
- ボクがヒミコだったころの話
- 序
- 第1章 死のとなり
- 第2章 はじめての友だち
- 第3章 山と神と王
- 第4章 ドライブ・イン・ブルー
- 第5章 巨峰
- 第6章 黒き町
- 第7章 剣と神話
- 第8章 埋み火
- 終章 桜の季節に、また3人で
- あとがき
ボクがヒミコだったころの話
この物語の登場人物には、性別が設定されていません。
お好きな性別で想像して御覧ください。
序
博多のラーメン屋。
もう10時も回った、遅い夕食。
ラーメンをすすっていると、テレビのニュースが、満開の桜を映した。
ふと視界に飛び込んだ、咲き乱れる千本桜。
それは10年前の事件以来、見ないようにしてきた景色だった。
第1章 死のとなり
4年生の2学期、小学校を転校した。 前の席のヤツをハサミで刺したのが原因だった。 ケンカに負けるのは、覚悟もなくひとに食って掛かるバカだ。 相手を殺す覚悟があれば、ケンカは負けない。 だけど、4年生のその件以来、相手が死ぬかもしれない、朝起きたらボクは殺人犯になってるかもしれない、という恐怖から、めっきりひとと争うことはなくなった。 親はいろいろとたいへんだったみたいだけど、ボクは転校がすべて。 友だちも、教室も、過去を剥ぎ取るように、なにもかも一新されて、それでお終い。 転校した小学校でも、相変わらず。まわりはぜんぶバカ。 いつでもひとを殺せる、という思いと、でも実際に刺すときの感触、あるいは、刺した後のことを思うと、「バカ」からは距離を取るようになった。 親友と呼べるのは、中学に入って知り合った、ツキとゴロウマルくらい。 中1の夏、3人で「邪馬台部」を作って、邪馬台国を探した半年ばかりが、ボクの頂点。いまから10年ほど昔。立花南中。その1年1組での体験だった。 部長はツキだっのかな。 ツキ、あるいは、第2章 はじめての友だち
博多区の中学に通ったのは、実質1週間程度だったと思う。 入院してるとき、担任と、ひとりふたりのクラスメイトはお見舞いに来てくれたけど、退院後、通学したのはたしか3~4回。 その頃には、八女への引っ越しも迫ってたし、学校に顔を出すのが気まずいというか、あれこれと理由をつけて、学校には行かなかった。 友だちは多いほうじゃなかった。 むしろ、顔も見たくないってヤツのほうが多かった。 それでも転校してしまえば、ほとんどの連中とは、もう二度と会えないかと思うと、寂しく感じるもんだから不思議だ。 あげくには、ボクを嫌ってたはずのヤツが、「ごめんね」とか言って涙を流すものだから、「こっちこそごめん」とか言って、ご丁寧に涙まで流した。 八女の学校はド田舎とかクソ田舎って言葉が似つかわしいほどの田舎。 近くにコンビニもないし、農協が用意してくれた一軒家は、古くて、プロパンガスで、敷地には他人の車が停めてあって、裏口の鍵は壊れて閉まらなかった。 お母さんはズボラだし、鍵もそのままになるかと思ったけど、さすがにそこだけは直してもらってた。 新しい学校に通い始める頃は、盲腸の手術からは、そこそこ日が経ってたけど、しばらく体育は見学。 見てるだけの体育ってのもタイクツなものではあったけど、いざあの輪に入って、競り合って、挙げ句下腹を押さえて「もう無理」なんて醜態をさらすよりはずっといい。初手の体育で負けたら、ボクの中学生活に暗雲が垂れ込める。 障害走の授業を見学しながら、 「あれ、ぜんぶ倒す自身がある」 って、呟いたとき、隣にいたのがツキとゴロウマルだった。 それを聞いてふたりは、己の運動音痴自慢を始めたけど、ツキが早口でひとの話を聞かないタイプだから、そうじゃない、ボクは違うんだ、と割って入れなかった。 「トドロキさんは、どんなスポーツが嫌い?」 って、ゴロウマルから聞いてきた。 いままで、「どんなスポーツが好き?」と聞かれたことはあるけど、嫌いなスポーツを聞かれたのははじめてだった。 そうだな。嫌いなスポーツの筆頭はカーリングかな。 スポーツに見えない。 あと、ゴルフも。 ボールが転がったところまで全力疾走すれば、スポーツだと認めるけど、あんなちんたら歩いてるだけのものが、スポーツなわけがない。サルでもできるって、マンガに描いてあった。 でも、カーリングもゴルフもやったことがない。 そう考えて、 「ドッジボールかな?」 と、答えた。 低学年のころ、ドッジボールは得意だったけど、高学年になるといきなり禁止された。 まあ、スポーツと言えるスポーツじゃないので当然だろう。 ドッジボールのコツは、顔を狙うことで、顔にまっすぐ飛んでくるボールを取れるヤツはそうそういない。それに、一度でも顔にぶつければ、そいつは怯む。 でも、顔を狙うことは禁止された。 たまたますっぽ抜けて顔に行っただけでも、ダメ。本人のほう見ないで、ノールックで顔に投げても、ダメ。しょうがなく、足を狙ったけど、膝から下はノーカン。相手がボールを投げるときに、こっちから顔を近づけてブロックしたら、それもダメ。ノーカンのはずの膝から下で蹴り返したら、それもダメ。 そうやってガッチガチに縛られたドッジボールは、ひらひらと逃げ回るだけのヤツが最後まで残る、お遊戯のようだった。 「あー、わかる」 って、ゴロウマル。 わかってくれるか、同士よ、って思ったら、 「全力でぶつけてくるヤツいるよねー」 と、ツキ。 ん? ふたりが繰り広げるスポーツ音痴話は、あまりにも荒唐無稽で、ギャグだと思って聞いていたのだけど、本物のスポーツ音痴はボールを10メートル投げられないし、握力も10キロ台だし、盲腸の手術後でなくてもハードルはぜんぶ倒すらしい。 逆に器用だろう、それは。 「あと、懸垂1回も上がらないとか」 冗談のつもりで付け足すと、 「そう! わかる!」 「いやいや。冗談やん。1回もはなかよ」 「じゃあ、トドロキ的には何回上がると?」 ――この、○○的には、というのがゴロウマルの口癖で、自分のことを言うときにも「ゴロウマル的には」と言うキャラだった。 「いまやってみて!」 ――この、なにも考えずに、脳裏に浮かんだことが口に出るのがツキ。口にした後で悩むタイプ。まずは悩んでから、口にするかどうか考えろ。 「いま!?」 そりゃあ、手術明けのいまでも、5回10回なら上がるとは思ったけど、そのへんで脇腹を押さえて、「もう無理」とか言い出す自分の姿が思い浮かんだ。そんなことになったら、ボクのあだ名は「ケンスイ5カイ」だ。このふたりだって、どんな素性を隠してるかしれないし、転校早々のこの時期に、変な烙印を押されたくない。 それで、ちょっとクールに、 「懸垂もスポーツじゃなかけん」 と言って誤魔化すと、 「わかる」 「同士よ」 と、予想外の答えが返ってきた。 その後の付き合いで、ゴロウマルとツキのスポーツ音痴は本物だと知った。 ボクの性格からしたら、ほぼ正反対のこのふたりと打ち解けたことが、自分でも不思議ではあったんだけど、でも、初めてだった。こんな風に、弱点を晒け出してきた相手ってのが。 それまでは、友人関係ってものを築くのが苦手だった。 それまでっていうか、それからも。 小学校の頃からケンカばかりしてきて、問題児で、自分の思い通りにならないヤツが嫌いだった。 それが中学に入って、手術で入院してたせいもあるけど、変わったと思う。まあ、神様にお祈りして、こうやって生かしてもらってんだから、多少変わったとしても文句は言えないし、諦めてる。部活には入らずに、放課後もこのふたりと話し込んでいたら、いつの間にか「ヒミコ」って変なあだ名が付いていたことも同様、諦めてる。 ただ、 「ヒミコって呼ばれるの、どう思う?」 って、ツキが聞いてきたとき、ボクは明確に、 「ヒミコってガラじゃないよ」 と答えたはずだった。 「じゃあ、トドロキ的にはなにがいい?」と、ゴロウマル。 「ふつーに、『トドロキさん』とか?」と、ツキ。 「それはイヤ」 トドロキってのは、未就学のころに捨てたくてしょうがなかった名前だし。 「ヒナタさん?」 「それもやだ」 ヒナタ、ヒナ。変な言い方かもしれないけど、親が付けた名前ってのは、親が飼い馴らすために与えた名前だ。 「じゃあ、ヒミコ様」 「ヒミコ様~」 「ヒミコから離れろ」 「ヒミコ様~」 「走り回るな」 ちなみに、邪馬台国の話は、そんなに興味があったわけじゃない。 名前は知ってる程度で、奈良とか大阪とかにある遺跡が邪馬台国の痕跡だろうと思ってたくらい。 ツキとゴロウマルが、邪馬台国は九州にあった、ツキに至っては筑紫にあったとまで言い出して、それで興味を持つようになった。 だって、地元だよ? ボクが生まれたのは南福岡だけど、そこだって、ツキの話によれば、邪馬台国のフヤコクだっていうし。 「そうなの?」 「太宰フャーと、フャー国、って、音も似てる」 「太宰どこ行った」 邪馬台国九州説の最大のネックは、証拠になる遺跡が出てないこと。 だけどそれは逆に、これを発見できれば世紀の大ニュースになるってことだった。 だったら、これはもう、ボクの出番じゃないかな? みたいな、謎の自信や責任感が湧き上がったね。 この手の「謎の自信」って、自分が詳しい分野ではなかなか湧いてこない。 たとえば、多少音楽を知っていたら「自分なら大ヒット曲を作れる」とはそうそう思わないし、マンガを描いていれば「ワンピース超えくらい簡単さー」なんて考えないし、スポーツやってたら「相撲取りなんか、後ろから回り込んだら倒せる」とは言わない。言うのはいつも素人。邪馬台国はどこだって断言するのも、決まって、専門外のバカと相場は決まってる。 「ばって、九州に邪馬台国のあんなら、古墳が残っとろうち」 そう尋ねると、 「古墳、いっぱいあるよ?」 との答えが返ってきた。 「じゃあ、卑弥呼の古墳もあっと?」 中国にも伝わるほどの伝説の女王だ。大きいのが残ってるはず、なかったらウソだ。と、思ったら―― 「卑弥呼の時代は、古墳時代に入る前やけん、古墳があったとしても、奈良や大阪の古墳と同じスタイルじゃなかち思う」 の答え。 なるほど、うまく逃げた。 「古墳ち、なんだと思う」 と、こんどはツキからの質問。 「偉いひとのお墓?」 「まあ、そうやけど。でも古墳ちいうとは、『山』の代用品よ」 「山の代用品?」 「昔は、山には神様がおらしたと。やけん、古か神社は、山の前に鳥居があるだけで、拝殿のごたっとはなかつ。山が神様やけん」 古い神社がどんなスタイルかなんて、聞いたことなかったけど、あたまの中でイメージを組み立てながら聞いた。 「そのうち山に、神様の声ば聞くひと――巫女が住むごつなった。これが卑弥呼の時代。崇拝の対象が巫女になった」 ということは、ええっと。 「そして次の時代。王様が巫女ば殺して、自ら山ば作って、そんなかで神様になった。これが古墳」 つまり? 「古墳がどんだけ大きかち言うたっちゃ、人間が作ったニセモンの神様のおらすだけたい。本来なら山が神様やけん。ボクらが探さんといかんとは、古墳じゃのうて、卑弥呼がおった『山』よ」 その話は、不覚にもボクの胸をときめかせた。 ロケットで宇宙に行く話、タイムマシーンで古代へ行く話、交通事故にあって異世界に行く話など、とんでもない話はいくらでもあったけど、所詮はどこか遠い世界の話だ。だけど邪馬台国は、手が届くところにある。しかも神様の話。 それはもしかしたら、盲腸炎で苦しんだときにぼんやり見えた神様なのかもしれない。その神様の声を聞くのが卑弥呼だったら、ボクがヒミコと呼ばれるのも悪くない。 月足ってヤツは、小動物のようなキョロキョロした目をしてるけど、なんて壮大なことを考えるヤツだろうと思ったね。第3章 山と神と王
ボクたちの邪馬台国探しは、中学の校門前の待ち合わせから始まった。 校門脇にチャリを停めて、どこを探すとも決めずに、遠足のような気分で歩き出す。 晴れ渡った空に立ち上る入道雲をみて、ゴロウマルが、 「まさに、八雲立つだね」 と言うと、すかさずツキが否定。 なぜ。 「違うよ。『八雲』はたたら製鉄の煙やけん」 ボクはと言えば、ヤクモもタタラもなんのことやらって感じで、しばし、成り行きを見守るしかなかった。 「そうなん? 聞いたこつんなか」 「八雲っちゅうとは、たくさんの雲が立ち上るちゅー意味やん? 入道雲やったら、たくさんは立ち上らんし、たくさん雲があったら、そもそも平べったかろう? 立ち上りはせんよ」 「ああ、なるほど」 ゴロウマルは納得したようなので、ボクもその場はうんうんと黙ってうなずいた。 ツキのことだから、ラノベからの知識なんだろう。 「まがね吹く」という吉備(という、どこにある地方)の枕詞も、製鉄のことを示しているらしい。 「スサノオはヤマトの日本神話に登場すうばってん、ほんとは出雲ん神様やんね」 と振られるけど、まあ、このへんはよくわからないので、ニコニコしながら、適当に続きを促す。 「スサノオの『スサ』は、第4章 ドライブ・イン・ブルー
親に捨てられる恐怖なんてものは、ほかの子にはないらしい。 でもボクは、ずっとそればっかり。 お父さんに捨てられた5年生からは、晩ごはんがない日なんてざらだった。 夜遅く、お母さんが帰ってきて、ボクにはおにぎり一個。 「あんたが普通の子やったら、どげん良かったか」 って言葉を、何度も聞いて、いつかお母さんも、ボクを捨てるんだと思っていた。 ほかの子には、そんな不安はないどころか、笑い話なんだろう。こんな話だって。 こないだツキたちと目星をつけていた古墳――久留米の高良山のふもとにあるという祇園山古墳まで、ゴロウマルのいとこの車に乗せてもらうことになった。 そのひとは、ボクらより12歳上の、上田ケイ。農協の帽子を被って、農協の軽自動車を転がす、パッとしないひと。 でもまあ、今回はボクたち3人が主役で、上田さんは脇役だから、パッとしないくらいがちょうどいい。 「なんで農協の車で行くと。ケイちゃんの車で行こーごたー」 って、ゴロウマル。 ひとまわり上の上田さんをケイちゃん呼ばわり。 「ひとまえでケイちゃんはなかぞ」 って、上田さんも眉をしかめる。 「ばってん、こまかときからケイちゃんやったけん」 「親戚はみんなケイちゃんケイちゃん言いよらすばってん、本来なら上田さんやろが」 「わかった。ケイちゃん」 「いっちょんわかっとらん」 と、その上田さん――ケイちゃんも車を持ってるのに、どうして農協の車で行くのかと、改めて問い直すと、 「ガス代のもったいなか」 だった。 ボクたちは、助手席と後ろの席とにわかれて―― 「車好きがガス代ケチるとか、ありえんばい」 「自分の車に、中学生ば乗せとうなかとよ」 「好いとーひとしか乗せとうなかっちゃろ」 と、小鳥のようにさえずったけど、ケイちゃんは、 「まあ、好きに言うたらよかたい」 と、あしらうだけ。 ボクたちがポテトチップスの袋を開けると、 「ゴミば落とさんごつしとけよ? 掃除してもらうけんね?」 って、わりとシリアスな目で言ってきたけど、テンションの上がったボクたちは無邪気に「はーい」と答えて、ハムスターのようにポテチを頬張った。 八女から久留米へは、国道3号線を北上。 国道と言えば、広くて整備された道だって思ってたけど、二車線の道が続いた。 そう言えば、お父さんが、「上下二車線」と「片側二車線」は同じ意味だって言ってたのを思い出した。 上下二車線は、上下線とも二車線、合わせて四車線。 片側二車線は、片側で二車線、合わせて四車線。 じゃあ上下合わせて二車線の場合どう言うかと言えば、「二車線」。 たしか、小学3年生のころ、車で太宰府天満宮に行ったときに聞いた。 そのとき走ったのが、国道3号線。 「国道は古くからの街道やけん、大昔のひともこの道ば通っとったとよ」 って、お父さん言ってたし、あのころと今とは、ちゃんと繋がってるんだと思う。 ツキとゴロウマルといるときの心地よさってのは、それかー。みたいな。 農協の軽は狭くて、ガタガタ揺れたけど、それすらも楽しい。 ほんの少し坂道になるだけで、エンジン音が高鳴る。 ケイちゃん、ほんとはどんな車に乗るんだろう。 ボクの車好きは、お父さん譲りだから、ちょっとうるさいよ。 ちなみに、お父さんが乗ってたのは、レクサス。色は青。 ――青だけど、正式にはヒート・ブルー・コントラスト・レイヤリング って、言ってた。 ――ひーと・ぶるー……? ――コントラスト・レイヤリング ――こんとらすと・いやりんぐ……? お母さんも免許は持ってるけど、車に乗るのは買い物や送り迎えだけで、旅行にも行かなかったし、高速を走ったのはお父さんの車に乗るときだけだった。 「ここから左に入ると、岩戸山古墳」 と、上田さん……ケイちゃんが指さした。 ツキとゴロウマルは当然知ってるだろうから、ボクに言ったのだと思う。 「第5章 巨峰
スマホで地図を見て、遺跡や古墳を探す時間が増えた。 寝転がってスマホを操作して、顔に落としたことが3回。 うち1回は鼻の上に小さいキズを作った。 スマホは田舎に引っ越す交換条件として買ってもらった。 いずれにしても、中学に入ったらスマホは買ってもらうって約束はしてたけど、お母さんのことだし、反故にされる可能性は高かった。借金でクビが回らなくなってたのに、ちゃんと買ってもらえたのは、農協の有山さんのおかげ。いくらか知らないけど、給料を前借りしたって話も聞いた。 有山さんは、町の有力者。農協のエラいひとでありながら、自分の会社の会長。 お母さんからしたら、良い金づる。 でも、近頃は「甥と結婚しろ」「見合いだけでもしてくれ」とうるさいと、アタマを抱えていた。博多で働いてるときも、同じようなことは、顔なじみの客から何度か言われたらしい。 有山さんが薦める甥がどんなひとかは知らないけど、農家の立派なひと、あるいは有山工業のエラいひとかなんかだったとしたら、うちのお母さんに嫁が務まるはずがない。 まあ、お母さんも、見てくれは悪くないと思う。30代後半には見えないし、それに第6章 黒き町
第二回邪馬台部フィールドワーク計画、日向神湖編。 ケイちゃんに車を出してもらうためには、親の承諾が必要ってことで、ツキとゴロウマル、そしてボクとで、プレゼン用の資料を作ることになった。 ボクはそれをお母さんに見せる気なんて、毛頭なかったし、サインは最初から偽造するつもりだったけど、そんな素振りは見せずに、いっしょに資料作りに励んだ。 資料を作ってると、いままで見えてなかったことが見えてくるし、ツキとゴロウマルにあれこれ質問して、ふたりとの溝を縮めることができたと思う。 でも一方では、ツキアシ家、ゴロウマル家には、溝を感じた。 両家とも、ボクに対してはどこか、よそよそしさがあった。 ゴロウマルの家に行ったときは、 「ちょっと」 って、ゴロウマルはお母さんに引っぱって行かれて、なにか話をしていたようだから、たぶんボクのことを言ってたんだと思う。 この頃は、どこから漏れたか、小学校の頃の話が少しずつ広まっていたし、それを聞いたんだと思う。ツキとゴロウマルも、耳にしてはいるだろうけど、ボクには言わなかった。 でも噂には、万引きの常習犯だの、保護観察がついているだの、尾ひれがついていて、その尾ひれのぶん、ボクはそんなものはデタラメだって、潔白を主張できた。 それに、そんなに悪いことはしてないと思うんだ。法律的には。まあ、ハサミで刺した件を除けば、だけど。 目を覚まして、なんかいつもと違う朝を感じることが、たまにあるけど、日向神湖へ向かう日の朝がそうだった。 なんか違う。 なんか妙にスズメの声が聞こえるとか、カーテンの色が明るいとか、朝ってこんなだったかな、と思ってると、お母さんが起きてパタパタ歩き回ってた。 「おはよー」 って、ボクが言うと、 「ああ、起きたの」 って、お母さん。 「どげんしたと?」 「これからちょっと、美容院」 「ふーん」 「そのあと、見合い。八女のなんとかってレストラン」 「えっ?」 「断るばってん」 「断るんやったら、もっとボロボロの格好でよかやん」 「そうも言っとられんやろう?」 「美容院代は?」 「美容院代が、なに?」 「なんか、無駄な出費」 「レストランで食事すっとよ?」 レストランで食事するから、なに? べつにいつもの格好でも食べられるし。 「ふーん」 「あんた、今日は? どげんしとーと?」 今日は日向神湖へドライブ。言わないけど。 「決めとらん」 「あ、そう」 やっぱ巨峰、もらっとけばよかった。 ケイちゃんの車はハリアー。ハリアーじゃわかんないか。 いわゆるSUV。スポーツ・ユーティリティ・ビークル。 レジャーにはもってこいだし、色も青系。いいセンスしてると思った。 承諾書のサインは偽造。 べつに、バレたっていいやって感じ。 どうせお母さんがいたら、ツキやゴロウマルとこのまま付き合っていけないし、いずれまた小学校の頃みたいに、友だちから外れて過ごすようになる。いつか。いつからか。それが今日だったら、べつにもう、それでいいって感じ。 承諾書を手渡すと、ケイちゃんは、ニセモノだって見抜いたみたいだったけど、 「こっちは、これを信用するしかなかけん」 みたいなことを言って、車に乗せてくれた。 トランクのクーラーボックスには、農協のおにぎりと、農協の巨峰が入ってて、やった! やっと巨峰だ! って、不思議な高揚感があった。 目指すは日向神湖近くの、日向神社っていう、小さな神社。 とは言え。朝のお母さんのこともあって、ドライブ中はずっとどんより。外ばかり見てた。 途中、コンビニに寄って、ケイちゃんがジュースを買ってくれた。 ツキはミルクティ、ゴロウマルはコーラ、ボクは柑橘系の炭酸。 車に戻ると、ツキが乗り込んで、ボクが乗って、ゴロウマルは助手席に座るかと思ったら、ボクを奥へ押しやって隣に乗ってきた。 「ゴロウマルだけ前でタイクツしとったけん」 って、ボクを押しながら、アーモンドチョコの箱を見せた。 「ポテトチップスは?」 って、ツキ。 「おまいら、散らかすけん、ポテチは食わせん」 って、ケイちゃん。 シートベルトを結んで、車はバックから、切り替えして道路へ。3人は揺られて、右へ、左へと体を寄せ合った。 いままで、ふたりの間に挟まれることは、あんまりなかった。 いつもツキとゴロウマルが一緒で、その横にくっついているのがボク。ツキとゴロウマルって、仲良かったし、付き合ってるってウワサまであったし、割り込むのは憚られた。 「あいだにおると、ふたりの愛を引き裂いとーごたっ」 冗談で言うと、 「じゃあ、3人の愛をはぐくもう」 「ふっふっふ」 と、ふたりは体を寄せてくる。顔が近い。なにこれ。 でも、このタイミングだったら聞ける。 「ツキとゴロウマル、キスしたことあるち聞いたばってん、本当?」 「え? だれに聞いた? 見られとった?」 あ、本当だった。 「ゴロウマルが言いふらした」 「おまえかーっ」 「じゃあ、ボクは空気になるので、気にせずにどうぞ」 ふたりの雰囲気を見て、ボクが身を沈めると、 「3人で!」 って、ツキが抱きついてくる。 「ゴロウマルも!」 ゴロウマルも抱きついてきて、ボクに「あーん」と口を開けるよう促して、アーモンドチョコをひとつ放り込む。 「ボクにもー」 って、ツキ。 ゴロウマルは、アーモンドチョコを一粒、指でつまんで、 「じゃあ、アーモンドギャグを」 って、無茶振り。 「あー、アーモンドがー、あー、あーもっど欲しいー、あーもンど欲しいー、アーモンド欲しい!」 「よしよし。次、ヒミコ」 ボクも!? 「も、もうチョコっと欲しいー」 「よしよし」 車のなかでは、こんな具合だから、30分ほど走って、黒木の町に差し掛かる頃には、ボクもずいぶん吹っ切れていた。 「このへんに、じいちゃんばあちゃんが住んどうらしか」 って、いままで控えてた、家族のことを話した。 お母さんが18で家出して、博多に出て、それ以来故郷に帰ってないこととか、ボクもおじいちゃんおばあちゃんに会ったことがないこととか、おばあちゃんが、矢部川の上流にあった矢部村の出身で、その村はダム湖に沈んでしまったこととか。 「ヒナタっちゅーとは、日向神湖から来とって、お父さんがつけたと。我が家のルーツを残すためちゆーて」 「じゃあ、ヒナタち呼ばれたほうが良かっちゃなかと?」 「ばってん、ばあちゃんの村ば沈めた名前やけん。あんまりスッキリせん」 おばあちゃんが、矢部村を出て、黒木に移ったのが昭和35年。たぶんまだ小学生だったころ。おじいちゃんと知り合ったのは、そのあとらしい。 そんな話をしたあとで、 「ボク、たぶん、ふたりが思うとるごたっ子じゃなかけん」 って、切り出した。 するとゴロウマルが、 「ゴロウマルだって同じ! 秘密のカタマリだーっ!」 って、抱きついてきて、 「ゴロウマルの脇腹、ぷにぷにだよ、ぷにぷに」 って、ツキもイタズラに顔を寄せてきた。 ちょっと汗臭かったけど、そういうの、気にしないんだなって思った。 その日の目的地は、日向神社。 卑弥呼=ヒムカの神社だろうという、ものすごく単純な根拠で決めて来たけど、そこに祀られていたのは天照大神、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫という、日本神話でも古株のスーパースター級の3柱だった。 天照大神は、ツキ説では卑弥呼。しかもその敷地内にあったのが、月足コミュニティセンター。 「じゃあ、ここが邪馬台国ってことで!」 って、ツキ。 「やばい! ツキとヒミコそろった! ゴロウマルない! やばい!」 って、ゴロウマル。 いつものように、説明の看板を読んで、敷地をぐるーっと回って、社や、鳥居や、石像の写真を撮った。 「神社と仏閣の違い。それは、神社は石で、仏閣は鉄」 とまた、ツキの蘊蓄が始まった。 厳密に言えば、仏閣にだって石像はあるし、神社にだって鉄製のものはある。 でも、ツキに言わせると、治水・稲作とともに広まったのが神社、冶金技術とともに広まったのが仏教寺院なのだそうだ。ツキ説。眉にツバつけること。 そこからほんの目と鼻の先に、日向神湖はあった。 ボクのおばあちゃんの村が沈んだ湖。 ツキもゴロウマルも、それからボクも、てっきりそこまで足を伸ばすものだと思っていたのに、ケイちゃんに咎められた。 曰く、親にサインをもらった承諾書に、日向神社のことしか書いてないからって。 「でも、そげんこつ言うたら、コンビニに立ち寄るとかも書いとらん」 「コンビニは途中やけん」 「ちょっと迷ったことにしたらよかよ」 「じゃあ、レポートに『迷って日向神湖まで行った』ち書くか? 書いたら、二度と承諾してもらえんかもしれんばってん、そいでよかか?」 みたいなことを、しばらく言い合って、日向神湖はまたこんどってことになった。 ツキはうらめしそうに、地図を見て、じゃあこんど来るときは、ここと、ここ、それにここも回りたいと、神社や遺跡をピックアップ。そのなかに、桜の名所・千本桜があがった。 矢部村が日向神湖に沈む折、ときの村長が「矢部村をひとの記憶に残すため」と植樹した、文字通り、千本の桜があった。 湖を囲んで立ち並ぶ、千本のソメイヨシノは、毎年春先に、満開の花を咲かせ、湖に沈む村に花びらを手向ける。 その話はまるで、湖の底に邪馬台国の女王、卑弥呼が沈んでいるような錯覚を、ボクらに与えた。 「どうする?」 ツキが、ボクの顔をのぞく。 「行ってみたい」 ボクは、静かな声を返した。 「それじゃあ、桜の季節にまた」 ゴロウマルが言うと、 「それまでは、地元の遺跡を見て回ろう」 ツキが言った。 「そうだね。桜の季節になったら、また三人で来よう」第7章 剣と神話
邪馬台部の3人+ケイちゃんで、日向神湖に行ったことは、その日のうちにお母さんにバレた。 田舎にはプライバシーがない。 見合いの席で、 「今日は、お子さんは?」 と聞かれたとこに、有山が割り込んで、 「月足んとこの子と、五郎丸んとこの子、3人で、日向神湖に邪馬台国ば探しに行っとるらしか」 って答えたらしい。 そもそもボクが、要注意人物だ。ツキとゴロウマルの親が知ってしまったら、そこから集落中に広がるのは、無理もない。 それからというもの、お母さんとは険悪。 まあ、お母さんがボクを見る目はいつも通り。冷たくて虚ろな目。険悪だったのは、きっとボクのほう。だけど、いつものことだった。慣れるよ、そのうち。 ボクの噂はどんどん広まったし、クラスの連中は露骨にボクを避けるようになったけど、ツキとゴロウマルは変わらなかった。 このふたりには、小4の事件のことも、いずれ言うつもりでいたし、それで壊れる友情なら、それで終わりで良かった。 だって、ふたりはキスまでする仲なんだから、ボクなんかいないほうがいい。 夏休み。 小一時間バスに揺られて、隣の市、久留米まででかけた。 2+1で別れて椅子に座って、たびたび席をチェンジして、一番うしろのシートが空いたら走って3人で占拠した。 西鉄久留米の駅で乗り換えて、ショッピングモールに行って、書店と、ホビーショップと、あとは服や靴を見て、映画館にも行った。 フードコートでハンバーガーを食べながら、お父さんのことを話した。 「お父さん、久木洋介ちゆーと。やけん、小学校んころん名前は、久木日向やったと」 「微妙に踏んでる」 「踏んでるって?」 「韻。ラップんごたる」 どんな話をしても、他愛のないネタにつないで、くすくす笑いあった。 久木だった頃がいちばん楽しかったけど、いまはそれ以上。 さすがオレたち! いつかお母さんから離れて、お父さんを探しに行く。 じゃあ、それがヒミコにとっての邪馬台国だ。 お父さん・イズ・邪馬台国! そうやって、小4の事件の手前まで話した。 そこから先は、踏ん切りがつかなかったけど、もう、どんな噂が立ったって大丈夫。ウソはウソだし、本当のことは全部話す。それが正解なんだと思った。 その前後だったかな。 農協の近くで、青いレクサスを見かけたのは。 青いレクサスなんて、お父さんの車以外で見たこと無いし、ぜったいお父さんだと思ったけど、遠くて追いかけられなかった。 家に帰ると、お母さんは普段通りだったし、もしかしたら農協のひとに会いにきただけかもしれない。まあ、見間違いだった可能性もあるけど、でも、まさか。ボクが車を見間違えるなんて、ないよ。 それでボクたちの邪馬台国探しがどうなったかと言えば、いろんなことを総合して考えて、八女のお隣の市、みやま市にあった可能性が高いってことに落ち着いた。 わざわざ日向神社まで行ったのに、案外ボクらは冷静だった。 調べてみると、みやま市、かつての山門郡は、邪馬台国の有力候補。 つまり、あれこれと考えた末に、一周して定説に戻ってきたことになる。 「じゃあ、どうして一般には広まっとらんと?」 ボクが聞くと、 「広める方法はあるとよ」 ツキが答えた。 「ほう」 「神話にしたらよか」 「えっ?」 「日本は万世一系だって神話で、ヤマト朝廷の存在が信じられたごつ」 「ヤマト朝廷は存在するやろ」 「だから、神話ち。それが」 「ええーっ」 「神武から崇神、垂仁から仁徳、履中から雄略、清寧から武烈、継体から崇峻、推古から弘文。これぜんぶ別の王朝ち思う」 「てゆーか、よくその名前がスルスル出るね」 学問は神話になることはない。 だから、邪馬台国がどこかわかったとしても、それが後世に残ることはない。学問は消えゆき、残るのはただ、神話だけ。 夏休みの間も、図書館や、コミュニティセンターで話したけど、話題は日本神話や伝承、神社仏閣の話にとどまらず、稲作の伝播、冶金技術、ギリシャ神話などに及んだ。 そのなかでツキが、 「鉄と物語は、同時に発生してる」 って言い出したことが、印象深かった。 鉄と物語って、いっけん無関係に見えるけど、ツキは、 「物語のあるとこには、必ず鉄がある」 と言い出した。 「物語っていうか、神話?」 問い返してみると、神様が出てくる話を「神話」って区分するようになったのは、昨今の話であって、神話の時代にはすべて同じくくりの物語だった、って。そりゃそうか。 物語ってのは、そもそも戦争を美しく言い換えるために生まれた。 その発祥は4千年前。メソポタミアのシュメール文明から。 鉄も同じ頃に、メソポタミア近くのヒッタイト文明から生まれている。 その鉄の伝播に合わせて、物語も伝播した。 というのが、ツキが唱えた説だった。 シュメール文明……シュメールか……ええっと……。 「スメラミコトのスメラって、シュメール文明のシュメールから来てるらしいよ」 って、ボクが調べたことを教えると、 「安易」 の一言で切り捨てられた。 「なんで!」 「名前やら、なんでっちゃ似とるごつ言わるっけん」 「それ、ツキの得意技やん」 ツキは、「どこそこの文化が、どう伝わった」みたいなものはぜんぶ陰謀論だ、って片付ける。それも極端だとは思ったけど、もっと細分化されて、バラバラになったものが吹き溜まって、その土地の物語まで吸い上げて一個になるのが文化だ、って、ツキは言った。 「日ユ同祖論みたいなものあるやん?」 「なにそれ」 「日本とユダヤが同じルーツを持ってるって話」 「そげなんあると?」 「うん。そげんとは、単純化しすぎとーし、『だから日本人は○○である!』んごたるバカな話に利用されがち」 「なるほど」 「ばってん、そげな話しか理解せん。普通の人間は」 そして夏休みも終わって、二学期が始まる頃、ボクは、ボクが知らないボクに関するウワサを耳にした。 それは、ボクの父親がだれかわからないというものだった。 戸惑った。 初めて耳にした。ショックを受けながらも、でも、そりゃあそうでしょう、ボクはだれにもお父さんのこと、言ってないんだから、と、自分に言って聞かせたけど、そういう話じゃないことはわかっていた。僕がお父さんだと思っているひとは、他人なんだって。 それからすぐ、「トドロキの戸籍上の父親が農協に来た」って話が耳に入った。 心臓が疼いた。 お父さんがどうして? 戸籍上のって、なに? 曰く―― トドロキには、殺人未遂の過去がある。 有山さん(これは甥の方)と結婚するとなると、有山家の家名に傷がつく。 だから有山さんは、トドロキの母に、子(ボクのこと)を本来の父に引き取ってもらうよう打診した。 それで、戸籍上の父親と話し合いをしたが、「実は私も血はつながっていません」と、拒否された。 ――青いレクサスを見かけたから、その話は否定出来なかった。 だけどもちろん、信じることもできない。 それこそ、ボクのことを都合よく理解するための神話だ。 いままでだって、万引きの常習犯だの、保護観察だの、根も葉もないウワサはいくらでもあった。 今回だって同じだ。自分に言い聞かせたけど、悲しみが止まらない。 仮に万が一、このウワサが事実であったとしても、久木洋介はボクのお父さんだった。あの面倒くさいお母さんと一緒に、ボクを育ててくれた。それに、お父さんがいた4年間は、幸せだった。 でも、本当の本当に、ウワサが本当だったら? ボクだけ騙されてて、まわりのみんなは真実を知ってしまっているとしたら? ツキとゴロウマルに、久木だったころは幸せだったって言ったのに、いつかお父さんを探しに行くって言ったのに、これじゃあピエロだ。 ただの噂話だって切って捨てることはできるけど、万が一本当だったら、ますます惨めだ。第8章 埋み火
昔っから、カッとなると、まわりが見えなくなるタイプだった。 お母さんが、黒木の家を飛び出したときも、そうだったんだと思う。 今回は、できるだけ冷静でいようと、ウワサのことは気にしないことにした。 あとは、ツキとゴロウマルに、4年生のときの事件のことを話して、ほかのことはぜんぶ根も葉もないウソ! 過去のことはもう、十分反省してるし、同じ過ちは繰り返さない! って宣言すればいいだけ。 朝、登校してクラスに入ると、そこにいるだれもが声をひそめた。 ボクのほうを、一瞬だけ見て、また目をそらして、普段通りを装って話し始める。 ボクが歩くと、その周りだけ声を潜めた。 ツキもゴロウマルも、まだ見えない。 息が詰まる。 助けて。 5分、10分と、刃のような時間が過ぎて、ようやく、ツキの姿が見えた。 ゴロウマルもいる。 「おはよう! 遅かったね!」 最大限の明るさを絞り出した。 なのにふたりからは、うん。まあね。と、そんな言葉しか出てこない。 聞いたんだ。ボクの話を。 ボクがお父さんだって言ってたひとが、本当のお父さんじゃないって。 「ねえ、ヒミコ」 ツキが静かに、口を開く。 「お母さん、再婚する気はなかと?」 なんなんだよ、それ。 なんで開口一番がそれなんだよ。 聞きたくないよ、お父さんのことも、お母さんのことも、再婚のことも。 ボクがひとつ、舌打ちしてみせると、ツキの態度が変わった。 「なに、その態度。心配して言ってやりよーとに。感じん悪かー」 ツキに、そういう口調で言われたのは初めてだった。 総毛立った。 つぎの瞬間にはもう、ボクはヒミコじゃなかった。 「うっせーわ。クソが」 静かに吐き捨てると、ゴロウマルが肩に手を掛けてきた。 「ちょっと、待てよ」 って言われて、半年前なら、ぶん殴ってた。 だけどそうやって壊したくない。 「なんね、それは。ヤクザの子はヤクザち言うことね」 ゴロウマルがボクを責めるけど、ふざけんなよ。 「だれがヤクザて? なんでそげんか話、信じとーと?」 低い声で言い返した。 お母さんが水商売してたのは言ったけど、それがすべてだよ。 その店がヤクザだったかどうかなんて、知らないし。 これ以上、ふたりの声を聞きたくなくて、 「畿内んモンはウソばっか信じとーちゆーとったくせに、ぜんっぜん変わらん! 同じやん! ウソばっか信じて!」 って、声を荒らげた。 教室を飛び出して、チャリで川原まで走って、草むらに座ってわんわん泣いた。 ケンカに負けて泣いたこともないのに、涙が止まらなかった。 家に帰って、お母さんともケンカ。 「どこほっつき歩いとったとね、こげな時間まで!」 って、 「あんたに言いとうなか! あんたんせいで、ヤクザん子はヤクザち言われた! あんたんせいで友だちもでけん! あんたんせいで、ケンカするしかなかと!」 あとは取っ組み合い。 力はボクのほうが強いけど、お母さんは馬乗りになって、ボクの盲腸の手術あとをぐいぐいと拳で押してきた。 もう手術から日は経ってるし、痛みはないけど、傷を押されるのは嫌だった。 これなら、殴られたほうがいい。 泣き叫んで、体を丸くしてもやめない。 「謝らんか! もう二度と言いませんちゆーて! 謝らんと、傷ん開いて死ぬぞ!」 って、こんな親がいるか? 次の日。 起きて鏡を見ると、顔に痣があった。 幸い、盲腸の傷口は開いてなかったけど、気にしはじめると、皮膚の奥に痛みのようなものを感じた。 お母さんは、無防備に布団で寝てる。 ボクは、家にもいたくなかったし、学校にも行きたくなくて、チャリで久留米の祇園山古墳まででかけた。 風の強い国道を、1時間半。 てっぺんに登って横になってると、みんなで来た時のこと思い出して、泣けてきた。 ゴロウマルから、ヤクザの子はヤクザって言われたけど、あの鬼のような母の子がボクだよ。ヤクザなんかより、きっともっとひどいよ。 このまま家出しようかとも考えたけど、しばらく泣いた後、ふたりに謝らなきゃいけないと思って、それでまたチャリで八女に帰った。 家に帰ると、玄関から知らないおじさんが出てきた。 睨みつけてると、 「有山です。今日はその、なんたらかんたらで、うんたらかんたら」 と、聞き取れない言葉をボソボソと吐いて、車に乗って去っていった。 たぶん、こないだの見合い相手だ。 何やってんだ、クソが。 もう、何も考えられなかった。 何もかも嫌になったとか、それすらもない。 納屋のなかにあったポリの容器を引っ張り出して、中身は軽油か、ガソリンか、よくわかんないけど、そのへんに撒いて火を付けた。 クソが。 クソ。クソ。 死ねよ。ババァ。 燃え上がる火の手を見ながら、そうやって繰り返していると、胸の中に後悔の念が渦巻く。 いまなら助けられる。 ひとを呼びに行けば、まだ間に合う。 でもそれも、他人事。体への司令は届かない。 ツキ、ゴロウマル、ごめん。あんたらが、ヒミコってあだ名つけたヤツは、こんなクズだよ。友だちになってくれてありがとう。ボクももう、死ぬよ。たぶん。 そう思いながら、うずくまって涙を流していると、炎の中から、形相を変えたお母さんが飛び出してきた。 不意のことで怯えていると、お母さんは、ボクの手をつかんで、車へと引きずった。 「ごめん、お母さん、ごめん」 謝ってみるけど、お母さんはなにも言わない。 助手席のドアを開けて、なかにボクを蹴り込む。 「なんで火ばつけたか、自分でもわからん。そげんつもりはなかったと。ごめん。お母さん」 お母さんは運転席へ。エンジンをかけて、ギヤをドライブに。 「ベルト」 促されて、シートベルトを締めると、車が出る。 「どこ行くと?」 「黒木」 おじいちゃんおばあちゃんの家に? どうして? もう夕暮れも近い国道の山道。 「あんたは、お父さんのほうが好いとーやろうばってん、あんたば育てたとはあたしよ」 ハンドルを握って、煙草を吹かしながら、お母さんが言った。 「旅行に行ったー、レストランに行ったー、ボーリングに行ったーちゅうて、よか思いばっかしたかもしれんばってん、あの男は、生活費も入れん。遊んでばっかし」 家に火を付けたことで、お母さんがボクを責めることはなかった。 「あんた、飼い慣らされとったい。あの男に」 ボクに向けた言葉の合間に、小さく、ブツブツと独り言が挟まる。 「あんたば学校にやっとに、仕事もやめたー、パートで働いて、そいだけじゃ足りんけん、夜はスナックで働いたー、晩メシも作ってやれん、朝も起きられん、洗濯モンも、流しん中も溜まりっぱなし。さぞ悪か母親に見えたろうばってん、あんたば生かしてやるだけで、せいいっぱいたい」 ごめんなさいとも、ありがとうとも言えず、ただ聞いているだけ。 暗くなってきた道を、どこをどう走っているかもしれず、ただ助手席でうつむくだけ。 車は黒木の町並みへ入り、押しボタン式の信号で折れて、その先の小道を山側へ上って数件、古い家のまえでウインカーを上げる。 「ここは?」 「あたしが生まれた家。飛び出して、もう20年になる」 つまり、おじいちゃん、おばあちゃんの家。 「なんばすっと?」 「じいちゃんばあちゃんば呼んできて。道楽娘の帰ってきたーち」 「わかった」 そうしてボクが車を降りて、おじいちゃんおばあちゃんを呼んで表に出ると、そこにはもうお母さんの車はなかった。 ついに捨てられたんだ、ボクは。 それからボクは、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らすようになって、黒木の中学に転校した。 引っ越しや転校の手続きは、おじいちゃんとおばあちゃんでやってくれたんだけど、農協の有山さんにも、いろいろとお世話になったらしい。 ボクが火を付けた家は、そもそも納屋に置いてあったガソリンが消防法違反だったとかで、有山さんが刑事事件になるのを避けて、裏で市議に手を回してもみ消したらしい。 有山さんはいいひとだって、おじいちゃんも、おばあちゃんも口を揃えた。 ボクのお父さん――久木洋介が訪ねてきたかどうか、聞いてもらいたかったけど、聞けなかった。 お母さんに捨てられた日、お父さんのことはいろいろ聞かされたし、それからはもう、お父さんがボクを救ってくれるとも考えなくなった。 ボクを唯一救えるものがあるとしたら、それは「お金」だった。 おじいちゃん、おばあちゃんは年金暮らしで、生活に余裕はない。 そこにボクが転がり込んだわけだから、生活は苦しく、それでもなんとか高校には行かせてもらったけど、二年の途中で自主退学。アルバイトを始めた。 最初は黒木で働いて、手元に資金ができたら、すぐに福岡に引っ越した。 それからずっと、アルバイト。 なんとか生活はできてるけど、決して楽じゃない。 あのままお母さんが、有山さんの甥と結婚していたら、少しは楽になったのにって、たまに思う。終章 桜の季節に、また3人で
夜のラーメン屋。 日向神湖畔の千本桜をニュースで伝える、同じテレビを、ゴロウマルも見ていた。 「でもよく、ボクの家がわかったね」 「黒木町のトドロキち調べたら、数件しかなかったけん。全部当たった」 「そいで、じいちゃんばあちゃんに聞いたと?」 「そう。ゴロウマルち名乗ったら、『ヒナタが世話んなりました』ち言うて、教えてくれた」 「他には?」 「他って?」 「ボクのこと、調べた?」 「ハサミで友だち刺したとか?」 「大正解」 「家に火ぃつけたとか?」 「ぴんぽんぴんぽーん」 「あとはなに?」 「あとはないよ。あ、スポーツ音痴じゃないってことくらい」 「それも調べた」 ゴロウマルは、こんどツキに会うから、いっしょにって持ちかけてきた。 「悪いけど、ツキには会えないよ」 「なんで?」 「騙してたから」 ボソリとボクが言うと、ゴロウマルは長めのため息を吐いて、 「じゃあ、しょんなかたい」 と、寂しげな口ぶりで漏らした。 「ツキはどげんしとう?」 「西南大ば出て、就職ん決まったち言うとった」 「社会学部? 院にはいかんと?」 「文学部ちゆーとったかな? 卒業後は筑後市でパン屋さんやて」 「ふーん。ゴロウマルは?」 「実家ば継ぐ。当面は」 「実家って?」 「みかん農家。ヒミコは?」 「ヒミコは、バイト。ずっとバイト。飽きたらほかのバイト」 「まあ、それも人生たい」 「しょんなかよ。ようやっとるち思う。ばってん、寂しかね」 「なにが?」 「ツキは学者になるち思うとった」 「まあ、学者にゃならんばってん、続けるよ、あいつは。ハニワパンとか、古墳パンとか焼きながら、邪馬台国探すよ」 「そうやね。でもさ。むかし、神様の話、したやん」 「うん。したけど、どの話?」 「最初は、山が神様やった。でも次に、巫女を拝むようになって、次に巫女を殺した王様が拝まれるようになった……」 「ああ、それ」 「いまは、王様が掘り出した金銀財宝が神様たい」 ボクは百円玉をポケットから出して、テーブルに置いた。 「ほら。ここに神様んおらす。みんなこいば拝まっしゃる。こいがボクたちが探した邪馬台国。その成れの果て」 金がすべてだった。金がすべてを左右してきた。 明日も、明後日も、金のために働いて、金によって生かされる。 卑弥呼はどこにいるって聞くなら、これだよ。 この百円玉が卑弥呼だよ。 そう言ってあらためて、百円玉に指を添えると、 「ゴロウマル的には違うと思う」 って、ゴロウマル。 「ほう。というと?」 「みんなで山に行ったやんね。桜の季節にまた来ようち、約束したやんね」 「うん。覚えとう」 「ツキはね、有島があんたの家に火ばつけて殺したち言うて、2回くらい有島の家に火ばつけとう」 「そうやったん?」 ボクがいないところで、有山さん――ゴロウマルの言う有島が悪者にされてたって話は聞いていた。 「そのあと、入院して、転校して、なんとか立ち直って、辛か思いばしたばってん、ギリギリ生きてきたとよ」 「うん」 「あんたも、そうやろ。ゴロウマルもそげんたい。クソんごたる町で、どんだけ苦労したか。そいでも、生きてきたと。なんでかわかる?」 「わからん」 「神様は、金じゃなかよ。友だちが、神様よ」 そう言うとゴロウマルは顔を覆って静かに泣き出して、ボクも思わず、涙をこぼした。 それからしばらく、ふたりで黙って泣いた。 「こんどの千本桜のさくら祭。ツキも誘うてみるけん。気が向いたら、来て」 顔を上げられなかった。 しゃくりあげるのを、必死で抑えるボクを置いて、 「それじゃ。バスの時間のあっけん」 そう言い残して、ゴロウマルはいなくなった。 ――それでは最後にもういちど、日向神湖の満開の桜をごらんください 小さな古びたラーメン屋の、小さなテレビが、ボクたちの邪馬台国を映した。あとがき
『ボクがヒミコだったころの話』ご清覧いただき、ありがとうございました。 この作品は、『ボクたちが邪馬台国を探したときの話』の続編にあたりますが、一応は単独でも読めるように仕上げたつもりです。 「~探したときの話」はツキ――月足カオルの視点で書かれていましたが、今作は轟日向――ヒナタの視点で書かれています。 「~探したときの話」では、ヒナタ(ヒミコ)がどうなったか明確に書かずに、火事があって、いなくなった、というラストでしたが、こちらでようやく謎が解けるかたちになっています。 とは言え、最初からこの「ヒナタ編」を書く予定があったわけではなく、「~探したときの話」は、あれで十分に解決していると思っていました。もちろん、いまでもそう考えています。 なぜならば、人生なんてよくわからないんだ、他人の人生なら尚更わかるはずがない、というのを邪馬台国の謎になぞらえて描くのが主旨でしたから。 しかし、いざ仕上げてみると、はたしてヒミコはどうなったのか、有島さんは本当に悪いひとなのか、いろんな疑問が浮かんできて、ふと気がつくとアタマのなかにヒナタ編のプロットが浮かんでいました。 ツキ編では有島と呼ばれているひとが、ヒナタ編では有山だったりするのは、古事記・日本書紀で呼称の変わる天皇の呼び方になぞらえてみました。 それと、ヒナタ編で、「こうに違いない」と言い切ったことに、少々反論を加えたりなどしています。要は「神話」にしたくないのです。 今回は邪馬台国を探し、それについて考えるお話を書きましたが、邪馬台国を探していると不思議なもので、だんだんと邪馬台国などどうでも良くなってきます。筆者だけなのか、みなそうなのかは、わかりません。 邪馬台国よりも、当時、百済と新羅がどうだったか、三国時代、南北朝時代、中国の動きは日本にどんな影響を与えていたか、などに興味が移り、邪馬台国がどう、大和朝廷がどう、というミクロな視点は、いったん横に置いといたほうが良いかなって気持ちになりました。 日本の天皇の系譜は、古事記・日本書紀によって、神武からいまの天皇まで、一直線に並んだものしか伝わっていませんが、6世紀よりも前のものは、政治的に歪められた部分が大きく、それを中国の歴史にプロットしたら、逆にわからなくなるところが出るようにも思えます。 さんざん九州説を言い立てておいてなんですが、畿内にしても、九州にしても、いったんは邪馬台国から離れたほうが、実りは大きいのではないかと思うようになりました。 今作は前作の補完の意味合いが強く、もしかしたら筆者は書いたはずでいるけど、伝わってない部分などがあるかもしれません。あるいは、そう思える部分にも、筆者が意図して書かなかった部分もあるかもしれません。 でも、そういうところがあったら、そこが魏志倭人伝的、と思って、お目溢しいただければ幸いです。 では、連作で同じようなものを書いてしまったので、あとがきはネタがなく短めですが、また邪馬台国に関して、新たな思いつきがあったときには、今度はゴロウマルを主役にしてなにか書きたいと思います。もし機会があれば、そのときにまた、よろしくお願いします。
©sayonaraoyasumi novels
この作品の著作権は井上信行が有しています。著作権者の許可なく複製、配布、改変することを禁じます。
This work is copyright 2023 Nobuyuki Inoue. It may not be reproduced, distributed, or modified without permission of the copyright holder.
This work is copyright 2023 Nobuyuki Inoue. It may not be reproduced, distributed, or modified without permission of the copyright holder.
著者 | 井上信行 |
出版 | さよならおやすみかぶしきがいしゃ |
出版日 | 2023年 11月 5日 |
使用ツール | でんでんコンバーター, VSCode, PowerPoint, PhotoShop |
HOME PAGE | https://sonovels.com/ |
⚪
🐹
🐰
🐻
⬜