第一章 夕凪
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第一章 夕凪
桜の頃、江藤茉里奈の元に、恩師より電報が届いた。 田舎町の小学校教諭の江藤茉里奈にとって、恩師デニス・ポートマンは偉大な人物だったが、無名のミュージシャンであり、無名の思想家であるその名を、世の多くの人は耳にしたことがなかった。 人類がまだ月を目指していた頃、デニス・ポートマンにもまた、未知の世界への強い憧憬があった。サイケデリックムーブメントが席巻した60年代後半から70年代初頭、時代の潮流に沿ってLSDを試し、一方ではイェール大学で哲学・心理学を修め、また一方ではネバダのネイティブアメリカンの居留地に赴いてはイニシエーションを受けた。大学を出たあとはインドへと渡り、そこで後に妻となるひとと出会い、82年にはそのひとを追って日本を訪れ、京都に居を構え、音楽の仕事に就き、それから十年以上を経て、関東のとある私立大に非常勤講師の職を得た。江藤茉里奈がデニス・ポートマンのゼミに参加したのもその頃だった。 若い頃のデニス・ポートマンは、自分は特別で、何かしらの力――人間より高度なものの意志によって選ばれているものだと感じていた。インドで事故に遭い現在にいたるまで杖を手放せなくなったことも、日本で暮らすようになって味わった数々の苦労も、高位の存在から与えられた試練だと考えた。幼い頃より教会に通い、聖歌隊に加わるなかで、その思いは培われた。いまでは個々の宗教には批判的な立場を取るものの、世界中のあらゆる宗教の向こうに、何かしらの大きな力があるのだと信じている。 デニス・ポートマンが教え子に電報を打ったのは、江藤茉里奈が小学校の教諭になったときのことだった。電報はぬいぐるみ付きで新潟の田舎町の小さな小学校に届けられ、そのぬいぐるみは彼女の教え子たちにも披露された。 「大学で先生に教えてくれたひとは、小さい頃は教会で聖書を学んでいました。大学ではいろんな哲学……哲学ってわかりますか? 昔からある、いろんなものごとをいろんな角度から考えるという学問です。その哲学を学んで、それからインドに行って、インドの哲学を学んで、それから日本に来て禅の思想……禅寺、あるでしょう? この町にも。そう、夏休みに座禅教室とかやってるよね? 心を無にして、そうそう、いま田中くんがやってるみたいにして、心を静かにしていろんなことを考えて、学びます。先生の先生は、そういう思想を学ぶために日本に来て、大学の先生になったひとです」 子どもたちは無邪気に、「外人ですか?」「外人かっけーっ!」と声をあげ、江藤茉里奈はすぐに、「外人とか日本人とかは関係ないです」と手のひらを見せる。子どもたちの顔を見わたして、その手のひらを胸の前で結んで、「そういうのは人間の本質にはなんも関係がないということを学ぶのが、哲学です」と続ける。ただこの何年か後、クラスの中で浮いていた転校生、向井裕貴にだけは「本当は、外国人が日本でどう扱われてるか、ちゃんと説明しなきゃいけなかったんだけど、大勢の生徒を相手に話すのは難しいよ」と、当時を振り返った。 江藤茉里奈が教諭を務める新潟の小学校は、海にほど近かった。デニス・ポートマンの妻も京都の日本海側、港町の出身で、江藤茉里奈が先生になったとの報せを聞いたとき、それを思い出した。妻とは3年ほど前に別れ、そのとき二人の息子も妻の実家に引き取られた。裁判も起こしたが、会うことも叶わず、日本人ならば違ったのだろうかと、幾度か自問した。インドで妻と出会った時、日本には差別はないと聞いていた。社会学も修めた彼がそれを鵜呑みにしたわけではなかったが、妻とのその認識の違いは少しずつ溝を広げていった。ある日妻が、話す相手によって、「日本には差別はない」といっているケースと「日本にも差別がある」といっているケースがあることに気がついて、話を聞いたことがある。妻は相手によって、たとえばアパルトヘイトのようなものがあるかと訊ねられていると察したら「ない」と答えるし、田舎町での因習に基づくトラブルのようなものを問われていれば「ある」と答える、と説明した。「それじゃあ、美奈子自身はどう思う?」と訊ねると、妻は「私が思うかどうかではなく、差別は認識の問題だ」と答えた。 デニス・ポートマンはしばらくその「認識の問題」という言葉の意味について考えたが、答えは得られなかった。それから何度か話すうちに、妻がその問題を避けようとしていることに気が付き、その背後には社会の構造の問題が潜んでいるだろうことも察した。だがその頃には、妻との溝も広がっていた。妻が精神科へ通い、実家へと息子を預けられてからは、彼の話を聞くものもいなくなった。理由もわからないまま離婚を切り出され、妻の両親が雇った代理人との話し合いは的を射ず、デニス・ポートマンはいつしかこれもまた自分に与えられた試練なのだと諦め、息子たちとの面会さえ許されるのであればと身を引いた。だがその後、息子に会う機会が与えられることはなかった。 離婚後しばらくして、大学の非常勤講師の職を辞した。 日本に来てからはもっぱら音楽で身を立てていた。非常勤講師は、学生時代から縁のある財団を介した、数合わせのための採用だった。大学側には、彼を雇わねばならない事情があった。その事情をだれも口にはしない。だけど彼も同僚も知っている。音楽でも、思想・哲学の分野でも、デニス・ポートマンの実力は人並み以上だったが、その実力いかんよりも特段の事情で評価されるのが常だった。学生から彼が参加したCDにサインを求められることもあったが、本音ではそれを断りたかった。学生時代にアルバイトをして買ったトランペットを御茶ノ水の楽器屋に売ったとき、店員は彼が名の通ったミュージシャンであることに気がつくこともなかった。ましてやその時の決意など気がつくわけもない。大切なものを手放せば、そこからはもう後戻りできなくなる。よく手入れされた少し鈍色のトランペットは、二度と戻ることのない日々とともに、彼の元を去った。 酒は飲めず、気が沈むときにはもっぱら音楽を聞いていた。日本に来て、幾度か職質をされ、薬物検査まで受けさせられたこともあったが、インド滞在以降は薬に手を出すことはなくなっていた。音楽仲間からそれが手に入る店やバイヤーは紹介されたが、その頃には妻子があった。妻は特に生真面目で、裏切ることはできなかった。かつてインドで妻とともにとあるヨギに師事し、呼吸法を学び、ふたりで精神を溶け合わせる日々もあったが、長く続く日常の中で、その感覚も失われていた。 時折、足に灼熱感を感じる。寝ているときに足が攣ることも増えた。それはパラマハンサの自伝にも、ババジ伝にもない変化だった。齢50を過ぎてからそれほど日が経ったようには思えないが、体は日に日に衰える。インドで過ごした日々はつい昨日のことのように思い起こされ、いつか古い記憶はモノクロに変わると信じていた少年時代でさえ、鮮やかな色で脳裏に浮かぶのに、現実の目の前の白い壁には、視界にこびりついた網膜の傷が目立つ。自分は特別でなかった。そう思うと、後悔の念に苛まれた。もしもっと若い頃に、自分の凡庸に気がついていれば、凡庸な努力を重ね――目標は自分の楽曲をリリースすることでも、新書の一冊を書き上げることでもなんでもいい、プロデューサーなり編集者なりとコネを築いて、話し合って、プレゼンして、一歩ずつでも前に進んでいれば、何かしら自分を満足させるだけのものを残せていたのに。デニス・ポートマンはただ、傷つくことを恐れ、いつか来るはずの奇跡も来ないまま、ただ肉体だけが衰えたことを知った。 卒業式のシーズンが終わって、江藤茉里奈から手紙が届いた。「私がはじめて送り出した生徒たちです」と書かれた手紙には写真が添えられ、「この中の何人かは、デニス先生の講義を受けたいといってます。楽しみに待っていてください」と結ばれていた。写真の遠景には日本海が見えた。講師の職を辞したことを、江藤茉里奈には伝えていなかった。 5月のはじめ、風の強い日、デニス・ポートマンは新潟のとある市の小さな小学校を訪ねた。少し市内を歩き、日が傾き始めた頃に門をくぐり、職員室に入るとすぐに江藤茉里奈が笑顔を見せた。 先生たちは物珍しそうに、背の高いデニス・ポートマンの姿を覗く。イェール大を出て、ミュージシャンを経て、有名私大の哲学の講師に納まっていたというだけで、まわりのものはため息を吐く。若い頃ならば、それを誇ったかもしれないが、いまのデニス・ポートマンにとっては不本意なものでしかなかった。 「もう、急にインドに行ったりはしないんですか?」 江藤茉里奈に尋ねられて、まだ行ったことのない大陸がひとつ残っていると答えた。 「それじゃあ、私がお金を貯めて、一足先にでかけて、旅先から写真を送ります」と、江藤茉里奈がいうと、同僚の教諭は「生徒たちはどうなるの」と呆れた。 田舎町の小さな学校には、いろんな問題があった。都会から離れていることで、新しいパソコンの導入などは遅れるし、そもそも都会の学校のこともわからず、自分たちの設備やカリキュラムに不安があった。学校に一台だけあるパソコンで、都会の学校の生徒とテレビ会議のようなことをしたこともあった。子どもたちには受けが良い授業だったけども、江藤茉里奈は『田舎の学校』というポジションを与えられての話に違和を覚えた。『田舎の学校』で学んだ生徒たちには、ずっとそれがつきまとう。社会に出てからも、田舎と都会という価値観は、その言葉を失ったまま体に染み込んでいく。決してそれを変えることはできないし、それは良いことでも、悪いことでもない。その問題の全容すらわからず、私たちはただ、その中にいる。そういった問題の本質を理解してくれるのは同僚たちではなく、恩師のデニス・ポートマンだけだった。 「でも、田舎なりにがんばってると思うよ、俺たちは。特に江藤さんが来てから、学校の雰囲気は変わったよ。都会的になったっていうか」 「田舎扱いされるのはしょうがないわよ、田舎なんだから。田舎は田舎の良さを活かしていくしかないのよ。負けてないわよ、私たちも」 そういう同僚の言葉に愛想笑いを返すことにも慣れた。おそらく、デニス・ポートマンも同じだろう。哲学に傾倒すると、目にするもののすべてを疑い、無作為に生まれた前提のすべてを踏み潰し、自ら破壊し尽くしたなかで――いったいここに何があるんだ――と、自問する。 「そうそう――」 同僚たちの好奇から、デニス・ポートマンのサイケデリック体験の話題になったとき、江藤茉里奈はヘミシンクの話を始めた。ヘミシンクというのは、耳の左右に数ヘルツだけ異なる音を聞かせることで、その周波数のゆらぎを脳内に発生させ、覚醒した状態でシータ波を誘導する技術。江藤茉里奈はデニス・ポートマンのゼミに参加して以来、インド旅行や禅の修行に憧れていたが、中でも興味を持ったのが、ネイティブアメリカンから受けたという『ビジョンクエスト』だった。ビジョンクエストは四日四晩、荒野で飲まず食わずで過ごすイニシエーションで、それだけでも過酷でリスクも大きいが、日本人の若い女性が一人で参加するとなると、健康上の問題以上に警戒しなければいけない問題があった。 「私、調べたんですよ、ビジョンクエストを受けられるところがないかどうか。それで、まったく無いわけでもなかったんだけど、なんか詐欺っぽいものも多いし、躊躇してたときに、これを見つけたんです」 そういって江藤茉里奈は、ヘミシンクの怪しいリーフレットを見せる。 「インドにも行こうかと思ったんですけど、ちょうど伝染病で渡航制限が出たところで、まあ、春休みに無理して行っちゃっても良かったんだけど、でもそれで変な病気にかかって帰ってきたら、新学期からの生徒たちにも顔向けできないし」 ヘミシンクを使えば悟りを開いたような状態にもなれるし、幽体離脱のようなことも起きる。嬉々として続ける江藤茉里奈の言葉が少し途切れたタイミングで、デニス・ポートマンは水を頼んだ。お茶よりも水のほうがよろしかったですかと恐縮する江藤茉里奈に、心臓病の薬があるから、と、カバンの中からピルケースを取り出して見せた。 薬を飲み下して、デニス・ポートマンは訊ねた。 「この近くから、佐渡ヶ島は見えますか?」 「ええ、見えますよ。このくらいの天気なら余裕ですよ」 江藤茉里奈の隣にいた男性教諭が答えた。 海岸へ向かったのは夕方近くだった。もうすぐ海風が凪ぐ。夕日が左手の遠くに落ちようとしている。太陽の一端が水平線に触れると、そこから夜までは一瞬。江藤茉里奈は歩きながら、『砂山』を口ずさむ。デニス・ポートマンの妻も、この歌をよく口ずさんでいた。まだ妻と別れる前、日本の歌で好きなものはと聞かれると、決まって『砂山』と答えていた。妻と別れてからはまだ、同じ質問を受けたことがない。 海は荒海 向こうは佐渡よ すずめなけなけ もう日は暮れた みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ 暮れりゃ砂山 汐鳴りばかり すずめちりぢり また風荒れる みんなちりぢり もうだれも見えぬ かえろかえろよ ぐみ原わけて すずめさよなら さよならあした 海よさよなら さよならあした 海岸へ向かう上り下りの坂道、砂の上にとぎれとぎれに伸びる雑草を踏んで、靴の背に砂がかぶる。波の音、潮の匂いが、少しずつ背を伸ばす。江藤茉里奈と学生時代何を語ったかはもう覚えていない。目の前を歩く背中を見て、彼女にとっての自分は、自分にとってのインドの聖人たちと同じように、何かしら神聖な存在なのかもしれないと感じた。そうやって振る舞ってきたつもりだったし、彼女にも教え子に対してはそうあってほしいと願ってきた。彼女が小学校の教諭になると聞いたときも、そのような言葉を贈ったことを思い返す。――人間としての威厳を持って接してください、また、相手が年少者であれ、罪人であれ、敬意を忘れないでください――と、そんなことを。 「足元、だいじょうぶですか?」 砂地が増え、杖を突く場所を探すデニス・ポートマンに、江藤茉里奈が声をかけると、「ええ、大丈夫です」と返事を返した後、「良い先生になってください、茉里奈さん」と、胸にあった思いが言葉になって溢れた。 「急になんですか、先生」 風の凪いだ丘を、江藤茉里奈はくすくすと笑って歩いた。インドで修行したデニス・ポートマンは、いまだ悟りすら開けていない自分を恥じながら、教え子のあとを歩いた。 潮の匂いは砂地に染み込んでいた。夕凪に風をなくした大気の中で、砂の中の小さな貝殻が杖先に噛み砕かれる。デニス・ポートマンが立ち止まり、鞄を置いたのは、砂浜へと出るすぐ手前の草地だった。 「それじゃあ、これを」 と、鞄の中から紐の塊を取り出して、広げて見せた。プレイヤーズタイと呼ばれるネイティブアメリカンの様式の編み紐だった。江藤茉里奈にも、それが何かはすぐにわかった。 「ここで瞑想されるんですか?」 デニス・ポートマンは微笑みだけを返して、江藤茉里奈に編み紐を預けた。 プレイヤーズタイは、ビジョンクエストの間、悪い精霊に魅入られないようにするための結界だった。それを自分に預ける理由が俄にはわからなかった。だけどそれが、おそらく恩師にとって、人生で一番か二番に大切なものだろうということはわかった。とたん、江藤茉里奈の表情は消え、職員室で自分のことばかり話したことを恥じた。 ――先生は、話を聞いてもらうために来たんだ。 江藤茉里奈は察しの悪いひとではない。デニス・ポートマンが聖人だなどとは思っていないし、同じゼミ生が彼を嫌い、影で何をいっていたかも聞いている。デニス・ポートマンに会いたいといっていた生徒たちがやがてネットで彼のことを調べて、写真を見て、あるいはティーチインなどに出向いて、そこでどんな視線を向けるか知っている。そのさだめから逃れられないままここまで来た。 「先生」 江藤茉里奈は思わず声をかけた。 「もう、私を導いてはくれないんですか?」 師の目的を直接質すことができず、胸の内を探った。 「鞄の中に部屋の鍵と、連絡先が入っています。あとのことはお願いします」 デニス・ポートマンはもう、『旅立ち』の意図を隠さなかった。その言葉を聞いて、江藤茉里奈はデニス・ポートマンにしがみつき、ふたりの身体は砂の上に倒れた。 「馬鹿なことをいわないでください」 「行かせてください。パラマハンサ・ヨガナンダの最後を知っているでしょう?」 ヨガナンダはアメリカにヨガを伝えた指導者で、その最後は自ら予言し、大衆の面前で自らの意図で心臓を止め、旅立ったといわれている。 「死は恐れるものではない。人生の一部だ。いっときの別れを惜しんで、旅に出ないのは愚かだと思いませんか」 「だったら話してください。今日旅立つ理由を、何があったか話してください。こんな形で最後を看取るのは嫌です」 師にしがみつきながら、江藤茉里奈の胸はずっと高鳴っていた。悲しみや憤りばかりではない感情があった。彼女のチャクラにも火が灯っていた。その火は様々な色で、不規則に燃え上がった。引き倒した勢いで、脚のあたりにしがみついていたが、少しずつ前進し、その腹を、その胸を、その顔を眼前に捉え、馬乗りになって訴えた。 「死んでは駄目です」 涙を流し、感極まって口づけようとしたが、恩師の手がそれを遮った。計算はなかった。なんとしても旅立ちを阻止したかった。何よりも愛おしく、師を失うことで、どれほど大きな穴が胸に空くかわかっていた。胸にしがみついて泣きじゃくる江藤茉里奈を、デニス・ポートマンはゆっくりと引き剥がして、立ち上がった。 砂浜へ入ると、デニス・ポートマンの杖は深く埋もれ、2~3歩めからは杖を頼らずにバランスを崩しながら歩いた。そのまま海岸線までの半ばまで歩き、腰を下ろした。江藤茉里奈が顔を上げると、水平線が太陽をつかまえ、赤い炎が海に溶け出していくのが見えた。校庭の奥行きの半分ほどの先で蓮華座を組む師の後ろ姿を見て、江藤茉里奈の胸をこの上ない高揚が襲う。太陽はいままさに死なんとし、その生命のすべてを海面に広げている。波の音の一葉ごとに胸がざわめき、海上に燃え残る日が、世界をオレンジ色に染め上げる。 夕凪ももう終わる。丘から海へ向けて風が戻る60秒前、太陽はかすかな叫び声を上げて、海に没する。 音も光も失った静寂、空に散ったオレンジの光を集めて、師の体が輝き始める。 風が戻るまであと30秒。師の体はゆっくりとその場に立ち上がる。脚に力を入れることもなく、だれかに抱き起こされるように、15秒前、つま先が大地を離れる。 全身に鳥肌が立つ。 この奇跡の正体をだれも知らない。 10秒前、天からまっすぐな光が降る。 白き柱となった光の中、師の体が中空へと浮き上がり、波は天使たちの和声と変わる。 4……3……2……1…… 真白き和声の鳴り響くなか、夕凪が終わり、風が戻るとともに、デニス・ポートマンの体は、光となって消滅した。その命は無限のエクスタシーとなって解き放たれ、それを受け止めた江藤茉里奈は失神し、崩れ落ちた。⚪
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