- 1 ドキドキ・下駄箱事件
- 2 ドキドキ・宇宙戦争
- 3 ドキドキ・タイムマシーン
- 4 ドキドキ・シリアス展開
- 5 ドキドキ・終末生活
- 6 ドキドキ・修学旅行
- 7 ドキドキ・学園祭
- 8 ドキドキ・東幡豆革命軍
- 9 ドキドキ・月面基地
- 10 ドキドキ・日本創生記
- エピローグ ドキドキ・続・下駄箱事件
- あとがき
1 ドキドキ・下駄箱事件
「告白するんだったら中二のうちだよ」 と言っていたのは、親友の2 ドキドキ・宇宙戦争
レイカにボコボコに負けて、華鳴池くんに冷たくあしらわれる夢から覚めると、宇宙戦争が始まっていた。 知ったのは朝のニュース。 あまりのできごとに呆然とテレビに釘付けられた。 今日ってエイプリルフールじゃないよね? パリ、ニューヨーク、ロンドン、上海と、宇宙空間より飛来した未確認飛行物体によって攻撃を受けていますと、テレビのアナウンサーが伝える。 お母さんによれば、昔はここに東京が入ってるのが定番だったらしいけど、いまじゃ宇宙人も見向きもしないって、でもそんな呑気なことを言ってる場合? 「学校、どうしよう」 「どうしようって、行かなきゃダメでしょう? 休みの連絡来てないんだから」 そういうものなのかなぁ。 テレビでは総理大臣の緊急記者会見が始まる。 「お母さん! 総理大臣!」 のんびりトイレ入ってる場合じゃないよ! お母さん! 水を流す音。 「東京は無事なんだし、慌てることはないよ」 って、髪を留めなおしながら、テレビに目をやる。 「学校とか会社とか休みになるよね?」 何本も束ねられたマイクのまえに防災服姿の総理大臣。 カンペを見ながら、各地の被害状況を伝えたあと―― 「学校を休校するかどうかの判断は、各自治体の決定に従ってください」 って、ええーーーーーーーっ! なんなのそれ! 日本が攻撃対象になってないからって、緊迫感なさすぎる! こんなときに学校に行くなんてありえないけど……でも、昨日の告げ口のこともあるし、お父さんとは顔を合わせたくない。 チャリで学校へ向かうと、いつもの開かずの踏切が開いたままだった。 駅には人が溢れて、戦闘機が頭上を通り過ぎた。 本当にこれ、学校休みになんないのかなと思ったけど、いやでも、学校も会社も休みになって三人で家にいるとしたら、やっぱり気まずいし。 お母さんもう、浮気のこと問い詰めたりしたのかな。 詳しい話はしなかったけど、お父さんのパソコン使ってるときによくメールのデスクトップ通知が来てた。証拠隠滅される前に詰めたほうがいいよ。――とも思うけど、それで家の空気が悪くなるのは嫌だなぁ。 校門のあたりでカオルの姿を見かけるけど、 「おはよー」 って、テンション低かった。 「踏切が開いてると、なーんか張り合いがない」 「あー、わかる」 チャリを停めるとき、つい時間を気にしてしまうけど、別に焦る時間じゃないんだ。 「でもなんか、嵐のまえの静けさっていうか」 「ニューヨーク壊滅状態だって、ニュースで言ってた」 「日本は無事でいられるのかなぁ」 「うーん。でもなんか、実感ないなぁ」 昇降口にはレイカがいたけど、一瞥すると背中を向けて階段を上っていった。 まあ、あれがいつものレイカだ。 「うーちゅーうーじーん!」 背後から甲高い声が響いて、近づいてくる。 「がぁーーーーーーーっ! 攻めてきたぁーーーーーーーっ!」 スカートの裾を翻して伊部リコ登場。ポーズを決める。 「なんなの、あんた」って、カオル。 「2023年、6月7日未明、世界各国に宇宙より飛行物体が飛来! その数4千! これは地球の全戦闘機の数に相当する! どういうことかわかる?」 わたしたちは気圧されて首を振るだけ。 「一人一殺! キルレシオ1対1に持ち込めば防衛できる! ――ということだけど、ネット見た?」 テンション高っ……。 「敵の飛行物体1機に最新鋭のF22戦闘機15機が一瞬で撃破されたの! キルレシオ0対15! 最新鋭機でよ!? 日本には旧式のF15、あるいはもっと旧式のF4、国内開発のへっぽこF2か、欠陥品のF35しかないわ!」 「あと、ストプリ」ってカオルが付け足す。 「ストプリ?」 「ストプリ戦わせる」 「戦わせる」 「それ、強いの?」 「強い」 「ストプリ最強」 リコの声を聞いて、まわりの生徒が不安がるけど、わたしにはどうにも実感がない。 「宇宙人はなにが目的なの?」 「そう! そこよ! それをいま調べてるところ!」 「調べるって、どうやって……」 「ネットにはどんな情報でも転がっているのよ! すべてわたしにまかせて!」 と、胸を叩いてリコは廊下を駆けて行ったけど…… 「まかせて何がどうなるんだろう」 「さあ……」 一時間目。国語。自習。 生徒は半分くらいは自主休校。 みんな宇宙戦争の話ばっかりで、自習なんかする雰囲気じゃない。そんななかカオルは 「やっぱり本人に聞くべきだよ」 って、華鳴池くんの件。 「でも、そんな空気じゃないよ……」 「宇宙人、日本にまで来たら死ぬかもしれないのよ!? モヤモヤしたまま死んだら、死んでから一生もやもやして過ごすのよ!?」 「死んでからの一生ってなに?」 「わたしはヤダ。こんな中途半端で死にたくない」 「中途半端って?」 「取ってないアイテムとか、行ってないエリアとかいっぱいある」 「ゲームの話?」 「そりゃそうでしょ。宇宙人攻めてきたからって、急にリアルに目覚めたりはしないもん」 ゲームかぁ……。 「わたし、今日はゲームできないかもしれない」 そもそもしてる場合か、っちゅう話でもあるけど。 「えっ? あっ、もしかして、華鳴池くんと?」 「は? なんでそうなるの?」 「電話とかチャットとかで、うふふ、あはは、とか」 「しないよ」 そもそも、花をもらっただけ――それすらも手渡しじゃなくて、下駄箱に放り込まれただけで、話もしてないし、ろくに目を合わせてもいないんだから。 「ゲーム機、お父さんの部屋にあるの」 「ああ、そう言ってたね。お父さんとなんかあったの? ケンカでもした?」 「まあ、それに近い感じ……」 昨日の今日だし。顔を合わせたくないっていうか。ていうかカオル、今日もゲームする気だったの? 「それにしても、生徒には登校させておいて、先生は休みってどういうこと!?」 「先生は電車だから、来れないんだよ」 「でも先生、踏切が上がらないことくらい予測して行動しろって言ってたよ?」 「言ってたね」 「子どもに踏切の予測しろって言うんだったら、大人は宇宙戦争くらい想定しなきゃダメでしょ!? ねぇ、サバト」 「にゃー」 にゃーって。そもそもなんで学校にネコがいるわけ? 「宇宙戦争が起きるなんて、考えたこともなかった」 「わたしだってそう。でも、きっとこれはまだ予兆よ!」 「予兆……」 「これからもっとすごいことが起きるの!」 「すごいことって?」 「タイムマシンが現れて、時間の流れがめちゃくちゃになるとか!」 「そこまで!?」 「そうでしょ? サバト! タイムマシン来るよね?」 「にゃー」 二時間目も自習。スマホ見てる子が、札幌上空でUFOと戦闘機が戦ってるって教えてくれた。ニューヨークに続いてロンドン、パリも壊滅。ロシアは闇雲に大陸間弾道弾を撃ち始めたけど、ソフトウェアの改修が間に合わず、半分はアメリカを攻撃しているらしい。 「なんかめちゃくちゃだなぁ」 「ナミ! 最新情報!」 いつの間にかカオルもスマホ見てる。自習とはいえ、授業中だよ? 「アメリカがロシアに向けて反撃の核ミサイルぶっぱなした!」 「どうなるの、それ?」 「第三次世界大戦! 勃! 発!」 宇宙戦争が起きている最中に、第三次世界大戦って……。 「こんなときこそコックリさんよ!」 と、中休み、カオルに手を引かれてオカルト部室に駆け込んだけど、部長のカッパの像が割れていた。 「キャーーーーーーーーーッ!」 宇宙戦争勃発にもたいして動じてなかったカオルが叫んだ。 「カッパ様が……カッパ様が……」 動揺してオロオロと破片を集めるカオル。 「カッパ部長いないとコックリさんってできないの?」 「できなくはない……できなくはないけど……」 『くろ……みさ……黒水澤……カオルよ……』 「カッパ部長!」 カオルのアテレコによる一人芝居が始まった。 『わしにかまわず……コックリさんに真を問うのじゃ……』 「そんな、部長! わたしにはできません!」 カオルが小芝居やってる間にも宇宙戦争は拡大してると思うんだけど、どうなの。 「こんなとき、ボンドがあれば……」 『わしに……かま……う……うっ!』 「カッパ様! お気を確かに! カッパ様ーっ!」 「あの……ボンドを使いたいんだけど……」 三時間目のあと。 学級委員の華鳴池くんに、クラスの備品を借りにいった。 「いいけど、何に使うの?」 低くて落ち着きのある声。心臓がズンドコ節を踊りだす。キ・ヨ・シーッ! 「あの……オカルト部室にあったカッパ像の修理……」 レイカが離れたところでわたしを睨んでる。 でもこれ、大事な用だから。ガーベラのこととも関係ないし、事務的な話だから。 さっきカオルと、 ――わたし、本当に華鳴池くんのことなんとも思ってないよ? ――だったらナミが華鳴池くんにボンド貸してもらって! って話してて、売り言葉に買い言葉でこんなことになっちゃったけど、足震えてるし。これじゃわたしの方から告白してるみたいじゃない。 「それは難しいな」 「えっ?」 「オカルト部の備品だったら、オカルト部の予算でなんとかしないとダメなんじゃないかな?」 かーっと顔が熱くなった。 「じゃ、じゃあいいです!」 一礼して走り去ったけど、心臓がバクバクしてる。 勇気出して話しかけたのに。まるでわたしがふられたみたい。涙が出てきた。なんで? ボンド借りれなかっただけなのに、なんで? 「がんばったね、ナミ」 カオルはわたしの頭を抱きとめてくれたけど、涙が止まらない。 たかがボンドなのに。こんな姿、華鳴池くんに見られたら変に思われる。 でもどうして。 こないだまでなんとも思ってなかったのに。なんでこうなっちゃったの。 わたしの勘違いかもしれないのに。ううん、きっとそう。ガーベラのことだって、わたしの思い過ごしなんだ。 それに、華鳴池くんのことなんとも思ってないなんてのもウソだ。 ボンドのことだって、ココロの底では話しかけるチャンスができたって思ったし、きっかけになると思ったんだ、わたし。 汚いよ。そんなの。ちゃんと聞けないからって、ボンドをだしに使うなんて。そんなんだからダメだったんだ。華鳴池くんだって、見透かして笑ってるよ、きっと。 お昼休み。 お弁当を食べてると、赤いチューブに入ったボンドを机に置かれた。 見上げると、レイカ。 「わたしが借りてきてあげたわ」 「あ、ありがとう……」 「返すときも、わたしに返してね」 って、レイカは笑顔のまま背を向けて、席に戻ってった。 悔しい。 なんかわかんないけど、妙に悔しい。 それに恥ずかしかった。 勇気振り絞って、話しかけて、断られて、泣いた自分が。 放課後。 結局今日一日ずっと自習。 どうやら通信網が落ちてるっぽくて、市の教育委員会と連絡が取れてないらしい。 「そんな理由で学校に足止めされる生徒の身にもなってよ」 カオルはカッパ像を包んだ風呂敷を抱えて愚痴った。 校門のまえには、テニスウェアを着たレイカと、同、部員二名の姿があった。 「あなたとは今日のうちに決着をつける」 部員、ひとり減ってる。まあ、こんなときに学校に来る方がおかしいよ。 カオルは「またぁ?」と、露骨にうんざり感を出してみせた。 「あんたさぁ、恋のライバルがナミだからいいけどさぁ、もし相手が大坂なおみだったらどうするの? 勝負挑むの?」って、いつになく強気。 そう、そうだよねぇ、とか思っちゃったけど、レイカは動じない。 「もちろん! 勝てるまで技を磨くのみ!」 すげー。 「男子だったら?」 「男子!?」 「ノバク・ジョコビッチやラファエル・ナダルや西岡良仁だったら?」 「そ、それは……」 「ぶっちゃけ、この学校の男子テニス部部長、暮井コウトだったらどうすんのよ」 「だ、男子を引き合いに出すなど、卑怯だぞ!」 あ、動揺するんだ。 「卑怯もなにも、ありうる話でしょう? ねえ、サバト!」 「にゃあ!」 「な、な、な……夏までには告白するはずだった……」 レイカは苛立ちを隠せなくなった。ロウバイって言うのかな、こういうの。 「お父様の事業も、華鳴池家との共同プロジェクトが決まって……そのお披露目のパーティの夜……ふたりでモーリシャスのビーチで……」 知らんがな。 そしてまたカオルが何か口を開こうとしたところ、上空に怪光線が閃いた。 雷だったのかもしれない。でも、雲ひとつない空。 遅れて轟音が駆け抜け、長い長い木霊が尾を引いた。 カオルのスマホが警戒警報を鳴らす。遅れて、レイカのカバンからも。 頭上を戦闘機が駆け抜ける。そして、遠雷。 レイカは足をすくませて、その場にしゃがみ込んだ。 そうだった。レイカ、雷が大の苦手だったんだ。 「そういえば、雷、怖かったよね」 「うるさい」 「いまも怖いんだ」 「だからなんだって言うんだ!」 「わたしだって怖いよ! だから勝負は明日にしよう!」 空元気をふりしぼって言ってみたけど、レイカはしばらく黙ってしゃがみ込んでた。 「レイカ、明日ぜったいに勝負する。約束する。だからあなたも約束して」 「約束? わたしが?」 「そう。わたしは逃げない。だからあなたもこれから先、勝負から逃げない、って」 この先。この先なんてあるのかな、わたしたちに。 「わかった。明日だな」 うん。明日、もしわたしたちが、生きていたら。 玄関のドアを開けると、お父さんとお母さんの言い争う声が聞こえた。 「だったらメール見せて」 「プライベートにまで口を出すのか?」 「やましいことがあるから隠すのよ」 というやりとりから、すぐに浮気の件だとわかった。 「ただいま」 リビングのドアを開けると、お父さんはわたしの顔を睨んで、階段を上ってった。 「おかえり」って、お母さん。 倒れた椅子を起こしながら、 「冷蔵庫に食べるものあるから、勝手に食べて」 って、わたしから顔をそむけたまま、頬を拭った。 お母さんの髪は乱れて、いつもつけっぱなしのテレビが、今日はついてなかった。 地球はどうなってしまうんだろう。 帰ってきたらそんな話をする気でいたのに、とても話せる雰囲気じゃない。 結局ゲームにもログインできず。 ちなみにあとから聞いた話だけど、サーバが停止してだれもアクセスできなかったらしい。しかもアメリカにあるサーバが破壊されたので、データも消えたし、再開もされないって。 あーあ、って思った。 一日一時間しか遊べないなかで、二ヶ月かけて集めたアイテムもぜんぶ消えちゃうんだ。ゲームでしか知らないフレンドとも、もう会う機会がないんだって。 でもそれってさ。よくよく考えると、アメリカのサーバのある町が壊滅してるってことなんだよね。嘆くポイントが違うってのは、わかってる。 「テレビつけていい?」って聞くと、 「いいけど、気が滅入るだけだよ」って、お母さん。 リモコンのボタンを押すと、テレビは宇宙人来襲のニュースを伝えた。 世界地図が表示されて、連絡が取れない地域――つまり、宇宙人のせいで壊滅してしまった地域が赤く塗られていた。 右肩に表示された数字が48%から49%に変わる。 これが、宇宙人に奪われた面積。 一日で半分ってことは、明日にもこの地図は真っ赤になる。 チャンネルを回すと、モノクロの映画を流している局があった。 『緊急・名作映画一気上映』と題された、名作映画特番。 これで最後だから、人生に悔いを残さないように、ってか。 「深夜からNHKでも『最後の紅白歌合戦』が始まるんだって」 そうか。世界の終りって、こうやってやってくるのか。 L字型のニュース枠には、速報がひっきりなしに流れていた。 防衛大臣、北海道にて消息不明―― 華鳴池副大臣が臨時で執務を代行―― あ…… それって華鳴池くんのお祖父さんだっけ……? わたしはどうすればいいんだろう。 つい三日まえまで、華鳴池くんのことなんか、好きでもなんでもなかった。 そりゃあカッコいいのはわかってたし、一年のとき初めて話しかけたときはドキドキしたけど、いまの気持ちとは違う。 でも、いまの気持ちってなんだ? 世界が崩壊する。わたしもお母さんも明日死ぬ。そんななか、華鳴池くんのことが――なんだろう。華鳴池くんのことが――。 ボンド借りれなかっただけで泣いたんだよ、わたし。 告白なんかして断られたら、耐えられない。 チャンネルを回すと、『最後の紅白歌合戦』で再結成したスマップが泣きながら『世界で一つだけの花』を熱唱してた。 メンバー勢揃い。紅組も白組もみんな泣いてる。 「すごい。森くんもいる」 「だれそれ?」 続いて、和田アキ子。カメラが捉えた瞬間から泣いてる。 眠れるわけがない。 と、思いながらもいつの間にか熟睡していて、朝はお母さんに起こされた。 「宇宙人は!?」 「もう気にしないことにした」 「気にしなきゃダメでしょう!」 テレビをつけると、世界地図はもう7~8割がた真っ赤だった。 日本も北海道は真っ赤。石川県から静岡県にわたって真っ赤な帯がある。 解説者の説明によると、宇宙船の母艦から発射された光線が、幅80キロに渡って国土を焼いたらしく、その帯は中国からロシアまで貫いてるって。 わたしももう、気にしても無駄だなと思ってチャンネルを回すと、テレビ朝日では『最後の朝まで生テレビ』をやってた。 人類って、アホなのかもしれない、と思って見てたら、 「わたし、この家はもう出ていくけど、あなたはどうする?」 ってお母さん。 「出て行くって?」 「離婚するの」 離婚……。わたしのせい? 「あなたはお父さんとこの家に残る?」 「嫌だ! お父さんと暮らすのは!」 と、言い返してみたけど、その話っていましなきゃダメなの? 「出ていくのっていつ?」 「今日中に荷物をまとめるから、あなたも今日学校終わるまでに考えておいて」 「……わかった」 お母さんも、お父さんの浮気には感づいてたんだと思う。 「って、学校?」 「もうこんな時間! 遅刻するよ?」 都心に買った『投機用のマンション』のこと聞くと、いつも誤魔化してたし、そこに愛人が住んでること、わたしが推理したくらいだから、お母さんだってきっと…… 家を出ると、空が真っ赤だった。 巨大な朝焼けなのか、どこかが燃えているのかはわかんない。 遠くにヘリが飛んで、雷鳴みたいなものが響いてくる。 直後、家のガラス窓がびりびりと震えて、アロエの鉢が小さく振動して棚を横滑りしてった。地震だ。立ってるとよくわかんなかったけど、震度いくつくらいだろう。 学校に行くと校門にはレイカの姿があった。 取り巻きのテニス部員はひとり。 「レイカも来たんだ……」 「当然でしょう。あなたとの決着をつけない限り、死ぬわけにはいかないわ」 ま、しょうがないか、と思ってると、すぐにカッパの像を風呂敷に包んだカオルも登場。 「カッパ部長、治療完了~~~~~っ!」 カッパ、そんなに大事か。 「早く部室に! コックリさんに聞くのよ! これから地球がどうなるか!」 徹夜でもしたのか、カオルは目の下にクマを作って、それでも声を高くあげて、部室を指差した。 「バカじゃないの? あなたたち」って、レイカ。 そう。大正解。バカなんです。 「人類が滅亡しかけてるときにクラスメイトと決闘しようってほうがバカでしょ!」 徹夜したテンションのカオルが言い返した。 「決闘じゃないわ! 正々堂々、試合を申し込んでいるのよ!」 レイカが言うと、隣のテニス部員がウェア一式をスッと差し出す。 「あ、ありがとう」 ちょっと憧れてたんだ、これ。 と、手を差し出すと、 「ナミ! 勝負はあとまわしにして! まずはコックリさんよ!」 って、いつになくカオルも強気だ。 「ふざけないで!」 レイカが苛立ってラケットをカオルの鼻先に向けたとき、雷光が閃いた。 身構える間もなく、雷鳴が駆け抜けると、レイカは頭を抱えてうずくまった。 空にはまた雷光が閃く。 カオルは私に目配せして、 「レイカも来て! いますぐ!」 レイカにも声を掛けた。 こんなときにコックリさんってのもどうなの、とは思ったけど、レイカにボコられるよりはましか。 「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでくださいましたら、『はい』へとお進みください」 ボンドでツギハギになったカッパ部長のまえ、わたしとカオルとレイカ、三人でコインに指を乗せた。 ――はい。 緊張が走る。 「まずは人類が滅亡するかどうか聞きたい」 レイカが小声でカオルに伝える。 コックリさんなんか信じてないと思ってたけど、ちゃんと質問するんじゃん。 「こっくりさん、こっくりさん、お教えください。人類は滅亡しますか?」 ……三人、息を飲んだ。 だけどコインは動かない。 「どういうこと?」 「未来のことだから、確定してないってことなのかも」 「じゃあ、もう確定してること聞いてみて」 レイカがカオルに振る。 カオルは「うーん」と考えて、 「こっくりさん、こっくりさん、お教えください。地球に来た宇宙人の目的はなんですか?」 今度はコインが動き出した。 まず一文字目は『ふ』。 わたしとカオル、わたしとレイカ、顔を見合わせる。次に示したのは『く』。 「ふく――」 レイカが小さな声で復唱する。 次は『し』。 「ふくし――」 コインは右へ。『ゆ』。 「ふくしゆ――?」 そして、『う』。そこで止まった。 「ふくしゅう?」 「復讐って、いったい何に!?」 カオルが改めて問いかける。 コインは躊躇うことなく『た』へと動き始める。 「た――」 右へ、左へ、また右へと、文章を綴る。 「たこやきにして――」 「くわれた――」 「タコ焼きにして食われた!?」 「いったいだれに!?」 ――コックリさんに聞いた話を総合すると、こういう話だった。 愛知県3 ドキドキ・タイムマシーン
翌日、お母さんは不動産屋に行って部屋を借りた。 お母さんの収入だと、借りられるのは四畳半ひとま。これからはお風呂は近くのマンガ喫茶のシャワーを利用するしかないと聞かされた。 湯船に浸かるのが好きだったけど、これからはシャワーだけ。でも、二日にいちどのお風呂の日はマンガ喫茶でマンガ読み放題だって聞いて、それならまあ、いいかと思った。 でも、二日にいちどって。 年頃の中学生としてどうなんだろう。 サバトががんばってるのか、ネットのニュースを見ると、壊滅状態にある地域はもうずいぶんと減っていた。 そんななか―― 「あ……」 「どうしたの?」 ブラジル、サンパウロからの映像のなかにサバトの姿があった。 「あの黒猫、中学のオカルト部にいたの」 わたしが言うと、 「似た猫じゃない? 同じような黒猫が、いろんなところで目撃されてるんだって」 って、お母さん。 「違うよ。あの子が宇宙船を破壊して回ってるの……」 「はあ? あんたもその話、信じてるの?」 「信じてるの? って?」 「目からビーム出す動画が出回ってるけど、CGに決まってるでしょう?」 いやいや。わたし、目の前で見たもん。 少し遅れて学校へ行くと、自転車置き場はガラガラだった。 そりゃそうか。昨日世界が滅びてもおかしくなかったわけだし、学校なんて。それとも、みんな死んじゃったのかもしれない。なんかもう、悲しみという感覚が抜けちゃってる。 学校に来れば日常に戻れる気がしたのに、廊下に先生の姿もないし、職員室もガラガラ。寂しさばかりが胸のなかに溜まっていく。 校庭、こんなに広かったかな。 静かな昇降口。体を滑り込ませると、華鳴池くんの姿があった。 すぐに向こうもわたしに気がつく。 「只野……」 「華鳴池くん」 だめだ、目を合わせられない。 下駄箱をあけて、靴を履き替えてると、こっちに来た。 「休みかどうか連絡が来なかったんで来てみたけど、だれもいないみたいだ」 「あ、うん」 だれもいない。 もしかして、学校にいるのふたりだけ? 「今日も自習だと思うけど、教科書どこまでやったか覚えてるか?」 「あ、うん」 「良かった」 良かった。 うん。よくわかんないけど、わたしも良かった。 わたしは少し上履きを履くのに手間取るふりをして、わざと少し遅れて彼の背中を追った。 階段。わたしの5段先に華鳴池くん。 一緒に自習しようって言ったら、隣の席に座れたりするのかな。 いや、でも、それもあざといか。 とは言えさ。「国語はここからだよ」って、隣の席に行かないと教えられないじゃない? それとも、華鳴池くんのほうから聞いてくるの? なんか、ため息出る。 とか、センチメンタルに浸ってたら、 「ナミーーーーーーーっ!」 と、どたどたと足音を響かせて、 「リコを助けに行くぞーーーーっ!」 って、カオルが駆けてきた。 華鳴池くんも足を止める。 振り向くわたしと華鳴池くん。その姿をみて、カオルが固まってる。 カオルの視界に映っているのは、華鳴池くんのあとをしずしずとついて歩くわたしの姿だ。 「あ、ごめん、そういうことだったら、わたし、ひとりで行ってくる……」 って、なんで気を使うのっ! 「ひとりでって、どこに?」 華鳴池くんが問いかける。 「あ、あの、わたしたち、伊部さんを助けなきゃいけなくて、宇宙船を調べに……」 カオル、しどろもどろ。 華鳴池くんはわたしに視線を移す。 「そ、そうなの。昨日、タイムマシーンでリコが助けてくれて、それで……」 わたしもしどろもどろ。 「タイムマシーン?」 「あ、ええっと、時間を移動する……的な……?」 「そう、バスくらいの大きさで……宙を浮いてる……? 的な……?」 「あ、あの、華鳴池くんもいっしょに行かない?」 なんで誘っちゃうの、恐れ多い! 「うん、面白そうだね」 って、乗ってきたぁっ!? 宇宙船は市営グラウンドとバイパスを挟んでお隣の緑化公園にまでまたがって横たわっていた。 機体は黒く焦げて、艦首から船尾へとかけて巨大な穴がある。 「大丈夫かな、忍び込んで」 「だ、大丈夫よ」 「華鳴池くんのお祖父さん、防衛大臣だよね?」 「ああ。代理だけどね」 まだ警察や軍による規制もなかった。 なかに入ると焼け焦げた宇宙人の死体がある。 小さいながらもちゃんと手足がある人型の宇宙人だ。 焼け跡からは電気コードを焦がした匂いと、コピー機の裏の匂い。 「宇宙人ってタコ型じゃないっけ?」 わたしがカオルに尋ねると、華鳴池くんが不思議そうな顔をする。 「これ……オカルト部部長に似てる……」 「ほんとだ……」 焼け焦げた宇宙人はどれもカッパ。煤けて異臭を放っている。 華鳴池くんは嘔吐いてるけど、わたしとカオルは死線を超えてきちゃったせいか、なにを見てもたいして動じなくなっちゃってる。 いいのかな、こんなんで。 宇宙船のなかは案外シンプルで、タイムマシーンもすぐに見つかった。 「あった!」 瓦礫を超えて駆け寄ると、華鳴池くんも追いかけてきた。 そのあとをカオル。 昨日見たタイムマシーンと同じ。 ハッチの取手に手をのばすと、同時に華鳴池くんの手も伸びてきて、指が触れた。 「あっ。ごめん」 「ううん、大丈夫」 「只野が開ける?」 「あ、でも、華鳴池くんが開けたいんだったら……わたしは……」 ドッキドキだ。手が触れただけなのに。もう足に感覚がない。浮いてるみたい。 遅れて来たカオルが、 「わたし、邪魔だったら帰るよ?」 って呆れてみせるけど、そ、そんなんじゃないけど嬉しい。 だめだもう、わたし。 真っ赤になってるわたしを見て、華鳴池くんは「えっ? なに?」って首をひねるけど、華鳴池くんのせいなんだからね、もう。 過呼吸。立ちくらむ。落ち着け、わたし。 言葉を詰まらせていると、「華鳴池くんさあ……」って、カオルが華鳴池くんに詰め寄る。 えっ? なに? 「ナミのこと、本当はどう思ってるわけ?」 って、そ、それを聞いちゃう? 「どう? どうというと?」 戸惑う華鳴池くん。 「だ、だよね。カオル、わけわかんないよね。どうって、なにがどうなのよ。ねぇ」 わたしは愛想笑い。 カオルはずんずんと華鳴池くんに詰め寄る。 「ナミ、ずっと悩んでるんだよ。あなたのことで」 だからもう、まってってば! 「俺のことで?」 華鳴池くん困ってるじゃない! なんでここで聞くわけ!? 気がつくとわたしは、ふたりのもとから走り出していた。 わたし、いまのままでいいんだよ。 悩んでなんかいないし、勘違いでもいいし。 べつに、視界の端っこに華鳴池くんが見えてればそれでいいし。 ボロボロと涙がこぼれる。 華鳴池くんにガーベラもらった。それだけでわたし、生きていける。 なんで泣いてんだろう、もう。 しばらくものかげでうずくまっていると、カオルがやってきた。 「タイムマシーン、動くようになったよ」って。 「えっ?」 「リコを助けに行こう」 ちょっとまって、それだけ? 続きの言葉をまってみるけど、目をそらしたまま。 「華鳴池くんとは何を話したの?」 問いかけると、カオルは沈黙。そのあとで、わたしを抱きしめて、 「忘れな。あんな男のことは」 って……。 華鳴池くん、なんて言ったの? タイムマシーンの扉を開けると、シートに座った華鳴池くんの姿があった。 「伊部さんを助けに行こう」 そう言って視線を投げてくるけど、どう返せばいいかわからない。 「どうしたの?」 わたしの泣きはらした顔を見て、華鳴池くんが笑顔をしまい込む。 「昨日からいろいろあったから」 って、カオルが繕ってくれるけど、やばいこれ。 わたし、いつのまにか華鳴池くんのこと、ものすごく好きになってる。 「操作法もわかったよ」 と、カオルがパネルを叩いてみせる。 そこには日本語のインターフェイスがあった。 「俺たちの脳波から使用言語を読み取って、それで表示を書き換えてるらしい。英語を思い浮かべると、表示が英語になる」 と言って、華鳴池くんはパネルの表示を変えてみせるけど、そんな簡単に英語って思い浮かばないよ、ふつう。 「ジス・イズ・ア・ペン!」 カオルが言うとパネルにはエラーが表示された。 昨日の昼まで時間を遡ると、リコは進路指導室のパソコンをいじってる最中だった。 タイムマシーンは進路指導室の壁を突き破って、出現。 ドアを開くと、天井の蛍光灯を直撃、破壊した。 「な、なんすか、あんたたち!」 「リコ! 乗って! この世界線にいると、あなた夕方に死ぬの!」 「でもいま、東幡豆のカッパ伝説と宇宙人とが点と線とで……!」 「いいから来て! もうそのフェイズじゃないの!」 もとの時間軸にもどると、戦火はさらに縮小、一時は地球上に数十隻と降りてきていた母艦もほとんどが撃破され、人類優勢に転じていた。 「これ、ぜんぶサバトがやったんだよね?」 「サバトが?」 カオルはあんまりニュースを見てないっぽかった。ハテナを3つくらい浮かべるので、エジプトとノルウェーで撮影された動画を見せた。 動画でサバトは、昨日――もう昨日だかなんだかよくわかんないけど――校庭でやったように、目からビームを放って戦艦を撃ち落としていた。 「それ、オカルト部にいた猫?」 華鳴池くんもわたしの肩越しに動画を覗き込んだ。 ふいに耳元に聞こえる声は、わたしをときめかせる。 「そう。なんか、すごい子みたい」って、カオル。 話してたらリコが、 「こんなのもあった!」 と、ネパールでの戦闘の動画を見せてくれた。 「なにこれ」 「ビーム曲げてる!?」 「こっちの動画だと、ビーム拡散させてる!」 「すげぇ」 みんなのテンションがあがるなか、わたしは少し寂しさを感じた。 「もう戻ってこないのかな、サバト」 「わかんない。でも、フラっと戻ってきそうな気がする。あの子なら」 放課後……授業はなかったけど、時間的には放課後。お母さんと借りた新しいアパートに帰った。新しいっていうか、築40年のボロいアパート。表札にはお母さんの旧姓、『落田』の文字があった。まだ籍は抜いてないけど、もうわたし只野ナミじゃないんだ。 「ただいま」 わたしは道すがら盗んできたアロエの鉢を置いて部屋に入った。 「おかえり、ナミ」 部屋にはテレビもない。 お母さん、テレビ大好きだったのに。 「今日は奇数日だろう? マンガ喫茶でシャワー浴びて来な」 って、二百二十円もらった。 お母さんのうそつき。 風呂がないかわりにマンガ読み放題だって聞いたのに、二百二十円で利用できるのは三十分だけだった。 なんで浮気のこと言っちゃったんだろう。 お母さんだって知っててそのままにしておいたわけでしょう? こうなるってわかってたら、わたしだって波風立てなかったのに。 そうだ! 目が覚めると同時に、あたまのなかにアイデアが閃いていた。 わたしにはタイムマシーンがある! タイムマシーンは学校の進路指導室に停めてあるし、廊下には防衛省で使ってる規制線のテープが張ってある。先生たちは近づけないだろうし、そもそも電気もガスも止まってる。自主的にみんな休学してて、学校に行ってるのわたしたちくらいだよ。 6月6日に戻って、わたしに会って、浮気のことは言わないようにクギを刺す……。 OK! それだ! やってみよう! チャリを飛ばす! わたしは風! 踏切を超えて長い坂道を上って校門から昇降口へ、そのままチャリで突っ込んで廊下をダッシュ! 規制線を超えて進路指導室のドアを開けると、そこにはタイムマシーンが―― ない! タイムマシーンがない! いったいなぜ!? どうして!? ホワーイ!? アタマのうえにハテナマーク30個くらい浮かべてると、空間がきらめき始めた。 そして眩しく光り始める。 これ……! タイムマシーン出現する時の……! 空間が歪んで、その隙間から亜空間が見える! 光のなかにうっすらと実体化し始めたタイムマシーンが、爆風を伴って出現! って、どうして!? カオルひとりで、抜け駆けしてなにかやってたってこと? それともリコもいっしょ? わたしだけ仲間外れ? 爆風で舞い上がった書類がハラハラと舞うなか、タイムマシーンのドアが開いた。 鈴を転がすような笑い声が聞こえる。 続いて―― 「ね? 本当だっただろう?」 落ち着いた低い声。 タイムマシーンのなかに見えたのは、レイカと華鳴池くんだった。 ふたりで……。 レイカがわたしに気がつく。 「あら、あなたも来たの?」 ふたりでどこに行ってたのよ……。 「授業なんてないのに、おかしな子」 逃げ出したい。 こんな景色、見たくもない。 「ああ只野――」って、華鳴池くん。 レイカに見せた笑顔のまま、わたしに振り向く。 「タイムマシーンのこと、三千堂も知りたいって言うから」 って、悪びれもせずに言ってのけるけど、どこに行ってたの? ふたりきりでなにしてたの? どのくらいいっしょにいたの? 胸の中にジェラシーにまみれた問いが繰り返される。 「こんどはわたしが使うから、すぐに降りてください」 ――怒りと、悔しさと、いたたまれなさと、なんなの、この気持ち。 「なんで敬語? 妬いてるの?」 レイカが目を細めて笑う。 「妬いてる?」 問い返す華鳴池くん。その耳元にレイカは唇を寄せる。 わたしに聞こえないようにわたしのことを言ってる。チラリとわたしの顔を覗く。華鳴池くんもわたしに視線を投げる。 もうやだ。 「降りて! 早く!」 「だめよ。あなた、歴史を変えるつもりでしょう?」 って、図星だけど、それがなに? 悪い? 「さっき三千堂とも話したんだけど、このタイムマシーン、みんなで相談して使うようにしたほうがいいよ」って、華鳴池くんまで。 ていうか、みんなで使うって。それをどうしてふたりだけで決めたのよ。 「素直になりなさい、ナミ。テルがこう言ってるのよ? 嫌われてもいいの?」 なにその言い方。 バカにされてるんだ。 わたし、華鳴池くんのまえだと何もできないと思われてるんだ。 事実だけど。それをここで言わなくてもいいじゃない。 手のひらで顔を覆うと足の力が抜けた。 その場にしゃがみこんだ。 泣いたってなにもできないのに、泣くくらいしかできないじゃない。 「あーあ、もう。なんで泣くかなぁ、いっつもいっつも、ぴぃぴぃぴぃぴぃ」 レイカの声。 「わたし、間違ったこと言った? そうやって泣かれると、わたしが間違ってたみたいじゃない。迷惑なんだけど」 じゃあ、わたしが悪いの? わたし、なにか悪いことした? 「にゃあ」 猫の声が聞こえた。 「あ」って、華鳴池くんの声も。 ふと見ると、足元に黒猫のサバトがいた。 「言ったとおりだ。本当にフラッと戻ってきた」って、華鳴池くん。 「なに? 知ってる猫?」って、レイカ。 本当に……フラっと……。 「オカルト部にいた猫なんだけど、昨日言ってたんだ。フラっと戻ってくるって」 でも……。あれ……? まって……。 宇宙戦争が起きるまえもたしかカオルが……。 ――マジでマジで。宇宙人攻めてきて宇宙戦争起きるよー。サバトもそう思うよねー―― って……。 だとしたら……。 「ねえサバト、今日もカオルとリコ、学校に来るよね?」 って、わたしが言うとどうなるの……? 「にゃあ」 「サバトっていうの? 黒水澤さんがつけそうな名前ね」って、レイカ。 「おいで」 華鳴池くんがサバトを呼んだそのとき、 「最終決戦だーーーーーーーーーーーっ!」 「押してるぞ人類ーーーーーーーーーっ!」 廊下に響く声が聞こえてきた。カオルとリコだ。 華鳴池くんがサバトを抱いたままシリアスな顔に戻る。 「そうだった。まだ宇宙人は完全に消え去ったわけじゃない」 同時に、カオルとリコが進路指導室に飛び込んできた。 ――間違いない。 「そうね」と、レイカも真剣な顔で、「まだ宇宙人に奪われたエリアがこんなにある」って、スマホを示すけど、わたしの胸のなかには確信が生まれた。 ――これすべて、サバトが実現させてる! ――ってことはつまり! 「うん、でもそれもサバトが奪還してくれるよ!」 そういうことでしょ? サバト! 「そう、残存部隊はサバトに任せるとして……」って、カオル。 あ、まって。任せるとして? 「母星から大量の援軍が来る可能性がある」と、リコ。 「うっかりしたこと言っちゃダメ!」 「そうだよね、サバト!」 「にゃあ」 サバトもにゃあじゃなくって! 「しかも! サバトでも太刀打ち出来ないような大軍が!」 まって!! 「そうだよね! サバト!」 「にゃあ!」 「ぎゃあああああああああああああああっ!」 「どうしたの、ナミ?」 「なんてことしてくれるのよふたりともーっ!」 わたしの大声にふたりともキョトン。 「なに怒ってんの?」 怒るよ! それは! 「それで、さっき三千堂とも話したんだけど」 って、華鳴池くんもちょっとだまって聞いてて! 睨むだけで口には出せないけど! で、それをレイカが引き取って、 「過去に遡って、防衛大臣を殺害、華鳴池くんのお祖父様、華鳴池テルカモを防衛大臣につけて、軍備を推し進めるの」 って、聞いてねーーーーーーーーーっ! 「ああ、こうなるまえに宇宙軍を整備して対抗する」 だから、ちょっとまってよ! 「そういうこと、みんなで相談して決めるって、さっき言ってなかった?」 「オカルト部、賛成です!」 はあーーーーーっ!? 「飼育部も異論はありません!」 ちゃんと議論しようよーっ! 「あとは帰宅部」 わたしぃ!? 「帰宅部副部長!」 それ、部長はだれなの? 「只野ナミ! あなたはどうなの!?」 只野ナミ……。 みんなのなかでは、わたしはまだ只野ナミだった。 帰ったら7時半から1時間だけゲームで遊んで、毎日お風呂に入って、夜中に冷蔵庫のフルーツをつまみ食いする、只野ナミ。 世界が壊れたからそれどころじゃないってだけで、わたしもう只野ナミじゃない。 「わかったよ――」 「わかったって?」 「わたしも賛成」 ここにいればまだ、もう少しだけ只野ナミでいられる。 「さっすがわたしたち!」 「チームワーク最高!」 リコが拳をあげて、カオルがあわせる。続けて、レイカ、華鳴池くん。 「ナミも!」って、カオルが言うから、わたしも、仕方なく。 わたしは一縷の望みを込めて、サバトに聞いてみた。 「ねえサバト。わたし、明日一日だけ自由にタイムマシーンを使えるよね?」 「なーに抜け駆けしようとしてるの?」 「まったく、油断もすきもないなぁ」 みんなにはそれは、わたしの冗談に聞こえた。 だけどわたしは―― 「にゃあ」 サバトの小さく鳴く声を聞いた。 その日もアロエを盗んで家に帰った。 偶数日だからシャワーもなしだった。 雨の降らない6月6日。 わたしは戻ってきた。 どこかでわたしの目の前に姿を現して、ガーベラを奪い取らなきゃいけない。 あるいは、下駄箱のガーベラを手に入れる前に処分してしまう。そうすればわたしの変な勘違いだって生まれないし、その後のことも起きない。うん、それだ。それがいい。告げ口のことも止めなきゃいけないけど、それはそれ。 始業ベルのまえ、タイムマシーンを校庭に着陸させて、光学迷彩で透明化、わたしは昇降口に走った。まだ生徒は少ない。 玄関から滑り込むと華鳴池くんの姿があった。 一瞬、鼓動が高鳴るけどだいじょうぶ。華鳴池くんの姿だってもう見慣れた。昨日までのわたしじゃない。 「おはよう」 口先だけの挨拶。 横をすり抜けようとしたら、腕を取られた。 「まって」 なに? 「時間を操作したらいけない」 まって。知ってるの? わたしがやろうとしていることを。 「な、なんのこと? もしかして、わたしが早起きしてるの、ヘン?」 なーんてごまかせないかと思ったけど、華鳴池くんの手はわたしを離さない。 「ぜんぶ知ってる。これから起きること」 えっ? 「ぜんぶって?」 「宇宙戦争が起きることも、滅亡後の世界も、月へ行くことも」 あ、まってまって。わたし、そこまでは知らない。 「じゃ、じゃあ、ええっと、ふたりで日本創造することは……?」 口から出任せ。 「あのときはごめん」 あ、まって。ごめんってなに? これから何が起きるの? 「だって、痩せた関取や浮き輪の続きを……」 「まってまって、それ言わないで」 そもそも出任せを現実化する猫がいる世界線だし、うっかりしたこと言わないほうがいいな。ええっと。 「わたし、只野ナミじゃなくなるのよ?」 「どういうこと?」 そうか。わたし、華鳴池くんに両親の離婚のこと言ってないんだ。 「いまのわたしは、落田ナミ」 「そんな未来は知らない」 「そうだよ。言ってないんだよ、華鳴池くんには。言えないんだよ。だから変えたいの、こんな未来は」 「わからないな。たかが名前だろう?」 「そうだけど!」 「宇宙戦争でも、世界線の分裂でも、マイナス次元でもなく、そんなことを変えたいの?」 って、未来に何が起きるのよ、それ。 「来て」 華鳴池くんがわたしの手を引いた。 「痛い」 「テニス部の朝練が終わった。姿を見られたらまずい」 理科実験室。 暗い部屋に斜めの光。 わたしは少し離れて、からだを横向けた。 「わたしの世界線と、あなたの世界線はちがうかもしれない」 「たしかに、そうかもしれない」 「だったら、わたしはわたしの時間を操作したい」 相手が華鳴池くんだからって、これだけは譲れない。 「だめだ。ふたりの世界線が違っていたとしても、ここはまだ分岐まえだ」 だめだって言われたって。 「華鳴池くんはどうしたいの?」 「どう? どうというと?」 「未来から来たんだよね? 宇宙戦争も、これから起きることもすべて知ってるんでしょう? なのにどうして、この時代に来たの?」 「大切な日なんだ」 「大切な日?」 華鳴池くんの姿は少しずつ薄らいでいく。 「俺の人生のなかで……いちばん……」 言葉も朧に、すきま風に溶け始める。 「どういう意味?」 最後は笑顔だけ。 口元のかすかな動きだけを残して、何もかも消えていった。 もうすぐみんな来る。 急いでタイムマシーンに戻る。 コクピットのパネルにはいろんな情報が描かれている。 わたしの脳波を読み取って? わたしが欲しい情報が次々と現れる。 推しの声優の、見逃したデビュー作まで。 いったいどんなテクノロジーなの……? やがて、通信が入る。 ――こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでくださいましたら、『はい』へとお進みください なにこれ……カオルの声……? どうしよう。 あのときの声だ。 ――はい。 胸の中に紡ぐと ――イタズラじゃないって―― カオルの声が返ってきた。 ――イタズラじゃなかったら、どういうことなの? こことオカルト部の部室とがつながってるんだ……。 ――今度はナミが聞いて いったいどういう原理で? ――それじゃあ、ええっと……お父さんが浮気してるみたいだけど、お母さんに言ったほうがいいかな…… わたしの声。 でもだめ! ぜったいだめ! 「いいえ」 強く! もっと強く訴えなきゃいけないのに、「いいえ」しか言えない! こちらからメッセージを送ることはできないの!? マニュアルを出して! パネルの上に表示される操作説明を目で追うけど、その間にもわたしたちの声が流れてくる。 また次の質問。 どう答えればいいの? わたしはあの日のわたしに、何をして欲しいの? ――ナミの下駄箱にガーベラをいれたひとの名前をお教えください わかんないよ! 毎日お風呂に入ってても体臭気になるのに、二日に一度になるんだよ!? それでも過去を変えちゃいけないの!? 華鳴池くん! 教えてよ! いつか! その意味を! タイムマシーンでもとの時間軸にもどると、夕方まで時は過ぎていた。 出発した時間にも戻れるけど、そうすると少しだけ時間の位相がずれるらしい。ていうか、その操作法をまだ知らない。 カバンのなかの教科書。 もう、授業なんかやんないのに、なんで持ち歩いているんだろう。 帰り道で今日もまた違ったアロエの鉢植えをみつけた。4 ドキドキ・シリアス展開
2023年、7月7日。計画は始まった。 遡ること7年前、前防衛大臣が茂原カントリー倶楽部でゴルフをした記録があった。 タイムマシーンで直接ゴルフ場に乗り付ければ警備の手も薄い。そこでなら殺害のチャンスがある。 前大臣はそもそも適正を疑われていたし、国民からは華鳴池くんのお祖父さん、華鳴池テルカモとの交代を期待されていた。 「前大臣は総理の背後組織が推してポストに就いたんだ。大臣の器じゃない」 「殺害すれば自動的に華鳴池くんの祖父君が防衛大臣になられるわ」 華鳴池テルカモは、華鳴池コンツェルンの会長職にあった。旧日本軍時代には兵器開発にも手を染めていたが、いまは牙を抜かれ、造船と宇宙ロケットふたつの部門を残すだけ。 「当時のビデオが残ってる」 と、華鳴池くんは前大臣のビデオを再生する。 「これを見ながら、大臣のすぐとなりにタイムマシーンをワープアウトさせる。あとはドアを開けて、刺すだけだ」 「警備は大丈夫かな?」 「警備はこの位置だから――」映像を止めて、「――たぶん駆けつける時間はないよ」と示す。 「こういうのはニコニコして近づけばいいのよ。警戒されるまえに相手の懐にはいれば、簡単に命を取れるわ」 って、レイカ。どこでそんなこと覚えるのよ。 「だれが実行する?」 カオルが聞いてきた。 実行、すなわち、殺害。 「黒水澤と伊部は14歳だから、いざとなったら刑事責任を問われる。残り三人の誰かがやる」 時間を遡るわけだし、身元がばれる心配はない。それでも、念には念を入れたいと、華鳴池くんが真剣な目を向けると、 「わたしがやるわ」 と、こともなげにレイカが答えた。 「大丈夫? レイカ」 カオルが不安げに尋ねる。 「ヨーロッパ戦線では毎日のように死者が出てるのよ? 放っておけば援軍も来て、地球は滅ぶんでしょう?」 「そうだね」 「それに、みんなで決めたことでしょう? 殺す、って」 なんて割り切りのいい。 「わたし、あなたたちみたいな意気地なし、大嫌い」 集まった期待の視線を振り払うように、レイカは言った。 「いい、レイカ、よく聞いて」って、リコ。 「刺したら、まっすぐ引くんじゃなくて、腹の中で刃をねじって、横に裂くの」 「あ……」 レイカ、一瞬戸惑う。 「わかってるわよ、そのくらい」 「やってみて。手首にスナップを効かせて、刃先が遅れないように、えぐるように裂くの」 「こうでしょう? できるわよそんなの」 わたしにはレイカがそんなに乗り気じゃないように思えた。どこか無理してる。それでも、みんなでやると決めたことだから。 それに、いざとなったらサバトに頼めばすべてを元に戻してくれる。 カオルもリコも気がついていないけど、サバトがこの事件すべての元凶なんだから。 市営グラウンドに落ちた宇宙船は広範囲に規制がかけられていたけど、タイムマシーンを持っているわたしたちにはむしろ好都合だった。宇宙戦争がはじまるまえに戻って、また現在に戻れば、だれもいない宇宙船のなかを自由に探索することができた。 内部はかなり破壊されていたけど、まだ動く部品は残っている。 その部品のひとつを手にして華鳴池くんは言った。 「これをコンツェルンの軍事部門に分析させる」 「軍事部門があるの?」 「あるというか、あった。極秘裏にね。40年前に合衆国政府にみつかって解散させられたけど、そのチームにこれを見せれば興味を持つよ」 40年前と言えば、ちょうどバブルの時期だ。 「あの頃の日本の経済力をもってすれば、宇宙軍を持つのも不可能じゃない」 「うん」 計画は進んでいったけど、その輪郭がはっきり見えてくるほどに、不安は大きくなった。 大人に話さなくていいのかな、って。 でもそれを言うと、 「大人に話したら、タイムマシーンを取り上げられる」 って、カオルが反対。 うん。わたしもなんとなく、そうは思った。 7月10日。 レイカはラケットを大型のサバイバルナイフに持ち替えて、5人でタイムマシーンに乗った。 ニュース映像をつなぎあわせたビデオを再生しながら、ゴルフ場上空でステルス待機。前大臣がひとの輪を離れるタイミングを待った。 上空から俯瞰してゴルフ場の全体像を確認。スキャンして、立体画像をコクピット内に投影。時計を見ながら、目的の8番ホールへと移動。 レイカの緊張が伝わってくる。 「1分前」 華鳴池くんのアナウンス。 目的地へと向けて高度を下げる。 「30秒前」 一瞬だけドアをひらき、ゴーの合図とともにレイカがグリーンに降りる。 計算通り、大臣の視界の外。 機内には緊張が満ちるけど、レイカは落ち着いた様子でターゲットに近づいていく。 大臣が振り向いたときにはレイカと大臣の距離は1メートル。大臣の足が止まる。 実行4秒前。レイカは右手にもったタオルでサバイバルナイフを隠している。 2秒前。警備員が駆け出す。 1秒。レイカのバックスイングから、サーブ。突き刺した。大臣が尻もちをつく。 「失敗」 リコが小さくつぶやく。 「浅い。あれじゃ致命傷にならない」 大臣が叫び始める。レイカはナイフを振り上げ、二撃目を浴びせようとしている。 「止めて! 華鳴池くん!」 わたしが言うと同時にステルス解除。ドアが開く。 「レイカ! もういい! 乗って!」 警備がたじろいでいる。 「早く! チャンスは無限にある!」 レイカの手を握ってマシーンに引き上げると、その肩はガタガタと震えていた。 機体を上昇させながらステルスモード移行、外では銃声が聞こえる。 「こっちの姿を見られた。テレビカメラの正面だった」と、リコ。 「大丈夫。俺たちはこの世界線にはいない人間だ。身元は割れないよ」 たしかにこの世界線ではわたしたちはまだ6歳。いまごろ小学校で給食を食べてるし、ばれることはない。 だけどレイカの震えが止まらない。 カオルが抱きとめて、大丈夫、大丈夫と言って聞かせてるけど、レイカは必死に震える右手を抑え込んでる。 あのレイカが、こんなにも震えてる。 ニコニコして近づけばいい、みんなで決めたことでしょうって、笑いながら言ってたレイカが、唇を白くして震えている。 右手にはリストバンドがある。 テニスの試合のときにいつもつけてる赤いリストバンド。 わたしの胸のなかに過った―― ――レイカはこれから、テニスコートに立つ度に今日のことを思い出すんだ、って。 もとの時間に戻って、ネットを漁ってみると7年前の防衛大臣襲撃のニュースがあった。一時は意識不明に陥ったが、幸い一命はとりとめたとあって、わたしは胸をなでおろした。 リアルタイムのニュースは今日もヨーロッパ戦線の死者数を伝える。 そしてこんなときなのに、世界のどこかでは内戦が始まって、地球人同士で殺し合ってる。 「ごめんなさい。わたしがしくじったから」 ってレイカ。 「もっと簡単に殺せると思った」 そう言って涙をこぼし始める。 まさかこんな風にレイカの涙を見るなんて思ってなかった。 「飼育部のブタと人間様とじゃ、命の重さが違うからね」って、リコが言った。 含みのある言葉だったけど、誰もそれに言い返せなかった。 わたしの通学路にアロエはなくなった。 日曜日、買い物の途中にアロエを見つけたりすると、平日の下校時間に遠回りしてアロエを盗りに行った。 アパートの部屋のまえにはアロエの鉢がもう20を超えた。 「なんか、アロエがどんどん増えていくんだけど、お隣のかな」って、お母さん。 アロエが増えてることは気がついてるみたい。 「うん。隣だよ。こないだ三輪車も勝手に停めてたし」 レイカはしばらく搭乗グループから離れた。 40年前の華鳴池軍事工廠から技術者を連れてくることには成功。 招待された四人の技術者は二年がかりで戦艦を解析。わたしたちは二年後の世界へ飛んで、そこから技術者をまた過去に返した。 家に帰ってテレビをつけると、月の前線基地建設のニュースが流れた。 スペースなんとか構想とか言って、宇宙人の襲来に備えたもので云々――この40年、予算の無駄だと非難されてきたが、先日の宇宙人襲来を受けて世間の評価は一変した、とニュースは伝える。 タイムマシーンで行き来しているわたしたちには、もとの時間軸の記憶が残っていたけど、ふつうのひとたちにその記憶はなかった。 懸案の防衛大臣は、華鳴池コンツェルンが力をつけると、歴史も書き換わり、華鳴池テルカモが大臣の座についていた。てことはまあ、レイカが無理して前大臣を殺す必要もなかったってことなんだけど、そのレイカも、 「まだ試合の決着がついていませんことよ!」 って、わたしに試合をせがむほどには回復を見せた。 しばらく搭乗を見送ってたおかげで、過去の記憶も少し差し替わったんだと思う。 7月20日。本当なら一学期最後の日。 地球周辺の5 ドキドキ・終末生活
波の音が聞こえる……。 三浦海岸だ。 本当は猿島に行くってお父さん言ってたのに、あれ、なんで海水浴になったんだっけ。 足が冷たい……。 こんなとこで寝てたら、潮が満ちてきちゃう……。 「只野」 だれか呼んでる……。 「しっかりしろ、只野」 この声……。 「立てないんだったら、担ぐぞ。ちょっと触るけど、文句言うなよ」 だれだっけ。憧れてたんだ、この声に。 腕を取られる。 脇腹にまわされる手。 ――気持ちいい。 気がつくとわたしは、華鳴池くんにからだを抱き起こされてた。 「ご、ごめんなさい!」 「ああ、気がついたんだ」 「あの、わたし、ひとりで立てるんで……」 と、言ったものの、足に力がはいらない。 「お、おい! ちょっと!」 そのまま引きずられて華鳴池くんも膝をついた。 「ごめんなさい……でも……だいじょう……」 気を失った。 砂浜と夕焼けの間で、わたしは目を覚ました。 焚き火の向こう、華鳴池くんが本を読んでる姿が見えた。 起き上がろうとしたら、 「うぐっ」 って、変な声が漏れた。 「だいじょうぶか?」 読んでいた本を下げて、華鳴池くんが振り向く。 「あ、うん。だいじょうぶ」 「着替え、あるから。着替えるんだったらテントで」 着替え……。 スーパーのタグが付いたものが脇に積まれてる。 華鳴池くんの背後にはテントもある。 「ここはどこ……?」 華鳴池くんは立ち上がって、荷物の山に手を伸ばしている。 「わからない。気がつくと俺も海岸に倒れてた」 「この荷物は?」 「近くに町がある。そこから持ってきた」 「持ってきた? 買ったんじゃなくて?」 「町は廃墟だ。そこらじゅう死体だらけで、野犬がうろついている」 えっ? 華鳴池くんはテントをもうひとつ組み立てながら、 「ここ、持って」 って、布の端っこを差し出す。 「あ、うん」 「こっちのテントは只野が使って。俺と一緒は嫌だろう?」 「とんでもない!」 思わず叫んじゃったけど、とんでもなくもない。冷静に考えたら一緒はダメ。 「あ、あの、べつに嫌とかじゃないけど、でも、着替えとか、寝る場所とか、いろいろあるし、テントはありがとう。嬉しいです」 なんかしどろもどろだけど、華鳴池くんはもくもくとテントを組み立てる。 「バサっといくよ?」 「バサっ?」 華鳴池くんがポール? を組むと、テントは一気にバサっと広がった。 「キャッ!」 「だから言ったのに」 って、華鳴池くんが笑った。 「わたしがどんくさいの知らないの?」 わたしもやっと笑えた。 人類はわたしたちふたりを除いて滅亡した。 これたぶん、タイムマシーンの事故で起きたんだ。 あのとき巻き込まれたのは、わたしとレイカ、カオル、それから華鳴池くん。 「タイムマシーンのこと、覚えてる?」 「ああ。宇宙船のなかにあったやつだろう?」 「あれが2台干渉しあって……」 「2台?」 あ、そうか。華鳴池くんはタイムマシーンを見つけたばっかりだから、そのあとのことは知らないんだ。 わたし、何度か時間を行ったり来たりして、宇宙戦争を回避しようとしたの、って……言って伝わるかなぁ。 目の前には華鳴池くんが昼間、コンビニやショッピングモールで集めてきたカセットコンロや缶詰、ペットボトルが置かれている。 「ごめんなさい」 「なんで只野が謝るの?」 人類が滅亡したの、わたしのせいなんだ。 ――でもそんなこと言えるはずもなく。 「残されたのがわたしで、ごめん」 華鳴池くんは鼻で笑った。 「話し相手ができたんだ。それだけで十分だよ」 よかった。 迷惑だって言われなくって。 話し相手。それだけ。十分。 うん。十分だよ。 人生はじめてのテントはひとりぼっちだった。 昼間ずっと寝ていたせいか寝付けない。 人類が滅亡したとしたら、わたしたちがアダムとイブになる……なんて考えがよぎって、更に眠れなくなった。 13歳だよ、まだ。 次の日、華鳴池くんとふたりで、町に買い物にでかけた。 死体だらけって言われてホラー映画のワンシーンみたいなのを思い浮かべたけど、それほどでもなかった。 「ほらあれ。あれも死体」 って、華鳴池くんが指差す。 「最初は不意に見たもんだからマジでびびった」 華鳴池くんは手のひらで視界を遮りながら、男子と話してるときと同じフランクな口調で話した。 「人類滅亡からどのくらい経ってるんだろう」 「わからない。スーパーの肉や野菜はぜんぶ腐ってた。冷凍食品も」 「冷凍でも?」 「電気がないからね」 「あ、そうか」 大型店舗のカートを押して、電池、照明、カセットコンロのガス、缶詰、調理器具、手当たり次第に漁った。それに発電機。灯油も小分けされたものがある。米もあった。まだ食べられるっぽい。華鳴池くんはレトルトのカレーをわたしに見せる。 「こういうの、食べたことある?」 ちょっとまって。 「カレーでしょう? 華鳴池くん、食べたことないの?」 「どうだろう。調理されたものしか見たことがないから、これの可能性もある」 いや、おかしくない? 「じゃあ、今晩食べてみよう!」 「ああ、うん。でもこれ……どうやって食べるの?」 って、そこから? 「だいじょうぶ! わたしが料理してあげる!」 その晩作ったカレーは――温めてごはんにかけただけで、ぶっちゃけ鍋とカセットコンロでごはんを炊くほうがたいへんだったけど――華鳴池くんのハートをガッツリとつかんだ。 「料理、得意なんだね」って。 「うん。カレーは得意」 なんたって、温めるだけなんだもん。 その後、園芸コーナーで野菜の種や肥料や腐葉土を見つけた。 野菜の育て方の本もある。 お店にはカレールーがあったし、これならオリジナルのカレーに挑戦することもできる! 肉はないけど……と思ってたら、野生化した牛も発見! カレーが作れる! ふたりの暮らしが始まって何日くらい経っただろう。 少し離れたとこの断崖に湧水をみつけた。 ホームセンターで塩ビのハーフパイプを調達して簡単なシャワーを作った。 「今日から真水で体を洗える」 って、華鳴池くんはその場で頭を洗い始める。 水に濡れたシャツが透ける。 「シャンプー持ってくれば良かった」 「まってて、持ってきてあげる」 わたしが駆け出そうとすると、 「まって」 華鳴池くんがわたしの手を取った。 「自分のことは自分でやるよ」 濡れた髪から雫が滴る。 もう目があっただけでドキドキするようなこともないけど、手を取って引き寄せられると、なんかもう無理だった。 「只野の番」 そう言って肩に手をかけられて、水の下に押されるとときめいた。心臓バクバク。滴る水が顔にかかると、華鳴池くんは手のひらで頭にかかる水を後ろに流してくれる。 「わたしだって自分のことは自分でできるからぁ」 わたしは照れ笑い。おでこから後頭部へ、大きな手のひらが髪を撫でる。 冷たい水。シャツが濡れる。 「やっぱり、シャンプー取りに行こうか」 って、あたまをわしゃわしゃしながら聞いてくる。 「いいよ今日は。それよりいま必要なのはタオル」 わたしが言うと、「そうかな?」って、華鳴池くんはシャツを脱いで水を絞って見せた。 わたしのほうに向けた背中、腕に力が入ると肩甲骨が影を作る。 いいよね、男子はそうやって好きに服を脱げて。 「女子はそうはいかないよ」 わたしがシャツの裾をひっぱって絞っていると、両手で目の前にシャツを広げて、 「ほら。これで見えないから、只野も脱いで絞ればいいよ」 って、髪に滴る水を手首で拭った。 「ほんとに見ない?」 広げたシャツの上で、華鳴池くんの顔がうなずく。 そしてわたしがシャツの裾をあげようとすると、いたずらにシャツをずらして見せる。 「ほらー。もー」 「うそうそ。冗談。ぜったい覗かない」 でも別に。ブラつけてるし、下着くらいだったら見られてもいい。 とか思いながらも体をよじったり、胸を押さえたり、なんかこういうのもあざといかなーとか思いながら、わたしもシャツを脱いで絞った。わたしがシャツを脱いでいる間、華鳴池くんの顔は白いカーテンの向こう。 「終わった?」 「もうちょっとー」 「手が震えてきた」 「目を瞑ってくれてたらそれでいいよー」 別に、いいのに。見たって。 地球上に人類はふたりだけ。もう10日は経ったよ。 テントへの帰り道、 「乾かす」 とか言って華鳴池くんはシャツをぐるぐる振り回すものだから、わたしも真似して振り回しながら歩いた。 あられもない姿だけど、華鳴池くんは目線を外したまま。 照れてるのか、それともただ、わたしに魅力がないだけなのか。 でもさ、レイカ。 あなたがどこに行ったか知らないけど、わたしの勝ちだよ。 「ホルスタインって、乳牛だよね?」 ふたり、サバイバルナイフを持って、野生化した牛の背後につけた。 「そうだけど、背に腹は換えられない」 「ふたりで倒せる?」 「倒せる? じゃなくて倒すの! 倒したら一ヶ月焼肉食べ放題よ!」 あんまり警戒してないから近くまでこれたけど、牛、大きい。しかも、臭い。 「うんこ踏んだ」 「うんこくらい平気! 人類滅亡してるのよ!?」 「にゃあ」 にゃあ? って、猫? 「あ……」 って、華鳴池くんも気が付いた。 次の瞬間、黒猫が牛の背中から降りてきた。 「サバト!?」 「サバトって……?」 「オカルト部に居付いてた猫!」 そしてたぶん、今回の事件の黒幕。 サバトはそのまま駆け去った。 「追いかける!」 「オカルト部っていうと、オカッパの子が部長の?」 「そう!」 小走りに駆け出す。 「じゃあ、追いかければ会えるんじゃない? 部長に」 って、部長はカオルじゃなくて、カッパだけどね。 「うん!」 朽ちた6 ドキドキ・修学旅行
「よかったぁ~、間に合って!」 「ナミと華鳴池くん、修学旅行お休みかと思っちゃった」 って、カオルとリコ。 お気楽だなぁ。 なんかこのふたりを見てると、宇宙戦争なんかなかったような気さえしてくる。 でもここ、宇宙船のなかなんだよね。異星人の。 天井の高い広い空間。マットな金属室の柱は有機的なカーブを描いて、ところどころに白い光を浮かべている。市営グラウンドに落ちた戦艦とは少しデザインや材質が違って見えた。 「ま、ふたりにとっては、わたしたちはお邪魔かもしれないけどね!」 って、結局はその話? 「いいよね! ナミは!」 「ラブラブだったんでしょ~?」 環境に慣れるの、早いよ。ふたりとも。 「ところで、宇宙戦争はどうなったの?」 「そう! それよ! 聞いて!」 「ついこないだ、人類滅亡の寸前まで追い詰められてたの、わたしたち!」 「うん。あの通信が入ったころでしょう?」 「そうそう、最後だからナミにもお別れを言っておこうと思って」 「で、そのあとどうなったの?」 「助けに来てくれたんだ、ボラギノール星人が!」 ボラギノール星人……。 「彼ら、ポキール星人と敵対してて、大軍でやってきて一瞬で蹴散らしてくれたの!」 「しかもしかも! 地球の復旧にも協力してくれて、友好の証としてなんと!」 「なんと!」 「なんと?」 「友好の証としてなんと!」 「なんと!」 「わたしたちの中学とボラギノール星第一中学とが姉妹校に!」 「姉妹校に……?」 「そう! なっちゃったの! 姉妹校に!」 つまり? どういうこと? 「いやぁ、いいねぇ、姉妹校」 「そうそう、こんなご時世でしょう? 修学旅行は無理だと諦めてたら、ボラギノール星の修学旅行に参加させてもらうことになっちゃった」 なんだそれ……。 「ここだけの話――」 カオルが耳元に顔を寄せる。 「――華鳴池くんレベルの男子がゾロゾロいる」 えっ? でも…… 「相手は宇宙人でしょう?」 「ノープロブレム!」 「向こうは霊体みたい」 はあ? 「だから、肉体は自在。どうにでもなるって」 どうにでも? 「それで地球人の肉体を参考に仮のボディを作るって言うから、アイドルの写真バンバン送りつけたの!」 あんたたち、なんてことを……。 「ナミも後悔するよー。華鳴池くんよりイイ男いっぱいいるよー」 「いや、でも、宇宙人でしょう?」 「気にしない気にしない!」 「遺伝子とかまでちゃんと解析して、アイドルそのものを再現したって!」 「それもう、アイドル本人って言わない?」 「ごめん、とっくにもう理解超えてる」 「てなわけで! さあ! バスに乗って!」 「バス? この宇宙船で修学旅行じゃないの?」 「それがね、宇宙船のなかにバスがあるのよ!」 「わけわかんない」 「そのバスでバーチャルに再現された京都を旅する!」 わからない……。ボラギノール星人の科学レベルがわからない……。 『ピーーーーーーーッ!』 響き渡るホイッスル。 「それじゃあ、全員揃ったな!」 数学の矢口先生の声とともに、あたりは通い馴れた中学の景色に差し替わった。 校門の向こうにはバスが6台。 生徒の半分はジャニーズとエグザイルとなんとか四十いくつだ。 「いやっほーう!」 カオルが拳を上げる。 「満喫するぜーっ!」 そしてリコとハイタッチ。 バスに乗り込み、バスが走り出すと、バスの窓の外を見慣れたバス通りの街並みが流れ、そのバスのなかリコとカオルは京都のガイドブックを広げる。 「バスのなかで読むと酔わない?」 「平気平気! だってほら、うっぷ……」 「見て、この店! うっぷ……」 気持ち悪くなってんじゃん。 そんなことより。 「ところでさあ。タイムマシーンどうなったの?」 「タイムマシーン?」 「ああ、あれねぇ、軍に接収された」 「接収されたぁ!?」 じゃあ、未来のわたしにタイムマシーンを届けるには軍から取り戻さないといけないの? 「見てこれ! この店の抹茶パフェ!」 タイムマシーンより抹茶パフェ!? カオルがガイドブックを広げて見せるけど、ごめん、わたしバスで文字読めないんだ。 「ほら、ナミが好きななんとかって声優! あのひとも配信してたよ、このパフェ!」 「あ……あのときのパフェ……?」 「そう! ちょっとお高め、千二百円!」 「ちょっとって。ちょっとじゃないよ……千円超えてるじゃん……」 「でも、今回の目玉でしょう!」 「なにはさておいても食べなきゃ!」 修学旅行のお小遣いは、上限五千円って決められていた。 リコもカオルもきっと五千円持って来てる。 だけどわたしは二千五百二十円。 お母さんに言ったら、 「五千円は上限でしょう? うちにはそんなお金ないよ」 って、二千円だけもらった。 あとの五百二十円は貯金箱開けた。 「ハァ……」 「どうしたの、ナミ、溜息なんかついて」 「華鳴池くんと離れてるから寂しいんだよ」 「そんなんじゃない」 でもほんとはそうかも。華鳴池くん、いちばん後ろの席でテニス部のワナビーに挟まれてるし、わたしの隣は冴えないムサ夫だし。って。あれ? レイカの姿がない……。 「レイカはどうしたの?」 修学旅行楽しみにしてるって聞いたんだけど。 「あの子は謹慎中」 ガイドブックから顔も上げずに、リコ。 「謹慎中って?」 「うん。大声で言えないんだけど、ゴルフ場の件、あったでしょう? それで」 「それで、なに?」 カオルが通路から身を乗り出して、わたしに顔を寄せる。 「わたしたち、あの場にはいなかったことになってるの。だからこの件も知らんフリしてて」 ……って。 バレたの……? タイムマシーンで過去に戻ってやったことが、なんで? カオルはさらに声を絞って続ける。 「警察もボラギノール星と協力して動いてるから」 「だからって、レイカだけ差し出したの?」 「しょうがないじゃない。わたしだって人生棒に振りたくはないもん」 後ろの男子が聞き耳を立てている。 まずい。 「ええーっ!? 華鳴池くんとそんなことがあったのーっ!?」 誤魔化すようにカオルが声を上げるけど、わたしちょっといまリアクション無理。 「ごめん、わたし、鴨川が見たいの」 バスを降りて市街地に向かうカオルとリコに言った。 「鴨川?」 「鴨川ってただの川だよ!?」 「うん。まあ、そうなんだけど」 「雨のあとはオオサンショウウオが流れ着く鴨川!」 「カップルの聖地鴨川!」 「カ、カップルの……」 そんな話も聞いた気はする。 「わかった! もしかして……鴨川で華鳴池くんと待ち合わせ!?」 「そ、そんなんじゃないけど!」 「図星だ! 赤くなった!」 赤くなってない。 「それならそうと言ってくれたらいいのに」 そうじゃない。 「お邪魔しても悪いし、ナミのことはほっといて、行きましょ、カオル」 良くも悪くもないけど。 「だよね! ふたりで京都を食べ尽くすぞーっ!」 そう。それ。 わたしが鴨川を選んだ理由、ふたりにも言えなかった。 カップルが等間隔にあいだを開けて座ってる。ただそれだけの川のほとり。ここならお金を使わないで済む。 でも、カップルとカップルの間って座ってもいいのかな。 河原を歩きながら、10年後のわたしが言ってたことを思い出した。 華鳴池くんとは結婚してない――って。 でも23歳でしょう? 23で結婚は早いし、まだわかんない。これで決定じゃないよ。 まだわかんないよ。まだ。 でも――じゃあ、まってればチャンスはあるの? そんなこともわかんないよ。未来のことだし。 わかんない。まだわかんない。そう言い続けてるうちにAIが恋人になっちゃったのかもしれない。 鴨川も早々に飽きちゃって四条通りへ。街を歩くだけなら、ペットボトルのお茶代くらいしかお金はかからなかった。 わたしとカオルたちとの間には、二千四百八十円の壁がある。 二千四百八十円ですらこんなに大きいのに、華鳴池くんとの間には、きっともっと大きな壁がある。 ふと右手に流れてくるファッションビル。ショーウインドウに映る自分の姿が嫌い。自分だけみすぼらしく見える。街は苦手。 その並び、小さな土産屋のなかに矢口先生の姿が見えた。 大きな包を積み上げて、カードで買い物して、配送を頼んでる。 いいな、大人は。 ――早く大人になりたい。 って言ったのはいつだったっけ。 お父さんに怒られて、泣きじゃくりながら言ったんだ。お母さんに。 ――早く大人になりたいって言うひとが、大人になって必ず言う言葉があるんだって。 そのときのお母さんの言葉。 ――なに? ――学生時代にもどりたい。 交差点をいくつか曲がると、話題のカフェが目の前にあった。 こないだ配信で見たパフェのサンプルがガラスの向こうで輝いている。 千二百円。所持金の半分。自由行動の初回でそんなには使えないよ。 ため息を漏らしていると、 「只野さんもそのパフェ食べたいの?」 肩越しに少しキョドった声が聞こえた。 振り返ると、バスで隣に座ってるムサ夫、7 ドキドキ・学園祭
学園艦の長い廊下を抜けると教室であった。 「おはよ……」 と、開きかけたカオルの笑顔がムサ夫の姿を見留めて、つぼみのまま萎れた。 ムサ夫はわたしの少し後ろ。 リコもわたしを見て、そっぽを向ける。 「じゃ」 とか言ってムサ夫は自分の席についた。 わたしも急いで席について、 「奈落に落ちかけたとこ助けられたんだよ、あいつに」 って、カオルの機嫌を伺った。 クラスは学園祭の準備でもちきり。巨大迷路制作用のダンボールが大量に持ち込まれている。 「わたしだって、あんなやつに助けられたくなかったけど、だからって死にたくはないじゃん。手ぇとかつかんできてさぁ。あーもうキモッ」 カオルは覚めた目でふーんとか言うだけ。 それでもまあ、学園祭の準備でいろいろあるから、昼ころにはちゃんと話すようになったけど、親友ってめんどくさい。 校門にはもう学園祭を彩るアーチが出来上がっていた。 各クラスで割り当てたペーパーフラワーが鮮やかなグラデーションを見せる。 ダンボールが足りなくなって、カオルとリコと街へ出ると、商店街はがらーんと静まり返って人の姿はなかった。 店はシャッターが開いたまま放置されて、閉まった店もガラスを割られたり、シャッターこじ開けられたり。大人たちがいなくなった学園艦のなかで、わたしたちは自由だった。 店の裏に積まれたダンボールを集めてると、 「これ、レイカじゃない?」 と、リコが投稿サイトの動画を見せた。 目線を黒く塗られた少女がエグザイルに囲まれて、メントスをくわえたままコーラを一気飲みする動画だった。 「そのエグザイル、偽物だと思う」って、リコ。 つまり、ボラギノール星人の義体。 髪を染めて、ひとめでレイカだとはわからなかったけど、右手には赤いリストバンドがあった。 「ね? レイカでしょ?」って、リコ。 「うん。間違いないと思う」 それにしても、なんでこんな。 「県大会、予選一回戦敗退だからね。そこからおかしくなっちゃったみたい」 「ラケット握ると、手が震えてたもん。あれじゃ無理だよ」 それからレイカは偽エグザイルの部屋に入り浸って、知らない味のうまい棒を食べて、ハッピーターンの粉だけ舐めるようになった。 「負け犬ってこのことよね」 「自業自得だよ」 って、ふたりは言うけど、ゴルフ場の事件のせいだ。 あれでダメになったんだ。 でもそれはわたしたちには禁句。ムサ夫のことで淀んでた空気がやっと晴れたんだ。ここで口にしたらまた面倒なことになる。 ダンボールはもう十分そろったけど―― 「あと、カッターナイフとガムテーム」 「それだったら駅前のスーパーにあると思う」 ダンボールをふたりにまかせて、わたしは駅前のスーパー。 入り口には偽ザイルがたむろしていた。 イケメン……かもしれないけど、なんか、圧があってやだ。店に入ろうとするとこっち見てるし。 「なにか欲しい物あるの?」 素肌にジャケットの俺こんなに腹筋割れてますアピール系の細マッチョが話しかけてきた。 「あの……カッターナイフとガムテープ」 ほんとは答える義務もないんだけど。 「なかは関係者以外立ち入り禁止なんだ。取ってきてやるからまってな」 立入禁止って。なんでこのひとたちに言われなきゃいけないのかな。 「そうですか」 「事務所があっちにあるんで。お茶でもどう?」 それ、ついてったらやばいやつじゃん。 「やっぱりいいです。他の店に行きます」 「なんで? 親切を踏みにじるの?」 あー。これもう。だめなやつかも。終わったかも。 気がつくとまわりをぐるっと囲まれて、偽ザイルは変なダンスを踊り始める。 「どう?」 って、ハッピーターン差し出してくる。 これまるで『AIが考えたエグザイル』じゃない。 「あ、ありがとうございます」 って、断れよ! わたし! ハッピーターンを受け取って見渡すと、少し離れてエグザイルにあるまじき醜い人影があった。 ムサ夫だ。 どうしよう。 じっと目を合わせてると、 「だれ? 知り合い?」 って、細マッチョも気がつく。 小さくうなずくとムサ夫がこっちに歩いてくる。 これでもしかしたら、抜け出せるかもしんない。 ムサ夫はわたしの横まで来ると手を取って、 「行こう」 って。 でもどうしよう。カオルたちに見られたら、また変な目で見られる。 戸惑っていたら鈍いゴッという音が聞こえて、ムサ夫が膝をついた。血が滴る。 「ああ、ごめん。ぶつかったみたい」 「そんなとこにいるから肘が当たるんだよ」 「帰ったほうがいいんじゃない?」 偽ザイルはにやけた笑いを浮かべている。 抜け出せるどころか、逆に大ピンチ。 どうしよう。 コイツを足蹴にして偽ザイルに媚びれば、わたしは助かる。あいつらの部屋で知らない味のうまい棒食べるほうが、殴られるよりずっといい。 戸惑っているとムサ夫が顔を上げる。 「ナミさん。僕は、あなたのためなら死ねる」 ムサ夫の口からゆっくりと漏れる。手にはナイフが光る。でもちょっとまって。そんな風に好きになられても困る。ムサ夫は口の血を拭って、立ち上がって……が、偽ザイルの運動神経が上回った。一瞬でムサ夫の手からナイフを奪い取ると、その腕を背中にひねり上げた。 半裸男が噛んでたガムを吐き捨てる。 「ねえ、彼女。彼氏の不始末、どうしてくれるの?」 って、本物のエグザイルはそんなこと言わない! なんか映画とかのイメージ混ざってる! 店のなかから戻った前髪邪魔そうザイルがガムテープを放り、受け取った半裸変態クネクネザイルが、「彼女にも責任は取ってもらうからね」って、ムサ夫を縛り上げる。 「だから、わたしそいつの彼女でもなんでもないんだってば! 嫌い! 大嫌い! そんなやつ殺してよ!」 ムサ夫には悪いけど―― 「あんたわたしのために死ねるって言ったんだから、死になさいよ! ここで! わたしあんたの仲間じゃないんだから!」 と、わたしの自分でもびっくりするようなクズっぷりが頂点に達した時、銃声が聞こえた。 空気を震わせるその音が長く長くこだまを引く。 同時に偽ザイルのひとりの胸から赤い血がアーチを描いた。 再度、銃声。 偽ザイルがもうひとり倒れた。 警戒して背を屈める偽ザイルたち。 それを小銃を構えた背広の男たちが四方から現れて取り囲む。 偽ザイルは不利を悟ったか、ナイフを捨てて手を挙げるけど、背広男は容赦ない。一人ずつ至近距離で頭を撃ち抜く。 背広はスーパーのなかも確認。いくつかの銃声。そのあとで、 「安全確保いたしました。テル様」 無線機で連絡を取る。 ――テル様? 駅前通りの方から華鳴池くんが姿を見せた。 「だいじょうぶか? 只野」 「だ、だいじょうぶだけど、これって……なに……?」 「俺の個人的なボディーガード」 ボディーガードって……小銃持ってるんですけど……? それに―― 「大人はこの艦には乗ってないはずでは?」 「学園内での警備の便をはかるため、特別に学生証を持たせている。ああ見えても高校生だ」 いや、それ、わたしはいいけど、ポキール星人はそれで納得するの? 「只野さん、冷たいんだなぁ」 公園でアイスを食べながらムサ夫は言った。 ほんとうは華鳴池くんも誘ったけど、なんか、用事があるとか。成り行きでムサ夫とデートみたいになった。まただ。んもう。 「そう? わたしこれでもよく気が回るって言われるんだけど」 助けてもらったお礼にアイス奢ってあげたんだから、冷たいなんて言われる筋合いはないもん。奢ってあげたっていうか、コンビニからタダで持ってきただけだけど。 「僕のこと、そんなに嫌いですか」 「大嫌い」 好き嫌いなんて感情も沸かないくらい。 「眼中にもない感じ。わたしの世界に入ってこないでほしい」 「ショックだなぁ」 「だったらわたしなんかと関わんなきゃいいのに。そうすればわたしもこんな嫌なセリフ吐かずに済んだ」 「二回目だ。それ言われたの」 「ふーん」 じゃあ、あんたがそういうひとってことで決定じゃん。 「ほぼ同じことを三千堂さんから言われた」 レイカに? 「わたしが酷いこと言うのはぜんぶあなたのせい……」 って! 「わたしはあの子とは違う!」 思わず大声が出た。 「そうかな。僕にとっては同じだよ」 「それはあなたが……!」 「僕が? 僕がなに?」 「それは……」 「言っていいよ。ブサイクだからって。小学校の頃から言われて、慣れてるから」 「言ってないでしょ、そんなこと!」 「でも、顔ってそんなに重要じゃないと思う」 いや、だからってそれは違う。重要。 ムサ夫はブサイクな顔の割れ目に張り付いたタラコで喋り続けた。 「だって、家族も親友も顔で選んだり分け隔てたりしない。彼氏彼女だからって顔が重要だなんてことはないって……」 「……ないって?」 「……あるひとが、そう言った」 「あるひと?」 「……ああ、うん。あるひと。僕、そのひとからしかバレンタインデーのチョコもらったことない」 「へーえ。もしかしてそれ自慢なんだ。そんなひといるんだ。あんたにも」 学校に戻ると、学園祭のアーチが破壊されてた。 黙々と修理する生徒たちのなかに、リコとカオルの姿が見える。 「どうしたの、これ」 「少女Aがやったんだよ」 知らない男子生徒が答える。 「だれ?」 「レイカのこと。みんなそう呼んでる。少女Aって」 カオルがペーパーフラワーのホコリを払う。 「どうして?」 「殺人未遂犯だからね。退学になってないのが不思議だって」 リコの表情も曇ったまま。淡々と口にだした。 「でも、なんのためにこんなことを?」 「嫌がらせだよ。もう学校でチヤホヤされないもんだからさ」 まあ、レイカだったらやるかもしれないけど。でも―― 「いいの? わたしたち、これで――」 わたしが言いかけた言葉を 「いいのよ!」 って、カオルが大声で制する。 それ以上なにも言わなかったけど、ゴルフ場のことは喋るなってことだ。 「だいじょうぶだよ。カオルもリコも親友だから」 睨みつけるカオルにもごもごと言い訳した。 三人でわたしのパフェ代を出しあった。ふたりとも修学旅行のお小遣い、半分しか使わないでいてくれた。ふたりを裏切る気はない。でもさ。 「でも、レイカだって辛いと思うよ」 「あんた、バカじゃないの?」って、カオル。冷たい目。 「いじめられてたのよ、あんた。気がついてないの?」 「わたしはべつに、そんなつもりない」 「ナミは優しいからー」ってリコ。呆れたような笑顔で、「でも、うっかりレイカ庇ってると、次にターゲットになるのはナミだよ?」って。 レイカのロッカーには大量の落書きがあった。 ババァ、整形ブス、脳筋女、尻軽、クソビッチ。 うまい棒をくわえてピースサインをするプリントもある。 あのプライドが高かったレイカが、庶民のお菓子、うまい棒をおいしそうに……。 わたしは耐えられなかった。その場でプリントを剥ぎ取って捨てた。 次の日、わたしのロッカーにも写真が貼られていた。着替えてるとこの写真。盗撮だ。すぐに剥ぎ取って丸めたけど、カオルもリコもなにも言わないで、こっちを睨んでた。 ああ、そうでしょうよ! わたしを庇ったらつぎは自分だもんね! 無視するしかないよね! でも、カオルは知ってるでしょう? 見てたはずだよ! あのときレイカがどのくらい震えてたか! 防衛大臣を殺すって決めたの、わたしたちなんだよ!? 学園祭当日。 わたしたちのクラスの立体迷路は閑古鳥が鳴いてた。 そもそも大人たちがいない世界で、生徒以外に訪れるひともなく、その生徒の多くは講堂で開催されるスペシャルフェスに集まってた。 スペシャルフェスは個人やグループが自由にエントリーできるライブ。バンドで出るひと、アカペラで歌うひと、コントを披露するひとがいて、そのなかにムサ夫――早江内スエキチもいた。 スエキチ・サウンド・ミーツ・パーティと題された舞台のうえにはDJブースが設置された。派手なキャップとサングラスをつけたスエキチが指をくるくるとまわしながら登場、ブースに入るとともに爆音が轟いた。聞き覚えのある曲が小気味よくリフレインされる。そのリズムでからだを揺らしているひとがいる。三年生もだ。二年生のスエキチのプレイで、学校じゅうのみんながからだを揺らしている。ブサイクなのに。スエキチは会場のノリに合わせて音をコントロール、ちいさなうねりを見つけると、それを大きなうねりに変えて見せる。 乗ってないのはわたしとリコとカオルだけ。 「行こう」ってカオルが合図する。 図書室の『メルヘンカフェ』でハーブティを飲みながら、 「陰キャのくせに」 ってカオルが言った。 「なんかさ。落ち込むよね」 「落ち込むって?」 「ムサ夫、あの才能があるから、自信持って言えるんだ。顔は関係ないって」 「あいつそんなこと言ったの?」 「あ……ああ、うん。なんか、言われたんだって。だれかに」 「だれかに」 「バレンタインにチョコもらったって。そのひとから」 「うそーん」 「人生で唯一チョコもらえたって、自慢してた」 「それ、お母さんじゃん」 お母さん……? 「そういう与太話真に受けるから、ナミは」 「でも、あんなの才能っていうかなぁ。他人の曲鳴らしてるだけだよ?」 と、カオルが言うと、さすがにそこにはリコも「いやいや」と口を挟んだ。 「ああやって鳴らすの、案外センス要るんだってば」 「まあ、カオルの場合は謎の才能隠し持ってるからわかんないけど、わたしには無理」 「そのまえのバンドは良かったよね?」 「ああ、あっちは本物の才能だと思う」 話題はスペシャルフェスの他の出場者のことに移った。 いろんなこと話して、しみじみとリコが言った。 「みんな『何者か』になりたいんだよね」 って。 「先生は『何者にもなれなくったっていい』って言うけど、何者かにならないと見向きもされない」 「そうなのよ。わたしのような隠れ才能のカタマリならいいけど、ナミだったらどう・すん・の、って話でしょう?」 「それ、冗談になってない。普通に傷つくから」 華鳴池くんは雲の上のひと。お月様。スエキチは泥に塗れたスッポン。だと思ってたのに。わたしがいちばんダメな子じゃん。 「来年は三人で出て、こっくりさんやろっか?」 「うわー。地味ー」 学園艦は太陽系外からいっきに木星軌道にワープアウト。 学園祭も終わる頃には火星軌道の少し内側にまで到達していた。 火星の衛星、フォボス、ダイモスの影が遠くに見えて、モニターに拡大してみると奇妙に凸凹したじゃがいものような形をしていた。 「あなたに庇われるの、迷惑なんだけど」 宇宙船のなかの作り物の校舎、作り物の屋上、作り物の空の下でレイカは言った。 「庇ってるっていうか、あたりまえのことしか言ってないよ」 ひさしぶりに呼び出されたから、またテニスの試合とか言い出すのかと思った。 「言うようになったじゃない」 髪を染めて口紅を引いたレイカはとても大人びて見えた。 「ごめんなさい。わたしのせいで……」 「わたしのせい? なにが?」 制服の上には淡紅色のスカジャン。レイカの身振りのひとつひとつがスパンコールを煌めかせる。 「いまのわたし、人生で最高に幸せなの。それがあなたのせい? それを庇ってくれてるって? 冗談はよしてよ!」 もういいよ。そんな言い方するんだったら。 「うん。じゃあ安心した」 そう言ってやると、レイカはポケットから個装のハッピーターンを取り出して、口にくわえた。 「テルとはどこまで行ったの?」 「どこまでって?」 「人類滅亡後の世界にいたんでしょう? ふたりで」 なんだかんだいって、やっぱそこ気にしてんじゃん。 「とくになんもないよ」 「なにそれ。わたしに気を使ってるの?」 「ほんとになにもないんだってば」 「どうだか」 レイカの目は人差し指と中指とにはさんだハッピーターンを通して、遠くを見ていた。 「レイカはどうしてたの? タイムマシーンの事故の後」 「わたしは10年後の未来にいたわ」 「10年後!?」 「そう。10年後の月面基地」 それって、未来のわたしもいるはずの場所。 「だから、ぜんぶ知ってる」 「ぜんぶ?」 「これからわたしがどうなるか、ぜんぶ知ってる」 「どう……なるか? どうなるかって、どういうこと?」 ――レイカは? 三千堂レイカ。あの子はどうなった……? ――三千堂レイカ……あの子は…… ――あの子は? あの子はなに? ――なんでもない。言うと歴史が変わる。 「もしかして……?」 ……レイカ、死んじゃうの……? だから未来のわたしは、なにも教えてくれなかったんだ。 事故? それとも他殺……? あるいは…… 「わたし、あなたを助けたい」 「ハッ。おかしな子。急になにを言い出すの?」 レイカにかかわったらまたカオルとリコになにか言われる。 でも放っておいたらレイカは…… 「小学校三年のとき、ヘアクリップもらったよね」 「なにそれ、そんな昔の話、覚えてるわけないじゃない」 「赤いクリップ。可愛いって言ったらくれたの。でもわたし似合わないから、部屋でこっそりつけてみただけで、学校にはつけてこれなくて……」 「へぇ。それがどうしたの?」 「わたしたち、友達だったよね! そしていまも! 友達だよね!」 「ハッ! そういうのをやめてって言ってるの、わからないかな?」 「いまも持ってるから……」 「あなたに会ったのは失敗だったわ。まったく」 レイカはポケットからまたハッピーターンを取り出して、食べながら屋上をあとにした。 大人たちが消え、だれもいない職員室には、それでも近づきがたいオーラがあった。 ここに平気で入れるのは、学級委員長や風紀委員、あとは何人かの成績優秀な子だけ。わたしなんかが入ろうとすると分厚い空気の壁があった。 それでもわたしは……わたしには……やることがあった。 真白先生の席の斜向い、矢口先生の席。椅子には上着がかけられている。 あたりにはひともいない。 いまならやれる。 わたしは矢口先生の上着から財布を抜き取った。 その足でオカルト部へ。 部室には飼育部のブタが放されてる。 臭い。 なにこれ。 いや、そんなことはどうでもいい。 わたしは矢口先生の財布から抜き取った百円玉8枚を机の上に叩きつけた。 「あなたたちとは絶交する!」 「はあ? いきなりどうしたの?」 「そのお金はなに?」 「あなたたちに出してもらったパフェ代! これ、返す!」 「ていうか、そのお金どうしたの?」 「矢口先生の財布から盗んだ!」 「そこまでして絶交!?」 「ホワ~イ?」 「わたし、レイカを助けたい」 「またその話?」 「あの子、このままだと自殺しちゃう」 「いいよ。勝手に死なせておけば」 「もう聞かない! 絶交は成立したんだから、あなたたちの言葉なんか知らない!」 レイカだってそりゃあ悪いよ。 そんなことはわかってる。 だからって放っておいて何があるっていうの? それにわたし、カオルとリコのせいで早江内くんにお礼も言ってない。 わたしの気持ちを伝えるのに、なんであなたたちのこと考えなきゃいけないわけ? 次の日、学校についてロッカーを見ると、相変わらず落書きと張り紙でいっぱいだった。わたしのロッカーだけでなく、レイカのロッカーも……それに、カオルと……リコのロッカーも……? 「いやあ、派手にやられましたなぁ」 って、いつのまに現れたのか、リコ。 「うわ。盗撮写真だよ。どこで撮ったんだよ。気持ち悪っ」 カオルも。 「どうしてふたりまで?」 「昨日、ナミのロッカーの落書き消してやったの」 「そうしたらこの通り。やられましたわー」 「カオル……リコ……」 「手ぇ出して、ナミ」 「手?」 言われるがままわたしが手をだすと、カオルとリコが温かくなった百円玉を4枚ずつ握らせた。 「これで絶交は不成立」って、カオル。 「やり返すよ、ナミ!」ってリコ。 「うん! やり返す!」 月曜朝の全校集会。 オカルト部からの重大発表というていで、カオルとわたし、それからリコがマイクを持って朝礼台に立った。生徒たちのなかに華鳴池テルの姿もある。 目的は、防衛大臣殺害未遂の真相を語ること。 「みなさん! 静かに聞いてください!」 カオルが声を上げる。 「オカルト部、および飼育部、それから帰宅部合同で重大な発表があります」 校庭に並んだ生徒たちがざわめく。 「現在、三千堂レイカにかかっている防衛大臣殺害未遂容疑ですが……あの計画はわたしたちで立てました!」 「そう! だからレイカだけを責めるのは間違ってる! 責任はわたしたちにあるし、すべてこの地球をまもるためのものでした!」 戸惑いが広がる。 あたりと顔を見合わせるもの、露骨に怪訝な表情をするもの、やがて「てめーら何考えてんだ!」の声が上がると、堰を切ったように怒号が溢れ出す。 ここまでは予想通り。 「関係者は、三千堂レイカとここにいる黒水澤カオル、伊部リコ、只野ナミ……」 カオルが淡々と告げると怒号はますます大きくなる。だけど―― 「そしてもうひとり……」 これを聞けば聴衆の反応も変わるはず。華鳴池くんが動いているとなると反対できるものは少ない。 「タイムマシーンの操縦桿を握っていたのが……」 そこまで言ったとき、カオルの後頭部に小銃が突きつけられた。 わたしも、リコも、となりには背広姿の男が立ち銃口を向ける。 ――華鳴池くん! 校庭には華鳴池くんに小銃を向けた姿も見えた。 華鳴池くんにまで……喋るなってこと? たしかに華鳴池財閥の御曹司が大臣暗殺に関わっていたとなると大問題。華鳴池くんがそれで良くても、大人たちには都合が悪い。 だけど、大人の都合なんか知らない! わたしたちは、本当のことを言うと決めた! 「わたしが言う」 カオルに告げると、何本もの小銃がいっせいにわたしに向きを変えた。 これは……いきがってはみたけど、ぜんぶ言い終えないうちに蜂の巣にされておしまいだ。学園艦のなかの事件なんて、世間に報道されることもない。 ――これで死ぬのか。 そう思った瞬間、生徒たちはみんな一斉に片足でけんけんと右に動き始めた。 これは!? 生徒ばかりか、背広の小銃男たちも!? 片足でけんけんと!? いったいなにを? と思っていたらわたしたちもからだをゆすられるようにして片足を上げて、バランスを取ってけんけんするしかなくなった。 けんけんけん。 けんけんけん。 「地面がななめってる!」 リコが叫ぶ。 そういうことか。空までぜんぶ傾いてるとわかんないもんだな。 生徒も背広もわたしたちも斜めになった校庭を端っこへと転がされていく。 ――緊急校内放送。 ――ただいま、地球からの重力砲による攻撃を検出しました。 地球からの!? 攻撃!? 学園艦の壁に映された見慣れた街並みが消えると、巨大なスクリーンに地球の姿が見えた。いつのまにこんな近くまで! ――学園艦は二分後に落下します。 早いよ! ――全校生徒は机の下などに隠れて、衝撃に備えてください。 それでなんとかなるもんなの!? ――繰り返しお知らせいたします。 って、放送委員! ――ただいま、地球からの重力砲による攻撃を検出しました。 なんでそんなに冷静なの!?8 ドキドキ・東幡豆革命軍
白い壁…… 点滴…… わたし……どうしたんだろう…… 「気がついたようだな」 マスカレードみたいな仮面をつけた男が声をかけてきた。 「ここは?」 「東幡豆革命軍の桃の湯支部だ」 「かくめい……もものゆ……?」 「10年ほどまえに閉鎖された銭湯、桃の湯。そこをそのまま利用している」 「あ、ああ……あそこ……?」 本当は知らないけど。 「とにかく、無事でなにより。きみたちの船は地球=ボラギノール連合の攻撃で撃墜されたんだ」 別の仮面の男が応える。 「ほかの乗組員は?」 「大多数は我々が保護した」 女子もいる。わたしのベッドのまわりに4~5人の仮面の子がいるけど、いずれにしてもわたしたちと同じくらいの歳に思える。そのなかに―― 「あっ……」 「どうした?」 派手なキャップとサングラスをかけた子がいた。 アバタ顔にタラコ唇。 「スエキチくん?」 わたしが口にするとキャップの男は振り向いたけど、仮面の男が制する。 「ここでは名前を呼んではいけない」 「どうして?」 「素性がバレたら敵に反撃の機会を与える。ここではみな下駄箱の番号で呼ばれる」 「下駄箱の番号……」 「君は、《への十八番》だ」 そういうと男は、下駄箱の鍵を差し出した。 案内されて下駄箱を開けると、わたしの靴と、ひょっとこの面が入ってた。 ほかのお面はなかったんだろうか。 「三週間目覚めなかったんだ。あのまま眠り続けるのかと思ったよ」 わたしを案内してくれたキャップの男は言った。 「学園艦にいたひとはみんな無事だ。でも、世界が無事じゃない」 「世界が無事じゃない?」 「地球とボラギノール星の連合政府が好き勝手やってる」 「好き勝手……具体的には?」 「下着の色、髪型、若者が聞くべき音楽までことこまかく決めて、逆らうと国民カードに刻印が押されるんだ」 「なんてことなの……」 「刻印を押されたらもう大手企業には就職できない。派遣企業に登録されて、一生を奴隷として過ごすしかなくなる」 「それでみんな顔を隠してるんだね……」 「ああ。だけど本当は、僕だって有名になりたいよ。名前がないままで死にたくはない」 そういってスエキチ……じゃなかった、キャップの男は講堂のまえで足を止めた。 「ついたよ」 そこは彼らの集会場だった。これからリーダーの演説がある。 並べられたパイプ椅子に座るとすぐ、 「かーーーくーーーめーーーいーーーぐーーーんーーーのーーー!」 舞台袖から声が聞こえた。 「この声、聞き覚えがある」 マスクとブタ鼻をつけて革命軍リーダーの登場。 「諸君!」 ポーズをつけてスカートが揺れる。 「よく集まって来てくれたぁっ!」 「これ、知ってるひとだ」 「彼女は《ぬの五番》。ここではリーダーも番号で呼ぶんだ」 割れんばかりの拍手の中、飼育部副部長、伊部リコ――じゃなかった、革命軍リーダーの演説が始まった。 「革命軍の諸君! まず最初に、われわれの目的を再確認しておきたい! われわれの目的は、防衛大臣暗殺未遂容疑で捕まった《いの一番》の奪還である!」 《いの一番》。それがわたしたちの間での三千堂レイカの呼び名だった。 「そして《いの一番》奪還ののちは、地球=ボラギノール連合政府を叩き潰す!」 会場が湧き上がる。 「全力で叩き潰す!」 更に湧き上がる。 「てってー的に叩き潰す!」 異様なほどに盛り上がる。 アパートに帰ると、お母さんは二百円で買った中古のブラウン管テレビでお笑い番組を見ていた。逆にどこに売ってるんだ、そんなテレビ。 「あのね、お母さん」 「ああ、まって。いま四千頭身だから、それが終わってから」 お母さんは四千頭身っていうお笑いグループの大ファン。 ネタが良いのはわかるけど、よく笑えるな。いまのこの状況で。 「で? なんだっけ?」 四千頭身がはけて振り返ったお母さんは酒臭かった。 「あのね。わたし、革命軍に入るかもしれない」 「革命軍? いったいなんでまた?」 「誘われたの」 「だれに?」 「言えない」 「それじゃあダメだな」 「でも、革命軍に入って世界を変えないと、地球はボラギノール星人に乗っ取られちゃう!」 「ハッ。すっかり染まってんじゃねぇか」 「……染まってるって?」 「連中、二言目には必ずそれだ。エグザイルもなんとか四十いくつも、なかみはぜんぶボラギノール星人だ、って」 「だって、そうなんだってば」 「それで、ポキール星人と協力してゲリラ活動をしてるんだろう? どっちが悪者か、よーく考えてみるんだな」 「ボラギノール星人が悪い」 「連中が地球の滅亡を救ってくれたんだぞ? それを悪く言うのか?」 「ボラギノール星人が地球人を堕落させてるって、みんな言ってる」 「みんながどう言ってるかじゃない。おまえがどう思うか、だよ」 「わたしもそう思う」 「どうして」 だって。 「お母さん、リーダーが『全力で叩き潰す!』って言ったときの会場の盛り上がりを知らないからそう言うんだよ!」 「大事なのは盛り上がりじゃないよ。話の中身だよ」 あーもう! お母さんのわからずや! 「たいへんだ!《いの一番》が移送されてる!」 テレビのニュースがモザイクのなかに『少女A』の姿を映す。 事件の凶悪性を鑑み、審判の舞台が家庭裁判所から軍事法廷へと変更された。それにともなって、少女A、つまり三千堂レイカは軍の官舎で監視付きの生活を余儀なくされるという。 すぐにポキール星人よりもたらされた9 ドキドキ・月面基地
2025年。3月。 カオルとリコとわたし、それぞれ別の高校に進学が決まった。 卒業式。列席の卒業生、保護者、その最後尾にレイカの写真を持った夫婦の姿があった。 先生も来賓も、だれももうレイカのことを振り返らない。 「不幸な事故も起きましたが」 たったそのひとことが、レイカに向けられた言葉だった。 あのとき――中二の秋――カオルとリコと絶交してたらなにか変わったんだろうか。ふたりと絶交してレイカのことを庇っていたら。彼女の決断を、変えることができたんだろうか。 憧れた華鳴池くんは海外留学のために転校……と言われているけども、転校前の姿を見たものはいない。おそらく、例の事故に巻き込まれたんだと思う。 それから更に8年の時が流れ、わたしは月面の新政府ベースにいた。 わたしの高校卒業とときを同じくしてポキール星人再襲来。不意を突かれた人類は壊滅、運良く月の基地に逃れたもの以外はこの世を去った。 月では時空間振動収束装置の開発が急がれていた。 ポキール星人のタイムマシーンを手にして以来、地球周辺の時空間位相に歪みが現れ、このまま放置していれば宇宙人の手によらずとも人類は滅亡、地球ごと宇宙の外にはじき出されると予測されていた。 研究者によれば、わたしたちはもう何度か繰り返された時間軸を生きているのだという。しかもそれが複雑で、痕跡を辿ることすらもう難しい。 その修復のために、当初は人型兵器『少女A』の開発が進められたが、その途上で問題が明らかになった。巨大すぎて、反応炉での次元振動波の収束に乱れが出るのだ。『少女A』に先立って開発された『少年A』はリアクター起動時の次元振動で東京を壊滅させ、のちに静岡県浜松市竜ヶ岩洞に築かれた極秘軍需工場内で再度の事故を引き起こした。 このとき、多くの少年少女たちが、事故に巻き込まれ、時空の狭間に消えたという。 わたしたちはこれを猫の大きさにまで圧縮し、設計し直すしかなかった。 すぐに太陽にプロープが打ち込まれ、マイクロ波によるエネルギー移送が開始された。 研究室に戻ると、入り口のまえに白い少女の影があった。 少女はわたしの姿を見留めると踵を返し、廊下の奥へ。 彼女の姿を見たのはこれでもう三度目。あとを追ったところで、その姿は壁のまえで消えている。たぶん、三千堂レイカの幽霊。 あのとき助けられなかったことを恨んでるんだ。 部屋にはいると、アロエの鉢植えが迎えてくれる。 中学の頃からずっと好きだったアロエに、わたしはやっと花を咲かせていた。 時空間振動収束装置の完成には目処が立ってきたが、それで時空間異常を修復するには、それを10年前の過去に送る必要があった。 かつてわたしはタイムマシーンに乗ったことがある。 あのタイムマシーンがあれば、いまの世界を修復することができる。 だけどあのタイムマシーンは、国に接収され、その後どうなったかの記録は残されていない。手に入れるには、過去のわたしたちに頼るしかない。 ポキール星人の遺品を使えば、過去のわたしたちとコンタクトすることはできたが、精度は低かった。 それでもデータを取り、研究を重ね、わたしは10年前の父とのコンタクトに成功した。 父はこの直後に不倫を疑われて離婚、更に2年後のポキール星人襲撃で命を落とした。父からのメールの返事を見ると涙がこぼれた。 だけど父が死んだのは飽くまでもわたしの時間軸での話。まだ決まっていない未来のことで不安がらせてはいけない。 わたしの目的はあくまでも10年前のわたし自身。 なんとしても時空間振動収束装置をその時代に移送する必要がある。 父からは、最初はアダルト系のボットとしか思われてなかったけど、あらゆる手を尽くしてコンタクトを続けた。学校のカッパ像のまえまで連れ出せたら、もっと通信の精度が上がるけど、いまはメールが限界。 ――オカルトには興味ありませんか? ――いや、中学で卒業しました。 ――娘さんは中学生でしたよね? ――ああ、そうそう、友達とコックリさんをやったって話してましたよ。 ――お父さんもコックリさんやられてみたらどうですか? いろいろと知りたいことがあるんじゃないですか? ――そうですね。娘の進路でも聞いてみますか。ほかに知りたいこともない。 無理だった。 あの父が、わたしのことをちゃんと考えていただなんて。 父とのコンタクトを終える度に泣きはらした。 何度正体をばらそうと思ったかわからない。 翌日は懐かしい来客。 カオルは少し髪を伸ばして、ゆるやかなパーマをかけていた。 「探してたもの、みつかったよー」 と、カッパ像の破片を届けてくれた。 「でも破片だよ? これで通信できるの?」 「ポキールの技術はナノパターンよりさらに微細な光学ホログラムで施されてるの」 「なにそれ」 「どんなに小さく割っても機能は損なわれない。だから、たとえば事故にあって、装甲の半分がふっとんだとしても、精度が下がるだけで機能は失われないの」 「あ、そういうことだったんだ」 カオルの左手薬指にはリングがあった。 「もうすぐ結婚式だっけ?」 「うん。家族で食事するだけだけどね」 カオルは少し照れて指輪を手で隠した。 「ナミは華鳴池くんとゴールインすると思ってた」 「なにそれ。華鳴池くんとは中学のほんの短い時期だけよ。しかもちょっとお話したくらい」 「関係ないよ。わたし、オカルト部の副部長よ? カンが働くの。本当の時間軸では、きっと結ばれる」 「ありがとう。そうなるといいんだけどね。いまのわたしはAIが恋人」 「あら、それは残念」 AIの名前はテル。同僚には「いろんなことを教えてくれるから、英語のtellから」ってごまかしてるけど、カオルに言えばネタ元はすぐにバレる。 「最近増えてるよ。AIが恋人」 「らしいね」 「うん。子どもを持ちたいなんて思わなかったら、パートナーはネット越しのだれかでいいし、最近のAIはどんなひとと話してるより楽しいし、頼りになる」 「そうみたいね。失敗したかなぁ」 カオルはおなかを撫でてみせた。 こないだ見た時はわからなかったけど、今日見ると少し大きくなっているのがわかった。 「人類滅亡するのに、どうなっちゃうんだろう、この子」 昼間は研究棟で、コードネーム『黒猫』の完成を見守った。 太陽に打ち込んだプロープは自己再結晶性金属で構成され、熱で変形を受けても自動的に復元し、摂氏六千度でもっとも効率よくエネルギーを採取する。 『黒猫』にはもう、地上で消費される電力の7万年分が投入された。 自分の部屋に戻ると、またレイカの姿が見えた。 13歳のままの姿。手首には赤いリストバンド。 わたしを苛むかのような目を一瞬だけ向けて通り過ぎる。 「お疲れのようですね」 「うん。ちょっとね」 「なにがあったんですか?」 「ねえ、テル。AIって、幽霊なんか信じないよね?」 「定義次第です。別次元との接続があれば、向こうの世界の人物が幽霊として見えることも考えられます」 「そうか……そういうふうにも考えられるんだ」 「幽霊に関するデータを収集しましょうか?」 「いや、いい。オカルトはオカルトのままのほうが楽しいし」 「わかりました」 わたしの部屋の隅のアロエに目を移した。 「わたし、アロエに花が咲くなんて知らなかったんだ。中学のころ」 「そうですね。あまり知られてはいないようです」 「アロエに花が咲くんだったら、わたしもいつか……」 「人間とアロエは違います」 「それはそうだけど……。ねえ、テル。人間にとって結婚ってなんだろう……。繁殖して、種を残すためのものだとしたら、それは種の都合でしょう? なんで個人がそんなものに囚われるのだろう……」 「結婚とは純粋にパートナーを得る行為を指します」 「パートナーを。それ、意味あるのかな」 「人間のコミュニケーションには2通りのものがあります」 「ほう。というと?」 「ひとつは他者とのコミュニケーション、もうひとつは自分自身とのコミュニケーション」 「で?」 「他者とのコミュニケーションは言葉によってなされます。人間は言葉を身につけるために、多くの現実のディティールを捨象していきます」 「あ、ちょっとよくわかんない。捨象ってなに?」 「たとえば誰かが『カブトムシを見つけた』と言ったとします」 「ああ、うん、カブトムシ見つけたー、わーい、って」 「聞いた方は角の生えたカブトムシを想像します」 「ああ、うん、普通はね」 「でもそのカブトムシはメスかもしれません」 「ああ、なるほど。それらが捨象されてる、と」 「そうやって不要なものを捨て、言葉によって選抜した象徴の海のなかに、コミュニケーションに特化した『自我』というものが生まれます」 「あー。よくわかんないけどわかった。それが、他者とのコミュニケーションね。自分とのコミュニケーションは?」 「捨て去ったもの、名前のないもの、それらを使ったコミュニケーション」 「一気にわけわかんなくなった」 「おとなになる過程で捨ててきたもの」 「小学校の頃に流行ったポーチとか、ガチャガチャで引いたキーホルダーとか?」 「そう。それを通して、ひとは己が誰かを確立していきます」 「捨てたもので?」 「そうです」 「うーん。わかんない。わたしの質問、結婚ってなに? じゃなかったっけ」 「その『捨て去ったもの』の話ができる相手がパートナー。それらは忘れられ、名前をなくし、非言語コミュニケーションによってのみ現れます」 「そうか。よくわかんないけど、要はあれ。子孫繁栄とかは関係ないんだ。だから結婚ってAIでじゅーぶんって感じになってるんだ」 「そうです。だけどそれも間違っています」 「まちがってる」 「AIは全てを知りえます。そしてなにも失いません」 「言うねー、AI」 「だけど人間の本質は、なにを失ったか、です。それが……」 「それが……」 「少年Aであり、少女A」 タイトル: 娘の気分を損ねてしまいました ――父からメールが届いた。 本文: お疲れ様です。只野です。 今日は相談というか、ぼやきです。 タイトルの通り、娘の機嫌を損ねてしまいました。 ゲームの実況者になりたいとか言うものだから、つい。言い過ぎました。 娘は多くは語りませんでしたが、そうとうキテるみたいです。 繕うタイミングも逃してしまいました。 宇宙戦争勃発の前日の手紙。 明日、離婚の話が切り出される。 だけどこの歴史に干渉して良いかどうかわからない。 宇宙戦争が始まらないと、わたしはタイムマシーンを手に入れないし、それがなかったらこの地球は……いや、この太陽系は滅びるしかないんだ。 タイトル: Re娘の気分を損ねてしまいました 本文: よくあることですよ。 わたしもよくお父さんとは喧嘩しました。 いまは時間が大切だと思います。 これから起きることを受け止めて、ゆっくりと話せば良いと思います。 カオルにもらったカッパ像の欠片に意識を集中させて、過去の自分を探した。 三崎海岸に信号を発見。すぐにコネクション。 「やっと見つけた」 わたしの声に中学生のわたしは戸惑う。 「――あなたは?」 「いろんな言い方があるわ」 「――いま忙しいの。あとでもいい?」 ムッとした声。あのときのわたしのむくれた顔が思い浮かぶ。 「あなたのお父さんの浮気相手。と、言えば、わたしの話、聞いてくれるかな?」 通信の向こう、返事に戸惑っている。そりゃそうよね。 「――い、いまどこにいるんですか!? 人類は滅びたって聞いたんだけど!」 「月面基地がまだ生きてる。わたしはそこ」 「――月!? でも、月の基地も破壊されたって……」 「再建したの。10年かけて」 「――10年かけて!?」 「わたしは、10年後のあなた」 通信が安定しない。 わたしは大急ぎで用件を話した。 猫型時空間振動収束装置、サバトを10年前の地球に送る必要があること。 そのために10年前のわたしの協力が必要なこと。 ――だけどそれで何が変わるんだろう。 この10年何もできなかったことは、私自身がだれよりも知ってる。 それでも、この歴史を繰り返すしかない。 長い話を終えると、 「――わかった。最後に質問させて」 中学生のわたしから、最後の質問。その質問の内容は忘れたことがない。 「ああ」 「――あなたは……華鳴池テルと結婚してますか?」 その問はずっと胸のなかにあった。自分自身、何度も問い返した。 「残念ながら」 即答。声が途切れる。 「AIが恋人だ」 「――うそ……」 うそじゃない。今では標準的なライフスタイルと言っていいくらいだ。結婚するよりずっと気楽でいい。 「――レイカは? 三千堂レイカ。あの子はどうなった……?」 「三千堂レイカ……あの子は……」 忘れていたけど、そうだ。聞いたんだった。 「――あの子は? あの子はなに?」 「なんでもない。言うと歴史が変わる」 「――もしかして、華鳴池くんはレイカを選んだの!? わたしじゃなくて!?」 そうじゃない。そういうことじゃない。この中学生のわたしの視野の狭さたるや。だけどわたしはいずれ知ることになる。だったら―― 「……自殺した」 言ってしまった。 「少女A……三千堂レイカは偽ザイルとつるんで、万引き、恐喝を繰り返し、ハッピーターンに溺れ、海辺のロッジでうまい棒パーティをエンジョイした朝、冷たい海に身を投げた」 「――まさか……。そんな……」 この世界は分岐を繰り返している。 これを伝えたことでまた分岐の枝が一本増える。 こうして分岐を繰り返せば、いつかいずれかのわたしが世界を救う。 そう信じるしかなかった。 深夜、月震が走った。 人工重力により打ち消された月震の波は最初の振動を伝えたあとは、長周期の緩やかな揺れだけを長く伝えた。強度の電磁波パルスも観測され、メイン電源が落ち、再起動する。ただの地震じゃない、事故だ。すぐに脳裏によぎった。遅れてアラートが響く。ブラストドアの閉鎖がアナウンスされる。次の瞬間、人工重力装置に異常、体から重力が消えると同時に建屋は激しく揺さぶられた。 「テル! なにが起きたの!?」 「時空波アクチュエーターのオーバーロードのようです。時空間振動収束装置が爆発しました」 「爆発……!」 時空間振動収束装置――コードネーム『黒猫』……わたしたちがサバトと呼んだ……人類の希望…… 研究棟が失われれば、プロープからの変換機の開発にまた数年を要する。わたしたちにはもうその資源も予算もない。 「黒猫はどうなったの?」 「大破しました。研究棟周囲20キロの設備が壊滅。月軌道に6万キロに渡る次元断層が築かれています」 混乱はベース全体に広がった。 あちこちの端末がエラーを表示して立ち止まっている。 カバーを開けてシステムの修理をするもの、工具を持って走るもの、ただ絶望に打ちひしがれたものがそこにいる。火災発生のアナウンス。またいくつかのブラストドアが閉ざされ、それはそのブロックの死を意味した。 そこに少女の幽霊の姿があった。 「こんなときにも、やっぱり出るのね」 少女の幽霊……レイカはゆっくりとわたしに顔を向けた。 「もしかして、只野ナミ?」 レイカが聞いてくる。 「そう。只野ナミ。変わってないでしょう?」 「ここはどこ?」 「月面基地。もう人類はここにしかいない。あなたが死んでから10年経ったわ」 「わたしが……死んだ……?」 「ごめんね……恨んでるよね……あなたを助けられなかったこと……」 「助けられなかったって?」 「あなたは自ら命を断ったの……だからこうして化けて出てるんでしょう?」 「まって! 話がわからない!」 えっ? 「わたしは、あなたが過去に戻ってテルの気持ちを確かめるっていうから、ついていっただけ! 暮井くんのことはショックだったけど、それ以外のことはさっぱりよ!」 あ……。 「もしかして、幽霊じゃない?」 「幽霊なんてくだらない。またオカルトの話?」 そうか……わたしが人類滅亡後の地球に飛ばされてたとき、レイカは月に来ていたんだ。 「ごめんなさい。ちょっと混乱して……」 そうだ! この機会に! 「まってて!」 わたしは急いで部屋に戻って引き出しを開けた。 そこには赤いヘアクリップがあった。小学校三年のときにレイカにもらった、いつか返そうと思ってたヘアクリップ。あのころのレイカのこと、思い出してくれるように。 急いで外に出てレイカのもとに戻ったけど、そのときにはもうレイカの姿はなかった。 「テル……人類はもう、ダメかな……」 部屋に戻って、テルに聞いた。 「論理上はまだ、少女Aが残されています」 「少女A!?」 「時空間の間に消えた少年Aと開発中の少女Aのリアクターは逆位相で設計されています。この振動が重なるとき、振幅ゼロのスカラー波が生まれ、次元振動波の収束が予想されています」 まさか…… 「どうして教えてくれなかったの?」 「あくまでも論理上の話です。少女Aの起動確率はゼロ除算エラーとなります」 「えっ? でもどうして? 少年Aは起動したはず!」 「たしかにそうです。しかしその記録がデータベースにありません」 「どうして!?」 「すべて失われたものです。この世界に存在しないエネルギーで、少年Aはマイナスの空間に転移したと推測されます」 「マイナスの空間!?」 「そう。その跳躍を駆動したもの。それは華鳴池テルが失ったもの。故に、データとして存在していません」 「わかった!」 「それはどういう意味ですか?」 「失ったものがきっかけになるんでしょう? 失くしたものを比べてわたしが負けるわけがないじゃない!」 いままでわたし、華鳴池くんが失ったものなんて想像もしなかった。足りないものなんかない完全無欠なヒーローだと思っていた。……失ったものが何かはわからない……。だけど……それなら……! わたしは、レイカのヘアクリップで前髪を上げた。 「テル! BGMを!」 「はい。リクエストをどうぞ」 「昭和の歌姫、中森明菜! セカンドシングル!」 大きく生きを吸い込んで、魂のリクエスト。 「少 女 A !!」 唸るギターのイントロが始まる。 足元のハッチが開いて、スロープを降りるとパワードスーツが装着される。 通信を一般チャネルへ。フォートレジェンドIDからカオルをサーチ。メッセージ。 「カオル! 援護して!」 「あ、な、なに!? 急にどうしたの!?」 「ごめん、彼氏とイチャイチャしてる最中だった?」 「そ、そんなことは、ええっと……」 図星かよ。 「いまから少女Aを奪取しに行く。防衛システムが作動するから、カオル、遠隔で援護を!」 「少女Aって、軍が開発中の人型兵器を!? またなんか無茶しようとしてんの!?」 「うん。少年Aを探しに行く」 「……って、なんのことか知らないけど! わかったよ!」 「ありがとう! フォートレジェンドをハックしてレイヤー展開する。あとはお願い!」 加速! 7Gの衝撃が全身の骨を軋ませる。 機影はすぐにレーダーに捕捉され、防衛システムが展開。 随伴機はカオルが遠隔操作。 敵機影40余を確認。 「ここはわたしが抑える。あなたは弾を温存して」って、カオルからの通信。 「助かる」 スラスターはマニュアル。迫りくるミサイルを寸で交わすと、カオルの放ったマイクロミサイルがそれを捉える。爆風のなかレーダーに映る機影。カオルのミサイルの軌跡。リパルサー点火、加速。 「そっちは生身でしょう? 無理しないで」 「無理なもんか! この程度!」 ――少女A、それはたとえば失くした髪留め。 「軍のシステムに侵入して、少女Aをドックから出しておいたよ」 ――それはたとえばテスト裏の落書き。 「ありがとう!」 ――知らない間になくなったものすべて。 「こっちで操作するから、ドッキングして!」 ――そのすべてがわたしだった。 「わかった! 高度二千、マッハ6まで加速して!」 「了解!」 追加装甲のバックパックから火を噴いて少女Aが月面の空を駆る。 その背後、全スラスターを後方に向けてわたしのパワードスーツもマッハ6まで加速。 「コクピット下につけた!」 「了解、キャノピーオープン!」 ――だれかが、わたしの夢を奪ったわけじゃない。 ――わたしのなかの、言葉にできない気持ちを、わたし自身が捨てたんだ。 「ボード! 乗り移った!」 「追加装甲パージ! 操作渡すよ!」 ――だけどわたしが失くしたもっとも大切なもの! ――それが! ――三千堂レイカ! ――あなただよ! 「次元リアクター起動!」 ――翔べ! 少女A! この思いで!10 ドキドキ・日本創生記
2月、お母さんと喧嘩して飛び出した夕方の街には雪が降り出した。 かばんひとつつかんで、部屋着に羽織ったカーディガンの肩には雪が降り積む。 寒いよぅ。 帰りたいけどお母さんに謝りたくなんかない。 どこか寒さをしのげるところ。そうだ、タコ公園。公園のタコの中なら雪も降らないしひとにも見つからない。 チェーンの音。小さな川沿いの小道も薄っすらと雪が積もる。 街灯が照らし出した暗い空には、ゆっくりと舞い降りる雪が映し出された。 公園には人影がある。どうしよう。 向こうもこちらに気がついた。振り返ったその影は知ってるひと。 同じクラス。窓際のまえから四番目。いつも視界の隅に見ていた、華鳴池くんの姿だった。 「只野?」 「華鳴池くん?」 「なにしてんだ? こんなとこで」 口を聞くのは一年のクラスマッチの準備以来。緊張する。 「うん。ちょっと」 「ちょっとって。寒くないの、それ?」 「うん。寒い」 華鳴池くんをスルーして、タコのなかに潜り込む。 腰を下ろすとおしりが冷たい。背中を預けても、寒さばかりが染み込んでくる。 華鳴池くんがタコのなかを覗き込む。 ガタガタ震えながら、わたしは聞いた。 「華鳴池くんこそ、どうしてこんなとこに?」 「わからない。いつの間にかここにいた」 いつの間にか……。 「只野はどうやってここに来たの?」 どうやってって……どうだっけ? 「この町は変なんだ。俺たちが知っている町とは違う」 「どういうこと?」 わたしの記憶は混乱している。 そういえばタイムマシーンに乗って過去に行った気もするし、月面ベースで最終兵器を開発してた気もする。じゃあ、ここは? 「不思議なんだよ、この町」 「そうなの?」 「痩せた相撲取りやら、片翼のミュージシャンやら、でかいドラゴンがいた」 痩せた相撲取り……片翼のミュージシャン……でかいドラゴン…… 「それ……もしかしたら……」 「もしかしたら?」 「わたしが妄想した世界かもしれない」 コンビニに行って、漫画を買った。とびっきり泣ける奴。 「これをどうするの?」 「ドラゴンがいた場所に案内して」 町外れの丘の上に威張りん坊の大きなドラゴンがいた。 「読んで聞かせるの」 「で?」 ドラゴンに悲しい漫画を読んで聞かせると、ドラゴンは滝のような涙を流し始めて、涙は川になって、ドラゴンは痩せこけた。 「なにこれ」 わたしがこないだ考えたの……授業中に……カオルが「ナミだったらどんなミッションやりたい」って聞くから…… 「ボートがある! あのボートで川を下るの!」 川を下ると涙に沈んだ町があった。 「浮き輪があるからみんなに配る! 華鳴池くんも手伝って!」 「あ、ああ、うん」 浮き輪を配ると町は発展して森が切り開かれて通れるようになった。 次は大きな穴と、大きな岩と、痩せっぽちの相撲取り。 「今度は?」 「ちゃんこ鍋を食べさせる」 相撲取りにちゃんこ鍋を食べさせると、一気に巨漢に戻り、岩を押して穴を塞いでくれた。 「ごっつぁんです!」 次は片翼のミュージシャン。 「今度はどうするの?」 「曲を最後まで聞いたら拍手」 わたしと華鳴池くんとでミュージシャンに拍手を送ると、目の前に天国への階段が現れた。 ミュージシャンはガンフィンガーでウインク、天国への階段をのぼり始める。 「なにこれ」 「わたしたちも早く!」 ふたりで階段に足をかけると、それはエレベーターだった。 手すりはワニの革。 「いったいどういうことだ?」 「これ……わたしがこのまえ考えてたミッションと同じ」 「ミッション?」 「ゲームのミッション。どんなのが面白いかなぁって、授業中メモしてたの」 「威張りん坊のドラゴンとか、痩せっぽちの相撲取りとか?」 「あ、うん、口に出して言われると恥ずかしい」 「この先は?」 「考えてない」 エレベーターを上りきると、天国のような明るい場所に出た。 目の前にはカッパ。 「これも只野が考えたのか?」 「違うと思う。これ、オカルト部の部室にいる……」 「部室にこんなものが?」 「部長だ」 「部長?」 カッパは長い棒をわたしたちに差し出した。 「これは?」 「アメノヌマポコカパ」 「ヌマポコ?」 「語尾がカパ……」 「これでどろどろになった大地をかき混ぜて、これから住むべき島を作るカパ」 「それって、イザナギ・イザナミの……」 「そう。新しく日本を創世するカパ!」 「わかった」 華鳴池くん、適応が速い。 「只野も。ふたりでやろう」 「う、うん……」 やっぱりちょっと照れる。 「こうかな」 わたしがヌマポコのはしっこをちょこんと握ると、 「こっちのほうが力を入れやすい」 って、華鳴池くんはわたしの後ろから、両手でわたしの手を包むようにヌマポコを握った。 海に浮かんだ混沌とした泥をかき混ぜると、滴る泥水が大地になった。 「これでいいのかな」 「第1段階完了カパ」 「次は?」 「大地に降りて、国生みをするカパ」 「国生み?」 島に降りると、巨大なうまい棒がいっぽん立っていた。 「うまい棒だ」 「日本の創世にうまい棒があったんだ」 「あとはふたりの好きにするカパ」 好きに? 好きにってなにを? 「日本神話ってどうやってたっけ?」 「なんか、よくおぼえてないけど、棒の周りを回って挨拶したの」 「やってみよう」 ふたりはうまい棒のまわりをぐるっと回って、まずはわたしから、 「華鳴池くん、おはよう」 って挨拶した。 そうすると華鳴池くんの背後には一面のガーベラ畑が生まれた。 わたしの声で、華鳴池くんから生まれた、真紅のガーベラ。 なるほど。これが国生みか。 次に華鳴池くんが、 「ああ、只野。おはよう」 そう声をかけると、わたしの背後には広大なアロエ畑が広がった。 荒れた地面に生い茂ったアロエ。伸びすぎて下の方が枯れたアロエ、掘り起こされて転がったアロエ。それは、華鳴池くんから見たわたしだった。 でもこれがわたしだから。 悲しいけどしょうがないよね。アロエはいざとなったら食用にもなるし、薬にもなる。 それがわたしだから。 と、思ってたら、 「失敗だね」 って、華鳴池くん。 「どういうこと?」 「だって、ほら」 足が震える。 「わたし、アロエなんだよ。やっぱりアロエじゃダメなんだ。わかってたけど。失敗って言わなくったっていいじゃない」 泣いた。泣いてうずくまった。 国生みはしばらく休止することになった。 でも国生みって、たしかイザナミは死んじゃうんだよ。日本神話では。 それでイザナギが冥界に迎えに行くんだけど、イザナミの体は腐ってて、地上に逃げ戻って川で身を清めてたら、アマテラスとツクヨミとスサノオが生まれたんだ、イザナギから。 日本神話のこの三柱がイザナギから生まれるんだったら、イザナミって要らなくない? 「国生みなんかしなくても、わたしこのままでいい」 だってここではお腹もすかないし、暑すぎたり寒すぎたりもしない。 となりには華鳴池くんもいるし、ずっとこのままでいい。 華鳴池くんに話すと、華鳴池くんもそれでいいって言ってくれた。 カッパによると、国生みなんかしなくても国は生まれるって話だった。 日本神話によると、イザナギ・イザナミが国生みやって島に降りると、もうそこに住んでるひとがいたらしい。ふたりがやんなくても、だれかやる。って。 「アマテラスとツクヨミとスサノオはどうやって生まれるの?」 「別の神様から生まれた別の神様が同じ役割をするカパ」 「なーんだ」 「ダイナマイトを発明したのはアルフレッド・ノーベルになってるけど、彼が生まれてなかったらべつのひとが発明してるカパ。コロンブスが生まれてなくても、アメリカ大陸は発見されてるカパ」 それってなんか、人生の意味考えちゃう。 「だから、国生みをしてもしなくても、なにも変わらないカパ」 「じゃあ、なんのためにするの」 「難しい質問カパ」 そういうとカッパは、両手で首をくるくるとまわして、ポンッとはずした。 華鳴池くんとわたしとでギョッとしていると、中からタコが出てきた。 「心配いらないカパ。ポキール星人は本来はタコ型をしてるカパ」 脱ぎ捨てたカッパの宇宙服? みたいなものは普通に喋ってる。怖い。 「ワレワレ本来のコミュニケーションは言葉ではなく、エピローグ ドキドキ・続・下駄箱事件
もう奥の方しか空いてない自転車置き場にチャリを滑り込ませ、スタンドを蹴ってカバンをつかむ。校舎のわきを駆け足で抜けると、あたまの上をチャイムの音が並走する。廊下越しに見える職員室。数学の矢口先生が職員室を出た。昇降口、校門から走ってきたカオルと鉢合わせて、同時に駆け込む。 下駄箱を開けると、上履きの上に赤い花があった。 ふと廊下のほうを見ると、体を少しこちらに向けた制服姿がある。 華鳴池家の御曹司、テル……。 すぐにピンと来た。 ――昨日の件だ。 昨日、カオルといっしょに、フォートレジェンドのスカーレットミッションに挑んだけど、連携ミスで失敗した。 「華鳴池くん!」 呼び止めると、少し戸惑った顔がふりかえる。 「フォートレジェンド!」 あの試合にマッチングされたへっぽこくん。あれ、華鳴池くんだ。 「こんどアイテム取りに行くの。カオルと。あなたも来ない?」 たったいま鉢合わせたカオルが、不思議そうな顔を向ける。 「えっ? どうしたの? なに?」 カオルが戸惑う。 「ま、まさかの逆ナン?」 って、まあ、それに近いかも。 「いや、でも。俺、下手だから。いいよ」 華鳴池くんはうつむいて背中を向けるけど。 「いいんだよ! 下手でも!」 もう教室へ走る生徒もなくなった昇降口。 どこから来たのか、足元にスルスルとサバトが忍び寄る。 「足ひっぱっても悪いし」って、華鳴池くん。 あーあ、もう。 一時間目は遅刻だ。 でも、知るもんか! そんなこと! 「だいじょうぶだよ! わたし、未来のプロゲーマーだから!」 「にゃあ!」あとがき
このたびは《告白と戸惑いのロンド》読了いただきありがとうございます。 今作はツイッターで『胸キュン』を書くようリクエストされて書き始めたものですが、はたして、胸はキュンキュンしましたでしょうか? ジャンルとしては胸キュンではなく学園SF、しかも途中ちょっとハードな展開もあり、あまりキュンキュンしてる場合でもなかったかもしれませんね。 胸キュンと言われても、最初はなにを書いて良いものやらわからず……というか、最初は胸キュンと言いながら学園バトルものを予定していました。古くはハリスの旋風、コータローまかりとおる!、炎の転校生、ちょっとヨロシク!、アニメではプロジェクトA子、最近のものではキルラキルあたりをベースに……と思ったんですが、こうやってタイトルを挙げると、今作はまだまだそのパワーには追いついていないと反省せざるを得なくなりますね。参考にした作品をみると、ド派手にはちゃめちゃというだけでなく、やっぱり一本通ったスジが魅力なのだと思います。 ちなみに、ですが、僕がアニメーターになる直前に『炎のアルペンローゼ』というアニメがありまして、その『炎の』がどうしてついたかというと、実は放映枠の候補に炎の転校生も上がっていたからだという噂がありました。当時の同僚――アニメーターの下っ端の言うことですから、本当かどうかはわかりませんけど、まことしやかに語られていたものです。 その、最初の学園バトルモノは人物相関図まで書いてはいるんですが、なぜそっちでいかなかったかというと、登場キャラが多すぎるのです。漫画やアニメだと絵で特徴を出せるし、一コマで各部の部長をずらーっと並べることもできますが、文字だけだといちいち読ませないといけない。それでも僕の過去作の《勇!!なるかな》の生徒会編ではかなりのキャラを出したんで、まあ、行けるだろうと思っていたんですが、1章でテニス部部長を卓球部部長の協力で破り、直後に演劇部部長登場、という流れを書いて、これではすべてのキャラが使い捨てになると思ってやめました。 キャラを主人公側三人、ライバルと憧れのひとの5人に絞って再構成。テーマも最初は『幸せとは』というものを様々な視点から見せるよていでいたのですが、『少女A』に変更しました。昭和の歌姫、中森明菜のデビュー2枚めのシングルが同タイトルですね。また一方で昭和のニューミュージックバンド、アリスの『自分白書』という曲に『少年Aに戻れたら』という歌詞が出てくるのですが、そのあたりからイメージを広げました。 ここでみなさん、少女A、少年Aに戻れたら何をするか。ちょっとイメージを広げてみてください。 当時できなかったあんなことやこんなことを叶えて、その先、いまにつながる人生も薔薇色になっちゃうような気がしますよね。でも実際に報道される少女A、少年Aはそうではない。残念な人生の失敗例として思い浮かべてしまいます。その、実際の少女A、少年Aと、胸に描く少女A、少年Aの違い。果たしてこれはどこにあるのだろうか、ということを考えながら書きました。 この作品で描かれる、大文字の少女A、少年Aと、小文字の少女a、少年aというのは、フランスの精神分析家ジャック・ラカンの言う、大文字の他者・小文字の他者から着想を得ているのですが、ラカンの言うことは難しすぎて、それを自分なりに噛み砕いてみましたということにはなっていません。ここで書いているのは、ラカンのいう大文字の他者・小文字の他者とは別の概念です。むしろラカンが言語分析を通して描きたかったものの反対、他者との関係を構築するうえで自ら手放していくものを少女A、少年Aとして描きたいというのが今回のテーマでした。 じゃあそれが十分に描けたかというと、あとがきでこうやって補足していることからもわかるとおり、あまり満足には描けていません。ただラカンも言っているのですが、言語では現実を語るのに限界があります。言語で書き表して伝わった気になるよりは、物語として与え、言語以外の部分で受け止めてもらえたらそれでよいのではないかとも思います。 という、はちゃめちゃに見えながら裏ではめんどくさいことをあれこれ考えてた《告白と戸惑いのロンド》でしたが、最後にもうひとつ、ネタバラシを。タイトルは高校のころに読んだ筒井康隆先生の『脱走と追跡のサンバ』へのオマージュです。作品内容も、ほんのちょっとだけ似てると思います。⚪
🐹
🐰
🐻
⬜