ネタバレダイジェスト:浮遊大陸でもういちど

⚠ Caution ⚠

こちらは💣完全ネタバレ💣のあらすじ紹介ページです。
  • もう『浮遊大陸でもういちど』を読んだ。
  • 『浮遊大陸でもういちど』を読む気はないけど、あらすじを読みたい。
  • 『浮遊大陸でもういちど』はともかく、あらすじが読みたい。
以上に該当しない方には、退室をオススメします。
ここを読めば本編を読む必要がないくらいには、全体が網羅されていますが、正直、あまりわかりやすくはありません。
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序章

空から落ちた日

 病室の窓の切り取られた空は、とても小さかった。
 夏の高い太陽は壁に沿って落ちて、夕陽ばかりが部屋に忍び込む。
 オレンジ色のドアに、ノックの音。顔を上げると、ほんのりと夕焼けに染まった高山さんの姿があった。
 白髪混じりの髪。刺繍の入ったシャツ。「空は退職してから始めたんだよ」って言ってたから、そろそろ七十だと思う。DJ、コラムニスト、レコード会社の取締役を務めた、僕からしたら、雲の上のひと。そのひとが、「照井てるいくんほどのひとでも、事故を起こすんですから、空は怖いですね」と、僕を持ち上げる。
「いえ、僕なんかまだ……」
 パラグライダーを始めたのは大学に入ってすぐの頃。まだ三年とちょっと。それと、彼女の死からまだ一ヶ月。少し自暴自棄になってたのかもしれない。
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1. 主人公・照井健

この物語の一人目の主人公は照井健てるいけんです。
大衆情報誌、いわゆるゴシップ誌に記事を書いているジャーナリストで、本人はレジャー誌への配属を希望しています。
照井は、学生時代に恋人を自死で失っています。
本編がはじまるのは、それから4年ほど経ったときで、心の傷はだいぶ癒えているのですが、それでもときどき思い出し、落ち込んだり、逆に彼女のためにと気持ちを奮い起こしたりします。
仕事では田中先輩がよく面倒をみてくれて、彼は照井がいつの日か『本物のジャーナリスト』になることを望んでいます。
趣味は学生の頃からやっているパラグライダー。
プロフェッショナルライセンスを取得しています。
田中先輩
テルイちゃーん。そうやってタンポポ生やしてるけどさあ。うっかりした時間に帰ると、いま寝かしつけたとこなのに起きたらどうするのとかいわれちゃうでしょう?
照井
ちょっとずらすって、どうせずらすんだったら前にずらせばいいのに。
ひとふさだけ黄色く染めた髪が理由で、田中先輩からは「タンポポ」と呼ばれてます。
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第 1 章

蝕の始まり

 酔が回った田中先輩は、うちの部署のプリンターのよう。
 時折不意に止まっては、また不意に動き出す。
「だからあ」
 僕は肉をつまみながら、その言葉の続きを待つ。
「急に俺が正義に目覚めたりしたらさあ、どう思うよ?」
 何度目だろう、この話も。
 誰かが取り忘れた書類のように、つい先日も目にした気がする。
「可愛い奥さんも可愛い娘ちゃんも放り出してシリアとかスーダンとか飛んで、これが世界だーみたいなこといい出したらさあ、アタマ大丈夫かって思うじゃん」
 カウンターひとつの小さい焼肉屋で、客はもうふたりだけ。愛想のいいマスターがたまに話しかけてくる。共通の話題といえばプロレスの話。先輩の知人にプロレス誌の編集のひとがいて、そのひとに紹介された店。
「いや、そこまではいいませんよ」
 と、これも何度もいってるなと思いながら、僕も、肉を。
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2. ことのおこり

とある日蝕の日の朝、事件は起こります。
最初は何が起きたのかわからず、ただ航空機の運行停止のニュースだけがテレビで流れます。
やがて、世界規模でのネットワーク障害、各地で発生している海面の上昇なども聞かれるようになり、 その日の夕方には、気象衛星からの映像が流出し、南太平洋上に巨大な大陸が発生していることが明らかになります。
田中先輩
津波が来る。もう沿岸地域は浸水してる。いまはそこを動くな。
照井
待ってください先輩、いったい何が起きているんですか?
沿岸には津波が押し寄せ、地震が頻発するなか、深夜2時、国連本部のあるニューヨーク現地時間で13時、国連事務総長の会見が始まります。 そこで伝えられたのは、浮遊大陸出現のニュースでした。
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3. 国連による発表

 グリニッジ標準時 四月十九日 二一時十五分、ハワイ諸島を含む太平洋上空に大陸が出現。その大きさは東西に五八〇〇キロ、南北二七〇〇キロ、面積は北アメリカ大陸に匹敵する。
 大陸外縁部は海面から約五〇〇メートル浮き上がっており、浮遊しているかにも見えるが詳細は不明。
 大陸出現によると思われる重力変動で、世界規模の水害が発生している。ハワイ島とはあらゆる手段を使ったが連絡は取れず、消滅した可能性も考えられる。
 大陸の内部に関しては航空機を用いた調査を試みたが、平野部に侵入したところで全機消息を絶ち、情報は得られていない。衛星からの写真に関しては現在専門家による検証が行われている。
 大陸にひとが住んでいるか、あるいはひと以外の知的生命体、あるいはそもそも生物が生息しているかどうかについては、現時点では確認できていない。
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4. 浮遊大陸への上陸

浮遊大陸には防衛システムがあり、侵入を試みる航空機はすべて撃ち落とされていました。
それでも「航空機を使わず、単身でなら乗り込めるのではないか」と考え、照井はスカイダイビングで浮遊大陸へ渡ることに。計画にはスポンサーがつき、「葉っぱを1枚持ち帰るだけで800万円」という高い報酬が約束されます
照井
葉っぱを採るまでの五分はサラリーマンとしての五分ですよ。そこからの僕は、ジャーナリストなんです。
田中先輩
カッコつけんじゃねえぞ、タンポポ。
かくして照井は、単身浮遊大陸に乗り込みます。
恐れていた攻撃はなく、問題なく上陸を果たしますが、散策中に《防衛システム》らしきものを発見、写真に収めようとしたところ、スマホの起動が補足され砲撃を受けます。
すんでのところで砲撃を躱しますが、高地のため空気も薄く、少し走っただけで息が上がります。
翌朝、照井は取材を諦め、葉っぱを摘んで、パラグライダーを広げ、地上への帰途につきます。
しかし……
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5. 危険を押して、内陸部の探索へ

 空気を抱えたキャノピーの重さが肩にかかり、大腿筋まですべての筋肉に司令が伝わる。
 翼が返ってきた。
 各々方、準備よろしいか。
 放射状のラインが風を切り分ける。
 心臓の鼓動の一つ一つが蒸気を上げて僕のなかに力を伝える。
 重い地面を、蹴って、蹴って、数歩目でそのつま先は空を切る。
 そのまま上昇気流が僕を捕まえる。
 浮遊大陸の縁が視界の下方に下がり、その向こうの海がせり上がってくる。
 その先にはミクロネシアの小さな島があるはずの海。
 僕はそこだけを見て、飛び続ければいい。
 振り返らずに、ただ真っ直ぐに。
 だけど――
 気流はサーマル。吹き上げる上昇気流。
 いままで僕にいろんな景色を見せてくれた風が、必ず新しい世界を見せると約束する。
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第 2 章

フレア・カレル(1)

 大陸移動が完了し部屋の外に出てみると、日蝕が始まった。
「ベリチェ、日蝕だよ」
 リビングにいたベリチェに声を掛けて、サンルームのドアから少し気圧の低いこの星の大気のなかに出て、瞬膜を閉じた。
「あんなに大きな衛星が主星と重なるの?」
 遅れて来たベリチェが、眩しそうに目を細める。
「見かけの大きさがほぼ同じだから、このままだときっと、ぴったり重なる。珍しいよ。衛星と主星の大きさがここまで近い星なんて」
 大陸にはまだダル星の大気がまとわりついて、いまはまだ湖を越えてくる森の匂いも、畑に積まれた草の匂いも変わりはしない。だけどそれも、ゆっくりとこの星、地球の大気と混じりあう。これからは水の質も、植生も変わっていく。風や鳥が運んでくる塵や微生物の影響で、一旦滅びて、長い時間をかけて。
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6. もうひとりの主人公、フレア・カレル

フレア
ダル星より少し直径が小さくて大陸の端が浮いてるから、このあたりは海面からはかなり高くなってるみたい。
ベリチェ
そうかー。大陸移動したら海の傍だって思ってたのに、海は見えないのかー。
声楽家の母を持つ異星人の女性、フレア・カレルがもうひとりの主人公です。
この大陸に古くから住んでいますが、いまの家に引っ越してきたのはつい最近のことです。
ベリチェという友人があり、彼女は母の弟子で、母と同じく声楽家でです。
彼女たちの種族のことを『ハイアノール』といいます。
彼女たちは、地球より遥かに進んだ、第四水準の文明を持ちながら、『ドルイドが築いた町』に住んでいます。
ドルイドというのは、彼女らの種族の中の自然派のひとたちを指すことばで、昔ながらの町並みの郷愁に惹かれて、引っ越してきました。
フレアとベリチェは馬車を手に入れて走らせているときに、照井のパラグライダーを見かけます。それがきっかけでふたりは『地球人』を探し始めます。ふたりは、第二水準文明と言われる地球人に強い興味を持ちます。
photo by Zeetz Jones
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7. 地球人さがし

「可聴範囲に四機のドローンが飛んでる。アクセスしたら映像を見れるよ」
 でも、それじゃあせっかくの興が台無し。
 急いで馬を軛につないで御者台に乗る。手綱を取って目の前の瓦礫を避けて新街道を進み旧街道へと抜ける小径へと入る。道幅はせまく草も高いけど、夢中で駆け抜けて旧街道へ出ると、丘の向こう、青い空に輝くオレンジの翼を見つける。小川の流れに沿って蛇行する旧街道。
「丘陵の先みたい」
「あっちは馬車じゃ無理。もういちど馬で行ってみる」
 ベリチェを残して、軛から馬をはずして、鞍も掛けずに丘陵を駆け上がる。
 遠く丘の上に、少し波打つオレンジの布が見える。
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8. ワンコを拾う

フレアとベリチェは地球人を探すけど見つからず、かわりに底なし沼で溺れかけた『ワンコ』を保護します。
ベリチェ
沼にはまってるワンコ見つけた。
フレア
なんでワンコが?
ベリチェ
このへんにも民家あるし、そこの子じゃない?
フレア
ああ、そうかも。余裕があったら助けに行くね。
フレアとベリチェは、保護したワンコに『コムギ』という名前をつけます。
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第 3 章

フレア・カレル(2)

 綱手町通りから欅通りへ出て西へ、長門石ながといし庄を抜けて、沼川にかかる小さな石の橋を渡ると、木々の向こうにカレル家の屋敷が見えて来る。いくつかの瓦屋根の家を通り過ぎて、湖畔まで続く石敷きの道。形ばかりの門をくぐり、左手に見える馬小屋へと馬車を回す。
 いまは小綺麗に修理された馬小屋。引っ越してくる前、屋敷の見学に来た時、「バグベア小屋だね」って、ベリチェが言った。私はそれを聞いて、粗野で薄汚いことを揶揄しているのかと思ったけど、そういえば、と気がついた。実際にバグベアが飼われていた小屋だって。昔はこの町にも多くのバグベアがいたと聞いたけど、そうか、こんな場所で飼われていたんだ。
 昔農地だったはずの草原を歩きながら話したのを覚えている。
「スキップベリーだよ。ベリー畑だったんだ、ここ」
 ベリチェは自生したベリーの実を摘んで、私に見せた。
 摘みたてのスキップベリーには棘があった。
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9. バグベアを保護する

地球人が上陸したと信じるフレアは、毎日のように森へ出掛け、探索を続けます。
フレア
これで明日からベリチェにも、地球人探索を手伝ってもらえる。
ベリチェ
うん。でも、本当に地球人ってこの大陸に上がってきてるかなあ
そしてある日、森の中で怪我をした地球人を発見し、連れ帰りますが、その姿は《バグベア》に似ていました。
バグベアというのは、彼女たちが労働力として使役していた下等な生物で、背格好こそは彼女たちハイアノールに似ていましたが、体毛や体色は異質で、耐え難い異臭を放ちました。
地球人がどんな姿をしているかは、一般には知らされていませんでした。
軍の動きには少し不穏なところが見られますが、ここではまだフレアにはなにも伝えられませんでした。
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10. 保護したバグベアを負担に感じる

フレアとベリチェは保護したバグベアに『👾アズール』と名付け飼い始めます。
ふたりは👾アズールを馬車に乗せ、大陸の端を見に行こうとしますが、👾アズールの放つ悪臭に耐えられず、途中で諦めます。 その帰り道、野焼きの煙が四つ立ちのぼっているのを目にします。
ベリチェ
バグベアだと思う。放置してたら病気を撒き散らすからね。
フレア
でも、野良のバグベアがそんなに何体もいるなんて、おかしいよね。
ベリチェ
いまどき、野良のバグベアなんていないよ。
フレア
じゃあ、地球人だ。
ベリチェ
そうだね。地球人が何頭も乗り込んできて、灰色熊に襲われて死んでるんだね。
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第 4 章

フレア・カレル(3)

 とある園芸用品店で、バグベア用の拘束具をみつけて、それがきっかけで、私とベリチェは馬小屋の一角にアズールの部屋を作ることにした。
 用途を絞って調べ始めるとはじめて、そこにあるものがバグベア用の口枷であったり、焼鏝やきごてであったり、抜歯の道具であることがわかった。頭のなかにそのイメージが固まると、初めて見る道具の使い方も見当がつくようになる。こうやって少しづつ、ドルイドの生活に慣れていくんだ、私たちは。
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11. 切り株ハウスで祖父母に相談

フレアは地球人と友好的な関係を築きたいと思いながらも、粗野な👾アズールとの距離感に戸惑い、家畜同然の扱いをするようになっていきます。
 小屋の裏手に、石敷きの洗い場があった。収穫したスキップベリーの洗浄用だろうそのプールに水を溜めて、台車に横たわったアズールの体を転がし入れる。私とベリチェとで、頭と足を持って、溺れないように顔をあげさせて、頭の下にレンガを積んだ。先に水に濡らしたせいで、衣服を脱がすのに手間取り、ベリチェは手近にあった農具で服を裂いて剥ぎ取った。
ベリチェ
またあとでバグベア用の服を買いに行かないといけない。
フレア
それより、着せるのはどうするの?
ベリチェ
自分で着るよ、そのくらい。
フレア
そうかな。それだけの知能を持ってくれていたらいいんだけど。
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12. キノコハウスで軍のデータを参照する

フレアは保護したバグベアの正体を探っていましたが、めぼしい成果は得られず、祖父母を頼ることにします。
防衛システム内には、ドローンが収集したデータが格納されているはずです。👾アズールがどうやってここへ来たか調べるために、キノコハウスと呼ばれる軍の施設へと向かいます。
祖父母の家はキノコハウスのすぐ近くにあり、そこでは照井とは別のワンコが飼われていました。 フレアのペットのコムギを引き合わせると、2匹はすぐに仲良くなり、フレアは少し寂しさを味わいます。
フレア
コムギ、おいで!
ベリチェ
もうちょっとで交尾しそうだったよ。
キノコハウスへ行くと、祖父から戦闘機を見せられ、フレアも昔、パイロットだったことを聞かされます。 無限の寿命を持つハイアノールも、記憶は有限でした。フレアが覚えていない数万年前のことを、祖父は覚えていました。
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13. パイロットだった過去を知る

 真っ白い鍾乳洞に擬態させた幻想的な階段を降りると、透明な地底湖に浮かぶように、その機体はあった。外観は完全にデルナイト星系のボーガル水亀に似せてある。この機体で地上を飛べたらどんなに素敵だろうと、不思議な胸の高鳴りを感じる。
「やあ、エトシェン。アルミラ・ディートが帰ってきたよ」
 エトシェン。それがこの子の名前なんだなと思う一方で、アルミラ・ディートの名前にもどこか懐かしさを覚える。
 祖父が擬態を解いてみせると、そこには白い双胴の機体があった。表面の白いディアル樹脂の下は生体クロックノイド、二七〇度の体温を持つ人工生命体。液体ナトリウムの血液、有機シラン系を主体とした構造に散在神経系が走り、薄皮に浮き上がったモリブデン骨格がグロテスクにのたうっている。
「しかし、こいつに本気を出させるわけにはいかん」
 私の胸の高鳴りを察したかのように、祖父が口に出す。
「マデリーさんもこれで戦ったこと、あるんですか?」
 胸にあふれるときめきが、のどに詰まった。
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14. 第五水準文明の存在を予感する

フレアと祖父がデータルームへ入ろうとすると、セキュリティが普段より高くなっていました。
『文明接触アラート』が出ているらしいと聞き、軍の動きに詳しい父に相談しますが、父はフレアに、👾アズールを彼ら国へ帰すように奨めます。
タルエド(父)
国境の町に、バグベアとコミュニケーションを取ってるグループがある。そのひとと会って、👾アズールのことを聞いてきてほしい。
フレア
話を聞くだけだったら。でもその代わり、質問には正直に答えて。地球にある文明は、第三水準? それとも第四水準?
タルエド(父)
そのどちらでもない。
フレア
まさか、第五水準?
ここに来て、まだ出会ったことがない第五水準文明の存在が示唆され、フレアは色めき立ちます。 第五水準文明は、永遠の生命を得て進化の可能性を失ったハイアノールにとって、遠い憧れの存在だったのです。
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第 5 章

フレア・カレル(4)

 眠っていると、羽毛が開く。
 普段は体に密着して煌めいてる肌が、夜の間だけ、鳥だった頃の私たちに戻る。
 朝方、羽根の間にコムギが手を入れてくる。コムギはいつも私より少し先に起きて、首筋のあたりの羽根を柔らかく逆撫でする。それでつい私が声を出してしまうと、コムギは私の顔を舐める。これがどうやらコムギの「おはよう」らしい。それでもまだ起きたくない朝は、コムギに覆いかぶさって、それでも耳や首筋を舐めようとするので、体を裏返して、両膝をたたませて、丸めたコムギを両腕で抱えてもう一度眠る。
 そのままコムギも寝てしまって、少し遅めの朝。
 コムギの手を引いて奥の通用階段を降りて、勝手口から水場へ。
 シャツを脱いで髪を洗って、寝汗に濡れたコムギの服を脱がせて、頭から水を掛けると寒そうに震える。コムギの頭に石鹸をこすりつけて、その泡で軽く体を流して、濡れた服を干して、ブランケット一枚被せてウッドデッキに置いて。
 それにしても、水浴びってどうしてこんなに落ち着くんだろう。
 水浴びしている時間が一番好き。
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15. アズールを帰すための旅

フレアは、バグベアの👾アズールを連れて、国境の町を目指します。
バグベアを使役することへの疑念、文明への反発が、フレアの原動力となっていましたが、同時に哺乳類を毛嫌いしていました。
フレア
第三水準文明って宇宙船でコールドスリープして彷徨ってる連中でしょう? 私には、そこまでして生存にこだわる理由がわからない。寝たまんま宇宙の果まで流れていけばいいのに。
ベリチェ
でも全てじゃないよ。第四水準でも哺乳類はいるよ。たまに。
フレア
それは稀有な例外。哺乳類って、機械化が本質であって、オルガネラだと思う。
ベリチェ
わかんない。私にわかるようにいって。
フレア
要は宇宙船が本体。なかに詰まってる有機物は煮こごり。
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16. 退廃した町で、ハイアノールの本質に触れる

地球の軍の動きが活発化し、30日掛けるはずだった旅は中断し、軍の車で目的地まで送ってもらいました。
そこでフレアたちが目にしたのは、退廃しきったハイアノールの現実。ここでは、ワンコが食肉用として売られ、バグベアたちもおもちゃのように扱われています。
またここでフレアたちは、地球人は👾アズールではなく、ワンコのコムギではないかとの疑いを持ち始めます。
フレアは👾アズールの正体を教えてもらうために、先生と呼ばれる人物に会いますが、フレアは👾アズールの売却を申し入れます。
ベリチェ
どうして売るって言ったの?
フレア
わかんない。売りたくなんてなかった。私はただ、地球人じゃないなんて答えを耳にしたくなかった。
ベリチェ
どうする? アズールを取り戻す?
フレア
相手は非合法な組織でしょう?
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17. 危機一髪

フレアたちは、いったんは👾アズールを売却しますが、帰途に付く前に👾アズールは新しい持ち主の手を離れ、戻ってきました。
彼女たちは👾アズールを手放すことなく、ともに屋敷へ戻ってきます。

旅の疲れでフレアが眠っていると、手斧を持った👾アズールが部屋に侵入し、飼い犬用にかけられたストッパーを外し、扉を締めました。
コムギはすぐに飼い主の危機を察し、吠えかかりますが、👾アズールはフレアに迫ります。
すぐに軍のひとたちが駆けつけますが、部屋の中はワープシールドが入っているため侵入できません。

はたして、フレアの運命は!?
という場面で、視点は照井健、時制はパラグライダーで大陸内部を目指したときへと戻ります。
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第 6 章

浮遊大陸レポート(1)

 身体を起こして、奇跡へと走り出す。狼たちは僕が走り出すとともに一斉にその鳴き声を響かせる。走っても、走っても、奇跡までの距離は縮まらないのに、狼たちの声はどんどん近付く。額に流れるものを拭うと、袖が真っ赤に濡れる。場所がわかると同時に傷はズキズキと疼きだす。急に悲しみがこみ上げてくる。これでもう死ぬんだ。走ればいい、ただそれだけなのに、胸のなかは死の恐怖でいっぱい。いままでいつも無意識に、明日のこと、この少し先のこと、一歩足を踏み出したときの景色、そんなものを思い描いていたのに、いまは何もない。一秒先が闇だ。時間はどんどん闇のなかへ流れ込んでいく。どこから噛まれるのだろう、どんな痛みだろう、僕は己の肉が削がれる様を見ながら死ぬんだ。
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18. ハイアノールに保護される照井

内陸部へ降りた照井はすぐに狼の群れに追われます。
狼と言っても、地球上の狼とは種が違う爬虫類のような狼です。
偶然にも底なし沼にはまって、狼の追撃からは逃れますが、今度は底なし沼で溺れかけます。
そこで照井を救ったのが、ハイアノールの女性、フレア・カレルでした。
照井
だれか助けてー!
ハイアノールの身の丈は2メートルを超え、最初は恐怖を感じますが、相手に敵意がないことを知り、食事をもらったりするうちに少しずつ慣れていきます。
照井は鳥に似た彼女たちのことを、鳥人を意味する『エイヴィアン』と呼び、フレアのことはプルームと呼び習わします。
プルームというのは、自死した彼女とふたりで飼っていたアキクサインコの名前でした。

照井のペットとしての生活が始まりました。夜はベッドで抱きかかえられて眠ります。彼女たちは、トカゲのような肌をしていますが、夜眠るときだけはそのウロコが開いて羽毛状になります。照井はあたかも、プルームがひとの姿を取って現れたかのような感覚に陥りました。
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19. 依存はやがて恋心にかわっていく

 彼女が開けた窓から、リボンのように煌めく冷たい空気が幾筋か流れ、風は僕の肌に残るぬくもりを悪戯に剥ぎ取るけど、でもその風が彼女の羽根の髪をはためかせて、その一本が振り向いた彼女の唇に触れると、それを見る僕の胸のなかでいくつもの鐘が打ち鳴らされる。
 人生で幾度かだけ訪れる、天使たちのときめきが駆け回る。
 だけどちがう。恋じゃない。恋なんかじゃないと思う。
 もう恋なんかしないって決めたんだ。
 それは、恋人を自死で失ったものの胸のなかに残る、普遍的な感情だと思う。
 なんどもなんども忘れようとしたけど、いまになって忘れちゃいけないような気がして、あの頃のこと、あの頃に聞いた音楽、いっしょに見たドラマのことを思い起こして、せめて僕のなかからは、彼女の姿が消えないようにしているのに、まさか恋だなんて。しかもこんな異郷の地で。生まれた星も異なる、異種族のひとに。
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第 7 章

浮遊大陸レポート(2)

 ところどころ顔を出す木の根に車輪が跳ねて、しばらく行くと路面は石敷の舗装に変わる。カラカラと車輪の音を聞きながら、流れる風を髪に掬うと、その風の先にひとの姿が見えた。
 馬車はゆっくりとその人影を追い越す。
 そのひとは僕と同じように首輪をつけ、すれ違う刹那、僕を見上げた。
 日本人には見えないけど、人間であることに疑いはなかった。
 思わず窓から体を乗り出すとプルームが僕を抱えて、膝の上に乗せる。
「待って、プルーム! だってひとが!」
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20. 犬の暮らしに馴染んでくる

フレアに犬として飼われ、照井はどんどん犬としての生活に慣れていきます。
また、自分だけではなく、ほかにも犬として飼われているひとがいることに気が付きます。
そんな生活のなかで、照井は高山さんに励まされたことを思い出します。
照井
ふとした時に訪れる不安のせいで、おかしくなってしまいそうなんです
高山さん
大丈夫ですよ、照井くん。若いんだから、なんでも出来ますって。
 田中先輩よりは前向きだけど、中身のない返事。
「退職してからしか、好きなことなんてできませんよね」と、聞いたら、
「好きなことを見つけないと、退職後はやっていけないんだよ」って。
 僕はあの笑顔からこぼれる成功者の人生の一片に、勇気づけられたり、やり場のない妬みを感じたり。あの頃の退屈と、そして不安。
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21. サンルームから見える空

 サンルームから見える空は、あのときと同じ。扉はよく開けっ放しになっていて、ここを出ようと思えばいつでも抜け出せる。湖の北にある街道を西へ二〇キロも行けば、こ の大陸の端までは行ける。そこからピンゲラップ島まで三〇キロ。たった五〇キロ。
 若いんだから何でも出来るなんて、たぶん嘘だ。
 でもそう言うと高山さんは、「嘘じゃありませんよ。だって照井くん、ここに来てるじゃないですか。もう大冒険は始まっているんですよ」って言うんだ、きっと。
 こんな絶望のどん底にいても、あのひとの言葉を思い出すと、前を向ける。自然と笑いもこみ上げてくるし、同時に涙もぽろぽろとこぼれてくる。
 生きなきゃいけないんだ。
 いつか彼女に会う日のために。
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22. 犬のままじゃいけない

照井は死別した彼女のことを思い出し、奮起します。
フレアたちとコミュニケーションを取るために、
  • タオルをハンガーに掛けて、知性を示してみたり……
  • ソファの背の羅紗地に何か描いてみたり……
  • 相手の言葉や歌を真似してみたり……
  • 向こうのボディランゲージ、『待て』を真似てみたり……
しかし、どれもうまくいきません。
照井
人間って、他の動物とどこが違って人間なんだ。セキセイインコと犬とアシカを足しても人間にはならないけど、僕がやってるのはそういうことじゃないか。
照井は取材を敢行すべく、どうやらこの家の主でありそうないかついエイヴィアン、『ヒゲ』の部屋への侵入を試みますが、その部屋の扉をくぐると、まったく違った場所につながり、そこで照井は解剖されかけるのでした。
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23. 正体が明かされそうになる

「殺さないで」
 胸のなかで紡いだ言葉が、喉に上がらない。
 感覚のなくなった四肢が持ち上げられ、鼠径部、太腿と、皮膚の深部に圧力は感じても、何をされているのかわからない。もしこの状態で解剖なんかされたら、痛みも感じないうちに僕は死んでいく。自分の体が切り刻まれる様子を目に、死の恐怖だけを感じながら。
 四肢のどれかがテーブルに投げ出されて、その音が骨を伝う。
 次の瞬間、体内に熱を感じる。同時に、内臓の奥から感じる圧力。吐き気がする。下腹部から肺まで、すべての臓器が引き出されるかのような感触。内臓に感じる熱は、冷感に変わり、チリチリとした音が骨を伝う。
 ――殺さないで。
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24. ライバルが現れ、自分の立場に不安を覚える

照井はすぐにフレアに保護されますが、なすすべもなく解剖されかけたことに、ショックを受けます。
ジャーナリストとしてのプライドも、先立った彼女への思いも、恐怖心のまえにがらがらと崩れ落ちます。
そしてちょうどそこに、怪我をした《バグベア》が担ぎ込まれます。
バグベアが部屋に横たえられると、自分のことに構うことなく住人たちは動き回り、やがて犬として愛されているかどうかさえ不安に感じるようになります。
照井
 散歩から戻って、拾ってきた石をそこに置く。四つ並んだ石を見て、果たして三つ目の石を置いたのが昨日だったか、一昨日だったかと思案する。僕はもう日を数えることすら覚束ないのか。
このころ照井は、フレアの手をペロペロと舐める癖がついています。
ハイアノールの汗にはほのかな甘みがあり、その味覚が照井を惹きつけるのですが、本人は、ミネラルが足りていないせいだと理解します。
照井は、運び込まれたバグベアのことを、その体色から『👾グリーン』※と呼び習わします。
そんなおり、フレアが照井のパラグライダーをタンスにしまっているのを見つけ、もしこれで空を飛んでみせたら犬とは違う姿を見せられるのではないかと、夢想します。
※ 呼び方が2つあり紛らわしいので👾アイコンをつけました
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第 8 章

浮遊大陸レポート(3)

 そしてその隣に、ちょこんと横座りした青年がいる。二度見する。人間の青年がいる。
 青年は僕とは違って、上半身は裸、僕より少し明るい瑞々しい肌。飴色の髪は軽く波打ち胸まで届き、きれいにブラッシングされて、最初に見たのが後ろ姿だったら少女と見間違えていた。年齢はわからない。大学に入りたてか、もう少し上か。僕よりいくぶん小柄で、少年のようにも見える。
 優しくて穏やかな目と、桃花色の唇、端正な顔立ち。華奢でいてふわりとした肉付き、鎖骨の窪み、その下に肋骨が軽く浮いて見える。褪紅色の乳輪、横座りした身体に正中線の影、やわらかな腹直筋のラインはしなやかに下腹部へと下る。
 軽く手を挙げて、「ハーイ」と、なんとなく英語っぽく聞いてみるけど、彼はおずおずとソファの影に隠れる。四つん這いでこそこそと去っていったが、仕草はひとのそれ。真っ白いショートパンツを履いて、脚は裸足。
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25. 未成年女子に食指が動き、自己嫌悪に陥る

照井は祖父母の家に連れてこられ、そこで人間の青年と出会います。
青年は小柄で、髪が長く、柔らかな肉付きをしていて、歳は二十歳前後、肌と髪だけを見れば少女のようにも見えました。
ひさしぶりに会った人間、照井がコミュニケーションを取ろうとすると、向こうも積極的に肌を寄せてきます。
照井のうちにも溜まりに溜まったものがあり、思わずその指を股間に這わせますが、彼が男ではないことに気が付きます。
青年ではないとすると、目の前にいるのは未成熟な少女だと捉えるしかなく、照井は自己嫌悪に陥ります。
その後、照井は軍の施設であるキノコハウスへと同行しますが、そこでハイアノールの擬態技術を目の当たりにします。
巨大な亀に見えたものが実は戦闘機だったり、地底湖に見えていたものが地下格納庫だったり、それらに触れるうちに、さっき会った少女の正体もわからなくなっていきます。
― 35 ―

26. 科学力の片鱗を目のあたりにする

 老鳥とプルームはすぐに別の場所を目指す。僕も遅れないようについていく。さっきの分かれ道まで戻り反対へ向かうと、その先には巨大な木の扉がある。これだって本物かどうか。老鳥は魔法の鏡にエネルギーを注入しているような素振りをしている。それをもうどう理解していいかわからない。扉に魔法陣のような模様が浮かび上がって、複雑なギミックを解くように扉が開く。老鳥はプルームと話をしたあと扉の向こうへ。僕もすぐにそれを追う。
 その次の瞬間、僕と老鳥は光のドームのなかにいた。
― 36 ―

27. ライバルの正体を知り、飼い主を守る使命を帯びる

照井は、ここまで案内してくれた老エインヴィアンとともにデータルームに入り、コミュニケーションに成功します。
コミュニケーションが取れる相手はこの老人に限られていましたが、エインヴィアンたちの技術の高さを知ります。
また、自分がフレアの飼い犬である限りは身の安全が守られることを知ります。
 
そしてもうひとつ、フレアが保護したバグベアが武装した集団の一員であったことを知ります。
老鳥
あなたは、ふれあに、しょゆうされています。あのこなら、まもれます。
照井
守るってどういう意味ですか?
老鳥
これ、いじょう、はなすと、ログが、おくられます。おわりです。
照井
ログが送られる? 監視されてるってこと? わからない。わからないけど、フレアってプルームのこと? プルームが僕を守ってくれるの?
― 37 ―

第 9 章

浮遊大陸レポート(4)

 僕は――犬として扱われたんだよ。その大陸では。
 でもなんとなく、自分でもそれでいいような気がしてきて……
 犬の仕事って、『かわいい』なんだよ。
『かわいい』をちゃんとやってたら、愛される。だから、『かわいい』をがんばらなきゃ、飼い主様に愛されなきゃって、いつのまにか必死になって、あとから来た奴に嫉妬して、ほかの家に飼われてる犬に恋をして、飼い主とどっちが好きなんだろうとか自問して。
 人間と動物の違いって、『考える』ことだと思ってたんだけど、いまの僕は犬なりに考えてる。考えて、考えて、もっと犬になろうとしてる。本当に人間って『考える葦』なのかなって思うくらい、犬として考えてる。
― 38 ―

28. 馬車で旅に連れ出される

照井は、祖父母の家で見た人間のことを思って自己嫌悪に陥る一方で、自己嫌悪している場合ではない、どんなことをしてでも現状を打破すべきだという思いとで葛藤しています。
そのなかでフレアに連れられて馬車旅に出ますが、野営地の夜、フレアの夢を見て、照井の意識のなかではだんだんと死別した彼女とフレアとのイメージが重なっていきます。

国境の町では服を剥ぎ取られて、裸で歩かされますが、まわりを見ると同じような人間がそこかしらにいました。
裸にされているのは人間ばかりではなく、バグベアのなかにも同様の扱いを受けているものがいて、この街の退廃の度合いに辟易する一方で、フレアへの思いも大きくなっていきます。
― 39 ―

29. 退廃の街で不安に苛まれる

 籠に閉じ込められて、悲壮な声を上げている人間もいる。店の前に無造作に積み上げられて。その声を耳にしてふと、彼らは食肉用だと思った。僕はいつの間にかプルームのドレスの袖を握りしめていた。濃厚な肉の匂いが漂ってきて、それがまるで人間の肉の匂いのような気がして吐き気がする。プルームはそれに気がついてか、僕を抱えあげて抱きしめてくれた。
 裸に剥かれているのは人間だけではなかった。緑の肌のひとりが全裸で、丸刈りにされ、腹の前にプラカードのようなものを持たされて歩かされているのも目にした。首には鎖を掛けられ、そのひとが通ると周囲から歓声や、あるいは怒号が起こる。
― 40 ―

30. 敵の襲撃から飼い主を守る

言葉のわからない照井は、彼女たちの様子から何が起きているか察するしかありませんでした。
照井には、フレアとベリチェがデートして、👾バグベアの男はふたりに遠慮して姿を消したかにも思えました。
だけど、フレアが涙をこぼしているところを目にし、どうしても辻褄が合いません。
バグベアの男はすぐに戻ってきますが、様子が違っていることに気が付きます。

屋敷へ戻り、フレアがベッドに横になると、照井も傍で眠りに落ちますが、すぐに👾バグベアの侵入を察知します。
👾男は手斧を持ってフレアを襲撃します。
どうやら👾男が狙っているのは、フレアの左腕のようです。
たかが左腕一本に、自分の命を掛ける値打ちがあるのかと照井は自問しますが、フレアを守ることを決意します。
― 41 ―

31. ペットとしての本懐を遂げる

 ふと👾グリーンに目をやると、奴は怪我した腕を庇っている。
 僕にはもう庇わなきゃいけない傷なんかない。失血なんか知らない。狼に追われたとき、底なし沼に沈んだときの恐怖がいまは無い。もう一度立ち上がれば、もう一度チャンスが巡ってくる。
 ベッドの傍まで這いずって立ち上がる。
「プルーム、逃げて。窓から」
 あと一撃だけなら時間を稼げるから。プルーム。早く、窓を。
 👾奴が立ち上がる。
 僕にはもうなにも要らない。プルームの左手をつなぎ止めるだけでいい。
― 42 ―

第 10 章

コンタクト

 私の怪我はすぐに治った。
 左腕の傷は骨に達していたけど、この程度なら一日もあれば治る。
 だけどコムギは違った。背骨のうちの三つが粉砕していて、彼らの器官には自己修復機能も無い。血も大量に失われているけど、適合する人工血液がわからない。それにどうやら彼はワンコではないらしい。おそらく地球人だ。地球人がまさかワンコと同じ姿をしているだなんて思ってもみなかった。
 腹にある痣もベリチェに指摘されてからは臍のようだとは思っていた。すぐにそれを認めて、ちゃんと調べていたら良かった。
 治療の際も、最初はワンコの血が適合するかと考えたけど違っていた。細胞構造も違うし、そもそもドメインから別。星が違うので当然といえば当然なんだけど、調べてみるとこの世界にワンコ型の哺乳類は少なくない。コムギがそのなかのどのタイプに属するか調べるのに少し手間取った。
 細胞培養の準備が整うまでに三日。その間に遺伝子をシミュレーションして、培養が軌道に乗ってからは時間はかからなかった。その間脳には十分な酸素を供給していたので、機能は失われていないと思う。
― 43 ―

32. 時間のズレが生じていることに気がつく

照井の活躍によって、守られたフレアは、照井を蘇生させるべく治療に当たります。
ハイアノールの医療技術は高く、切断されかけたフレアの腕は1日で治癒しました。照井は適合する血液の種類は体の構造が不明だったために、少し手間取りましたが、それでも、背骨を砕かれるほどの大怪我を、三日ばかりで完治させます。
フレアたちはその間に、照井とコミュニケーションを取るために、地球の言語データを収集しました。
その過程で彼女らは、時間にズレが生じていることに気が付きます。
フレア
ベリチェ、今日、何日?
ベリチェ
10227のはず……あれ? このタイムスタンプは何?
フレア
わからない。いま恒星図をチェック中。ミスかもしれないし。それにこっちに大陸を移すとき重力源を通った可能性がある
ベリチェ
重力源を通っても、この時間のズレは起きないよ。可能性があるとしたら虚数空間を通ってる。
― 44 ―

33. コミュニケーションへの道のり

地球の軍隊が歩兵を上げてきたとの情報が流れてきて、俄にあわただしくなります。
フレアは、照井とコミュニケーションを取るために準備を進めますが、迷いもありました。
照井の脳の構造や、地球人類の語彙力から、地球人類が第二水準にしかないのは明らかでした。
フレア
迷いはあった。
フレア
文明は第二水準。おそらく個人主義で、非科学的な信仰を持っていて、性欲が支配的で、執着心が強い。
フレア
ワンコのままの彼なら愛せると思う。だけどいくつか言葉を交わしてしまえば、きっと私は幻滅するし、ベリチェが👾アズールに取っていたような態度しか取れなくなる。
地球人がワンコと同じ外見をしているということは、彼らを飼おうとするものが現れてもおかしくありません。
また、彼らが飼っているワンコはもともとは人工生命体で、ハイアノールの侵襲性のあるRNAを経口摂取することで、遺伝子に多くのエラーが生じていました。地球人の遺伝子でそれを修復しようと言い出すものが現れることも、想像に難くありませんでした。
― 45 ―

34. 噛み合わないふたりの会話

フレア
私と交尾をしたいと思いましたか?
照井
それは……、はい。何度も……
フレア
何度も? 何度も交尾したの?
照井
あ、いや、してないです。したいなと思いました。何度も。
フレア
交尾をする時は言ってください。仮にあなたが私と交尾を望むとしたら、私は受け容れることができます。ただ、受精も胚発生もしないと思います。それでも交尾を望みますか?
― 46 ―

35. フレアは価値観の違いに落胆する

フレアは照井に、祖父の家のワンコは雌雄未分化だったが、照井に会ってから急激にメスに分化したことを伝えます。フレアにとっては、単に生物学的な話題であって、そこに人間的な恋愛感情を投影する照井に失望します。
フレア
あなたはジュディとの交尾を望んでいますか?
照井
もし彼女と親しくなって、ずっと一緒に暮らすようになったら、たぶん交尾はすると思うんです。生殖のためではなく。
フレア
性欲を満たすため?
照井
いや、コミュニケーションのためというか。
フレア
では、あなたと私とのコミュニケーションにも交尾は必要ですか?
フレアたちには性欲がありませんでした。社会的な意思の疎通(人間的な関わり合い)と、肉体の物質的な欲求の解消(動物的な関わり合い)とを並列させる照井の考えは理解できませんでした。
こういった照井の反応から、フレアは照井をワンコとみなすようになります。
― 47 ―

36. コムギとフレア、初めての交尾

 試しにコムギの生殖器をいじってみると合成される有機質の傾向が変わる。
「おおー」
 知らない有機質が次々と現れる。アラートが鳴りっぱなし。
 いくつかの有機質にマーカーをつけて、アラートをオフにして、尻と手を使ってずりずりとベッドのなかに潜り込んでそのまま横になる。準備万端だ。
「交尾していいよ」
「はあ?」
 果たしてどんなデータが取れるのか、考えるとドキドキしてきた。
 さあ、コムギ、早く。
 あなた今日まではワンコなんだから。


 そして――記憶する限りでは初めての交尾。
 それはまるで、羽根のないコムギの羽ばたきのようだった。
― 48 ―

第 11 章

失望

 ガラガラヘビの毒が電気ショックで治ると信じた者、猫の耳から獲ったダニを自分の耳で育てた者、グリズリーの攻撃にも耐えうるスーツを開発した者――
 そんな奴、滅多にいるはずがないと思っていた。
 いや、実際に記事になるレベルのひとはそうそういない。いたら取材に行ってる。
 百年の恋が冷める瞬間っていろいろあると思うけど、行為の後、スポイトで精子のサンプルを容器に移している姿を見て、つくづく思った。フレアはそんな変人のひとりだって。
 でも、
「プルームって呼んでもいい?」
 と、聞いた時、
「名前は好きに呼べばいいよ」
 そう返事をしながら、泳いでる僕の精子をモニターで見てる瞳はやっぱり綺麗だった。
― 49 ―

37. ジュディの変化

照井は、祖父の家にいた青年が、人間ではなく《ワンコ》と呼ばれる別種の生命体で、しかも卵生で、若い頃は雌雄未分化であると聞かされます。
名前はジュディ、しかも照井に会ってからホルモンバランスが変化して雌への分化がはじまり、現在すでに乳房も発達していると言って映像を見せてきます。
照井もだんだんと感覚が麻痺して、卵生や卵管といった言葉にまで妙な興奮を覚えるようになります。
 
また、フレアたちハイアノールの性別も遺伝子的に区別すると16種類あり、男性的に機能するもの、女性的に機能するもの、両性の特徴が出るものなど様々だと教えられます。
ほかにも、宇宙にどんな種があるか、生物とはなにか、卵生がいかに胎生より優れているかなど、照井が聞いたことのなかった話が、次から次へと耳に飛び込むようになります。
 
フレアたちハイアノールは、科学の発展で永遠の命を持つようになり、細胞の老化から開放されると同時に性欲を失っていました。
そのため、性欲を持つ種が珍しく、なかでも老化することなく次の個体に伝えられる《精子》に興味を持ち、この先照井は、彼女たちの様々な実験につきあわされることになります。
― 50 ―

38. 実験にさらされる日々

 結局その日はベリチェがセンサーを操作して、プルームがモニターを見ながらあれこれ指示しながら交尾をすることになった。気まずい作業のなか、なんとか役目を果たして、採取した精子が泳いでる様をふたりで眺める姿には変にときめいた。僕の精子が泳いでるだけなのに、こんなにも喜んでもらえるなんて。でも実は今朝から、僕の肝心な部分は心なしかかぶれてる。粘膜の部分が白く薄皮が浮いたようになってて、痒い。
 終わったあと有機質の数値とやらを見て、ふたりはひとしきり騒いだ後、
「ジュディとは交尾できる?」
 と、聞いてきた。
 以前にも聞かれたことがある。あのときは恋愛観を問われたんだと思ったけど、いまは実験に協力できるかどうかを聞かれている。
「この前ビデオ見せたよね? ジュディ、あなたと会ったときは性別が決まってなかったんだけど、あなたに会ってから雌が確定したみたい。いまは結構目立つ乳房があるよ。交尾も出来ると思う」
― 51 ―

39. ジュディとの交尾

フレアは照井に、胎生よりも卵生が優位なことを語り、『遺伝子操作で人類を卵生に変えることができる』と教えます。
卵生のほうが母体への負担が少ないことなどを聞きながら、照井がまっさきに思ったのは『おっぱいがなくなるのは残念』。照井はそんな自分を恥じるしかありませんでした。
また彼女らは、照井とワンコとの交雑にも興味を持ち、照井の精巣中の精子をジュディにの卵子に受精できるよう操作し、交尾を求めてきます。
照井
でも、交尾するってことは、妊娠、出産とあるわけだし……。
フレア
無精卵だろうが有精卵だろうが生むものは生むから、別にいいんだよ、気にしなくて。
照井は、口では断りながらも、興奮を抑えられず、フレアたちもその様子はセンサーでモニターしながらすべて知っていました。
なすがままに裸にされ、ジュディの前に立たされますが、すんでのところで祖母が諌め、実験は中断。フレアと祖母との協議により、照井は地上に返されることになります。
照井はフレアと別れたくなくて、「ジュディも一緒でいいなら」と無理な要求をつきつけてみますが、これが仇となって、照井とジュディはふたりで米軍のキャンプ地に届けられることになりました。
― 52 ―

第 12 章

キャンプ・フォーマルハウト

 キャンプ近くに駐機する回転翼機の姿があった。
 米軍のものだろうか。グアムからの距離はもう記憶にないけど、往復の航続距離を考えると空母から出たものだろう。六枚羽根、両肩に瘤のようなものがあって、丸い鼻先、無骨で古めかしい大型の輸送機。
 僕とジュディは簡単な身体検査のあと、その輸送機の荷室に入れられた。黄色いプラスチック製のベルトで両手を固定され、ひとりの若い兵士が監視につく。ジュディはずっと僕が抱き寄せてなだめていないと駄目だった。監視の兵士の首筋には虫刺され跡が見られる。三週間前の僕がそうだったように中心に赤黒い斑点ができ、広範囲に腫れ上がっている。
― 53 ―

40. 帰還を望まれていないことを知る

照井は、浮遊大陸に上陸した米軍の駐留地、キャンプ・フォーマルハウトに、ジュディとともに送り届けられました。
ここでようやく、照井は地上の様子を聞くことになります。
照井が浮遊大陸に上陸したとき、米軍の通信で「囮が上陸した」と交わされていたと聞いていましたが、照井はほかの主力のメンバーを潜入させるための囮に過ぎなかったと知らされます。
これには強いショックを受けました。フレアから、自分が『囮』と呼ばれていることを聞いたとき、米軍が自分を囮にして、裏で作戦を進めているのだろうと考えていたからです。
また、自分をここに送り込んだのは、米軍の司令官、あるいは大統領を失脚させるための策略だったことも知り、形見も狭くなります。

照井とジュディは、身体検査され、ジュディはその場で暴れだし、失禁し、その夜、正体がバレたのか、ジュディだけ海上で待機する空母に送られそうになります。
照井はそれに気が付き、阻止すべく行動を起こすのですが、すぐに取り押さえられ、鎮静剤を打たれ、眠りにつきます。

眠っていると枕元にベリチェが現れ、ジュディを救出したことを知らせてくれます。
フレアはいつも、己の愚かさから自ら傷ついてるのだと知らされ、照井はフレアに寄り添うことを決意します。
― 54 ―

41. 地球への帰還を諦め、フレアのもとへ

 思えば中学の頃からだ。
 ずっと性欲に引きずられて、時にそれを正当化するために己の信念をも曲げてきた。思春期なんてバカの塊だ。そんな時期に人格が形成されるんだから、人間なんてみんなバカだ。
 ベリチェがいってたこと、自分の愚かさに気がついて、それで傷ついてるみたいなこと、わからなくはないんだ。僕だってそうだから。自分の愚かさほど自分を傷つけることはない。でも自分じゃない誰かが同じように、自分の愚かさで傷ついているとしたら、僕はそれにどうやって気づけるの。どうやって救ったらいいの。
 おそらく僕の冒険は、このキャンプに戻った時点で終わっていたんだと思う。
 結末はベストセラーかもしれないし、銃殺かもしれない。そのどちらであっても、もういいかなって、そんな気持ちはあった。
 だけどその前に、僕はその小さな疑問の答えを見つけないといけない。
 誰かが傷ついてることに、僕はどうすれば気付くことができるか。
 地球の運命に比べたら、取るに足りない、些細な答えだけど。
― 55 ―

第 13 章

下降気流

 コムギのデータを見ていて、一部私の体内のデータが含まれていることに気がついた。でも、いままでに見たこともない組成。ハイアノールの免疫システムから考えると、コムギのRNAが私を侵襲する可能性はない。由来は不明。しかもおそらく、体内で自己複製している。
 念の為ベリチェのデータを取ってみても同様。新しい増殖性のRNAはざっと三〇種類。うち二種類は変異速度が早く、シミュレーションの結果、何も手を施さなければ十七日後にエンベロープを獲得、体外に放出されることがわかった。すなわち、私たちの体内で未知のウイルスが生成されている。
― 56 ―

42. コムギとの再会

浮遊大陸の周縁部に、米軍の歩兵が上がってくるようになります。
浮遊大陸側が防衛を強化して以来、米軍の補給が絶たれ、投降や無謀な進軍が増えました。
ただそれも浮遊大陸の住人、ハイアノールからすれば野生動物の移動のようなもので、機械的に処理すれば済む話でした。
ただ、そこに築いた文化が失われることを、彼女らは嘆きました。
 
そうやって、進軍してくる兵士にまぎれて、照井の姿がありました。
喪失感を感じていたフレアは、すぐに照井を迎え入れました。
とはいえ、照井とフレアの価値観の違いがうまることはなく、これからもふたりの間にはすれ違いが続いていきます。
 
また、ハイアノールの多くがこの頃より、体調不良を訴えるようになっていました。
― 57 ―

43. 埋まらない意識の差

照井
僕たちを滅亡から救う気はないんだ
フレア
救うというのは?
照井
滅亡しないように、あなたたちの科学力で助けてくれるとか
フレア
たとえば十万年後もあなたたちが地球の支配種であることを保証してほしいということなら、それはできない。数万年ごとに気候も地形も変動するのだから、その環境に適合できない種は滅びて、新しい種にこの星を譲るのがあるべき姿だと思うし、私たちはそこには介入しない
いずれにしても、百万年後、一億年後にはあなたたちはこの星にはいない。
フレア
一万年でも同じだし、百年でも同じ。なんなら明日の話でも同じ。
― 58 ―

44. 地球の第五水準文明の目論見をつかむ

地上のラジオは、田中先輩や家族を使って照井への呼びかけを流し続けますが、照井は、そうやって自分を衆人環視に晒しているのだといいます。
フレアは照井に地上へ戻ることを進めますが、照井は戻りたくはありませんでした。
 
照井の体には、フレアのベリリウム化合物を舐めることからくる発疹が出ていましが、フレアがこれを治療しようとしたとき、あることに気がつきました。
ここ数日、自分のなかで生成されている謎のタンパク質群は、照井、すなわち地球人の遺伝子修復用のコードとして機能するよう設計されていたのです。
すなわち、地球にいるであろう第五水準文明が、第二水準の地球人の遺伝子の修復のためにハイアノールを呼び込んだと考えざるを得ませんでした。
 
これにより、ハイアノール上層部は地球からの撤退を決めますが、敵は第五水準文明、やすやすと見逃してくれるとは思えませんでした。
大陸全土で対第五水準文明の臨戦態勢を取り、大陸移動へのカウントダウンがはじまります。

そしてそんな危機的状況のなか、ベリチェはフレアに胸の内を打ち明けます。
じつはフレアとは、恋人同士のつもりでいたのだと。
― 59 ―

第 14 章

ロング・インタビュー

 タンポポー。聞いてるかー。
 こっちはまあ、たいへんなことにはなってるけど、別におまえのせいでもないんで、まあ、気にしなくてもいいんだけどさあ、一応伝えとこうと思って。
 俺もこないだまで監禁されてたし、わかんねえことばっかなんだけど、なんかもう、そういう場合じゃねえんだろうな。ラジオで流すから呼びかけてくれっつって。お前の姉ちゃんとかもみんな。血がつながってるってだけで、まあいい迷惑だよな。
 ビデオも見たよ。海兵隊の。ほんともう、何やってんだよお前、異星人と馬に乗ったりして。話が通じるんだったら、海兵隊助けてやりゃ良かったのによう。親御さんも姉夫婦も針の筵だぞ? 事情はあるとは思うけどさあ、こっちはあの映像しかないわけよ。あとキャンプなんとかのインタビュー。
 話くらいつないでくれてもいいだろうよ。人類見捨てたわけじゃないんだろう?
 もう駄目なんだよ、人類は。人類の力だけじゃ。
― 60 ―

45. 地球にはもう帰れないことを悟る

ラジオの声は、地球の混乱を伝えます。
しかし、照井にはなすすべもありません。
照井
わん。わおーおー。おーん。
フレア
どうしたの? コムギ。
照井
わからない。犬の気持ちになってみたかった。 結局僕はケンとは呼んでもらえなくて、ずっとコムギのままだし。 ケンって呼んで欲しい。
フレア
いいよ、ケン。
フレアと照井は、ガソリンエンジン車でデートへ向かいました。
向かった先は、十数万年まえにフレアが撃墜した第三水準文明の宇宙船でした。
その船は地上へ落ちたあとも、自己修復機能で再生し、いまも数万人の住人たちが冷凍睡眠状態で乗っているといいます。
まるで水族館デートのような気分で、巨大な宇宙船内を見学しているときでした。フレアは唐突に、別れを切り出しました。
― 61 ―

46. フレアとの別れ話

 もう終わるんだ、フレアたちの夏休みが。
 八月の終わり、お昼を少し回った蝉しぐれのなか、麦わら帽子を傾けて、いつものように、アイスクリームを買って、米屋のベンチに腰掛けて、
「明日、東京へ帰るの」
 そんな風に、タイミングを見計らって切り出したフレア。
「知ってたよ、フレア。そんな気はしてた」
「そうなんだ」
 後ろ髪を引くまいと、去勢を張って、
「僕もそろそろ仕事に戻らないといけないし。いつまでもペットではいれないよ」
 彼女は戸惑いながら、小さな笑顔を作って、ほっとため息をついて、ほどこうとしていた荷物をまた胸に戻して、
「良かった。私、コムギに泣かれたらどうしようかと思って」
 そういいながらフレアの顔は、笑顔を貼り付けたまま崩れていく。
― 62 ―

47. ベリチェ、男の子になる決意

照井
フレア、ねえ、あれなあに?
フレア
対第五水準文明用の防衛システム。ぐるっと地球を一周してる。
照井
対第五水準文明用?
フレアたちって、誰と戦ってるんだっけ?
フレア
磁界シールドで脱出路を断たれた場合、逆位相の磁界を発生させて打ち消すの。それと、こちらの戦闘機を飛ばす時に磁場で妨害されないようにも。
ベリチェの性別は中性で、ホルモンバランスでどちらにでも変化するタイプでした。
それまでは女性としてフレアのそばにいて、姉妹同然に振る舞っていましたが、折も折、男性になることを決意しました。
照井もフレアとの関係にはけりをつけて、地上へ帰る決心を固めます。
別れまであと1週間、照井はフレアたちにインタビューを申し入れます。
― 63 ―

48. 最初で最後のインタビュー

 馬小屋の裏手、自然文化園のあたり。馬小屋と屋敷の間から井の頭公園の池が見える。
 曇天。少し風の音が強い。
 椅子を三つ並べる。テレビの対談番組のように。
 ビデオや録音を回すインタビューでもないので、気軽に行こうと思う。
 ――それでは、フレア・カレルと、ベリチェ……ええっと、
「ベリチェ・リセ・マイユ」
 ――ベリチェ・リセ・マイユへのインタビューを始めたいと思います。
 僕がそういうと、ベリチェとフレアは「リセ」「リセ」と、小声で繰り返して笑い合う。
― 64 ―

49. インタビュー・不老不死のこと

照井
それで最初に、まずはこれから聞かないといけないと思うんですけど、あなたたちハイアノールって、不老不死なんですよね?
フレア
そう。遺伝子修復機能と、器官修復機能と両方あるから、まず死なない。
照井
ハイアノールはいつ頃そうなったんですか?
フレア
地球年に換算すると誤差があるかもしれないけど、概ね八〇万年前。
ベリチェ
大昔に不老不死になったんだよ、私たち。でもその時の記憶はなくて、その時の家族ももう覚えていない。
照井
記憶がないというのは?
フレア
不老不死といっても、脳の記憶容量が増えたりはしないでしょう? だからだいたいのことは百年もすれば忘れてしまう。
― 65 ―

50. インタビュー・家族のこと

照井
家族になるのはどうして? 地球では、血がつながってるからしょうがない……っていうのがあるけど、そんな事情が無いんだったら、家族になんかならなきゃいいのにって思うんです。
フレア
逃げ場所かな。世界で唯一、契約の無い場所。
ベリチェ
ああ、わかる。ルールでしか成り立たない社会のなかで、家族だけは『家族になろう』ってだけで一緒にいられる。
照井
逃げ出したくはならないの?
フレア
そこが考え方の違いかな。たとえば、私が誰の娘でもない、ただハイアノールという属性しか持たないひとになったら、私という『個』はいらないと思うんだよね。短所も長所もあるけど、カレル家の長女だから、私は私でいられる。
そうしてインタビューをしていると、こんどは逆に照井がインタビューされ、照井は今までに起きたことを静かに語り始めます。
― 66 ―

51. フレアたちからの逆インタビュー

「プルームはどうなったの?」
 と、ベリチェが訊ねる。
 入院してる間、姉が世話してて、そのまま情が移ったとかで飼い続けてる。姉なりにたぶん、僕が思い出さないようにって気を使ってるんだと思う。
 ブラインドを開けると、ずっと外を眺めてる子だった。
 夕方、近くの小学校から音楽が流れてきて、彼女はプルームを指に乗せて、よく口ずさんでた。
 
 なのはーな ばたけーにー いーりーひ うすれー
 みわたーす やまのーはー かーすーみ ふかしー
 
 四谷の学校に移った後もさあ、プルームの姿が彼女とかぶって、いまもどっかでカゴのなかにいて、自由になりたがってんだろうなあって、ずっと思ってた。
 いまもそうだよ。いまも僕の胸のなかで彼女は歌ってるんですよ、人差し指にプルームを止まらせて。ずっとあの窓辺で、夕焼けを見ながら。
― 67 ―

第 15 章

蝕の終わり

 大陸移動の朝。
 少し雲が多いだけで、普段とはそんなには変わらない空。
 日が昇るとともに赤道上空を一周するホイールが回り始めて、対第五水準文明防衛用の予備システムが起動する。シスーク型と呼ばれる外宇宙機を使うために、地球の磁場を安定させる必要があった。ホイールは可聴域ぎりぎりの低い唸りをあげて、うっすらとオレンジの光を散らして回転した。
 縮退させた空間に大型の核融合炉を持ち、機体は生体型でありながら、放射性元素を安定させるために内部は二〇〇〇気圧三〇〇〇度に保たれている。多重化された空間移動機構を持ち、虚数空間連結で複数機体で冷却装置を共有、驚異的な排熱能力を持ち、恒星に匹敵するエネルギーを生成、利用できる。
 自在関節の脚部に無数の砲門を備えていて、これが虚数軸にも張り出しているので、量子化のフェイズ次第で脚の本数が変わる。これによって亜光速のビームと、光速の冪乗速のビームとを撃ち分けることができる。
― 68 ―

52. コムギとの別れ

フレア
コムギ、いますぐ飛べる?
照井
飛べるけど、急がなきゃ駄目?
フレア
あと三〇分で地上軍の攻撃第一波が到達するって
照井
わかった
ベリチェ
離陸を確認したら、私たちもすぐにシェルターに入る
照井
うん。そちらもお元気で
― 69 ―

53. 風のうたが響き始める

「風がねえ、歌を歌ってるの!」
 ベリチェは風の音に合わせて、その少し下に声を合わせる。
 風の音が変わると、今度はその少し上に声を合わせる。
「風だけじゃないよ。雷もだよ。それにあれ」
 ベリチェは上空のホイールを指す。そこから伝わるごく低い周波数をも音楽の一部を構成している。私も、自分の羽根が開いていくのがわかった。
 その時、背後にワープホールが開き始め、その音すらこの風のなかでは音楽になる。
 風の音にベリチェが声を重ねてメロディを奏でていると、そこにワープホールから現れたツィディ・カレルも歌声を合わせる。
 ツィディ・カレルとベリチェ・リセ・マイユの六声の旋律に、大気が震えだす。
「何が起きてるの?」
 戸惑うコムギに、私はただ微笑みを返すことしかできない。
「地球が歌を歌ってる!」
 次の瞬間、空にオーロラが現れ、その光の帯を幾重にも波打たせる。
― 70 ―

54. 地球が奇跡を見せる

突如、空にオーロラが現れます。
そして風の音は、音楽を奏で始めます。
それは、いくつか音の抜けた和音。そこにベリチェが声を重ねると、それははっきりとした音楽となって響きます。

その様子を通信で見ていた母、ツィディ・カレルも現れ、弟子たちと声を重ねます。
父、タルエド・カレルの操るシスーク型戦闘機も上空に待機しますが、この奇跡の下では、その音も和音の一部となって響きます。
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55. 幻日・繰り広げられる天体ショー

 やがて雲のなかに、ふたつめ、みっつめの太陽の姿が見える。
 幻日のように光のアーチで結ばれながら、更にその数を増やし、それぞれの太陽の前を月が横切る。太陽はそれぞれに音を響かせて、月影に欠けながらゆっくりと波長を変える。まるですべての時代の日蝕をここに集めたように、厚い雲を透かして無数の太陽が黄道に並ぶ。
 太陽が奏でる音はクワイアへと変わり、金色の音と光が雨のように降り注ぎ、足元から放射状に延びた私たちの影が回る。
 もはやこの音が現実なのか幻想なのかすらわからない。
 罠だ。
 第五水準の文明が、私たちをつなぎ止めるために見せている幻影だ。
 そう思いながらも震えが止まらない。
 ベリチェは歌いながらシャツを脱ぎ捨てて振り返り、私に駆けて来て、そのまま抱き着いて草の上に転がる。
「罠なんかじゃないよ。ずっと探してたんだよ。ようやく見つけたんだよ」
 わかった、ベリチェ。
「妖精を探しに行こうか」
「うん!」
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56. フレア、ベリチェ、照井、三人の飛翔

 ベリチェは私の手を引いて起こして、立ち上がるとすぐに私のシャツを脱がす。
 私がベリチェのベルトを外すと、彼も私のスカートのボタンを外す。
 靴を脱いで、下着を脱いで、私たちの羽根はすべて開いて、上気し、息を弾ませて、駆け出すとその羽根が風になびく。
 私たちって、こんなにも長い羽根を持っていたんだ。
 コムギはパラグライダーのラインを背負って、助走の準備に入っている。
「行こう、コムギ」
 コムギは少し微笑んで頷く。
 空には数百の幻日が、数百の時計となって、時を示すように欠け行き、ベリチェは胸の底から湧き出す喜びを吐き出すように叫び声をあげる。私も、海に向かって、囚えられていた何かを解き放つように声を上げる。
 コムギが駆け出すと、放射状のラインが風を切り分け、丘に広げたパラグライダーが空に広がる。風がコムギの肩に掛かる。
 コムギに合わせて私とベリチェも丘を掛け下り、コムギの足の最後の一歩が大地を蹴ると、私たちの手も翼になる。
 次の瞬間、私たちは風のなかにいる。
― 73 ―

第 16 章

光射すところ

 スマホを見ながら居眠りしていたらしい。
 僕はオレンジ色に染め上がる夕焼けの国にいて、そこはまるで神々の間だった。目には見えないけど、無数の神々、そして天使たちが僕を見守っていた。無数の夕陽に囲まれ、そこでは夕焼けにまつわるいろんな音楽が奏でられていて、それが太陽を通して外の世界に滲み出していた。
 そのひとつが僕のアパートのすぐ近くの小学校のスピーカーで、僕は風に押されて夕陽に飛び込んで、スピーカーへとくぐり抜けた。
 僕は、太陽を通って、音楽になったんだ。
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57. 過去に戻ってきた照井

照井は通学電車のなかで目を覚まします。
スマホを見ると、ハワイへ新婚旅行に行った姉から、日蝕の写真が送られてきています。
すなわち照井は、浮遊大陸で見た幻日に飛び込んで、別の時間軸へと移動していたのですが、本人は何も覚えていませんでした。
アパートの部屋に戻ると、彼女がひとり泣いていて、ふたりで飼っていた《プルーム》が死んだことを伝えます。
照井
どうしたの?
彼女
プルームが死んじゃったの。
照井
死んだ? どうして?
彼女
わかんない。昨日まで元気だったのに。
ふたりは半ば同棲しているような関係で、彼女は頻繁に照井の部屋を訪れていましたが、この日はその最後の日でした。
大学を受け直し、春からはもうここを訪れる口実もなくなり、厳しい親元にまた囚われる生活がはじまる。だけど照井は、そこに干渉することは出来ずにいました。
― 75 ―

58. 彼女との別れをリセットする

「お父さんに会ってもいい?
 親とうまく行ってないんだよね。
 それで、僕が悪者になるのはいいんだけど、君が傷つくの見るの、もう嫌なんだ」
「でも、だからって会ってどうするの?」
「交際してます、ってそれだけ伝えたい」
「無理。そんなことされたら私、四谷にも通えなくなる」
「『卒業してから交際させてください。それまで僕は指一本触れません』」
 彼女は鼻で笑った。
「本気だって。
 僕は、君のお父さんがどう考えてるか知らないし、会っても何も解決できないかもしれないけど、でもさあ、事実として君が傷ついてるのはわかるし、それに対して何もしないなんてのはもう、ありえないんだよ。
 僕じゃあ何も解決できないだろうけどさあ、それは君も同じでしょう?
 違うのは、君にとってはそれが逃げ出したくても逃げ出せない、家族の絆としてあって、僕は逃げ出そうと思えば逃げられるっていうか、近づかなかったら最初から怪我さえしない問題だってことなんだよ。でも僕も、逃げ出したくないんだよ、君が抱えた問題から」
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59. もういちど、恋を

彼女
あのね、ひとつだけいっておくとね、私、泣き虫だよ。ひとりだとずっと泣いてる。
うん。なんとなく知ってた。
彼女
私のこと見てると、もっと辛くなるよ?
うん。いまもう君が涙こらえてるのわかるし、僕も泣きそう。
照井
 いいよ。
 ふたりだと、その『辛い』をなんとかしようって思うじゃん。その最初の一歩をさ、ふたりだと踏み出せるじゃん。絶望が一〇〇個あってもさ、ふたりだとその一個を希望に変えられるじゃん
人間は『考える檻』だよ。
えて、考えて、考え抜いて、その檻に囚われる。だけど、僕と君は、お互いにその鍵を持っていると思うんだ。考えて、考えて、考え抜くのも人間だけどさ、そこから自由になれるのも人間なんじゃないのかな。
― 77 ―

…というお話でした

いかがでしたでしょうか。
ちなみに、このダイジェストを読んだことで、読者限定サイトにゃーでぃおコメンタリィの突入クイズにも答えられるようになったかと思います。本編なんか気にせず、そちらを読んでみるのも一興かと思います。
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 バッグから定期を出して握りしめて、彼女は何か言葉を探している。
 彼女がぎりぎり取り繕って、貼り付けていた笑顔が、ゆっくりと崩れていく。
「三〇秒だけ、肩を貸して」
 彼女はそういうと、僕の肩に顔をうずめた。
 僕はその、しゃくりあげる小さな肩を抱き留める。
 君の涙はぜんぶ、僕の涙だよ。
 
 駅前の広場の隅で、ストリートミュージシャンがギターを鳴らし始めた。
 オレンジ色の髪のヴォーカルが、積層した空の底から、声を羽ばたかせる。
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