかめんどくさいことになってるー。
第5話 初めての体験
「必殺技のヒントを見つけたよ!」 と、ケンヂくんからのメッセージを受けたわたしは、階段を駆け下りて玄関を飛び出して私道を挟んだ遠賀川家の呼び鈴をピンポーン! 「ああ、ほずみちゃん。めちゃくちゃ速いね」 「必殺技のヒントがみつかったって本当!?」 「ああ! わかったんだよ! 二重螺旋だよ! 二重螺旋!」 「二重螺旋って……遺伝子の?」 遺伝子! 二重螺旋! それは男と女の愛の結晶! あのひとの§
到着したのは山奥の小さな山小屋~!
空気が美味しい~!
「ステキなところね! ねえ、九条くん!」
振り返ると、九条くんの手にはスタンガン。まわりに後続の車が次々停車して、ぞろぞろと黒服サングラスが降りてくる。全員拳銃所持。強オーラ男は日本刀持ってる。
「あ、そうか。山奥だから、クマとか出るかもしれないよね」
「そうだね。ここは危ないから、ふたりは山小屋で……」
ああん。小さな山小屋に九条くんとふたりきり。
「九条くん……ふたりは山小屋で何をするの……?」
わたし、蕩けそうよ。
「ほずみー!」
と、遠くから声が聞こえる。
「あれ? お兄ちゃんの声?」
「チッ」
九条くん、舌打ち?
「お兄ちゃん!」
自転車で追いかけてきたぁ?
だけど、姿が見えたと思った次の瞬間! 山小屋に押し入れられて、カギを締められた!
「やだ、九条くん。乱暴にしないで」
だって、わたしもう、あなたのものなのよ?
九条くんは上着を脱いで、通信機を取り出す。
白いシャツに拳銃のショルダーホルスター……クッションみたいに厚い胸板……カッコいい……。
「警察は? ――そうか。なんとか誤魔化せ。10分でケリをつける。あの男も捉えてここに入れろ」
「お、お兄ちゃんもここに……?」
父兄同伴でいったいなにをするの?
とか思ってたら、お兄ちゃんも縄をかけられて小屋に叩き込まれた。
「ほずみ! 無事だったか!」
「って、何しに来たのよ、お兄ちゃん!」
カチャッ。
……って、なに? 拳銃? 九条くんがわたしに? どうして?
「ど、どういうこと?」
「兄妹揃ったなら好都合だ。交野§
町へ帰って、駅前で兄と別れて、わたしとミサは喫茶店。
ミサのスーパーヒーローとしての名前をふたりで考えたけど、いいのが浮かばなくて、
「ほずみのお兄さんに考えてもらえばいいんじゃない?」
「そうだね! 次回作できっと登場すると思う!」
そう言って別れて家路につくと、歩道の先にお兄ちゃんの背中をみつけた。
「お兄ちゃん!」
お兄ちゃんは、ちょうどホテルに入るところで、わたしも追いかけて、勢いそのまま自動ドアの向こうへ。
「ほ、ほずみ、どうしたんだよ」
「お兄ちゃんこそ。なんでホテルに来たの? あ! わかった、打ち合わせね! 編集さんに会うの?」
「ああ、うん、大事な打ち合わせなんだ。ほずみは先に帰っててくれないかな」
なんて言ってお兄ちゃんはエレベーターに向かったけど、わたしが放っておくはずがない。ちょうど歩いてきた関取の背中に隠れてエレベーターへ、部屋に入るお兄ちゃんの背中を、こっそり追いかけて、わたしも部屋へ。
「なんでついて来たんだ!」
「だって、わたしも編集さんの意見聞きたいんだもん!」
「いや、まずいよ。なんで来たんだよ。帰れよ」
お兄ちゃんはわたしの肩をぐいぐい押して、部屋の外に出そうとする。
「やだ。そんな言い方するんだったら帰らない」
そうこうしてると、ノックの音。
「編集さんかな?」
入り口の扉を開けると、外に待っていたのは女のひとだった。
くるくるの髪をアップにした、キレイなひと……。
「駅前デリのレイカです。お待たせしましたぁ」
駅前……デリ……。
フローラルな香水の匂いを振りまいて、そのひとは柔らかく微笑んだ。
「あ、あのう、キャンセルできますか?」って、お兄ちゃん……。
デリヘル頼んだんだ……。
「いいよ! お兄ちゃん、わたし帰るから!」
デリのひと、戸惑ってる。
「いや、もういいよ、ほずみ!」
わたしはデリのレイカさんを部屋のなかに押し込んで、廊下を走ってエレベーターへ。
ボタンを押して待ってると涙が出てきた。
なんで泣いてるんだろう。
べつに違法なことやるわけじゃないし、お兄ちゃんだって男なんだし、童貞神って呼ばれて悔しいのもわかるし、わたしが割り込む問題じゃない。でも、デリのひとで体験されるのはやだ。そんなの、お兄ちゃんの自由だってのはわかるけど、でもやだ。
家に帰って、ごはんの用意をしてると、
「ただいま」
って、お兄ちゃんが帰ってきた。
「うん。おかえり」
「デリのひとには帰ってもらったよ。お金は取られちゃったけどね」
「別に、わたしのことなんか気にしなくてもいいのに」
「ほずみのこと気にしたわけじゃないよ。なんか、いろいろ考えたってだけで」
「考えたって?」
「ほずみ、友だちを紹介してくれるって言ってただろう? それを裏切っちゃいけない気がして」
「ごめん。お兄ちゃん。やっぱり紹介できない」
「うん。しょうがないよね」
「ごめんね」
「いや、これでいいんだ」
デリとか、ソープとか、自分とは違う世界のことだと思ってた。男子が隠れて雑誌見てるのも知ってたし、友だちのお姉ちゃんにそういうひとがいるのも聞いた。だけどいままで、線を引いてきた。
この戦いのカギになるのは、童貞神――
ケンゾウさんの言葉が思い出された。
「あ、そうだ、お兄ちゃん」
「なあに?」
「お母さん……生きてるのかなぁ……」
わたしは、誤魔化すように話題を変えた。
「どうだろう。遺体も見つかってないのに葬儀って、変だとは思ったけど……」
お母さんが、わたしに残してくれたのは、寄木細工の箱。
でも、開け方がわからない。
ほかの荷物は段ボール箱に入ったまま。
「このなかに、なんかヒントあるかな?」
って、12年越しに、箱を開いた。
お母さんは、パンドーラ研究所というところの研究員、お父さんは科学系ジャーナリスト。だけど、知ってるのはそれくらい。
段ボール箱には本がぎっしりと入っているほかは、衣類や小物類。そんなに目を引くものはなかったけど、お父さんの書類箱が出てきた。
「これ、怪しくない?」
と、漫画家のカンを働かせる兄。
「うん。でも、見てもいいのかな?」
「遺品だし、故人を偲ぶのに必要な情報だろう?」
と、開いた書類箱から出てきたのは手紙の束。
交野晴夫……お父さん宛て。ハートのシールで封されてる。
「ラブレター?」
「お母さんからかな?」
差出人は……と、見てみると……
遠賀川……ケンゾウ……
「ケンゾウさんからお父さんへのラブレター!?」
「ええーっ!?」
第6話 少女の夢
「わたし、もう一回九条くんにアタックする!」 右手をあげて、華麗に宣言。 「ええーっ? あんなの最低野郎じゃーん。なんでこだわってんの?」 って、ミサはまったく見る目がないんだから。 「違うよー。あの情けないところがいいんじゃーん。地位も名誉もあるのに、怯えて命乞いするのよ? 『世界は変わらないよ。きみたちの力では……』って、雑魚のセリフじゃーん」 「それもう恋愛感情じゃないよね?」 びーっ! びーっ! びーっ! 「ポリコレアラートだ! どこかに虐げられている弱者がいる!」 「はいはーい。いってらっしゃーい」 「って、ミサも行くの!」 「へいへーい」 しゅたっと現場到着! 「同人誌即売会だ! これはポリコレ違反がたくさんありそうね!」 「まってまって。なにする気か知らないけど、オタクはポリコレ少女の支持母体じゃないの?」 「相手が支持母体だろうが、親友だろうが、推しだろうが、言うべきことは言う! これがポリコレ少女の宿命なの!」 入り口の引き戸をガラガラッ! 「われわれはポリコレ警察である! おまえらの表現をチェックしに来た!」 むわっと汗臭いコミケ会場! 「キタッ! ポリコレ警察!」「ポリコレ少女だ!」「ひゃっほう!」 「会場、歓迎ムードなんだけど」 「そこのチェックシャツのメガネ! おまえの同人誌を見せろ! これはっ! おっぱいが強調されて、照れたアヘ顔、股間に貼り付いた不自然なスカート! いくらだ!」 「は、はっぴゃくえんです……」 「買った!」 「買うのかよ!」 会場から上がる「ボクのも見てぇー」「いたぶってぇ~」の声。待つがいい。順番に貴様らの薄い本もチェックしてくれよう。 「ふっふっふ……はっぴゃくえんでこの程度……これを見せれば、お兄ちゃんも自信をつけるはず!」 「どんな動機だ」 「あ、あの、いっしょに写真撮ってもらっていいですか?」 「ああ、喜んで!」 「ありがとうございます! そちらの方はシルバーウィッチですよね?」 「シルバー……ウィッチ……?」 「ええ、交野悠吏先生の最新作の……ポリコレ少女の相棒……」 「もう新刊が出てるの!?」 「はいっ! あのひとは神です! 僕たちのヒーローです!」 「そうか……お兄ちゃんがキモオタのヒーロー……ちょっとうれしいかも」 「言葉選べよ」 と、そこに、 「我がコミケはお気に召していただけたかな、ポリコレ少女」 「その声っ!」 振り向くと、九条くんっ! 「なぜおまえがっ!」 「ノブレス・オブリージュだよ。高貴な血を引く者は、手に入れた財で文化を支援するのさ。きみたちが乗り込んで来たと聞いた時はヒヤヒヤしたよ」 「ヒヤヒヤ?」 「ああ。文化のなんたるかも知らぬ野蛮人が、肌の露出が多いと言うだけで、われわれの高尚な文化を破壊するのではないかと思ってね」 にゃろう、言わせておけば……まわりのオタクどもは、さすが九条さんとか言って、目ぇキラキラさせてやがるし、九条は九条で、 「ポリコレか何か知らないが、表現は自由なはずだよ。ひとはフィクションはフィクションとして受け止めるものだからね」 って、アホか。 「じゃあ、『天国』はどうなのよ。『天国』はフィクションなのに、行けるって信じてるひといっぱいいるでしょうに」 「天国は天国、表現とは別の話だろう?」 「幽霊は? 幽霊を信じてるひといっぱいいるけど、あれは? 幽霊はフィクションでしょう? それとも、実際にいるの?」 「実際に見たんだろうな。何かを。オレは信じていないからわからんが」 「じゃあ、超能力は? 信じてるひといっぱいいるし、あるいは特撮ヒーローものの影響で塀から飛び降りた子だって、たくさんいる。聖地巡礼なんてフィクションの影響そのものでしょう? AVが性教育になるなんて言うクソがいるし、漫画の影響で壁ドンやったヤツなんか無数にいる。ノストラダムスの予言信じてる人間も、うじゃうじゃいたって聞いた」 「そんなものは、稀有な例外だ」 「例外多すぎるわ!」 フィクションが現実に影響しないなんて、だれが言い出したかもしれぬヨタをオタクは信じている。愚かだ。 精神分析家のジャック・ラカンによれば、現実界とは決して触れることのできない空虚な対象、それが表現によって象徴としての意味を持つのだ。わたしたちにとって現実とは、この表現行動によって生み出される象徴界のこと。表現でしか世界を認知できないわたしたちにとって、表現は現実なのだ! 「どんな絵だろうが、ゾーニングされていれば問題ない。たとえば、『女を殺せ』などのメッセージが込められていれば、ゾーニングされていても問題になるが、そこはきみたちを信頼している。わたしたちが問題にするのは、適切なゾーニングがなされていない場合だ」 その言葉を飲み込んで、ゆっくりと九条冬葵が口を開く。 「ほう。だが、ゾーニングされていないことの、どこが問題だ? 生殖器の表現などは法で禁止されているが、肌の露出、服の貼り付き、アヘ顔は規制されていない。日本は法治国家だ。法で定められた範囲なら問題がないはずだ」 わかってないなぁ、もう! 「社会の風紀を乱すだろうが!」 「その風紀を誰が決める、ポリコレ少女。貴様が決めると言うのなら、それは独裁となにが違うというんだ?」 と、無知蒙昧な九条冬葵は得意顔をキメるが、とんだお門違いだ。 「わたしが決めるんじゃない! 社会が決めるんだ!」 「社会が?」 「法には、自然法と制定法とがある。明文化された法だけでなく、ひとが従うべき法は無数にある!」 「たとえば?」 「満員電車でドア付近に立ったひとは、駅についたら降りる! バス停では並ぶ! 結婚式に元彼呼ばない! お年寄りには親切に! ポエムはチラシの裏! それと同じだ! 萌え絵をところかまわずバラ巻くのは、カレーを食べてるときにウンコの話をするのと同じだ!」 「これはこれは、たいそうな心がけだよ、ポリコレ少女。しかし、それが破られたらどうする? 暴力で従わせるか?」 「わたしたちには理性がある! 誰も強制しない! ポリコレとは、理性的な未来を作るためのもの! その未来は、クリエイターが築いていくんだ!」 「はっはっは! 強制しない、か……。本当にそうかな? ポリコレ少女」 九条くんは不敵な笑みを浮かべ、次にオタクたちに声を向けた。 「キモオタたちよ!」 ……キモオタゆーてるやん。 「ポリコレ少女をスケッチするのだ! 法に触れぬ範囲であらゆる角度からジロジロ見つめて、好きなように描写するがいい! うなじの虫刺され……汗ばんだ脇にできた皮膚のシワ……太ももに透けて見える血管……場合によっては……毛ぇがはみ出してるかもしれんぞ!」 オタクがわらわらとやってきて、至近距離からスケッチを始める! は、鼻息がかかる! キモオタの鼻息がっ! 「第三十番、§
ひとっとびで、ケンヂの家へ!
「おじゃましまっす!」
と、扉を開けると、出刃包丁を持って返り血を浴びた静江さんが出てきた。
「そ、それはっ!?」
「あら、ほずみさん。いま晩ごはん用にマグロを捌いていたのよ」
「マグロを……?」
「夫が、道場の子たちにも食べさせてあげるんだって、マグロを一尾買ってきたの」
「マグロ一尾って、それっていくらするの……?」
「さあねぇ、ハマチの二倍くらいかしら? それよりも、今日はなんの御用?」
「ええっと……」
もうフェミニストを辞めようかと思っていたところだった。
改造された身体ももとに戻してもらって、普通に九条くんと恋をしたい。でも。
「もう、道場で鍛えるの、やめようかなぁーって……」
静江さんには、そういう言い方になった。
「あらあら、そんなこと? そうよね、女の子はおしとやかがいちばん。だって、どんなに身体を鍛えたって、殿方にはかないっこないわ」
静江さんは言うけど、それはアホのように強いケンゾウさんを見てるからだと思う。
「ケンゾウさんも、おしとやかな女性が好きなんですかねぇ」
すっとぼけて聞いてみると、
「どうかしら? 若いころは、女に興味がなかったみたいだけど……」
って。
「えっ?」
静江さんも知ってたんだ……。
「夫はあなたのお父様、晴夫さんのことが好きでしたのよ。だけど、あなたのお父様は、そういう方じゃないでしょう? 思いを募らせても不幸になるだけだから、わたしが少し強引に割って入りましたの」
そういう事情だったんだ……。でもまあ、ここは、知らなかったことにしておこう。
「そ、そうなんですか? は、はじめて知りました」
「あのひと、わたしと結婚してからも、あなたのご両親にずっと肩入れして……」
「あ……はい……」
「ずっと……ずっと……あなたたちのことばかり……」
と、いつものにこやかな静江さんの表情が、曇り始める。
「わたしが、どんな気持ちで、あなたを家に招いているか……あなた、ご存知?」
静江さん、笑顔だけど、なんか引きつってる。
「あの、いえ、それは……」
なんか、変な空気……。逃げよう。
「わ、わたし、道場のほうで待たせてもらいます!」
道場へと身体を向けると、
「今日は遠慮なさってくださらないかしら?」
静江さんが出刃包丁を持った手で遮る。
うひぃぃぃぃぃっ。
ふと見ると、廊下にケンゾウさんの下駄が片っぽだけ転がってる。
な、なにがあったのだろう……フィギュアのことがバレたのだろうか……。
と、そのとき、スマホが鳴った。
ミサからだ。
「すみません、ちょっと……電話が……」
静江さんは静かに頷く。
電話に出ると――
「ほずみのお父さんの行方がわかったよ!」
って、ミサの甲高い声。
「どういうこと? なんでわかったの?」
「一週間ほどまえ、川崎の工場で爆発が起きたのは知ってる? ちょっと胸騒ぎがしたから、大日如来に聞いてみたの」
大日如来に?
「なにその能力」
「そうしたら、予感的中。そこの工場主、身元を隠してるけど、本名は交野晴夫……これって、あなたのお父さんでしょう?」
「そ、そうだけど……お父さんが、生きてたってこてと……?」
ここから川崎だと、中央線で西国分寺へ行って……ええい、面倒だ! こんなときこそポリコレ少女になってびゅーんだ!
「こんにちはっ! トイレ借ります!」
って、近くのコンビニのトイレでポリコレ少女に変身!
「ありゃーっしたぁーっ!」
と、店を出ると、なんと! 目の前にもうひとりのポリコレ少女が!
「待っていたわ。ポリコレ少女、舞依」
「っつーか、あんただれ!?」
わたしと同じデザインで、色違いの黒いスーツ……。
「わたしは……アンフェ少女ガラティア」
アンフェってのは、アンチフェミニズム……つまりわたしの敵!
それにしても、変な名前――
「ガラクタ?」
「小学生のリアクションかよっ!」
アンフェ少女の飛び膝蹴り! それを華麗に躱し、返す刀で攻撃!
「そんな変な名前の新キャラ! 読者の記憶に残る前にこうよ!
第七番! §
ミサとふたりで、川崎の工業団地を訪ねた。
「ここだけ昭和40年代だ」
「知らないでしょ、そんな時代」
立ち並ぶ倉庫、§
「ただいまー! いまからごはん作るから待っててー!」
お兄ちゃんは部屋にこもって、漫画の執筆中。
わたしはエプロンつけて、晩ごはんはポトフ。
イモや肉や野菜を入れて煮るだけ! 簡単!
キッチンでことこと煮える鍋の香りに包まれながら、スマホでロールモデルのことを調べてみた。
ロールモデルというのは、「ひとが憧れて規範にする人物像」のことらしい。
たとえば有名な芸能人――歌やドラマがヒットして、恋をして、結ばれて……そういう生き方の手本になるようなひとが、ロールモデルなんだって。
なーんだって感じ。
ポリコレスーツを作ったお母さんが探してるっていうから、新しい素材か必殺技だと思ったのに。
で、せっかくだから、詳しく調べてみると、アニメや漫画の登場人物もロールモデルになりうるって書いてある。
でも、敷居の高い正義のヒーローよりも、自分の駄目なところを正当化してくれる悪党のほうが、理想像に選ばれがち……って。だから、お兄ちゃんが描いている漫画が、どんなにポリコレを訴えたところで、読者はポリコレ少女よりも、アンフェ少女に憧れる可能性がある。
そうそう、とある映画監督は、「暴力映画の影響で実際に暴力を振るうひとが現れたら、どうしますか?」と聞かれた時、「じゃあなんで、世の中お涙チョウダイの話だらけなのに、世間は良くならねえんだ」と聞き返したらしい。
わたしにしてみたら、的はずれな答え。
自分の欠点を正当化できるものを取り入れるのが、人間の性だ。だからひとは、正義のヒーローの生き様を真似ることなく、その暴力性だけを真似る。
それに、暴力は必要だ。この世間の荒波を乗り切るために。
わたしがもし、「ポリコレ少女の影響で暴力を振るうひとが現れたら、どうしますか?」と聞かれたら、「振るうべし」と答える。
その勇気を与えるのが、わたしの役割だから。
果たしてそれはポリティカル・コレクトネスなのかと聞かれたら、そうだと答えよう。
少女たちよ、暴力を纏え。
それがわたしのメッセージだ。
ポトフが出来上がるころ、お兄ちゃんが二階から降りてきて、新作を見せてくれた。
「シルバーウィッチかっこいい!」
「だろう?」
ポリコレ少女よりスリムだけど、大きいとこだけは大きい。そこは必須らしい。
あと、レオタード風の衣装が、股間にくっきりと食い込んでいるのもどうなの。海外ではキャメル・トゥ――ラクダのヒヅメって呼ばれていて、じつは通販で、そこを強調する下着も売られている。だけど、「ワレメが女性の象徴」って言うのも変な話。実際そのあたりの形なんて、千差万別。ワレメだって、個性すべて捨象した空疎な象徴でしかない。
それから、わたしとミサ……じゃなくって、ポリコレ少女舞依とシルバーウィッチはレズ設定だった。なんか、がっかり。
「この設定、安易だと思う」
「そう? でも、実際にいるだろう? そういうひとたちへのエンパワーメントだよ」
それは人間としての活路ではない。見世物だ。
「それって、『ボクたちの目を楽しませるのが、あなたたちの存在価値です』って言ってるようなもんじゃない? そういうひとたちは、普通に恋をして、普通に生活したいだけじゃなくて?」
「わかってないなぁ、ほずみはぁ」
「はいはい。オタクの世界の事はわかりませんよーだ」
お兄ちゃんに何を言っても、最終的には「わかってないなぁ」に持っていかれる。
「でも、わたしがわからないってことは、世間のひとはオタクのこと、もっとわからないってことだよ?」
「まあ、そうだろうね」
「世間一般のひとが、『股間を強調されたくない』って言っても、オタクは『一般には理解できない論理』で言い返すわけでしょう?」
「うん……そうなるけど、それは理解できない側の問題じゃないかな?」
「じゃあ、オタクがポリコレを理解できないのも、理解できないオタク側の問題なんだ」
「いや、それは理解できるように説明しない側の問題でしょう」
「はあ?」
オタクは常に、オタク側が正しいという前提で話しているので、会話が成り立たない。これじゃあヤクザや幼児と同じだ。
ごはんを食べて、寄木細工に再挑戦。
よく見てみると、たしかに小さい文字がたくさん書き込まれてる。
わたしの名前がヒントになるってことだから、『ほ』『ず』『み』の文字があるところのギミックを順番に動かしてみたけど、駄目だった。
ええい、仕方がない! ポリコレ少女に変身して、叩き潰してやる!
と、思っていたらミサからラインが来た。
「ケンゾウさんの行方がわかった」
って、
「また大日如来に聞いたの?」
「そう。ケンゾウさん、遠賀川空手道場の地下で拉致されてるみたい」
えっ?
第7話 多摩川防衛ライン
ケンヂの家、玄関のドアをこんこんこん。 叩いてみるけど、だれも出ない。 どんどんどん! ドガッ! バギッ! ズギャッ! 出ない! 道場のほうに回ってみると、鍵が閉まってた。 いつも開けっ放しなのに! ――どう? ケンゾウさんは見つかった? って、ミサがココロの中に直接話しかけてくるけど、待てコラ! わたしはどうやって返せばいいのよ。 ――それでいいわ。そうやって考えたこと、ぜんぶ伝わってくる。 ――わたしのプライバシーは? ――あきらめて。 ――あきらめるけどさ! とにかく、なんか鍵がかけられて、道場に入れないの。これから蹴破って入る! ――わかった。わたしは、九条家の監視を続けるわ。 と、そこにケンヂも登場。 「どうしたの、ほずみちゃん」 「ケンゾウさんが地下に拉致されてるの!」 「ええっ!?」 とにかく、奥の壁を正拳突き! エレベーターで地下へ! そこにケンゾウさんの姿はないけど、血の跡が! てんてんと! ケンヂに事情を話しながら血痕を辿ると、小さな物置の前、鍵がかかってる。 どんどんどん! 「ケンゾウ博士! もしかしてこのなかにいますか!」 「お父さん! 返事をして!」 「……んあっ! ……んぐっ! ……もごっ!」 どうやら猿ぐつわでもかまされているっぽい! 「すぐにポリコレ少女に変身して助けます!」 空中にMの字を書いて変身だぁっ! ……と、思ったけど。 「この、空中にMの字で変身って、どういう原理だと思う?」 「それ、いま聞くこと?」 「……うごっ! ……ごももっ!」 「これ、逆立ちしてMの字を書く場合、やっぱ逆さまのWにしなきゃ駄目なの?」 「いまは置いといて変身しない?」 「うがぁっ! ……ぎゃふっ! ……ぐがっ!」 ケンヂ、ノリが悪いし、博士、暴れてるし、もう。 とりあえず変身して博士を救出! SMで見るようなボールギャグをかまされて、赤いガムテープと革紐でぐるぐるにされてた。どんな趣味だ。てか昨今の高校生がSMの道具を漫画で覚えるご時世って、どうなの。 「やられたよ……」 「いったい誰に?」 「静江だ」 「静江さんが!? も、もしかして、フィギュアを集めてた件で……?」 「いや……あいつももとはと言えば、九条ホールディングスに勤めていたのだ。最初からポリコレ少女の秘密を暴くつもりでいたんだろうな」 「ええーっ!? 最初からって、20年以上もまえから!?」 「ああ、そうだ。ポリコレ少女の秘密を持ち帰れば、本社勤務だ。それが狙いなのだろう」 しょぼ! 静江さんの狙い、しょぼ! 「ほずみくん……。こうなった以上、ほずみくんには、すべて話さねばなるまい……」 ええーっ。聞かされるのーっ? 「そう、嫌な顔をするな」 「父親にラブレターを送ってたオッサンの話を聞くの、しょーじき辛いです」 「そこまで知っているなら、なおさらだ。聞くが良い!」 聞くが良い……菊が良い……菊と言えば……尻の穴……ケンゾウ博士は菊好み…… ――ほずみー。こっちにまで聞こえてるからねー。 わたしのプライバシーは!? 「四半世紀も昔の話だ」 ケンゾウさんは語り始めた。 「わしはキミのお父さん、交野晴夫に恋をしておった」 キャッ! 40代のおっさんの口から聞きたくない! 「しかし、晴夫くんは男には興味がなくてね、彼は桜井さんにゾッコンLOVEだったんだ」 キャッ! ネタが古すぎてわかんない! 「桜井さん……きみの母君の陽灯美さんは、九条財閥の軍需部門にいたんだよ。名門中の名門だ。その陽灯美さんが、晴夫くんの求愛に折れて、結婚することになったのだ。わしの出る幕などないではないか」 どうしてもいまのオッサンの姿で想像しちゃうけど、結婚する前の話だから、かれこれ20年以上は昔。ちゃんと若者の姿で想像できれば、美味しい話かもしれないのに……おおっとこれは、ポリコレ少女にあるまじき発想。いかんいかん。 「それからも、わしと晴夫くんはお隣さん同士。あのふたりのことは、つぶさに見てきたのだ。それが、悠吏くん――きみのお兄さんが生まれると、陽灯美さんは、会社から退職を迫られるようになってねえ……出世の道も次々に閉ざされていった……。それで焦りを感じるようになっていったんだろうな」 子どもができただけで退職を勧告されるって……飛鳥時代の話かよ。 「しかし、どうしても会社に残りたい彼女は、己のカラダを検体として使うと言い出したんだ」 「えっ? それって?」 「次に生まれてくる子を、人造人間パンドーラに仕上げる……そのために研究を続けたい……そう言い出したのだ」 「次に生まれてくる子って……わたし……?」 ケンゾウ博士は静かにうなずいた。 わたしの体にある無数の痣……もしかしてそれと関係あったりするのかな……。 「彼女にその話を聞かされて、晴夫くんも憔悴していたよ。妻のキャリアが断たれるのはたしかに不本意だが、そこまでのことをさせたくはない、と。わしは……晴夫くんの訴えを聞いて……なんとか彼を救いたいと……自ら検体になることを申し出た……。彼女の研究には、どうしても検体が必要だったのだ」 それで検体二〇三号と呼ばれてたんだ……。 「ちょうどそのころに接触してきたのが、妻の静江だ」 「ここで静江さん登場!?」 「おそらくこれも、九条財閥が仕組んだのだろう。罠があるかもしれぬとは思ったが、救いたかったんだ……晴夫くんを……」 神話の時代、オリュンポスの神のひとり、プロメーテウスは天界の火を盗み、地上に栄え始めた人間に与えた。そのことに怒ったゼウスが、人間に災いをもたらすべく作り出したのが、原初の女性、パンドーラだ。 パンドーラは鍛冶神ヘパイストスによって作られ、そして、絶対に開けてはならないと言い置いて、ひとつの箱を持たされ、地上に降ろされた。 地上は神界に比べると、不毛の地。そこで暮らすうち、彼女は『箱』を開けずにはいられなくなった。そこに神から与えられた力があると信じて。 しかし、箱から出てきたのは、疫病、戦争、欺瞞、貧困……。 それらは、蓋を開けた途端に、この世界に散らばっていった。 こうして人類には不幸がもたらされたのだと、ギリシャ神話は伝える。 とりわけ『女』が災いの元となったのだ、と。 聖書で蛇にそそのかされたのも女、ギリシャ神話で禁断の箱を開けたのも女。同じくギリシャ神話のヘレネーはトロイア戦争を招いて、ユダヤ神話のリリスは男を誘惑する。災いは常に女が招くものだった。 だがそれでも、パンドーラは、幸いだったと言われている。 なぜならば災いが出尽くしたあと、パンドーラが箱をのぞくと、その底に『希望』が残っていたのだから。 ――すべてを失った彼女の手に、希望だけが残った。 しかし、果たしてそれが、幸いだろうか。 ケンゾウ博士の語りは続いた。 最後に『希望』が残ったと言うが、あらゆる才能を、財産を、家族を奪われ、『希望が残った』と言われたところで、それは何も残らなかったのと同じ。 女性にはあらゆる可能性があった。パンドーラの持った箱は、その象徴。そこから、疫病、戦争、貧困が生まれたことになっているが、それを持たせたのは神だ。パンドーラ研究所は、そうやって陥れられるまえの女性、すべての才能を持った女性を、人間の手で再度作り出すことを究極の目的としていた。 「でも、それでポリコレスーツを? ちょっと飛躍してないかな?」 「神話の英雄はすべてが男だ。漫画やアニメのヒーローもすべて男で、たまに女のヒーローがいても、男とは役割が違うのだよ。いまの女のヒーローは、虐げられた女性を鼓舞することを役割としている。いわば、マイナスをゼロにするだけ。人類的な使命を与えられた男のヒーローとは、まだまだ差があるのが現実だ。それを、神話の時代にまで遡って、再度描き直し、教化、啓蒙することで、現代社会そのものを作り直したい……彼女はそう語っていたよ」 「いや、でも、納得できない」 「納得できないとな?」 「それを旧態然とした九条財閥がやってるのは、どうして?」 「九条財閥……いまは九条ホールディングスというが、奴らは、軍需にしか興味がない。パンドーラは、桜井さんたちのパンドーラ研究所が独自に持った理念だ。九条財閥と研究所は、互いの資金と技術とを、ともに利用しあっていたのだよ」 「そうなんだ……。まるでお金のために、理念を売ってるみたい……」 「そうだな。売春と言い換えても良いだろう。だが、すべてを単純な図式で見ようとしてはいけない。どこかの国がどこかの国を侵略したからと言って、国民のすべてがそれを支持しているわけではないように」 「なるほど! それがヒーローの考え方なのですね!」 「……九条財閥……奴らは、軍需にしか興味がない。パンドーラは、桜井さんたちの研究所が独自に持った理念だ……」 話題が戻った! 年寄の話によくあるやつ。 「両者の対立は次第に深まっていったが……晴夫くんが危機に陥って、ようやくわしも男として生きる決心がついたよ……」 あ、分岐した。男として生きる決心とな? 「もしかして、それで禁断のツボを……?」 「そう。高円寺にある鍼灸院の裏メニュー……文鳥神に憑かれた店主がちゅんちゅん鳴きながら背中のツボを一心不乱につつく……。正しいツボに当たれば覚醒するが、外れたら死。まさに地獄の施術だ……」 しゅげー。なんだそれ。 居間へ戻ると、ちゃぶ台に静江さんの書き置きがあった。 ――一身上の都合で、しばらく里へ帰らせていただきます。 「お母さん、どうなっちゃうの?」 と、ケンヂがケンゾウさんに尋ねる。 「わからぬ。己の家の地下にポリコレスーツがあることに気がついていなかったのだ。会社からは、業務遂行能力に難アリと判断されるだろうが、その後は……」 と、そこに―― ――ほずみ! ニュース見て! と、ミサからのホットライン。 テレビをつけると、アンフェ少女3体による米軍基地襲撃のニュースが流されていた。場所は横須賀。 「あれは……」 「九条財閥……動き出したな……」 「でも、九条家はアメリカ軍需産業とは懇意のはずでは!?」 てか、3体もいる……。 「アンフェ少女が九条財閥の兵器だと知るものはいない。米国はこれに対抗すべく、新しい兵器を購入せざるを得なくなるという寸法だろう」 「止めなきゃ!」 わたしはすぐにミサに連絡、ミサからは、 ――アンフェ少女は横須賀基地を制圧! 兵器類を§
国道16号線拝島橋まで、直線距離20キロ、ポリコレ少女ならわずか2分!
「遅かったわね、舞依」
「遅かったって……わたし、マッハ2で飛んで来たんだけど」
「わたしはテレポーテーション」
「ちょっとそれ、設定盛りすぎてない?」
警察に封鎖された国道16号線。銀髪のミサがひとり腕組みをして拝島橋に立つ。
「横須賀からの部隊は八王子バイパス、新浅川橋手前に待機中。そろそろ動き出すわ」
「横須賀からの? 別のとこからも来るの?」
「自衛隊の富士演習場の戦車隊が国道20号線を爆走中」
「えっ!? ちょっとまって!」
「そっちもあと20キロの地点まで迫ってる。スターバックス八王子宇津木店付近で合流するみたい」
おっしゃれー。って、感心してる場合じゃない。上空には無数のドローン。
「あれも、軍用機?」
「近隣の住人が飛ばして、映像をネット中継してる」
「なんじゃそりゃ」
などと言ってたら砲撃!
「なにこれ! まだ戦車見えてないんだけど!」
「§
「ねえ、お兄ちゃん。ヘパイストスって知ってる?」
「ああ、知ってるよ。ギリシャ神話の神様だろう?」
「そう。九条財閥って、ヘパイストス教団の末裔なんだって」
「ヘパイストス教団? そんなのあるの?」
ヘパイストスは鍛冶の神様で、原初の女性パンドーラもヘパイストスが作ったらしい。
「まるでオタクの神様だね」
って、このところ神絵師とあがめられるようになった兄が言うくらいなので、通じるところはあるのだろう。
ヘパイストスについて調べると、オリンポスの主神ヘラが、夫と交わらず、ひとりで産んで、奇形だったとある。それが理由で神界からは追放されたのだというが、おそらくこれ、奇形を理由にゼウスが認知しなかったって話だ。
ちなみに、もっと調べるとヘパイストスが童貞だってことがわかった。
子がいるとされてるけど、どうやら非モテで醜いヘパイストスが処女神アテナを追い回し、足に射精したものが勝手に成長しただけっぽい。だけど、それで童貞じゃないって言い張れるんだったら、足に着床させたアテナだって、処女じゃないはず。
アテナは処女神と言われ、ヘパイストスは童貞神とは言われない。
童貞神はいる。だけど、だれも有難がらない。
非モテが創作にうつつを抜かすのは、ギリシャ神話の時代から変わっていないということか。
お兄ちゃんも、ヘパイストス神のこと調べてみるって言ってたけど、その後ふたりでヘパイストス神について話すことはなかった。
「やっぱ男オタクは昔から非モテで童貞だよね!」
って、兄妹であっけらかんと話せるわけでもないし。
ちなみに、あとでわかったのだけど、米軍機や自衛隊機に乗っていたのは九条家が肩入れしているコミケで集められたオタクだった。彼らはアンチポリコレのためだったらなんでもやる。だって、彼らにはそれが正義なのだから。
第8話 ひらけ! パンドラの箱!
スカート揺らす学校帰り。 「ほずみってさぁ、変な字ぃ書くよね」って、ミサ。 「第9話 降臨・童貞神
わたしの名前はパンドーラ。 テストのときに妙に時間がかかる面倒くさい漢字、帆瞳蕾。『ほずみ』と読むのだと教えられていたけど、お母さんがつけたのは『パンドーラ』。 ――わたしは、改造人間だった。 そしてわたしの手に残ったのは、愚者のカード一枚。 そう言えば、九条くんからピエロみたいだって言われたことがあった。 あの日、桃子たちに靴を燃やされて、顔で笑ってココロで泣いていたけど、いまも変わらない。桃子たちは友だちになってくれるって言ったけど、まだ壁がある。本当の友だちって、大切なもの強引に持っていったりしないと思う。 試しに、愚者のカードを装着してみたけど、シェイプシフトして現れた姿はタロットカードの愚者そのものだった。 タロットカードの愚者:ザ・フールは22枚の大アルカナの最後にあって、番号は0。 もとは番号なんかなかったらしい。 カードの絵だけ見ると気ままな旅人のようにも見えるけど、派手な衣装や犬といっしょに描かれているところから察するに、中世の貴族たちが抱えていた宮廷道化師だ。 道化師と言えば、いまでは面白おかしく芸を披露するコメディ・リリーフだけど、当時の宮廷道化師は違った。貴族が犬のように飼っていた障害者だ。彼らは障害者に派手な服を着せ、犬と同じように飼い、笑いものにしていた。 だから愚者には番号がない。 人間の枠のなかで扱われることもない、ゴミのような存在だった。 それがいまのわたし。 パンドラの箱から、ありとあらゆる災いが飛び出し、最後に残された『希望』。 仕事、発言力、自由、そのすべてを奪われて残ったもの。 ひとの目を楽しませるピエロとして生きること。 あたかも同性愛者が、その性愛の様子を異性愛者に消費されるように、あるいは女性たちが、男を悦ばせることを強いられるように。 それがわたし、パンドーラに残された希望。 『ポリコレ少女! 及びアンフェ少女たちよ!』 ケンゾウさんのインカム……わたしとアンフェがついに並列に…… 『米軍が人型兵器アキレウスを投入した! パワーはマスキュリニティ・マークIIの一千万倍!』 一千万倍って。 『了解! アンフェ少女1号、ピーチ・ブロッサム、出ます!』 桃子は勝手にヒーロー名つけてるし。 『グリーン・フラッシュ、準備完了!』 『クリムゾン・ブラッド、同じく!』 雑魚も真似するし。 敵は横田の地下格納庫から出現した人型兵器アキレウスと、無数の護衛機。 「戦うのはいいんだけど、核ミサイルが飛んできてるんだよね?」 『ああ、米軍は九条財閥の反撃を警戒しているが、あと30分もすれば23区はまるごと消し飛ぶ』 「米軍、そんなに無茶して世論とか平気なの?」 「相手は植民地だ。しかも国民はお上が決めたことに一切疑いを持たぬバカ揃い。核兵器くらい落とされても文句は言わんだろう」 「さすがは日本人」 高高度レーダーで索敵、すぐにミサイルを発見! 迎撃に向かうが、F22ラプターがわたしを捕捉。 「クソっ! 機動性ではこっちが上よっ!」 『気をつけるのだ! 向こうは空対空対人ミサイルを装備しておる! マッハ3までの空飛ぶ人間に特化したミサイルだ!』 「そんな武装は聞いたことがない!」 アンフェたちの戦況もインカムで随時伝わってくるけど、戦闘が長引くとやっぱりスーパー・エストロゲンの作用で暴走が始まるらしい。 『ぎゃーっ! おっπがっ! おっπがっ!』 と、聞こえるが、なにが起きているのか。 まもなく、F22とのドッグファイトにミサも参戦! 「ほずみ! あなたはインターバルを取って!」 「どういうこと!?」 「アンフェたちは5分しか戦えない。あなたがそれ以上戦えるとなると、パンドーラだってのがバレる」 「そ、それはまずい……。捕まって解剖されちゃう……」 しかし、そうは言ってもF22の編隊! 戦闘機ってまっすぐ飛ぶだけかと思ってたのに、機首を上げてその場でターンする謎の機動力! 「姿勢制御マニューバを利用して、あえて失速させて、そこからスラスターで加速するの。アニメで見たことあるでしょう?」 って、アニメでは見た気がするけどー。 「ここはまかせて! あなたはいったん引いて!」 ミサが経を唱え始めると、雲の上に大日如来の姿が現れる。そしてその身体が金色に輝いて、額の白毫から眩き光線が放たれF22の編隊が薙ぎ払われる! 「なにその技……」 戦闘空域を離脱して高度を下げると、地上ではケンヂが戦っている。 正拳2発を立て続けに放ち、10式戦車の装甲を破壊、空いた穴に掌から覇気を放つと、ポンッといってハッチが吹き飛ぶ。歩兵が放つロケット弾を蹴りで躱し、銃弾の雨を指で弾き返し、そして全高10メートルはあろう人型兵器アキレウスに立ち向かう! 正拳の突きは巨大な空気の砲弾となって、アキレウスの装甲をボコボコと凹ませ、アンフェの3人を見れば、インターバルを取りながらモードチェンジを繰り返す! 桃子のピーチ・ブロッサムはモード女帝:ラヴィアンローズ、無数の誘導弾! マリのクリムゾン・ブラッドはモード塔:ライトニング、空を覆い尽くす雷撃! ルイのグリーン・フラッシュはモード運命の輪:カーマシフター、時間軸反転! 「は、博士! ルイが時間軸を反転させてます!」 『うむ……さすがにここまでとは予想できなかった』 正直これ、米軍相手ではもったいないくらいでは? 「いやー、それにしても。戦争ってなんか、楽しいっすね、博士……」 『その感想はいかんぞ! ポリコレ少女よーっ!』 ――F22、全機掃討…… ミサからだ。 ――こっちはもう……パワー切れ……核は……まかせた…… 「よっしゃーっ! 出番だーっ!」 ノーマルモードのままでは出力不足! 不本意ながらモード愚者:ジェスターにシェイプチェンジ! スラスター全開で空へと駆け上がる! ミサイル発見! すんごいスピードでこっち向かってくる! こいつをーっ! 全力でーっ! キャッチーっ! 『でかしたぞ! ポリコレ少女!』 「やったぁぁっ! さすがわたし!」 『それを大気圏外まで運んで宇宙に捨てるのだ!』 「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」 マジかーっ! 『地球重力圏から抜け出すには、第二宇宙速度、時速4万キロまで加速する必要がある!』 「無茶言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 とにかく最大出力! とりあえず大気圏外まできたけど、息が! 息が! このままじゃ死ぬし、あとはもう、放り投げる! がっ! ときすでに遅し! 核ミサイルが目の前で炸裂! やってること、まんまピエロなんだけど~。 あ~っ、青い光が~っ。 これってもしかして~。死ぬまえに見えるとゆ~。§
白くてなにもない空間で目が覚めた……。
仮面は割れて、完全に素顔。
目を凝らすと、目の前に小さい子ども……。
見たことあるような、ないような。
「きみは、だれ?」
とりあえず、聞いてみる。
「きみのなかの、もうひとりのきみ……」
ありがちと言えばありがちなセリフ。
「わたしのなかの?」
でもたしかに、言われてみればわたしに似てる気がする……。
というか――
「ここはどこ?」
「ここは……漫画やアニメや映画で主人公が究極の戦いで気を失ったときとかに行く、真っ白くて何もない空間……」
まんまかよ。
「知恵袋で聞いたけど、名前はついてなかった」
聞いたのかよ。
ていうか、そういうことを聞きたいわけではなく……
と、頭のなかで言葉を整理していたら、場面がさっと差し替わった。
山道。田舎の集落。
車もあるけど、同じ道を馬や牛も歩いている。
瓦屋根に、朴訥な姿の老若男女。
喋っている言葉はどうやら中国語のよう。だけど、なぜかその意味はわかった。
「陽灯美さんなら、奥の屋敷だよ」
すれ違う年老いた女性。
「帆瞳蕾さんだろう? あなたをずっと待っているよ。顔を見せてあげな」
ひび割れた土塀の、古びた門をくぐると、庭木の向こうに屋敷が見えた。
「ごめんください」
敷居をまたぐと、すぐに屋敷のものが現れ、
「ああ、帆瞳蕾さんだね」
奥へと通される。
八角の匂いのする鍋のことことと揺れる台所をかすめて、小さな日当たりの良いサンルームへと出ると、そのひとがいた。
「よくここがわかったわね」
椅子に座り、長い髪を指で流して、そのひとが言った。
「わたしの……お母さんですか……?」
わたしはまだ戸惑っている。
「ええ、そうよ。あなたを日本に置き去りにしていったけど、仕方がなかったの」
その面影は、5歳のときに見たきり。あれから12年が経った。
「ここはどこ?」
「ここは中国の雲南省。モソ族の村よ」
そう言えば、お父さんから聞いた。お母さんは中国でロールモデルを探してるって。でも、それがどういうことなのか。
「ここで何をしてるの?」
「そうね。どこから話そうかしら」
お母さんは盆に伏せた椀を返して、お茶を淹れて、それをわたしに差し出しながら話し始めた。
「モソ族は、女系の家庭を築くの。日本では家長は男で、男系の社会を築くでしょう? 世界中どこを見ても、そういう国が多いわ。でも、モソ族は違う。だから、ここにヒントがあると思ったの。男と女とが、対等に暮らせる社会の」
「今の社会は対等ではないの?」
「国会議員の男女比を見てごらんなさい。男が圧倒的でしょう?」
「でも、女は子どもを産んだり、育てたりしなきゃいけないから……」
「子育ては母親ひとりの仕事だって主張?」
「そうじゃないけど……」
静かな村だった。
窓の外からは、風が梢を揺らす深いざわめきと、鳥の声が聞こえた。
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「本当にお母さんなの?」
「そうよ。どうして?」
「わたし、改造されたんだよね?」
「改造?」
「ポリコレスーツのスーパー・エストロゲンに耐えられるように。この身体は、本当にお母さんが産んだ身体なの?」
「なんだ。そのこと?」
「重要なことだよ」
「改造したんじゃないわ。たまたまよ。特殊な境遇のあなたが生まれたから、あなたの特性に合わせてステュクスの蒸着パターンを操作していたら、光学レクテナ配列にたどりつけたの」
「いや、その説明だとよくわかんない」
「そうね……バニシングツインってわかる?」
「バニシングツイン?」
「二卵性双生児の、弟、あるいは妹。あなたにもいたのよ、双子のもうひとりが。でも妊娠中に消えて、あなたに吸収された」
「えっ……? じゃあ、わたしの身体のツギハギ……」
「そう。吸収されたもうひとりの痕跡」
「もしかして……だからわたし、スーパー・エストロゲンに……?」
そう聞くと母は少し言葉をためらい、おもむろに、低い声でこう話した。
「ええ。あなたは、わたしの研究を飲み込んだの」
その声は穏やかに、わたしを戦慄させた。
「お母さんの……研究……?」
「遺伝子操作によって、論理的にスーパー・ホルモンに耐えうる受精卵を作って、それをわたしの胎内に着床させたつもりだった。だけどそのとき、ほんの少し先にあなたが受精していたの」
いや、でも、ちょっと待って……
「わたし、キューティー舞依に憧れていたのよ?」
「キューティー舞依?」
「そう。セクシーなスーパーヒロイン。本当はわたしがキューティー舞依になるはずだった……。でも無理だったの。わたしの身体では」
キューティー舞依って……青年漫画では……?
「だから、あなたに託したの……わかるでしょう?」
「わかるって……? お母さんの思いはわかるけど、だからって生まれてくる子を改造するの、よくないと思う……」
「お父さんと同じことを言うのね」
「えっ?」
「ケンゾウは賛成してくれたわ。いまのあなたの活躍は、ケンゾウのおかげよ」
ケンゾウさんはわたしを改造した張本人……ケンゾウさん……静江さんのことを利用して、ぞんざいに扱ってきたケンゾウさん……
涙が溢れて、目の前の景色が崩れていく……
お母さんは立ち上がって、わたしにつかみかかった。
「あなたのそのカラダが……わたしのキャリアを奪ったのよ!」
「やめて、お母さん! 苦しいよ! 手を離して……!」
……
…………
………………
気がつくとわたしは森のなかに倒れていた。
――夢、だったのかな……。
それにしてはリアルな夢だったけど……。
ふと気がつくと、手の甲にあったはずの痣がなくなっていた。
しばらくその場を動けなかった。
核ミサイルが至近距離で爆発したもんな……。
ダメージもあるだろうし、それに放射能もいっぱい浴びてると思う。
アメコミだと放射能浴びるとスーパーヒーローになるんだけど、日本人は壁のシミになる。
死ぬのかな、わたし。
山奥なのに、ドローンが飛んでる。
そういえば仮面が割れてる……もしこれがネットで中継されてるとしたら、お兄ちゃんも見るのかな、ポリコレ少女の素顔……。
ポリコレ少女がわたしだって知ったら、お兄ちゃんどうするだろう……。
梢の隙間、雲の流れをながめていると、鳥の声が止んだ。
木々の枝を縫って、鳥たちの叫び声。迫りくる危機を伝えあっている。
不規則なモーター音。
なにか来る。
だけど、身体に力が入らない。
さっきからずっと手足の先が痺れていたけど、それが全身に広がってくる……。
見上げていた景色が、ただの光の壁になって、わたしは……意識を……失った。
§
柔らかい眠りだった。
――パンドーラ。ねえ、パンドーラ。
って、語りかけてくる声がある。
目を開くと、真っ白い世界に、もうひとりのわたしがいた。
「やっと気がついたね」
「あなたは……ええっと……もうひとりのわたし?」
「そう。さよならを言いに来た、パンドーラ」
「さよならを?」
「うん。パワーを使い果たしちゃったから、もうここにはいれない」
「それって、死んじゃうってこと?」
「そうじゃないよ。だって、生まれてもいないんだから。これからもずっときみのなかで生き続けるよ」
「そっか」
「……それじゃあ」
「待って。あなたのなまえを教えて」
「なまえ……。お母さんがつけようとしていたなまえならあるけど、それでいい?」
「うん、もちろん」
「……希望」
ログハウスで目を覚ました。
映画とかで見る、剥製があって、クマを開いたラグと、ロッキングチェアがある、暖炉に火が燃えるログハウス。
わたしはソファに横たえられ、口元には酸素吸入器がセットされている。
だれかが助けてくれたんだ……。
部屋の隅のテレビがニュースを映す。
全国各地に米軍の人型兵器・スーパーアキレウスが出現、九条ホールディングスの工場やビルを破壊して回ってる。とくに九条家のお膝元の街は、都市ごと壊滅状態。
米軍のスポークスマンはこう伝える。
――日本の自衛隊が九条ホールディングスを庇うとしたら、宣戦布告とみなす。
――ポリコレ少女を匿った場合にも同様、我々は核の使用も辞さない。
つまり、わたしが米軍に出頭しないと、日本は核で滅ぼされちゃうってこと?
混乱する街の声が伝えられるなか、お兄ちゃんへのインタビューもあった。
「ほずみ! あんなエロい衣装で戦っちゃダメだ!」
って、ポリコレ少女の正体、どこかでバレちゃったんだ……。
「新しくデザインしたものがあるんだ。これを着て戦うんだ」
と、スケッチブックを開くけど、すぐに米軍の広報官に取り押さえられた。
「ほずみーっ! おまえはいままで、フェミニストとして、女性たちを鼓舞するために戦ってきた! それはマイナスをゼロに戻す戦いだ。だけどこれからは、ゼロをプラスにするために戦うんだ! ほずみーっ!」
最後は米兵に引きずられて退場。
お兄ちゃんが見せてくれた新コスチュームは露出が少なくて、脚はレギンス? みたいなものに、膝パッドとレッグガード、そのうえにフリルのスカート、トップスも戦いやすいように身体にフィットした服で、それでいて身体の線が出ないようにビブスのようなものを着用していた。
……でも、それを着て戦ったところで、おそらくわたしもう、人造人間パンドーラじゃない……。身体の痣は消えちゃってるし、スーパー・エストロゲンに耐える力はもうなくなってると思う。
ゆっくりと身体を起こすと、栄養ドリンクがテーブルに置いてあった。
だれが助けてくれたんだろう……。
半身を起こしてドリンクを口にしていると、入り口のドアが開いた。
そこに見えたのは――
「九条くん……」
「気がついたみたいだな、交野」
「く、九条くんが助けてくれたの?」
「ああ。この山は九条財閥の土地だからな」
「ここは……?」
「群馬の奥地だ。いまも30有余の未開の部族が暮らしている。デエダラボッチという巨人も住んでいると言われているし、米軍でも迂闊には踏み込めまい」
なんだそれ。群馬をそこまで侮辱するのはポリコレ的にはダメなのではないか?(作者注:ダメです。地元をネタにしたギャグには怒るべきです。空気を読んで一緒になって笑うことではありません。ちなみに、昔はこういう場面で使用されるのは「樹海」でしたが、そっちはまあ、ありなんじゃないかと思います)
「九条財閥は、これからどうするの?」
「役員会は、無条件降伏を提案している」
「まあ、相手は米軍だもんね……」
「降伏したら、アンフェ少女の3人は引き渡すことになる。もちろんポリコレ少女舞依――きみの身柄も要求してくるはずだ」
「わ、わたしも?」
「ああ。米軍がいちばん欲しがっているのは、きみのデータだ」
「そ、それって、解剖とかされちゃう系?」
「そうなるだろうな。きみの細胞サンプルは、九条医大でも欲しがってるくらいだ」
「九条くんは……わたしを……どうするつもり……?」
そう尋ねると、九条くんはその問をゆっくりと胸のなかに下ろして、そして答えた。
「きみを征服することを夢見てきた」
「えっ?」
それって、ちょっとドキドキするんだけど……。
「力ずくで抑え込んで、嫌がるきみを、無理やり……そうすることでしか、俺のプライドは回復できないと思ってきた」
べ、べつに、やってもいいけど……。
「交野。あの日の質問に答えてくれ」
「質問? というと?」
「きみの正義が、世界を変えたことがあるか……」
あー。それかー。
「俺は九条ホールディングスのCEOだが、経営は銀行から派遣された役員会で決める。その銀行の意志だって、だれかひとりが決めてるわけじゃない。経済学を学んだ連中が、計算で答えを出すんだ。そして――米軍への武器の供給――それがその答えだ。この世界はもうダメだ。何をしても変わったりはしない」
「でも、いまの米軍との衝突の原因を作ったのは、九条くんでしょう? それを収めるためにわたしを米軍に差し出すの、おかしくない?」
「すまないとは思うよ。だけど、ほかに手がなければ、そうするしかない。正義は何も変えることができない。それが俺の答えだよ」
言葉が途切れ、そしてゆっくりと、
「きみの答えは?」
九条くんが促した。
わたしの答えも、九条くんと概ね同じ。だけど――
「わたしは、ネコを救いたい」
「ネコ?」
「人類のことはもう諦めた。自分の未来もどうでもいい。フェミニズムも正義もポリコレもどうでもいい。でも、戦争してるとこには、きっと飢えた子ネコたちがいるから、その子らを救いたい」
わたしがそう言うと、九条くんは、片手で顔を覆った。
肩を震わせている。
もしかして、泣いているの?
「ごめん。小さい頃、ネコを飼おうとしたんだ。庭に紛れ込んだ野良ネコを……。でも、九条家にふさわしくないって……。処分されて……」
「そんなことが……」
そこにニュースキャスターの声が走った。
背後に入るスタッフの声が緊迫を伝える。
――群馬の未開地区に九条冬葵CEOの愛機、マスキュリニティ・マークIIが発見されました!
テレビカメラは遠くに米軍ヘリを捉え、ヘリからの映像を交えて中継される。
「見つかった!」
九条くんは立ち上がって、外に出るように促す。
テレビはアパッチ・ロングボウの空対地ミサイル、ヘルファイアの射出を映す。わたしたちの小屋へと、長い尾を引く誘導弾。
「早く!」
外に出るとヘルファイア着弾。小屋のまえに積み上げられた資材を焼くが、間一髪九条くんはマスキュリニティに搭乗。
「乗って!」
右手を差し伸べる。
「わ、わたしも乗っていいの!?」
ためらってると、九条くんはわたしの手を引いて、ハッチを開けたまま発進、上昇、周囲にはアパッチ・ロングボウ6機。
「チヌークも見える」
「チヌーク?」
「輸送機。ウルティマ・アキレウスをぶらさげてる」
ほんとだ……遠くからでっかいヘリがなんかぶら下げて飛んでくる……。
「ウルティマ・アキレウスは飛行モードがあるが、20トンの重量があり、空戦時間は短い。チヌークで格闘機と推進機に分けて運んで、空中で合体させるんだ」
説明しながら九条くんがわたしを抱き寄せて、ハッチを閉じる。
狭いコクピットで九条くんと密着。こ、こんなときだけど、蕩けそう。でも、周囲にはアパッチ戦闘ヘリと、ウルティマ・アキレウスをぶら下げた輸送機の群れ。
「この数、マスキュリニティでは無理じゃない? わたしも戦えるよ。ハッチを開いて」
そう伝えても、九条くんはなにも言わないで、ぎゅっとわたしを抱きしめる。
強く……強く……。その吐息と鼓動を感じる。
通信機には米軍から投降を促す声が響き続ける……。
投降……そうか……投降してわたしを差し出せば、九条くん、助かるんだ……。
九条くんだけじゃないよね……九条ホールディングスの社員……日本人みんな助かるんだよね……。
「九条くん……。いいよ、わたし、投降しても」
返事はない。レーダーには機影が増えていく。
「わたし、なんの取り柄もないんだ。こんなことでしかみんなの役に゙立てないんだったら、いいんだよ、わたし。べつに命なんか、惜しくないよ」
言いながら、涙がこぼれてきた。
お兄ちゃんが働かないことにも何も言わないで、できた妹を演じてきた。
だってわたし、自分では何もできないから。
しばしレーダーを眺めたあと、
「戦える?」
って、九条くん。
「えっ?」
「アンフェの3人もこっちに向かってる。空中戦が無理なら、このまま地上戦」
「でも、相手は……」
勝てるわけがない。
レーダーには、高速で接近する3つの機影が見える。桃子たちだ。
彼女たちが来たところで、本気の米軍を相手に勝機があるなんて思えない。
だのに――
「ネコを助けよう、交野。世界中のネコを」
敵うはずのない相手に虚勢を張る男は無数にいる。
だけどいまの九条くんのなかにあるのは、ただ果てしない絶望。
そのなかにたったひとつ、ネコを助けたい――その思いだけがあった。
それは希望なんかじゃない。九条くんはそれ以上なにも言わない。だけど、それが九条くんの決意なら――
「わかった! ネコを助けよう! ハッチを開いて!」
「うん。無理はしないで」
ハッチオープン、風の中へ!
薄い雲を織り込んだ空を滑りながら、両手で空中にMの字を描いてポリコレ少女に変身!
チヌーク輸送機からウルティマ・アキレウスが切り離されて、推進機が滑空、自由落下する格闘機と合体、同時にアパッチ・ロングボウから無数の空対空対人ミサイルが射出される!
「そんなものっ! 当たるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 四国八十八霊場、全砲門開放!」
すげぇ! すげぇ、わたし! 全方位に迫るミサイルをぜんぶ……いてっ! 一発撃ち漏らしたぁぁぁぁっ!
しかし、ウルティマ・アキレウスの機動力は凄まじかった。しかも電磁シールドがある。
「アキレウスはまかせて!」
桃子のピーチ・ブロッサム到着!
モード戦車:チャリオット、両腕から徹甲弾射出!
「その弾ってどこに入ってるの!?」
マリのクリムゾン・ブラッドは、モード恋人:アムール、2体に分裂!
間に入ったものは、ふたつに裂ける!
「それって自我はどっちに宿ってるの!?」
ルイのグリーン・フラッシュは、モード太陽:ヘリオス、6千度のプロミネンス!
「まぶしいっ! 直視できないっ!」
えーい、わたしも負けてられない!
モード愚者:ジェスター!
「急に重くなるカバンにござーいーっ!」
と、ウルティマ・アキレウスの重量を10万倍にする攻撃! 重量を支えきれずに落下!
押してる!
だけどそう思ったのもつかの間、上空に大型爆撃機がよぎり、無数の棒がばらまかれる。
「あれは……?」
と、桃子。
「やりがい搾取されたアニメーターだ!」
「なにそれ」
わたしも、初見の感想はそうだった。
「米軍め! 本国からディ○ニーのアニメーターを連れてきたな!」
「なにが搾取だ! おまえら、日本のアニメーターの10倍くらい給料もらってるだろう!?」
地上にも戦車部隊が押し寄せ、マスキュリニティが戦っているが、押されている。
「近頃の米国のアニメはマルチバース流行りで、その動きは三次元を超えて、四次元!」
「四次元!?」
「右へ行ったかと思えば左から現れ、いま消えたと思ったら過去から現れる!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
いらん解説してる間にマリが被弾!
そしてメザシになった人間がぴゅんぴゅん飛び回る空、入道雲の上に大日如来の姿が浮かび始める。どこからともなく響く般若波羅蜜多の読経の和声!
「これはっ!」
白毫から放たれるありがたいビーム砲がメザシを薙ぎ払う!
「ミサ!」
「テレビ見てたら、あなたたちが戦ってたんで、駆けつけたわ!」
「テレビで中継されてるの!?」
「見て!」
ミサが地上を指差すと、そこには戦車を相手に戦うケンヂの姿があった。
ケンヂと九条くんのマスキュリニティが背中を合わせて戦っている……
……2年間も、待たせやがって……
ちょっと感傷的な気持ちになっていたらケンヂからインカム。
『押されてる! 応援たのむ!』
あのマッスルモンスターが押されているとは!
音速で地上に降り立つと、ケンヂと九条くんメカは背中合わせに、子ネコを庇って戦っていた! これではたしかに全力が出せない!
ケンゾウさんも駆けつけたけど、敵の攻撃! どかーん! 死んだ!
「お父さーーーーーーーん!」
ぞんざいな死に方!
「ケンヂくん! お父さんのことは、外伝でしっかり書くから、気を取り直して!」
「わかった!」
そこにしゅたっと黒い影が舞い降りた!
「若……いつか九条財閥に弓引かれる日が来ると思っていました……」
強オーラ男! マサト! ついに九条くんのマスキュリニティに刀を向ける!
「真刀か……キサマが俺の監視役だってことには気がついていた……」
と、そこに大型ミサイルが! あぶないっ! どかーん!
「若ぁぁぁぁっ!」
「真刀が俺をかばって死んだ!」
「ぐふっ……」
ぞんざいな死に方!
「若……わたくしめのことも……外伝に……」
「あんたにそれ決める資格ないから!」
「ぐふっ」
「真刀ーーーーーーーーーーーーーっ!」
「まわりの敵はわたしにまかせて!」
と、わたしは飛び出すけど、周囲は群馬の密林。
米軍のウルティマ・アキレウスはブッシュを巧みに利用して攻撃をかけてくる。
「敵は高性能のレーダーを持ってる。どこから襲ってくるかわからないから気をつけて!」
って、もうどのセリフがだれのセリフだか!
「大気圏外にエネルギー反応! 人工衛星だ!」
って、九条くんの声!
「それってどういう意味!?」
と、言い終わらぬうちに上空から大口径のビームが降り注ぎ、わたしのすぐそばの樹々を薙ぎ払った。マジか!
衛星からの攻撃は決定打となった。それでなくても相手は手数で勝る。桃子たちの身体は光を放ち始め、暴走の危険を孕んでいる……というか、わたしも……メザシのアニメーターの攻撃を連続でかわしているうちに、身体が熱を放ち始めた。
そうか……。あの子がいなくなったから、わたしも桃子たちと同じ……。
いままでになかった感覚……スーパー・エストロゲンだ……あたまのなかで変な妄想が生まれ、現実と融合する……。
――ほずみ! どうしたの!
って、ミサのホットライン。
――自分ではわかんない……わたし、どうなってる?
――巨大化して、鎌倉の大仏みたいになってる! それに、背中が真っ赤に光ってる!
そう言えば、背中が熱い……
というか、へんな妄想が止まらない……
マスキュリニティが九条くんに見える……
「たすけて……九条くん……」
九条くんのまえに降り立ったわたしは、もう体高8メートルのマスキュリニティに並ぶほどに巨大化していた。ポリコレスーツは伸縮自在だけど、それでも身体に食い込んで、みっちみち。胸のぽっちは浮き上がって、スーツは薄皮のように伸びて全身を覆い、まるで身体にペイントしただけのようにわたしの肢体を浮き上がらせる……
「九条くん……」
ドローンがわたしを撮ってる……
わたし……こんな姿を全国に中継されてる……
九条くんがわたしを抱きしめる……これは……妄想……?
「交野。§
わたしたちは勝った。
戦いが終わると、桃子たちはすぐに子ネコの動画をネットにアップ。
わたしももちろん、隣に並んで。
「わたしたち、正義とかポリコレとかどうでもいいけど、子ネコを救いたい」
「戦争で瓦礫になった街にも、子ネコはいると思う。そういうのもすべて、わたしたちが助ける」
そう彼女らが言う通り、戦争も地球温暖化も、わたしたちには関係なかった。
「可愛そうな子ネコがいたら、教えてください。助けに行きます」
それがわたしたちの活動のすべて。
戦場には怪我をした民間人、飢えた子どもたちがいたけど、見向きもせずに子ネコにミルクを与えた。そんなわたしたちを、おとなたちは冷ややかな目で見たけど、そっちはあなたたちの仕事でしょう?
九条ホールディングスと協力して、ポリコレスーツもたくさん作って、多くの人がわたしたちと同じ能力を身につけて、それはときに犯罪に利用され、それを巡って数多の紛争や戦争が勃発したけど、わたしたちの正義は世界を変えたりしない。
わたしたちはただ、ネコを助ける。
やがてフォロワーは億に達し、動画の再生回数も世界でトップをマーク。
わたしたちのもとには、世界中から、飢えた子ネコたちの写真が寄せられた。
過疎地の村で、閉鎖された工場で、砲撃に怯える戦場で、子ネコたちは小さな鳴き声をあげて、そしてそこには必ず、ネコを愛し、守ってくれるひとがいた。
わたしたちの声が届く、すべてのひとへ、このメッセージを贈ります。
ネコを愛そう。
ネコには国境も、人種もない。
そしてそのネコのそばには、必ずひとがいる。
わたしたちと同じように、ネコを愛しているひとが。
エピローグ
「……と、いうお話があって、いまのわたしたちがいるというわけだよ」 「それって、本当の話なの?」 「ああ。もう数万年も昔の話さ。 サルから進化した、二本足の『人間』ってのが、文明を築いていたんだ」 「知ってる! スフィンクス種みたいに、身体に毛が生えてないんだってね!」 「そうそう。坊は詳しいねえ。 この街のずっと東のほうに高い石の塔がたくさん残っているだろう? シンジュクと呼ばれる、人間の都市だったところさ」 「それも聞いたことある! 高い塔のなかに住んでたんだよね、人間って!」 「そうだよ。人間が文明を残してくれたおかげで、わたしたちは短期間で文明を発展させることができたんだ」 「でも、変だよねー。人間は、ボクたちを守ってくれるような優しい心を持っているのに、どうして戦争なんかで滅んだの?」 「さあねえ。きっと人間にしかわからない特別な理由があったんだよ」 「ふーん」 「いまわかっていることは、人間は、わたしたちを、命がけで戦争から守ってくれたってことだけ。だから、戦争はぜったいにしてはいけないのさ」 「そうだね! 戦争なんかぜったいにやらない!」 「そして、語り継ごうじゃないか。この先も、未来永劫に。わたしたちネコを守ってくれた『人間』という種がいたことを」 「うん!」あとがき
『ポリコレ少女舞依』ご清覧いただき、ありがとうございました。 最後に、「童貞神」について、書き足しておきたいと思います。 本当は本文中にねじ込もうと思っていたのですが、セリフ主体の高速展開のお話のなかにねじ込める場所が、最後までみつかりませんでした。 さて。 ギリシャ神話では知恵の神アテナなどが処女神だと言われていますが、「童貞神」と称されるものはいません。作中にも書いた、鍛冶の神ヘパイストスは童貞なのですが、ことさら童貞が強調されることもないようです。 はたして、なぜか。 すぐに浮かんだのは、男社会で言われるように「処女には価値があるが、童貞には価値がない」という思想の投影だろう、という考えでした。では、はたしてなぜ処女に価値があるかと言えば、女とは征服し独占するためのものだ、という男から見たマチズモ臭い背景が思い当たります。ですが、これもどうやら正鵠を射てはおらず、よくよく調べてみると、男系社会になるまえから処女神というのがいるのだ、という記述が目に入りました。 男系社会になるまえ? そこには女系の社会があったとする説があるらしいのですが、はたしてそれがどれほどの支持を集めた説かはわかりません。しかし、よくよく考えると、男が社会を作るとは思えません。こんなに競い合って、ぶつかりあって、戦うことを美学と考える男が、社会を作るわけないじゃないですか。男系の社会のまえには、女系の社会が築かれ、ここに男が寄生し、乗っ取った、と考えると自然でしっくりきます。(でもこういう戯画化して世界を見るのは危険なことです) その女系社会でも処女神があり、それが男系社会にも引き継がれたということなのですが、なぜ引き継がれたかと言えば、そりゃあ処女は価値があり、童貞には……って、いやいや、そこに行くのはまだあとまわしにして、少し考えてみましょう。 処女神は、世界の周縁にいたそうなのです。ちょうどイタコのように、外界とコミュニケーションを取るような役割をもっていたそうです。そう聞くと、それは確かに神格化されてしかるべきとも聞こえますよね。 それをふまえると、これは処女の話ではなく、広く寡婦、あるいは子のない女性の話ではないかと、私は思いました。旧約聖書ではユディトという女性が寡婦であり、敵将の首を奪うという英雄的な振る舞いをします。彼女をモチーフとして、いろんな絵が描かれているのですが、これも夫がいたらそれに縛られてできなかったように思えます。夫がいると、なかなか物語の表に出てこないのが、女性なのかもしれません。(そしてこれもまたデータはないので、受け取り方は注意してください) かたや童貞はと言えば、男は家庭に縛られませんから(これは物語の時代の現実について書いています)、童貞であってもなくても役割は変わりません。敵将の首を取るのに、妻のあるなしは関係がないのです。 つまり、童貞神がいないのは、男は妻を持っても立場は変わらず、女は夫を持つと立場が変わることに起因しているのではないでしょうか。 また、現代の社会で「童貞」といえばモテない男の別名のような扱いになっていますが、この扱いは少し「処女」とは違うように思えます。「童貞」と聞くと情けないもの、「処女」はといえば純真なもの、というイメージがありますが、この非対称性も男の価値観に根ざすもののように思います。 では、処女神と対等に童貞神がいるとしたら、それはなにを表しているのでしょう。 それはつまり、男もパートナーを得ることで立場や振る舞いが変わる世界であると言うことではないでしょうか。となると、作中で童貞神として降臨した主人公の兄、悠吏は、逆に言えばやがては家庭に入り、夫としての役割に没入することの暗喩であるとも考えられますね。 現実を見ると、アニメーターも漫画家も、売れっ子にならない限りは家庭を持てないという側面もあります(持っているひともいますが、筆者のまわりを見る限り、多くありません)。商業主義に与せずに、売れないまま描き続ける者がいたら、それはまさに「童貞神」と呼べるのかもしれません。 雑誌やインタビューで見る漫画家やアニメーターは、ヒットして抜け出したひとたちで、家庭を持っていることも少なくありません。そこだけを見ていれば普通の世界ですが、漫画もアニメも、踏み込む時の覚悟として「ヒットしなかったら家庭を持てない」という決意を持つ必要があります。 これは、作中で答えを出しにくい問題でした。なにかひとつに絞って語れば、それが答えになってしまいますが、ここではその「構造」を語りたかったので、本文では割愛しました。 女系社会のモソ族にしてもそうで、それを取材して「こうあるべきだ」とモデルを示すことを避けました。これは、個人がどう生きるかではなく、社会がどうあって、そのなかでどう生きるかということだからです。モソ族をモデルケースとして描けば、「われわれもこうすべきだ」という主張になってしまいます。しかし、生きている社会が違えば、生き様を模倣しても意味はないのです。それで、主人公の母に関しては夢か現実かわからないあたりに退けておきました。 人生には、社会の問題と、個の問題があります。対立しがちな右翼と左翼も、要は右翼が「己はどう生きるか」を模索し、左翼は「社会はどうあるべきか」を模索しているのだと思います。問題のひとつひとつを、これは個の問題か、それとも社会の問題か、吟味して潰していくしかないというのが、筆者の考えです。 ということで、今回のテーマはポリティカル・コレクトネスですが、表現的にはかなり危ういところがあったかと思います。それでもたとえば、奴隷制の現状を訴えるためには、奴隷制を描かねばならないのと同じで、「これはポリティカル・コレクトネスの現状を訴えるための表現だ」と自分に言い聞かせながら乗り切りました。しかし、「現状を訴える」が酷い表現の免罪符となるとは思っていません。なんとか、ぎりぎり踏みとどまりたいと思いながら書いたのですが、果たして結果はどうでしょう。 ポリティカル・コレクトネスを毛嫌いするひとは多いのですが、単純なところで言えば「めくら」や「つんぼ」といった言葉を使わなくなったのも、スチュワーデスをキャビンアテンダントというようになったのも、トルコ風呂をソープランドというようになったのも、すべてポリティカル・コレクトネスです。受け入れようが拒絶しようが、社会とともに変わっていくものだと思っています。ポリティカル・コレクトネスに反対しているひとでも、「土人の酋長」という言葉が出てきたら、反発するでしょう? 土人の酋長などは概念からして解体されたといっても過言ではありません。それらの概念は、言葉が存在することで、わたしたちの意識のなかにも共有されていたのです。「看護婦」に関しても、単に名称を使わなくなっただけでなく、解体されてますよね。社会はそうやって変わっていくのだと思います。 物書きというのは往々にして先にゆくものなのです。トルコ風呂をソープランドというようになったのも、個人個人からそうしたわけではなく、ライターの記事のなかから、ニュース原稿の言葉のなかから変わっていったものです。新しいことば、新しい概念を生み出し、そこに新しい物語を築くのが物書きです。 そういう意味では、このお話はずいぶんと古い体裁を取っていると思います。そして読者たちは、きっとこれを超えて新しい地平までいってくれると思っています。今回の作品は拙く、またある意味狡猾なものですが、これが次の世代の礎となれれば幸いです。 そんなわけで、みなさん。これからもポリティカル・コレクトネスの輪を広げ、住みやすい世界を作っていきましょう。 いや、それよりも、ネコを愛しましょう。⚪
🐹
🐰
🐻
⬜