ライト版:告白と戸惑いのロンド

  • 1 ドキドキ・下駄箱事件
  • 2 ドキドキ・宇宙戦争
  • 3 ドキドキ・タイムマシーン
  • 4 ドキドキ・シリアス展開
  • 5 ドキドキ・終末生活
  • 6 ドキドキ・修学旅行
  • 7 ドキドキ・学園祭
  • 8 ドキドキ・東幡豆革命軍
  • 9 ドキドキ・月面基地
  • 10 ドキドキ・日本創生記
  • エピローグ ドキドキ・続・下駄箱事件
  • あとがき

1 ドキドキ・下駄箱事件

 わたし、只野ただのナミは中学二年。3月早生まれ、こないだ13歳になったばかり。今朝は少しだけ、早く起きたつもりだった。  雨の降らない6月6日。  駅のわきの踏切を越えると、あとはストレートの上り坂。  わたしはその手前、開かずの踏切につかまって時計とにらめっこ。  この電車が去れば遮断器は上がる、次こそは上がる、そう信じていつも10分、体感で30分、カンカンカンカン鳴り続ける音を聞いた。  でも今度こそ! 最後の電車がいく!  一瞬だけ開いた遮断器をくぐると、また警報が鳴り始める。  だけどわたしは風!  踏切を超えて、学校までの坂道を一気に駆け上がる。  自転車置き場に滑り込んで、スタンドを蹴ってカバンをつかんで、校舎裏を駆け足で抜けると、あたまの上をチャイムの音が並走する。西校舎、昇降口、カオルと鉢合わせて、 「おはよ!」  ハナ差の一二着で同時に駆け込んだ。 「おはよう、ナミ、あのさあ、過去形だから過去のことだとは限らないよね?」  親友、黒水澤くろみさわカオルはオカルト部副部長のオカッパ頭。 「え? どういうこと?」  適当に相槌を打って下駄箱を開けると、上履きの上に赤い花があった。  花? 下駄箱に? どうして? 「たとえば、殺人事件を目撃した翌日――」  カオルの声がすーっと耳を通り抜ける。  ふと廊下を見ると、体を少しこちらに向けた制服姿がある。  華鳴池かなりいけ家の御曹司、テル……。  まさか! 「――『背が高かったです』っていうときの『高かった』は過去形なの?」  鼓動が駆け出す。 「だと思う」  空返事。  まさか、あのひとが花を……? わたしに……? 「じゃあ今日は背が高くないの?」  と聞いてカオルはダッシュするけど、わたしはなにを聞かれたの? 「いや……。え?」  二段ずつ階段を上がり、先生を追い越して―― 「犯人を見たのは過去形だけどさ――」  踊り場を曲がると、残す階段はあと12段。 「――犯人の背って、いまも高いよね?」  ていうかカオル、あんたの心臓どうなってんの?  二階、視界オールクリア。静まり返った廊下。  ――ちょっと鉢合わせを期待したり、警戒してたりしてたけど、なんもない。 「急げーっ」  駆け出すカオルを追いかけて、最後のスプリント。  華鳴池くんは窓際のまえから4番目。  花はよく見なかったけど、ガーベラだと思う。  真紅のガーベラは華鳴池家のシンボル。この町でそれを連想しないものはいない。  ――でも、だれかのイタズラだよね。  と、言い聞かせてみるものの、授業なんかあたまに入らなかった。  休み時間、カバンに押し込んだ花はたしかに真紅のガーベラ。  華鳴池くんだ。なんだろう、この気持ち。嬉しいけど、ちょっと困惑。 「あなた……」  頭上から声が降ってきた。 「それをどこで盗んだの?」 「盗んだ!?」  振り仰ぐとレイカがわたしを見下ろしていた。  三千堂さんぜんどうレイカ。幼なじみ。幼稚園のころはよく遊んでたけど、いまは異世界のひと。 「あ、これは……なんでもないよ」  テニス部副部長。県大会出場経験あり。 「質問に答えてないわ」  割れたガラスの目。  一年のころ、華鳴池くんとふたり、クラスマッチの実行委員をやったとき、いつもこの目で刺されていた。  ――テルと何を話したの?  ――テルに用事があるときはわたしを通して。 「昇降口の、どこにあったの?」  うわー。逃げきれない。 「下駄箱に……入ってた……」  視線は合わせてなかったけど、レイカの拳に力が入ったのがわかった。  昼休み。 「レイカと何があったの?」  カオルが聞いてきた。 「わたしにもわかんない。カバンのなかにガーベラはいってるの見られただけってゆーか」 「ガーベラって、華鳴池家の?」 「うん。わかんない」 「そんなもの持ってるから絡まれるんだよ。どうしたの、それ」  どうしたのって…… 「下駄箱に入ってた……」  そう告げると、カオルの表情が段違い眉で固まった。  下駄箱に花を入れる、というのは告白とは違う。でも――じゃあ、なに? どうしてわたしに花を? 「ナミ……、あんた……、え……?」  カオルの脳内をいろんな情報が駆け回ってる。  ……そして…… 「ナミ、華鳴池くんから告白されたの!?」 「きゃーーーーーーーーっ! 大声出さないで!」 「ごめん!」  カオルは小さく謝ったけどもう遅い。みんなに聞こえちゃった。  次の瞬間、レイカが席を立って廊下に出る姿が見えた。続いてテニス部員が三人、わたしを睨みつけたあとでレイカの背中を追いかける。 「めちゃやばくない、それ?」 「カオルの大声がいちばんマズいよ」 「ごめんごめん。だって、大事件じゃない?」 「事件じゃないよ。だれかのイタズラだよ。こうやって大騒ぎになるのをニヤニヤして眺めてるんだよ!」  華鳴池くんの背中が視界の端に見える。 「わたしが直接、華鳴池くんに聞いてこようか?」って、カオル。 「やめて。イタズラかもしんないし、華鳴池くんに迷惑かけたくない」  華鳴池くんは動じない。 「相談に乗るよ、ナミ」  って、カオルは言ってくれるけど、わたしが恋に悩んでるわけじゃないし、相談に乗るったって……。  放課後。  オカルト部の部室。 「部長! 本日はコックリさんの儀を行います!」  カオルはオカルト部部長のカッパの像に一礼した。  オカルト部の部長は校庭で掘り出されたカッパの像だった。 「にゃ~!」  それと、黒猫のサバト。 「サバトもこっくりさんやりたい?」  カオルはすぐに部長の目の前のテーブルに五十音が書かれた紙を広げた。  五十音の上には鳥居の印があり、その左右に『はい』『いいえ』の文字がある。 「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでくださいましたら、『はい』へとお進みください」  手の力を抜いてコインを見つめていると、『はい』へと移動する。  うそ! 「鳥居へとお戻りください」  カオルが言うと、コインはもとの位置へと戻る。 「こっくりさん、こっくりさん、教えてください。今朝、只野ナミの下駄箱にガーベラが一輪入っていました――これはだれかのイタズラですか?」  うん! イタズラだ! 『はい』に動くはずだ! しかし!  ――いいえ。 「イタズラじゃないって――」 「イタズラじゃなかったら、どういうことなの?」 「今度はナミが聞いて」って、カオル。 「それじゃあ、ええっと……お父さんが浮気してるみたいだけど、お母さんに言ったほうがいいかな……」  カオルが露骨に変な顔をする。――なに聞いてんのナミ、バカなんじゃないの? ――と言い出しそうな不満顔。  ――いいえ。  そうか……言わないほうがいいんだ……。  鳥居へとお戻りください、のあとカオルが、 「ナミの下駄箱にガーベラをいれたひとの名前をお教えください」  眉を吊り上げて告げると、やや遅れてコインが動き出した。  最初は、『か』。  カオルの目が輝く。  次に『な』。  こ、これは……来てしまったのか……? 『り』。カオルは頷いて見せるけど、違うよ、そんなことないよ。 『い』。カオルがコーフンしてる。 『け』。うそだ。ぜったいうそだ。 『て』。別の意味があるんだよ、きっと。 『る』。てゆーか、なんでカオルが感激してるんだよう、まったく――  こっくりさんにお礼を言って、お戻りいただくと、カオルはわたしの肩を抱いて、 「よかったね、ナミ。わたしのぶんまで幸せになりなよ」  と言ってくれるけど、わたしと華鳴池くんじゃ釣り合わないよ。  カオルとふたり、自転車を押して校門へと向かうと、レイカの姿があった。テニス部員の三人と一緒。  でも、なにを話せばいいんだろう。 「そうだ。今日はあれ。ドラマの最終回。ほら。なんていったっけ」  カオルは上ずった声で、この空気をごまかそうと必死。  ワンチャンこのまま駄弁りながら通り過ぎられるかな? と思っていたら―― 「テルと話をするときは、わたしを通してって言ったよね?」  って、言葉の拳が飛んできた。 「あ、うん。それは覚えてるけど……」 「でもナミ、華鳴池くんと話したわけじゃないでしょ?」  カオルの後方支援―― 「ただ一方的に告白されただけで、まだ返事してないんだよね?」  ――って、カオル! 告白は禁句!  レイカがわたしににじり寄る。 「あなた、テニスを教えてほしいって言ってたわよね?」 「ええっと、それって小学校の頃だっけ?」 「覚えてるじゃない。いまから教えてあげるわ。コートに来なさい」  なんでそうなるの……? 「でもほら……」  わたしは制服の肩をつまんで、ウェアがないアピール。 「ウェアだったら、この三人から好きなのを剥ぎ取って」  って、取り巻きを指し示す。  無茶苦茶だよ、それ……。 「わたしのサーブを一球でも取れたら、テルとの交際を許してあげる」  別に交際すると決まってるわけじゃ……。 「でも、取れなかったら転校してもらうわ」 「転校って……わたしが……?」 「早く着替えて。三人のなかで真っ先にウェアを脱ぐのはだれ? わたしに指名されるのを待つつもり?」  と、そのとき―― 「そこまで!」  甲高い声。  レイカとの間に駆け込んでくる影。 「その勝負、わたしが預かった!」  影は土煙をあげて滑り込み、スカートの裾が揺れる。 「飼育部副部長、伊部リコ、4対1の卑怯な勝負、見過ごすわけにいかない!」 「あなたには関係ないでしょう? 邪魔しないで!」  レイカは怒声をあげるけど、リコは、 「肥やし玉!」  と、激臭のする玉を炸裂させた。 「伊部リコ!」 「ブタ部!」 「さあ! いまのうちに!」  レイカは激臭に咽ながら、 「逃さないで!」  って、三人に指示するけど、ウェアを脱ぎかけたテニス部員たちはスキだらけだった。  飼育部部室――というか、飼育小屋。 「飼育部の部室って、飼育小屋なの?」 「そうよ。飼育部は部としても認められてないから、部室はないの」  認められてないんだ。  リコはわたしたちにアタマを寄せて、 「レイカは7月にもテニス部部長昇格、生徒会長戦にも立候補すると目されているわ」  と、低い声で語る。 「三千堂家は華鳴池家に取り入って、この町の支配を企んでいるの」 「その尖兵が三千堂レイカってこと?」 「高飛車な子だけど、レイカだってまだ13歳だよ?」 「そうよ。でもね、よく聞いて。13歳は特別なのよ?」 「特別って?」 「13歳までは刑事責任を問われない」  あ? え? 「つまり、三千堂家に敵対するものがいたら……」 「親が出ないでレイカが殺しちゃえば、罪には問えない!」 「それって……?」 「これ以上あなたが華鳴池くんにつきまとうと――」 「つきまとってはいないんだけど」 「――命を奪われる!」  そんなこと言ったって。 「わたしだってレイカには関わりたくないよ」 「わかった。試合しなさい! 負けてボコボコにされれば諦めもつくわ!」 「ダメよ、オカッパ部」 「オカッパじゃないの、これは! ボブなの!」 「中学時代の失恋は一生の傷になる。ここで失恋したらあなた、二十歳すぎても自分に自信が持てずに一生を寂しく過ごすことになるのよ?」  そんなこと言ったって。 「わたし、ほんとに華鳴池くんのことなんとも思ってないんだってばぁ」 「うわぁ、これだ」  うわぁってなによ。 「告白された子は言うことが違いますなぁ」 「わたしたちとは住む世界が違ーう」 「はあ~?」  ほんとに、なんとも思ってなかったんだよ。華鳴池くんのこと。  ――昨日までは。 「ナミ、お風呂は?」 「あとで入る!」  七時半からカオルとゲームする約束だから、お風呂はあと。  昨日クリアできなかったミッションを今日こそ、って、昨日言って終わったけど、そういえば今日はゲームの話なんてしなかった。  ログインするといきなり、 「ゲームなんかやってていいの?」  って、カオル。 「それ、どういう意味?」 「彼氏ができるといろいろと生活変わるのかなと思って」 「彼氏じゃないし!」 「いいよね、ナミは。可愛いし」 「えっ? ちょっとまって。カオルってそういうの興味ないと思ってた」 「興味ないよー。興味持っても無駄だもーん」  うわー、もう。  レイカとばかりかこっちまでヒビ入りそう。  ゲームがはじまったら、昨日と同じ連携ミス。それでもまあ、ミッションはちゃんとクリアできて、10分もプレイしてるとやっと昨日と同じ感覚が戻ってきた。 「ボス戦、めちゃ焦った」 「昨日はへっぽこ君混じってたから」  このゲームがわたしたちのリズムを作り出してるんだ、なんて思った8時半。解散の間際。 「応援してる。がんばって」って、カオル。  結局はその話か。 「それにしてもナミが告白されるなんて――」 「本当に告白だとしたら、天変地異が起きるよー」 「マジでマジで。宇宙人攻めてきて宇宙戦争起きるよー。サバトもそう思うよねー」  って、学校のネコ、連れて帰ってるの?  ゲーム機があるのはお父さんの部屋。 「そろそろ終わりだぞ」  って、お父さんの声。 「うん。もう終わった」 「ナミが宿題しないって、お母さん怒ってたぞ」  知ってる。 「3年になったら受験勉強が本格化するだろう? どこの高校を目指すか決めるのは中2のうちだぞ」 「うん」 「ゲームばっかりやってないで……」  またそんなこと。お父さんも遅くまでゲームやってるくせに。  でもこの機会だ―― 「わたし、ゲームの実況者になりたい! YouTube で配信するの!」  と、言っちゃったのが今年最大の、いや、一生で一番の不覚だった。 「バカなことを言うんじゃない」  お父さんはフッと蔑んだような笑みを漏らした。 「実況なんか他人の成果にタダ乗りするクズだ」  はあ?  正直、わたしの取り柄はゲームだけ。ドラえもんののび太が射撃だけは上手いみたいに、わたしもゲームだけは上手い。 「でも、有名な声優さんもやってる」  って言うと、お父さんは 「だったらそいつもクズだ」  と言い捨てた。  大好きな声優――推しの声優がクズって言われた。  ――クズはどっちだ。  こっちはそのパソコンにどんなメールが溜まってるか知ってるんだぞ。  お風呂の間もずっとむしゃくしゃしたままだった。  わたしの進路の話だけならこんな気持にはなってない。推しをクズ呼ばわりされるのがどんなことか、お父さんわかってない。  お風呂からあがると、お母さんはスマホで友達とラインしながら、リビングでテレビを見ていた。 「またお父さんに怒られてたの?」  横目でちらりと見て聞いてくる。 「あのね、お母さん」 「うん?」  わたしはどうしても、むしゃくしゃした気持ちが収まらなかった。 「お父さん、浮気してる」

2 ドキドキ・宇宙戦争

 朝起きると、宇宙戦争が始まっていた。  パリ、ニューヨーク、ロンドン、上海と、宇宙空間より飛来した未確認飛行物体によって攻撃を受けていますと、テレビのアナウンサーが伝える。 「学校、どうしよう」 「どうしようって、行かなきゃダメでしょう? 休みの連絡来てないんだから」  そういうものなのかなぁ。  テレビでは総理大臣の緊急記者会見。 「学校を休校するかどうかの判断は、各自治体の決定に従ってください」  って、ええーーーーーっ!  なんなのそれ!  チャリで学校へ向かうと、いつもの開かずの踏切が開いたままだった。  校門のあたりでカオルの姿を見かけるけど、 「おはよー」  って、テンション低かった。 「踏切が開いてると、なーんか張り合いがない」 「あー、わかる」 「ニューヨーク壊滅って、ニュースで言ってた」 「うーん。でもなんか、実感ないなぁ」  昇降口にはレイカがいたけど、一瞥すると背中を向けて階段を上っていった。 「うーちゅーうーじーん!」  背後から甲高い声が響いて、近づいてくる。 「がぁーーーーーっ! 攻めてきたぁーーーーーっ!」  スカートの裾を翻して伊部リコ登場。ポーズを決める。 「2023年、6月7日未明、世界各国に宇宙より飛行物体が飛来! その数4千! これは地球の全戦闘機の数に相当する! どういうことかわかる?」  わかんない。 「一人一殺! キルレシオ1対1に持ち込めば防衛できる! ――ということだけど、ネット見た?」  テンション高っ……。 「敵の飛行物体1機に最新鋭のF22戦闘機15機が一瞬で撃破されたの!」 「宇宙人はなにが目的なの?」 「そう! そこよ! それをいま調べてるところ!」 「調べるって……」 「ネットにはどんな情報でも転がっているのよ! すべてわたしにまかせて!」  一時間目。国語。自習。 「やっぱり本人に聞くべきだよ」  って、カオルは華鳴池くんの話。 「宇宙人、日本にまで来たら死ぬかもしれないのよ!? わたしはヤダ。こんな中途半端で死にたくない」 「中途半端って?」 「取ってないアイテムとか、行ってないエリアとか」  ゲームの話か……。 「わたし、今日はゲームできないかもしれない」 「あっ、もしかして、華鳴池くんと?」 「はぁ?」 「電話とかチャットとかで、うふふ、あはは、とか」 「しないよ」  そもそも、下駄箱に花を放り込まれただけ――話もしてないし。 「それにしても、生徒は登校、先生は休みってどういうこと!?」 「先生は電車だから」 「宇宙戦争くらい想定しなきゃダメでしょ!? 大人なんだから」 「わたしも、考えたこともなかった」 「でもこれはまだ予兆よ! これからもっとすごいことが起きるの!」 「すごいことって?」 「タイムマシンが現れて、時間の流れがめちゃくちゃになるとか!」 「そこまで!?」 「そうでしょ? サバト! タイムマシン来るよね?」 「にゃー」  にゃーって。 「こんなときこそコックリさんよ!」  と、中休み、カオルに手を引かれてオカルト部室に駆け込んだけど、部長のカッパの像が割れていた。 「キャーーーーーーーーーッ!」  宇宙戦争勃発にもたいして動じてなかったカオルが叫んだ。 「カッパ様が……カッパ様が……」  動揺してオロオロと破片を集めるカオル。 「カッパ部長いないとコックリさんってできないの?」 「できなくはない……できなくはないけど……」 『くろ……みさわ……カオルよ……』 「カッパ部長!」  カオルのアテレコによる一人芝居が始まった。 『わしにかまわず……コックリさんに真を問うのじゃ……』 「そんな、部長! わたしにはできません!」  カオルが小芝居やってる間にも宇宙戦争は拡大してると思うんだけど、どうなの。 「こんなとき、ボンドがあれば……」 『わしに……かま……う……うっ!』 「カッパ様! お気を確かに! カッパ様ーっ!」 「あの……ボンドを使いたいんだけど……」  三時間目のあと。  学級委員の華鳴池くんに、クラスの備品を借りにいった。 「いいけど、何に使うの?」 「あの……オカルト部室にあったカッパ像の修理……」  レイカが離れたところでわたしを睨んでる。  それになんか足震えてるし。これじゃわたしの方から告白してるみたいじゃない。 「それは難しいな」 「えっ?」 「オカルト部の備品だったら、オカルト部の予算でなんとかしないとダメなんじゃないかな?」  かーっと顔が熱くなった。 「じゃ、じゃあいいです!」  一礼して走り去ったけど、心臓がバクバクしてる。  勇気出して話しかけたのに。まるでわたしがふられたみたい。涙が出てきた。なんで? ボンド借りれなかっただけなのに、なんで? 「がんばったね、ナミ」  カオルはわたしの頭を抱きとめてくれたけど、涙が止まらない。  たかがボンドなのに。  でもどうして。  こないだまでなんとも思ってなかったのに。  放課後。  カッパ像の風呂敷を抱えたカオルと下校。  校門のまえにはレイカの姿があった。 「あなたとは今日のうちに決着をつける」  カオルは「またぁ?」と、露骨にうんざり感を出してみせた。 「あんたさぁ、恋のライバルがナミだからいいけどさぁ、もし相手が大坂なおみだったらどうするの?」って、いつになく強気。  だけど、レイカは動じない。 「もちろん! 勝てるまで技を磨くのみ!」  すげー。 「男子だったら?」 「男子!?」 「ノバク・ジョコビッチやラファエル・ナダルや西岡良仁だったら?」 「そ、それは……」 「ぶっちゃけ、この学校の男子テニス部部長、暮井コウトだったらどうすんのよ」 「だ、男子を引き合いに出すなど、卑怯だぞ!」  あ、動揺するんだ。 「卑怯もなにも、ありうる話でしょう? ねえ、サバト!」 「にゃあ!」 「な、な、な……夏までには告白するはずだった……」  ロウバイって言うのかな、こういうの。 「お父様の事業も、華鳴池家との共同プロジェクトが決まって……そのお披露目のパーティの夜……ふたりでモーリシャスのビーチで……」  知らんがな。  と、そのとき、上空に閃光が過った。  轟音。  レイカは足をすくませて、その場にしゃがみ込んだ。  そうだった。レイカ、雷が大の苦手だったんだ。 「そういえば、雷、怖かったよね」 「うるさい」 「レイカ、明日ぜったいに勝負する。約束する!」 「約束?」  うん、明日。もしわたしたちが、生きていたら。  玄関のドアを開けると、お父さんとお母さんの言い争う声が聞こえた。 「だったらメール見せて」 「プライベートにまで口を出すのか?」 「やましいことがあるから隠すのよ」  浮気の件だ。 「ただいま」  リビングのドアを開けると、お父さんはわたしの顔を睨んで、階段を上ってった。 「おかえり」って、お母さん。  倒れた椅子を起こしながら、 「冷蔵庫に食べるものあるから、勝手に食べて」  って、わたしから顔をそむけたまま、頬を拭った。  地球はどうなってしまうんだろう。  帰ってきたらそんな話をする気でいたのに、とても話せる雰囲気じゃない。 「テレビつけていい?」って聞くと、 「いいけど、気が滅入るだけだよ」って。  リモコンのボタンを押すと、テレビは宇宙人来襲のニュースを伝えた。  世界地図が表示されて、壊滅してしまった地域が赤く塗られていた。  チャンネルを回すと、モノクロの映画を流している局があった。 『緊急・名作映画一気上映』って。  これで最後だから、人生に悔いを残さないように、ってか。  L字型のニュース枠には、速報がひっきりなしに流れていた。  防衛大臣、北海道にて消息不明――  華鳴池副大臣が臨時で執務を代行――  わたしはどうすればいいんだろう。  つい三日まえまで、華鳴池くんのことなんか、好きでもなんでもなかった。  そりゃあカッコいいのはわかってたし、一年のとき初めて話しかけたときはドキドキしたけど、いまの気持ちとは違う。  朝はお母さんに起こされた。 「宇宙人は!?」  テレビをつけると、世界地図はもう7~8割がた真っ赤。 「わたし、この家はもう出ていくけど、あなたはどうする?」  ってお母さん。 「出て行くって?」 「離婚するの」  離婚……。わたしのせい? 「あなたはお父さんとこの家に残る?」  って、その話いましなきゃダメなの? 「出ていくのっていつ?」 「今日中に荷物をまとめるから、あなたも今日学校終わるまでに考えておいて」 「……わかった」  お母さんも、お父さんの浮気には感づいてたんだと思う。 「って、学校?」  学校に行くと校門にはレイカの姿があった。 「レイカも来たんだ……」 「当然でしょう。あなたとの決着をつけない限り、死ぬわけにはいかないわ」  ま、しょうがないか、と思ってると、すぐにカッパの像を風呂敷に包んだカオルも登場。 「カッパ部長、治療完了~~~~~っ!」  カッパ、そんなに大事か。 「早く部室に! コックリさんに聞くのよ! 地球の運命を!」 「バカじゃないの? あなたたち」って、レイカ。  そう。大正解。バカなんです。 「人類が滅亡しかけてるときに決闘しようってほうがバカでしょ!」  徹夜したテンションのカオルが言い返した。 「決闘じゃないわ! 正々堂々、試合を申し込んでいるのよ!」  レイカが苛立ってラケットをカオルの鼻先に向けたとき、雷光が閃いた。  身構える間もなく、雷鳴が駆け抜けると、レイカは頭を抱えてうずくまった。 「レイカも来て! いますぐ!」   「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでくださいましたら、『はい』へとお進みください」  ボンドでツギハギになったカッパ部長のまえ、わたしとカオルとレイカ、三人でコインに指を乗せた。  ――はい。  緊張が走る。 「まずは人類が滅亡するかどうか聞きたい」  レイカが小声でカオルに伝える。 「こっくりさん、こっくりさん、お教えください。人類は滅亡しますか?」  だけどコインは動かない。 「どういうこと?」 「未来のことだから、確定してないってことなのかも」  カオルは「うーん」と考えて、 「こっくりさん、こっくりさん、お教えください。地球に来た宇宙人の目的はなんですか?」  今度はコインが動き出した。  まず一文字目は『ふ』。  わたしとカオル、わたしとレイカ、顔を見合わせる。次に示したのは『く』。  次は『し』。 「ふくし――」  コインは右へ。『ゆ』。  そして、『う』。そこで止まった。 「ふくしゅう?」 「復讐って、いったい何に!?」  コインは躊躇うことなく『た』へと動き始める。 「た――」  右へ、左へ、また右へと、文章を綴る。 「たこやきにして――」 「くわれた――」 「タコ焼きにして食われた!?」  ――コックリさんに聞いた話を総合すると、こういう話だった。  愛知県東幡豆ひがしはずの田中さんが、浜辺で宇宙人を捕獲、それをタコだと信じた田中さんはタコ焼きにして食った。 「――これは、宇宙法的に言えば宣戦布告に当たる、と」 「東幡豆からは、宇宙人土偶って言われる異形の土偶が出土してるって聞いたことがある!」  ちょうどそこに、校内アナウンスが流れた。  ――成層圏より宇宙船の母艦が降下、接近しています。全校生徒はただちに下校してください。 「宇宙船の……」 「母艦……?」  校庭へ出ると、レイカはスマホを見てわなわなと震えだす。 「これを見て」  そこにあったのは、ほぼ真っ赤に塗られた世界地図。  そのとき、 「だーーーーーーーーーーーーーい ニューーーーーーーーーース!」  聞き覚えのある甲高い声が近づいてきた。  ずざぁっと砂煙をあげて減速、リコがポーズを決める。 「なにかわかったの!?」 「オカルト部部長、カッパの像は東幡豆出土の宇宙人土偶――」  と、そこまで言ったところで、宇宙戦艦から発されたビームでリコの体は撃ち抜かれた。  ふくらはぎから先の足だけ残されて、体はきれいに消失。  ビーム砲の爆音に、静かな耳鳴りだけが耳に残った。  リコ、死んだ――?  と、そのとき、閃光をともなって小型のバスくらいの未来的な乗り物が出現、目のまえでその扉が開いた。 「乗って! 早く!」  声をかけたのはリコ……いまビーム砲で撃ち抜かれたはずの飼育部副部長、伊部リコだった。 「別の時間軸に移動する! 早く! 地球が崩壊する!」 「なんなのそれ!」 「タイムマシーン。明日あなたたちが宇宙船のなかで発見する、発見したら、わたしがビーム砲で撃たれるまえの世界にもどって、わたしを助けて!」  タイムマシーン? 宇宙船? いったいなんのこと?  ステップに足を置こうとしたところ、背後で爆発。タイムマシーンはバランスを崩し、上空へ退避。 「ナミ! カオル! レイカ! 別の時間軸に助けに行く! そっちでまってて!」  そういうとリコのタイムマシーンは光の粒になって消えていった。 「別の時間軸って?」 「この時間軸のわたしたちはどうなるの?」  レイカが真っ赤になったスマホの世界地図を見せる。 「わたしたち、死ぬの?」  母艦は無数のビーム砲を放ち、地上を焼き払っている。  わたしたち、これで死ぬんだ……。 「レイカ。これでもうなにもかもおしまい。だから最後にお願いがあるの」  って、カオル。 「――最後に、あんたを殴らせて」  レイカが顔を上げる。 「ナミ、あんたも恨みあるでしょ。どーせ死ぬのよ。最後にボコボコにしちゃおうよ」  人類の最後に、いったいなんてことを言うの、カオル……。 「うるさい。庶民ども」  レイカはゆらりと立ち上がった。 「ボコボコになるのはあなたたちよ! ふたりがかりで来るといいわ!」 「せーので行くよ! ナミ!」 「それは、ええっと、どういうこと?」 「わたしたちは戦う! そうでしょう! サバト!」  カオルが声を轟かせた次の瞬間、 「にゃあ!」  軽快に声を上げると、サバトは宇宙戦艦に向けて目からビームを照射し始めた。  轟音。熱気が上昇気流を作り出し、砂を舞い上げる。 「なにこれ……」  校庭から伸びる光のラインは宇宙人母艦を貫き、内部から破壊、熱を帯びた機体の外殻を細かく砕いて吹き飛ばした。 「サバト……あんたいったい……なにもの……?」

3 ドキドキ・タイムマシーン

 翌日、お母さんは不動産屋に行って部屋を借りた。  お母さんの収入だと、借りられるのは四畳半ひとま。これからはお風呂は近くのマンガ喫茶のシャワーを利用するしかないと聞かされた。  でも、二日にいちどのお風呂の日はマンガ喫茶でマンガ読み放題。それならまあ、いいか。  ブラジル、サンパウロからのニュース映像のなかにサバトの姿があった。 「あの黒猫、中学のオカルト部にいたの」  わたしが言うと、 「似た猫じゃない? 同じような黒猫が、いろんなところで目撃されてるんだって」  って、お母さん。 「目からビーム出す動画が出回ってるけど、CGに決まってるでしょう?」  いやいや。わたし、目の前で見たもん。  学校に来れば日常に戻れる気がしたのに、廊下に先生の姿もないし、職員室もガラガラ。  静かな昇降口。体を滑り込ませると、華鳴池くんの姿があった。 「只野……」 「華鳴池くん」  だめだ、目を合わせられない。 「休みかどうか連絡が来なかったんで来てみたけど、だれもいないみたいだ」 「あ、うん」  もしかして、学校にいるのふたりだけ? 「今日も自習だと思うけど、教科書どこまでやったか覚えてるか?」 「あ、うん」  わたしは少し上履きを履くのに手間取るふりをして、わざと少し遅れて彼の背中を追った。  階段。わたしの5段先に華鳴池くん。  華鳴池くんのあとをしずしずと歩いてたら、 「リコを助けに行くぞーーーーっ!」  って、カオルが駆けてきた。  振り向くわたしと華鳴池くん。その姿をみて、カオルが固まってる。 「あ、ごめん、そういうことだったら、わたし、ひとりで行ってくる……」  って、なんで気を使うのっ! 「ひとりでって、どこに?」  華鳴池くんが問いかける。 「あ、あの、わたしたち、伊部さんを助けなきゃいけなくて、宇宙船を調べに……」  カオル、しどろもどろ。  華鳴池くんはわたしに視線を移す。 「そ、そうなの。昨日、タイムマシーンでリコが助けてくれて、それで……」  わたしもしどろもどろ。 「タイムマシーン?」 「あ、ええっと、時間を移動する……的な……?」 「そう、バスくらいの大きさで……宙を浮いてる……? 的な……?」  宇宙船は市営グラウンドに横たわっていた。  機体は黒く焦げて、艦首から船尾へとかけて巨大な穴がある。  なかに入ると焼け焦げた宇宙人の死体。  小さいながらもちゃんと手足がある人型の宇宙人。  焼け跡からは電気コードを焦がした匂いと、コピー機の裏の匂い。 「宇宙人ってタコ型じゃないっけ?」  焼け焦げた宇宙人はどれもカッパ。  華鳴池くんは嘔吐いてるけど、わたしとカオルは死線を超えてきちゃったせいか、なにを見てもたいして動じなくなっちゃってる。  タイムマシーンはすぐに見つかった。 「あった!」  瓦礫を超えて駆け寄ると、華鳴池くんも追いかけてきた。  ハッチに手をのばすと、同時に華鳴池くんの手ものびてきて、指が触れた。 「あっ。ごめん」 「ううん、大丈夫」  ドッキドキだ。手が触れただけなのに。もう足に感覚がない。  遅れて来たカオルが、 「わたし、邪魔だったら帰るよ?」  って。  だめだもう、わたし。  真っ赤になってるわたしを見て、華鳴池くんは「えっ? なに?」って首をひねるけど、華鳴池くんのせいなんだからね、もう。  言葉を詰まらせていると、「華鳴池くんさあ……」って、カオルが華鳴池くんに詰め寄る。  えっ? なに? ちょっとまって。 「本当はどう思ってるわけ?」  って、そ、それ聞いちゃう? 「どう? どうというと?」  戸惑う華鳴池くん。 「だ、だよね。カオル、わけわかんないよね。どうって、なにがどうなのよ。ねぇ」 「ナミ、ずっと悩んでるんだよ。あなたのことで」  だからもう、まってってば! 「俺のことで?」  華鳴池くん困ってるじゃない! なんでここで聞くわけ!?  気がつくとわたしは、ふたりのもとから走り出していた。  わたし、いまのままでいいんだよ。  べつに、視界の端っこに華鳴池くんが見えてれば。  ボロボロと涙がこぼれる。  華鳴池くんにガーベラもらった。それだけでわたし、生きていける。  しばらくものかげでうずくまっていると、カオルがやってきた。 「タイムマシーン、動くようになったよ」って。 「えっ?」 「リコを助けに行こう」  ちょっとまって、それだけ? 「華鳴池くんとは何を話したの?」  問いかけると、カオルは沈黙。そのあとで、わたしを抱きしめて、 「忘れな。あんな男のことは」  って……。  華鳴池くん、なんて言ったの?  タイムマシーンの扉を開けると、シートに座った華鳴池くんの姿があった。 「伊部を助けに行こう」  そう言って視線を投げてくるけど、どう返せばいいかわからない。 「どうしたの?」  わたしの様子を見て、華鳴池くんが問いかける。 「昨日からいろいろあったから」  って、カオルが繕ってくれるけど、やばいこれ。  わたし、いつのまにか華鳴池くんのこと、ものすごく好きになってる。  昨日の昼まで時間を遡ると、リコは進路指導室のパソコンをいじってる最中だった。  タイムマシーンは進路指導室の壁を突き破って、出現。 「な、なんすか、あんたたち!」 「リコ! 乗って! この世界線にいると、あなた夕方に死ぬの!」 「でもいま、東幡豆のカッパ伝説と宇宙人とが点と線とで……!」 「いいから来て! もうそのフェイズじゃないの!」  もとの時間軸にもどると、戦火はさらに縮小、人類優勢に転じていた。 「これ、ぜんぶサバトがやったんだよね?」 「サバトが?」  カオルがハテナを3つ浮かべるので、エジプトとノルウェーで撮影された動画を見せた。  動画でサバトは、昨日校庭でやったように、目からビームを放って戦艦を撃ち落としていた。 「こんなのもあった!」 「なにこれ」 「ビーム曲げてる!?」  みんなのテンションがあがるなか、わたしは少し寂しさを感じた。 「もう戻ってこないのかな、サバト」 「わかんない。でも、フラっと戻ってきそうな気がする。あの子なら」  放課後、お母さんと借りたアパートに帰った。表札にはお母さんの旧姓、『落田』の文字。まだ籍は抜いてないけど、もうわたし只野ナミじゃないんだ。 「ただいま」  わたしは道すがら盗んできたアロエの鉢を置いて部屋に入った。 「おかえり、ナミ」 「今日は奇数日だろう? マンガ喫茶でシャワー浴びて来な」  って、二百二十円もらった。  風呂がないかわりにマンガ読み放題だって聞いたのに、二百二十円で利用できるのは三十分だけだった。  なんで浮気のこと言っちゃったんだろう。  こうなるってわかってたら、波風立てなかったのに。  そうだ!  目が覚めると同時に、閃いた。  わたしにはタイムマシーンがある!  6月6日に戻って、わたしに会って、浮気のことは言わないようにクギを刺す……。  OK! それだ! やってみよう!  校門から昇降口へ、そのままチャリで突っ込んで廊下をダッシュ! 規制線を超えて進路指導室のドアを開けると、そこにはタイムマシーンが――  ない!  タイムマシーンがない!  いったいなぜ!? どうして!? ホワーイ!?  アタマのうえにハテナマーク30個浮かべてると、空間がきらめき始めた。  空間が歪んで、その隙間から亜空間が見える!  光のなかにうっすらと実体化し始めたタイムマシーンが、爆風を伴って出現!  って、どうして!?  カオルひとりで、抜け駆けしてなにかやってたってこと?  爆風で舞い上がった書類がハラハラと舞うなか、タイムマシーンのドアが開いた。  鈴を転がすような笑い声。  続いて―― 「ね? 本当だっただろう?」  タイムマシーンのなかに見えたのは、レイカと華鳴池くんだった。  ふたりで……。  レイカがわたしに気がつく。 「あら、あなたも来たの?」  逃げ出したい。  こんな景色、見たくもない。 「ああ只野――」って、華鳴池くん。  レイカに見せた笑顔のまま、わたしに振り向く。 「タイムマシーンのこと、三千堂も知りたいって言うから」  って、悪びれもせずに言ってのけるけど、どこに行ってたの?  ふたりきりでなにしてたの?  どのくらいいっしょにいたの? 「こんどはわたしが使うから、すぐに降りてください」 「なんで敬語? 妬いてるの?」  レイカが目を細めて笑う。 「降りて! 早く!」 「だめよ。あなた、歴史を変えるつもりでしょう?」  って、それがなに? 悪い? 「さっき三千堂とも話したんだけど、このタイムマシーン、みんなで相談して使うようにしたほうがいいよ」って、華鳴池くんまで。 「素直になりなさい、ナミ。テルがこう言ってるのよ? 嫌われてもいいの?」  なにその言い方。  わたし、華鳴池くんのまえだと何もできないと思われてるんだ。  手のひらで顔を覆うと足の力が抜けた。 「あーあ、もう。なんで泣くかなぁ、いっつもいっつも、ぴぃぴぃぴぃぴぃ」  レイカの声。 「わたし、間違ったこと言った? そうやって泣かれると、わたしが間違ってたみたいじゃない。迷惑なんだけど」  じゃあ、わたしが悪いの?  わたし、なにか悪いことした? 「にゃあ」  猫の声が聞こえた。 「あ」って、華鳴池くんの声も。  ふと見ると、足元に黒猫のサバト。 「言ったとおりだ。本当にフラッと戻ってきた」って、華鳴池くん。  本当に……フラっと……。  でも……。あれ……? まって……。  宇宙戦争が起きるまえもたしかカオルが……。  ――マジでマジで。宇宙人攻めてきて宇宙戦争起きるよー。サバトもそう思うよねー――  って……。  だとしたら……。 「ねえサバト、今日もカオルとリコ、学校に来るよね?」  って、わたしが言うとどうなるの……? 「にゃあ」 「おいで」  華鳴池くんがサバトを呼んだそのとき、 「最終決戦だーーーーーーーーーっ!」 「押してるぞ人類ーーーーーーーっ!」  カオルとリコが進路指導室に飛び込んできた。  ――間違いない!  ――これすべて、サバトが実現させてる!  ――ってことはつまり! 「うん! あとはサバトがなんとかしてくれる!」  そういうことでしょ? サバト! 「そう、残存部隊はサバトに任せるとして……」って、カオル。  あ、まって。任せるとして? 「母星から大量の援軍が来る可能性がある」と、リコ。 「うっかりしたこと言っちゃダメ!」 「そうだよね、サバト!」 「にゃあ」  サバトもにゃあじゃなくって! 「しかも! サバトでも太刀打ち出来ないような大軍が!」 「にゃあ!」 「ぎゃあああああああああああああああっ!」 「どうしたの、ナミ?」 「なんてことしてくれるのよふたりともーっ!」 「なに怒ってんの?」  怒るよ! それは! 「それで、さっき三千堂とも話したんだけど」  って、華鳴池くんもちょっとだまって聞いてて! 「過去に遡って、防衛大臣を殺害、華鳴池くんのお祖父様、華鳴池テルカモを防衛大臣につけて、軍備を推し進めるの」 「ああ、こうなるまえに宇宙軍を整備して対抗する」  だから、ちょっとまってよ! 「そういうこと、みんなで相談して決めるって、さっき言ってなかった?」 「オカルト部、賛成です!」  はあーーーーーっ!? 「飼育部も異論はありません!」  ちゃんと議論しようよーっ! 「あとは帰宅部」  わたしぃ!? 「只野ナミ! あなたはどうなの!?」  只野ナミ……。  みんなのなかでは、わたしはまだ只野ナミだった。 「わかったよ――」  ここにいればまだ、もう少しだけ只野ナミでいられる。 「わたしも賛成」 「さっすがわたしたち!」  リコが拳をあげて、カオルがあわせる。続けて、レイカ、華鳴池くん。 「ナミも!」って、カオルが言うから、わたしも、仕方なく。  わたしは一縷の望みを込めて、サバトに聞いてみた。 「ねえサバト。わたし、明日一日だけ自由にタイムマシーンを使えるよね?」 「なーに抜け駆けしようとしてるの?」 「まったく、油断もすきもないなぁ」 「にゃあ」  その日もアロエを盗んで家に帰った。  偶数日だからシャワーもなしだった。  雨の降らない6月6日。  わたしは戻ってきた。  始業ベルのまえ、タイムマシーンを校庭に着陸させて光学迷彩、わたしは昇降口に走った。  玄関から滑り込むと華鳴池くんの姿があった。 「おはよう」  口先だけの挨拶。  横をすり抜けようとしたら、腕を取られた。 「まって」  なに? 「時間を操作したらいけない」  まって。知ってるの?  華鳴池くんの手はわたしを離さない。 「ぜんぶ知ってる。これから起きること」 「ぜんぶって?」 「宇宙戦争が起きることも、滅亡後の世界も、月へ行くことも」  あ、まってまって。わたし、そこまでは知らない。 「じゃ、じゃあ、ええっと、ふたりで日本創造することは……?」  口から出任せ。 「あのときはごめん」  あ、まって。ごめんってなに? これから何が起きるの? 「わたし、只野ナミじゃなくなるのよ?」 「どういうこと?」  そうか。わたし、華鳴池くんに両親の離婚のこと言ってないんだ。 「いまのわたしは、落田ナミ」 「そんな未来は知らない」 「そうだよ。言ってないんだよ、華鳴池くんには。言えないんだよ。だから変えたいの、こんな未来は」 「わからないな。たかが名前だろう?」 「そうだけど!」 「宇宙戦争でも、世界線の分裂でも、マイナス次元でもなく、そんなことを変えたいの?」  って、未来に何が起きるのよ、それ。  理科実験室。  暗い部屋に斜めの光。  わたしは少し離れて、からだを横向けた。 「華鳴池くんはどうしたいの?」 「どう? どうというと?」 「未来から来たんだよね? 宇宙戦争も、これから起きることもすべて知ってるんでしょう? なのにどうして、この時代に来たの?」 「大切な日なんだ」 「大切な日?」  華鳴池くんの姿は少しずつ薄らいでいく。 「俺の人生のなかで……いちばん……」  言葉も朧に、すきま風に溶け始める。 「どういう意味?」  最後は笑顔だけ。  口元のかすかな動きだけを残して、何もかも消えていった。  もうすぐみんな来る。  急いでタイムマシーンに戻る。  コクピットのパネルにはいろんな情報が描かれている。  わたしの脳波を読み取って? わたしが欲しい情報が次々と現れる。  やがて、通信が入る。  ――こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでくださいましたら、『はい』へとお進みください  なにこれ……カオルの声……?  どうしよう。  ――はい。  胸の中に紡ぐと  ――イタズラじゃないって――  カオルの声が返ってきた。  ――イタズラじゃなかったら、どういうことなの?  こことオカルト部の部室とがつながってるんだ……。  ――今度はナミが聞いて  ――それじゃあ、ええっと……お父さんが浮気してるみたいだけど、お母さんに言ったほうがいいかな……  わたしの声。  でもだめ! ぜったいだめ! 「いいえ」  強く! もっと強く訴えなきゃいけないのに、「いいえ」しか言えない!  また次の質問。  ――ナミの下駄箱にガーベラをいれたひとの名前をお教えください  わかんないよ!  毎日お風呂に入ってても体臭気になるのに、二日に一度になるんだよ!?  それでも過去を変えちゃいけないの!?  華鳴池くん!  教えてよ! いつか! その意味を!

4 ドキドキ・シリアス展開

 2023年、7月7日。計画は始まった。  遡ること7年前、前防衛大臣が茂原カントリー倶楽部でゴルフをした記録があった。  華鳴池くんは前大臣のビデオを再生する。 「これを見ながら、大臣のすぐとなりにタイムマシーンをワープアウトさせる。あとはドアを開けて、刺すだけだ」 「警備は大丈夫かな?」 「こういうのはニコニコして近づけばいいのよ。警戒されるまえに相手の懐にはいれば、簡単に命を取れるわ」  と、レイカ。 「だれが実行する?」  と、カオル。 「わたしがやるわ」  こともなげにレイカが答えた。 「ヨーロッパ戦線では毎日のように死者が出てるのよ? 放っておけば援軍も来て、地球は滅ぶんでしょう?」 「そうだね」 「それに、みんなで決めたことでしょう? 殺す、って」 「いい、レイカ、よく聞いて」って、リコ。 「刺したら、まっすぐ引くんじゃなくて、腹の中で刃をねじって、横に裂くの」 「あ……」  レイカ、一瞬戸惑う。 「わかってるわよ、そのくらい」 「やってみて。手首にスナップを効かせて、刃先が遅れないように、えぐるように裂くの」  市営グラウンドに落ちた宇宙船は広範囲に規制がかけられていたけど、タイムマシーンを持っているわたしたちにはむしろ好都合だった。宇宙戦争がはじまるまえに戻って、また現在に戻れば、だれもいない宇宙船のなかを自由に探索することができた。  内部はかなり破壊されていたけど、まだ動く部品は残っている。 「これをコンツェルンの軍事部門に分析させる」 「軍事部門があるの?」 「あるというか、あった。極秘裏にね。40年前に合衆国政府にみつかって解散させられたけど、そのチームにこれを見せれば興味を持つよ」  40年前と言えば、ちょうどバブルの時期だ。 「あの頃の日本の経済力をもってすれば、宇宙軍を持つのも不可能じゃない」  7月10日。  レイカはラケットを大型のサバイバルナイフに持ち替えて、5人でタイムマシーンに乗った。  上空から俯瞰してゴルフ場の全体像を確認。時計を見ながら、目的の8番ホールへと移動。  レイカの緊張が伝わってくる。 「1分前」  目的地へと向けて高度を下げる。 「30秒前」  一瞬だけドアをひらき、レイカがグリーンに降りる。  機内には緊張が満ちるけど、レイカは落ち着いた様子でターゲットに近づいていく。  大臣が振り向いたときにはレイカと大臣の距離は1メートル。大臣の足が止まる。  実行4秒前。レイカは右手にもったタオルでサバイバルナイフを隠している。  2秒前。警備員が駆け出す。  1秒。レイカのバックスイングから、サーブ。突き刺した。大臣が尻もちをつく。 「失敗」  リコが小さくつぶやく。 「浅い。あれじゃ致命傷にならない」  大臣が叫び始める。レイカはナイフを振り上げ、二撃目を浴びせようとしている。 「止めて! 華鳴池くん!」  わたしが言うと同時にステルス解除。ドアが開く。 「レイカ! もういい! 乗って!」  レイカの手を握ってマシーンに引き上げると、その肩はガタガタと震えていた。  機体を上昇させながらステルスモード移行、外では銃声が聞こえる。  レイカの震えが止まらない。  カオルが抱きとめて、大丈夫、大丈夫と言って聞かせてるけど、レイカは必死に震える右手を抑え込んでる。  あのレイカが、こんなにも震えてる。  ニコニコして近づけばいい、みんなで決めたことでしょうって、笑いながら言ってたレイカが、唇を白くして。  右手にはリストバンド。  テニスの試合のときにいつもつけてる赤いリストバンド。  わたしの胸のなかに過った――  ――レイカはこれから、テニスコートに立つ度に今日のことを思い出すんだ、って。  もとの時間に戻って、ネットを漁ってみると7年前の防衛大臣襲撃のニュースがあった。一時は意識不明に陥ったが、幸い一命はとりとめたとあって、わたしは胸をなでおろした。  アパートの部屋のまえにはアロエの鉢がもう20を超えた。 「なんか、アロエがどんどん増えていくんだけど、お隣のかな」って、お母さん。  アロエが増えてることは気がついてるみたい。 「うん。隣だよ。こないだ三輪車も勝手に停めてたし」  レイカはしばらく搭乗グループから離れた。  40年前の華鳴池軍事工廠から技術者を連れてくることには成功。  招待された四人の技術者は二年がかりで戦艦を解析。わたしたちは二年後の世界へ飛んで、そこから技術者をまた過去に返した。  家に帰ってテレビをつけると、月の前線基地建設のニュースが流れた。  懸案の防衛大臣は、華鳴池コンツェルンが力をつけると、歴史も書き換わり、華鳴池テルカモが長官の座についていた。  7月20日。本当なら一学期最後の日。  地球周辺の重力安定点ラグランジュポイントに多数の宇宙船がワープアウト。  すぐに世界中の宇宙人迎撃システムが起動した。  いや、待てよ? と、わたしは思い当たる。 「どったの、ナミ?」 「本当の歴史だと、これってぜんぶサバトが迎撃したんじゃないっけ?」 「サバト?」 「そう、サバト」 「それ、どこの国の兵器?」  華鳴池くんまでとぼけた返事を返す。 「あ、いや、兵器っていうか、オカルト部にいた黒猫の」 「黒猫?」 「……って、覚えてないの?」 「ていうか、まって。元はサバトが宇宙人撃退して、この世界は『そのサバトすら敵わない敵が攻めてくる世界線』でしょう?」 「でしょう? って、なんなの、その設定」  いや、設定じゃなくて。 「わかった。地球、負ける」  これ、サバトがいない世界線だ。 「負けるわけないでしょ! わたしたちがタイムマシーン駆使して作り上げた世界だよ?」 「見て、これ。対ポキール星人――」いつの間にか名前付いてるし「――戦況報告!」  レイカが見せたスマホの画面。 「地球軍、めちゃくちゃ押しまくってるわ!」  というけど、みるみる世界地図が赤く塗りつぶされていく。 「それ、ちゃんと自分で見て」 「えっ?」 「侵略率、85%……」 「うそ!」  その日も夕焼けでもないのに、空は真っ赤だった。  四人ともサバトの存在を忘れてるし、 「せっかく準備したんだからやれるとこまでやりたい」  ってもう。部活じゃないんだから。  アパートの前の細い路地。  アロエの鉢を両手に抱えて赤い空をしょって歩いていると、お母さんと鉢合わせた。 「ナミ。その手に持ってるのは、なに?」 「あ……」 「アロエ盗んでたの、あんただったのね?」 「いや、あの、これ……」 「さっき警察のひと来てたの。『娘さんがアロエを持ち去るところが目撃されています』って。わたしなんて答えたと思う?」 「わかんない。そんな聞き方、いやだ」 「あんたがやるわけないって、庇ったのよ? バカみたい。やってるじゃん」 「でもアロエだよ?」 「はあ?」 「ひとが死んだり、戦争が起きたり、宇宙人来たりしてるのに、たかがアロエじゃない!」  わたしがアロエの鉢を塀に投げつけると、鉢は割れて、固まった土と貧弱なアロエとが道路に転がった。 「来なさい!」  お母さんがわたしの手をつかんだ。 「お母さんが離婚しなかったら、わたしこんなことしてない!」 「ふざけないで!」  ぶたれた。 「ぜんぶあんたが悪いんでしょう!?」  尻餅をついたわたしに馬乗りになって、肩を抑える。 「やめて、お母さん! ひとが見てる! もうしないから許して! もうやだ! こんなとこでやだ! やめてよもう!」  夕焼けじゃない赤い空が重い。アポカリプスが来る。アポカリプスが。  本当はわたし、華鳴池くんと暮らしたい。  向こうはどう思ってるんだろう。  あのとき……タイムマシーンを見つけたとき、カオルが華鳴池くんを問い詰めたとき、ちゃんと聞いてればよかった。  なんで逃げ出したんだろう。  なんで――。  深夜の学校は、光を吸い込むように黒く佇んでいた。  校門をよじのぼって、昇降口、廊下、規制線をくぐってタイムマシーンのある進路指導室まで行くと、部屋のまえにレイカがいた。 「やっぱり来た」 「やっぱり? やっぱりって?」 「あなた、いつもそう。気に入らないことがあると、グループを抜けて、勝手なことやって出し抜こうとする」  むかつく。 「どうせ過去を操作するつもりでしょう?」  しないよ、そんなこと。どうせ言っても無駄なんだろうけど。 「わたしはただ、華鳴池くんの気持ちを確かめたいだけ」 「わかったわ。だったらわたしも行く」 「なんでそうなるのよ」 「タイムマシーンをどう使うか、みんなで決めるって言ったはずよ。わたしにもついていく権利はあるわ」  あーもう。むかつく。なにもかもむかつく。  タイムマシーンを時空間ジャンプさせて、6月8日の市営グラウンドへ。  宇宙船に忍び込むカオルと華鳴池くん、それとわたしの姿が見える。  しばらくすると三人がやってきて、あのときの会話を繰り返した。  ――本当はどう思ってるわけ?  カオルの声。  ――どう? どうというと?  華鳴池くん。  ――だ、だよね。カオル、わけわかんないよね。どうって、なにがどうなのよ。  そしてわたしのこのうろたえよう。  ――ナミ、ずっと悩んでるんだよ。あなたのことで。  ――俺のことで?  たしかここで逃げ出したんだ、わたし。  ――あなた、下駄箱にガーベラ入れたでしょう?  ここからはわたしが見なかった過去。  ――ああ、うん。そのことか。  このあとのカオルの反応を思い返すと、色良いこたえが返ってくる可能性は低い。  ――入れたよ。ガーベラ。それで?  その言葉で一瞬だけ、レイカの体がこわばる。  ――好きなら好きって、ちゃんと言ってあげて。  だめだ。逃げ出しそう。  ――暮井に?  はあ?  ――暮井くん? 「暮井? テニス部部長の?」  レイカの笑顔も固まる。  ――彼の下駄箱に入れたよ。ガーベラ。  ――まって。  まって。 「まって」  みんな受け止めきれてない。  ――ええっと、上からふたつめ。みぎから三列目。  ――それ、只野ナミの下駄箱。 「暮井くん……? オトコ……?」  あ、わかった、これもサバトの能力だ。なんか、そんな話してた気がする。 「わ、わたし……だって……オトコ……?」 「レイカ、大丈夫? 気をしっかりして」 「男子とじゃパワーが違いすぎる……」 「それ、恋愛の話じゃない。テニスの話になってる」  機内にアラートが鳴り始める。ビービー言ってる。なにこれ。  ――クロノサーキットが干渉しています。同一サーキットが隣接して起動しています。  わかった。向こうのタイムマシーンが起動したんだ。それでなんかまずいことになってる、と。  ――ただちに時間軸基準をリセットしてください。  って、リセットってどうすればいいの!? 「暮井くん……テニス部初の一年生部長……わたしなんか……わたしなんかが……」  あーもう! うっとおしい!  ――安全回路始動。三次元宇宙の保護のため当マシーンを消去します。10秒前。  待てこらーっ! 話のスケールがでかすぎるわーっ!  ――5  マニュアルを! あった!  ――4  ええっと、タイムサーキットのどうじく……かんしょうで……? 星系の……?  ――3  カウントダウンするなーっ!  ――2  ええい! しかたない! これだーっ!  ――1  もうどうにでもなれーーーーーっ!  ――緊急離脱マニューバを発動します……

5 ドキドキ・終末生活

 焚き火と夕焼けの間で目を覚ました。  波の音が聞こえる。  焚き火の向こう、華鳴池くんが本を読んでる姿が見えた。 「だいじょうぶか?」  読んでいた本を下げて、華鳴池くんが振り向く。 「ここはどこ……?」 「わからない。気がつくと俺も海岸に倒れてた」 「この荷物は?」 「近くに町がある。そこから持ってきた」 「持ってきた? 買ったんじゃなくて?」 「町は廃墟だ。そこらじゅう死体だらけで、野犬がうろついている」  華鳴池くんはテントをもうひとつ組み立てながら、 「ここ、持って」  って、布の端っこを差し出す。 「バサっといくよ?」 「バサっ?」  華鳴池くんがポール? を組むと、テントは一気にバサっと広がった。 「キャッ!」 「だから言ったのに」  次の日、華鳴池くんとふたりで、町に買い物にでかけた。  カートを押して、電池、照明、カセットコンロ、缶詰、調理器具、手当たり次第に漁った。 「こういうの、食べたことある?」  華鳴池くんはレトルトのカレーをわたしに見せる。 「カレーでしょう? 華鳴池くん、食べたことないの?」 「どうだろう。調理されたものしか見たことがないから、これかもしれない」  いや、おかしくない? 「じゃあ、今晩食べてみよう!」 「ああ、うん。でもこれ……どうやって食べるの?」  って、そこから? 「だいじょうぶ! わたしが料理してあげる!」  その晩作ったカレーは華鳴池くんのハートをガッツリとつかんだ。 「料理、得意なんだね」って。 「うん。カレーは得意」  ふたりの暮らしが始まって何日くらい経っただろう。  少し離れたとこの断崖に湧水をみつけた。 「今日から真水で体を洗える」  って、華鳴池くんはその場で頭を洗い始める。  水に濡れたシャツが透ける。  華鳴池くんがわたしの手を取った。  濡れた髪から雫が滴る。  もう目があっただけでドキドキするようなこともないけど、手を取って引き寄せられると、なんかもう無理だった。 「只野の番」  そう言って肩に手をかけられて、水の下に押されるとときめいた。  おでこから後頭部へ、大きな手のひらが髪を撫でる。 「シャンプー取りに行こうか」 「いいよ今日は。それよりいま必要なのはタオル」  わたしが言うと、「そうかな?」って、華鳴池くんはシャツを脱いで水を絞って見せた。 「女子はそうはいかないよ」  わたしがシャツの裾をひっぱって絞っていると、両手で目の前にシャツを広げて、 「ほら。これで見えないから、只野も脱いで絞ればいいよ」  って、髪に滴る水を手首で拭った。 「ほんとに見ない?」  広げたシャツの上で、華鳴池くんの顔がうなずく。  そしてわたしがシャツの裾をあげようとすると、いたずらにシャツをずらして見せる。 「ほらー。もー」 「うそうそ。冗談。ぜったい覗かない」 「ホルスタインって、乳牛だよね?」  ふたり、サバイバルナイフを持って、野生化した牛の背後につけた。 「そうだけど、背に腹は換えられない」  あんまり警戒してないから近くまでこれたけど、牛、大きい。 「にゃあ」  にゃあ? って、猫?  黒猫が牛の背中から降りてきた。 「サバト!?」 「サバトって……?」 「オカルト部に居付いてた猫!」  そしてたぶん、今回の事件の黒幕。  息を切らして追いかけると、サバトは時折足を止めて、わたしたちを待った。  そうしてたどりついたのは、広いサボテン公園。  追いかけて錆びたアーチをくぐると、そこは一面のアロエ畑。  乾いた砂利を踏んで丘を登り詰めると、泥に塗れたカッパの像があった。 「オカルト部長……」 「部長?」 「そう、わたしたちの学校のオカルト部の部長! カッパの像なの!」  カオルが修理したあともある。間違いない。 「それで、どうするの?」 「テントに戻ったらコックリさんやる!」 「コックリさん!?」 『その必要はない……』 「だれ?」 「だれって、只野がひとりで喋ってるんだよ」 「わたしが?」 『そう、コックリさんの必要はない。ココロを開くがいい』  ほんとだ。わたしがカッパのセリフまで喋ってる。 「あ、まって。部長が割れたとき、カオルがアテレコしてたことあったけど」 『アテレコではない……わしが喋っておるのじゃ……』 「只野、だいじょうぶ?」  って、アタマいかれたと思われてる! 「形だけでもコックリさんにしてもらえませんかっ!?」 『うむ。よかろう』 「少し休んだほうがいいんじゃない?」  テーブルに製図用紙を広げて、五十音の表を書いた。その上には鳥居の印。左右に、はい、いいえ。五十音の下には0から9までの数字。 「こっくりさん、こっくりさん――」  呼び出しの言葉をあんまりよく覚えてなかったけど、言ってる途中でコインは「はい」へ動いた。 「レイカはどうなったの?」  華鳴池くんが聞くまえに、わたしから聞いた。  答え。レイカは別の世界をいくつか彷徨って、いまは元の世界で楽しく修学旅行の準備をしている。 「じゃあ、この世界にいるのは、本当にわたしたちふたりだけ?」  ――そうなる。 「でもふたりだけじゃ……たとえ俺たちがアダムとイブになったとしても――」  って、華鳴池くん。  華鳴池くんは、わたしのこと意識してないのかもしれない。わたしの胸に刺さること、ストレートに尋ねる。  いろんなことを聞いた。  雨が降り出して、華鳴池くんのテントに入った。  いつの間にかわたしはうとうとして、気がつくと横になって毛布がかけられていた。  朝方。 「――もしもーし! もしもーし!」  カッパ部長の呼び声で、目が覚めた。 「どうしたんですか、部長……」 「――やっぱりナミね! わたし! カオル!」 「えっ? カオル? なんで?」 「――コックリさんにあなたのこと聞いたら――」 「聞いたら、なに?」 「――只野ナミだったら、いま俺の隣で寝てるぜ――って」  言い方。 「――なんか、そっちは別時間軸なんだって?」 「いや、わかんないけど、別時間軸?」 「――こっちはいま防衛戦の佳境! 人類滅亡までもう間もない感じ!」  ええっと、それって…… 「ここより少し前の時代、滅亡直前の地球ってことじゃないかな」  華鳴池くんが体を起こして割り込んでくる。 「こっちはおそらく、そちらの数年後の世界だ」  華鳴池くんが応答する。  ――ガガー。ピィーッ。 「――あ、まって。いまのだれ?」 「華鳴池だ。こっちではもう人類は滅亡して只野と俺しか残っていない」  ――ガガーッ! ピィーーーッ! ピガガガガ…… 「――ですってぇーーーっ!?」  ノイズで聞き取れなかったけど、カオルの動揺は伝わってきた。 「――ブラボーッ! でかしたぞナ――ガガガーッ キュイーッ」 「まって! すぐに助けに行く! こっち、サバトがいるの!」 「――それじゃーっ! なんか重力粒子線が迫ってきてるから――」  なにそれ。 「――切るねー」  電話かよ。  次の日。  町に可愛いパジャマを買いに行った。  そして夜。意を決して、枕を持って華鳴池くんのテントへ。 「あ、あのね、華鳴池くん」  華鳴池くんのパジャマは水色の水玉。わたしもそろえて、ピンクの水玉買ったんだ。 「どうしたの?」 「カッパ部長に人類の最後の話聞いてたら、怖くなって……」  よくよく考えると、華鳴池くんがわたしになびくなんてないし。遠慮してもじもじしてもしょうがない。 「――それでね。明日から、野菜を育てようと思う」  焦りすぎだ、わたし。話題が支離滅裂。 「ああ、それはいいね」  あ、ちゃんとついてきた。 「それで、野菜の育て方、いろいろ調べたから」  野菜のことたくさん話して、眠くなって、ふたりすこし離した布団に入って、ドキドキして寝付けないでいると、華鳴池くんのほうから聞いてきた。 「只野さあ。俺のことを好きだって聞いたんだけど――」  いきなり来た! 「あ? え? って、誰から? どういう意味で? 友達として?」  こっちに興味ないせいか、いちいちストレートで調子狂う。 「最初はふーんって感じだったけど、なんか、いいな」 「い、いいなって、なにが?」 「只野」 「わ、あ、それはええっと、と、友達として?」 「わからない。でもなんか。いい。話しやすい」  それ、どう受け止めていいんだろう。 「野菜、何から育てる?」  あ、うん。そうそう、野菜。  静かに話していると、華鳴池くんの声は少しずつ小さくなって、沈んでって、最後には顔を覆った。 「みんな死んじゃったんだな」って。  声が震えてる。 「ふたりで生きていくしかないんだ」  泣き声に変わる。 「情けないよ。毎晩泣いてんだよ、俺」 「情けなくないよ! わ、わたしだってひとりだとずっと泣いてるし、だから寂しくてこうやって来たんだよ? つまり、わたしのほうが寂しがり? みたいな」  って、言ってみたけど、じつはわたし、案外この生活を楽しんでた。 「だいじょうぶだよ」  そう声をかけて、華鳴池くんの布団に潜り込んだ。  だって、寂しかったし。  腕にしがみつくくらいなら、もういいよね。  と思ってたら―― 「只野……」  華鳴池くんのほうからわたしの肩に顔を埋めて、静かに悲しみを飲み込んだ。  朝。  華鳴池くんは着替えを終えて、木陰に置いたデッキチェアで園芸の本を読んでた。 「おはよう。昨日はごめん」 「別に謝るようなこと、なにもしてないよ」 「弱みを見せた。只野を不安にさせたかもしれない」 「いいよ。弱みくらい。いつでもどうぞ」  小さな笑顔を作ると、華鳴池くんも小さく笑った。  やった!  いまのちょっと、ドラマっぽかったっていうか。  自分のテントに戻ると、ひとり残されたカッパ部長が声をかけてきた。 「――やっと見つけた」  見つけた? 「あなたは?」  女のひとだ。カオルやリコより落ち着きがある。 「――いろんな言い方があるわ」  なにその言い方。むかつくんだけど。 「いま忙しいの。あとでもいい?」 「――あなたのお父さんの浮気相手。と、言えば、わたしの話、聞いてくれるかな?」  ああ? はいい? その浮気相手がなんで? 「い、いまどこにいるんですか!? 人類は滅びたって聞いたんだけど!」 「――月面基地がまだ生きてる。わたしはそこ」 「月!? でも、月の基地も破壊されたって……」 「――再建したの。10年かけて」 「10年かけて!?」 「――わたしは、10年後のあなた」 「はあ? なに? わけわかんない。浮気相手って言ったじゃない。はあ? わたしが? はあ?」 「――落ち着いて」 「ていうか、わたしお父さんと不倫するの!?」 「――それはあなたが勝手にそう思っただけ」 「でも、メール見たし!」 「――あなたに接触する必要があったの。事件を起こす前の」 「事件って?」 「――宇宙戦争を招いた」 「それ、わたしのせい?」 「――原因はさまざま。だけど止めるにはタイムマシーンが必要。人類は10年かけてようやく最終兵器を完成させた。これをあなたたちの時代に送る必要がある」 「でもわたし、タイムマシーン壊しちゃった」 「――知ってる。だけどそっちにはサバトがいる」 「ああ、うん。ていうか、あの猫、なに?」 「――あれが、地球の叡智の結晶、猫型時空間振動収束装置、サバト!」 「ね、猫型なんたらかんたら……サバト!?」 「――ポキール星人のタイムマシーンは時間を超越するだけ。だけどサバトは時相軸を超える。すなわち、どんな世界線であれ自在に行き来できる」 「すげー」 「――だから、サバトを見つけたら元の世界をイメージして、それを伝えて」 「わかった……でも……」 「――でも?」 「わたし、もとの世界に戻りたくない」 「――わかる。まあ、過去のわたしだからな。華鳴池くんとアダムとイブになる気でいるんだろう?」  さすがわたし。ぜんぶお見通し。 「――でもその世界、電気がないのよ?」  電気くらい! 「電気なんかなくても、華鳴池くんとふたりで乗り越えるっ!」 「――違うって。世界中の原子炉が次々とメルトダウン起こすの。まともに生きていけるのはせいぜい数年。どうやってアダムとイブになるの?」 「…………」 「――ちゃんと聞いてる?」  わたしバカだけど、メルトダウンはたぶんダメなやつ。 「……わかった。最後に質問させて」 「――ああ」 「あなたは……華鳴池テルと結婚してますか?」 「――残念ながら」  そうか。まぁ、そうだよね。わたしだもんな。 「――AIが恋人だ」  めっちゃ寂しい人生じゃん。 「レイカは? 三千堂レイカ。あの子はどうなった……?」 「――三千堂レイカ……あの子は……」 「あの子は? あの子はなに?」 「――なんでもない。言うと歴史が変わる」 「もしかして、華鳴池くんはレイカを選んだの!? わたしじゃなくて!?」 「――いまは言えない。とにかく、サバトを探して! 元の世界線に戻って!」 「あのね、華鳴池くん」  急いでパジャマを着替えて、テントを出た。 「どうしたの?」 「元の世界に戻らないとダメみたい」 「えっ? どうして?」 「わかんない。サバトを見つけて、タイムマシーンがあった世界に戻るしかない」  ていうか、すぐに見つけないと、わたしたち死んじゃう。 「カッパ像に聞いてみる? サバトの行方」 「いや――」  あいつ、宇宙船のなかにいっぱいいたし、もとは宇宙人の機械なんだ。この先はもう、頼るのはまずいよ。  と、そこに――  ビーッ! ビーッ! ビーッ!  強めのアラート。 「なにこれ?」 「テントからだ」  とか言ってたら、テントのなかからレーザー光がほとばしる!  レーザーは間一髪わたしと華鳴池くんから逸れたけど、何が起きてるの!?  テントの中からアナウンスの声が聞こえる。  ――敵性思考検出。排除します。  ――敵性思考検出。排除します。  またまたレーザー。  テントが焼け落ちて、カッパ部長が姿を現す。 「わたしの脳波を読み取られた!」 「何あれ? ロボット?」 「わかんないけど、逃げなきゃ!」  ――アロエ園方面に逃げて……逃げて……げて……  頭のなかに声が響いてきた。 「こんどはなに!?」  ――わたしは7万年まえの……まえの……えの……  こんどは7万年前の!?  ――あなた……なた……た……  またわたし!? っていうか、7万年まえ!?  レーザー光の熱で舞い上がったタオルがカッパ部長の目に張り付く。 「いまよ!」  アーチのまえ、指示されるとおり道を折れると、海岸へ向かう坂道。  遺跡に達すると、自然の岩壁が音を立てて開き始める。 「なかに武器があるって!」 「武器?」 「壁に塗り込められてる!」  華鳴池くんがポケットからナイフを取り出して壁を削り始めるけど、入り口に逆光でカッパ部長の姿が見えた。 「急いで!」  暗い室内にレーザーの赤い光が閃く。  が、その光はわたしのすぐとなりの埴輪を直撃、粉砕した。  カッパ部長の目が赤く光る。チャージ完了。  掘っていた壁から棒状のものが出てきた。  早く! 次の攻撃が来る! 「取れた!」 「字が書いてある!」  ――緊急……停止……装置…… 「わかった! 先端を! 敵に向けて! このスイッチを!」  カッパ部長がレーザーを放とうとした一瞬先、緊急停止装置から発射された電磁パルスが部長に浴びせられた。  ふたり、アロエ園に戻ってベンチに座った。 「あのね、華鳴池くん」 「うん?」 「戻りたくないんだ。元の世界になんか」  たぶんこの感覚は、華鳴池くんにはわかんないと思う。 「うち、貧乏でね。お風呂、二日に一回なの。しかもマンガ喫茶でシャワー。信じられる? わたし、そんな世界に戻りたくない」  華鳴池くんは、うん、またひとつ、うん、うなずきながらわたしの言葉を飲み込んだ。 「でもさ。こっち来てまだ二週間かそこらだろう?」 「うん。たぶん」 「今は夏だし、湧き水にも入れるけど、冬は暖を取れるかどうかすら怪しい」 「たしかに」 「もしふたりに子どもができてさ――」  やっぱりドキッとする。そういう話題。 「――あ、ごめん、そういうつもりじゃなくて」 「いや、いいんだよ。そのつもりだ、って言ったはずだよ」 「……やっぱ、いいや。戻ろう、元の世界に」 「そうだね」 「本当ならもうすぐ修学旅行だろう?」 「そう! 修学旅行!」 「それが終わったら、あとは受験勉強」 「うん! わたしもこんな地球なんかさっさと離れて、修学旅行に行きたい!」 「にゃあ」  にゃあ?  見ると足元にサバトがいた……。 「いまわたし、なんて言った?」 「こんな地球なんか離れて――」  地球なんか離れて―― 「修学旅行に行きたい――」  空気が震えだした。  振り仰ぐと、上空に大きな雲の渦がある。  その中心へと向けて、巻き上げられた瓦礫やアロエが集まっていく。  雲の切れ間から幾重にも光が降り注ぎ、やがて漆黒の巨大な宇宙船が姿を見せた。 「これは、なに?」  サバトに尋ねる間もなく、わたしと華鳴池くんのからだは宇宙船に吸い上げられていった。

6 ドキドキ・修学旅行

 宇宙船のなか。 「よかったぁ~、間に合って!」 「ナミと華鳴池くん、修学旅行お休みかと思っちゃった」  って、カオルとリコ。 「ま、ふたりにとっては、わたしたちはお邪魔かもしれないけどね!」  って、結局はその話? 「いいよね! ナミは!」 「ラブラブだったんでしょ~?」  環境に慣れるの、早いよ。ふたりとも。 「ところで、宇宙戦争はどうなったの?」 「そう! それよ! 聞いて!」 「ついこないだ、人類滅亡の寸前まで追い詰められてたの、わたしたち!」  うん。あの通信が入ったころでしょう? 「で、そのあとどうなったの?」 「助けに来てくれたんだ、ボラギノール星人が!」 「一瞬で蹴散らしてくれたの!」 「しかもしかも! 地球の復旧にも協力してくれて、友好の証としてなんと!」 「わたしたちの中学とボラギノール星第一中学とが姉妹校に!」 「姉妹校に……?」 「いやぁ、いいねぇ、姉妹校」 「そうそう、修学旅行は諦めてたら、ボラギノール星の修学旅行に参加させてもらうことになっちゃった」  なんだそれ……。 「ここだけの話――」  カオルが耳元に顔を寄せる。 「――華鳴池くんレベルの男子がゾロゾロいる」  えっ? でも…… 「相手は宇宙人でしょう?」 「ノープロブレム!」 「向こうは霊体みたい」  はあ? 「だから、肉体は自在。どうにでもなるって」  どうにでも? 「それで地球人の肉体を参考に仮のボディを作るって言うから、アイドルの写真バンバン送りつけたの!」 「ナミも後悔するよー。華鳴池くんよりイイ男いっぱいいるよー」 『ピーーーーーーーッ!』  響き渡るホイッスル。 「それじゃあ、全員揃ったな!」  数学の矢口先生の声とともに、あたりは通い馴れた中学の景色に差し替わった。  校門の向こうにはバスが6台。 「いやっほーう!」  カオルが拳を上げる。 「満喫するぜーっ!」  バスが走り出すと、リコとカオルは京都のガイドブックを広げる。 「バスのなかで読むと酔わない?」 「平気平気! だってほら、うっぷ……」 「見て、この店! うっぷ……」  そんなことより。 「ところでさあ。タイムマシーンどうなったの?」 「ああ、あれねぇ、軍に接収された」 「接収されたぁ!?」 「見てこれ! この店の抹茶パフェ!」  タイムマシーンより抹茶パフェ!? 「ほら、ナミが好きななんとかって声優! あのひとも配信してたよ、このパフェ!」 「あ……あのときのパフェ……?」 「そう! ちょっとお高め、千二百円!」 「ちょっとじゃないよ……千円超えてるじゃん……」  修学旅行のお小遣いは、上限五千円って決められていた。  リコもカオルもきっと五千円持って来てる。  だけどわたしは二千五百二十円。  お母さんに言ったら、 「五千円は上限でしょう? うちにはそんなお金ないよ」  って、二千円だけもらった。  あとの五百二十円は貯金箱開けた。 「ハァ……」 「どうしたの、ナミ、溜息なんかついて」  華鳴池くん、いちばん後ろの席でテニス部のワナビーに挟まれて、わたしの隣は冴えないムサ夫。って。あれ? レイカの姿がない……。 「レイカはどうしたの?」 「あの子は謹慎中」 「謹慎中って?」 「うん。ゴルフ場の件、あったでしょう? それで」  カオルが通路から身を乗り出して、わたしに顔を寄せる。 「わたしたち、あの場にはいなかったことになってるの。だからこの件も知らんフリしてて」  ……って。 「しょうがないじゃん。わたしだって人生棒に振りたくはないもん」 「ごめん、わたし、鴨川が見たいの」  バスを降りて市街地に向かうカオルとリコに言った。 「鴨川ってただの川だよ!?」 「うん。まあ、そうなんだけど」 「わかった! もしかして……鴨川で華鳴池くんと待ち合わせ!?」 「そ、そんなんじゃないけど!」 「図星だ! 赤くなった!」  赤くなってない。  わたしとカオルたちとの間には、二千四百八十円の壁があった。  いっしょに買い物なんて。と別行動にはしたけど、鴨川も早々に飽きて四条通りへ。  交差点をいくつか曲がると、話題のカフェが目の前にあった。  こないだ配信で見たパフェのサンプルがガラスの向こうで輝いている。  ため息を漏らしていると、 「只野さんもそのパフェ食べたいの?」  肩越しに少しキョドった声が聞こえた。  振り返ると、バスで隣に座ってるムサ夫、早江内さえないスエキチがいた。 「ぼ、僕も興味があるんだけど、いっしょに食べない?」  ナンパかよ。ブサイクのくせに。 「それとも、僕とじゃ嫌かな?」  大正解。 「そうだ。僕、パフェ代出すから、只野さん、食べてきてよ。ひとりで」 「えっ?」  ま、まずいまずい、いま一瞬目を輝かせた。 「それで、感想だけ聞かせて」 「早江内くんは、それでいいの?」  まずい、乗せられてる! 受け答えしちゃってるぞ、わたし! 壁を作れ! 壁を! 「いいよ。思い出になるから。じゃあ、これ……」  ムサ夫が財布から千二百円取り出すと、わたしの手が勝手に! 勝手に! 「本当にいいの?」  泣きそう。こんな男から金を……。  でもどんな手を使ってでも上に行かなきゃ。だって、不幸になるために生まれてきたんじゃない。  汗ばんだ千円札、なま温かい二百円を握りしめてカフェに入り、ドキドキしながら席に座ると、遅れてムサ夫も来た。 「あの……やっぱ僕も食べておこうかなと思って」  詐欺じゃねーかよ。 「邪魔だったら帰るよ」  邪魔だよ。  邪魔って言えよ! わたし!  夜、カオルがふとんをかぶったままで頭を寄せてきた。 「あのさあ、ナミ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」  反対側からリコも。同じようにモゾモゾ。 「わたしたち、見ちゃったんだ」  カオルは小さな声をさらに絞って尋ねる。 「ムサ夫とデートしてたでしょ?」 「し、してない!」 「ふーん。とぼけるんだ」 「ふたりでパフェ食べてたの、見ちゃったんだけど」 「あれはただ、わたしが食べてるとこに、ムサ夫が勝手に……」 「わたしたちにウソつく?」 「店のまえで話してるとこから見てたんだけど」  あ。 「それは……」 「わかるよ。華鳴池くんじゃ高望みすぎるし、滑り止めがほしいのは」  いや、ちが―― 「でも、よりにもよって、なんであんなヤツ?」 「だから違うんだよ。そんなことないんだって」 「あのね、恋は自由よ。好きにすればいいと思うの。でもウソは許せないなぁ」 「華鳴池くんにはフラれたってこと?」  フラれてはいないと思う。華鳴池くんだって、アダムとイブになる気でいてくれたし、それってつまり、そういうことでしょう? だから―― 「このこと、だれにも言わないで」  って、わたしからはそれしか言えなかった。 「このことって?」 「ムサ夫とパフェ食べたこと」 「どういうこと?」 「だまってコソコソパフェ食べに行って、バレたら内緒にしてって?」 「だからちがうってば。ムサ夫はそんなんじゃない」 「じゃあ、なに?」  どうしよう。 「ぜんぶ言わなきゃダメ?」  思わず涙がこぼれた。 「え? どうしたの? なにかされたの?」 「ちがう。そんなんじゃない」  わたしは顔を覆ったまま、ぜんぶ話した。  両親が別居したこと。お母さんが籍を抜いたら、もう只野ナミじゃなくなること。お小遣いが二千五百二十円しかないこと。それがばれたくなかったから、ふたりと一緒に行動しなかったこと。  ボロボロ泣いた。  貧乏が悲しいんじゃない。そんな理由でふたりから離れたこと。それを言えなかったこと。ふたりが真摯にそれを聞いてくれたこと。そういうのが重なって泣いた。  朝食のまえ、カオルがムサ夫を呼び出した。 「あなたさあ、ナミに付け込むのやめてくれない?」  って。 「付け込む……? というと?」 「パフェで手懐けようとしたでしょう。ぜんぶナミから聞いたんだからね」 「いや、手懐けるって……」 「ナミはあんたなんかが話していい相手じゃないの」 「それともなに? あんた、華鳴池くんからナミを奪うの?」 「いや、だから、そんなつもりじゃ……」  たじろぐムサ夫。その表情には、敗北の白い旗が見えた。 「ほーらもう言い返せない」 「わたしたちの言った通りでしょ?」  筋が通った話かはともかく、ふたりは親友としてはたのもしかった。 「パフェ代返すから、二度とナミに近づかないで」  最後はそういってカオルが拳を突き出す。  その手に握られていたのはパフェ代の千二百円。百円玉で12枚。わたしとカオルとリコ、三人で出し合ったお金だった。  その日の夜。  となりの部屋に男子が来るから参加しようって、リコに誘われた。  古い旅館の一室。  トイレに出るふりをして、そのまま自分の部屋に戻らず、隣の部屋に移った。  カオル、リコ、わたし。怪しまれないようにひとりずつ。  部屋に入ると電気が消えてまっくらで、話し声だけ聞こえた。 「だれ?」 「それは聞いちゃダメ」  男子、なんにんくらい来てるんだろう。  かわされてるのは初恋の話。  ひとりずつ順番に話して、自分の番が終わったらおとなり。  初恋の相手の名前は伏せて、まわりは「だれ?」「わかんない」「伊藤じゃないかな」ってひそひそ話。最後は 「まだ諦めてません! もう一回チャレンジします!」  と締めて、ヒューヒューって声があがる。  そしておとなりの番。 「僕の初恋は――」  男子だ。 「通ってた幼稚園の先生でした」  しずかに語り始めた。 「でもそのひと……こないだの宇宙戦争に巻き込まれて……」  そこまで言って言葉を詰まらせる。  真っ暗な部屋の中で、もっと真っ暗な闇がわたしたちを覆った。  戦争は終わったわけじゃない。  こんな悲しい思いをするのは僕だけで十分だ、って。 「ぜんぶタコ焼きにして食った田中さんのせい」  男子の話に割り込んで、女子の声が聞こえた。おそらくカオルだと思う。 「どうしてそんなやつのせいで、わたしたちがこんな目に……」  別の声が続ける。 「田中さんのタコパに参加してたやつ、ほかにもいるらしいよ」  って、ちょっと、みんな声大きい。 「もしかして戦争って、そのとばっちり?」  白熱しないの! 先生にバレちゃう! 「つかまえて差し出せないの?」  ――入り口にノックの音がした。  声を潜める。 「起きてるのか?」  外からの声。  部屋のなかは色めき立つ。  窓を開ける音。そうか、男子って窓から入ってきたんだ。 「入るぞ」  声が聞こえた次の瞬間、部屋の扉が開いて電気をつけられた。  翌日。朝から河川敷で説教された。  大切な時期だから、とか、ルールを守るということは、とか、数学の矢口は、恥ずかしげもなく声を張り上げた。  先生たちはわたしたちのことへんな目でみるけど、わたしたちはただ、暗闇の中で知らない男子を交えて恋バナをするのが楽しいの。  先生が想像するようなことをする子は、すでにやってるんだよ。そこまで行かない子、わたしやカオルやリコみたいな子が集まって話をしてただけなんだよ。  矢口から開放されたあと、真白先生が声をかけてくれた。 「あの言い方はないよね、矢口先生も」  って。 「あいつ、わたしたちのことぜんっぜん信用してない」 「自分がクソだからほかもぜんぶクソに見えんだよ」  カオルもリコも言いたい放題。やっぱたのもしいな、このふたりは。 「大人はいいよね。好きなもの食べられるし、好きな時間に寝ていいし」って、リコ。 「好きなもの食べられるほどお給料もらってないし、たっぷり眠れるほどヒマでもないけどねー」って、真白先生。 「いまにして思えば、学生時代が最高だよ」 「そうかなー」 「みんなでいっしょにパフェ食べに行けるじゃない」 「ああ、うん」  昨日のことがあって、カオルもリコも反応が薄かった。 「でも、みんながみんな自由にお金を使えるわけじゃないから」って、リコ。 「わたしも。今回のお小遣いの半分は残して、本とか買おうかなー」って、カオル。  だめだよふたりとも。わたし最近、涙もろいんだから。 「わかった! そういうことなら今日は大奮発! 先生がなんかおごってあげる!」 「先生、あのね。わたしたち昨日、初恋の話ししてたんです。電気消して」  カオルとリコとわたし、それから真白先生とでお汁粉を食べた。 「わたしの番まではまわってこなかったけど、どんな話をするかは決めてた」 「ほう!」  真白先生はおどけたように言ってみせて、「相手はだれ?」って聞くけど、カオルもリコもくすくす笑うだけでなにも言わない。 「知ってるんだ、ふたりとも。先生にはナイショって? ひゃー。そういうとこよ、この歳になってうらやましいのは」 「あのね、先生。お相手は匿名のAくん」 「あ、はい。だれだろうなぁ。気になるなぁ」 「夢を見たんです。  そのAくんと、人類の消え果てた地球に放り出される。  そこで見たのは、いちめんのアロエ畑。  花なんか咲いてないの。  それでわたし、もう無理なのかなーって」 「えっ? どうして? 前後つながってないよ?」 「一面のお花畑だったらよかったのに、アロエですよ?」 「いいんじゃない? アロエは食用にもなるし、傷も治す。見て楽しい花よりずっといい。それが只野さん、あなた自身なんでしょう?」  ――そう。あのアロエはわたし自身。  ――でもそれは同時に、あのひとに気持ちを寄せて破れてきた、たくさんの子たちにも見えた。みんなアロエなんだ。美しく咲き誇ったりはしない。そのなかでわたしも恋に敗れて、捨てられるんだ。 「……って思った」 「なるほど」  と、真白先生。 「それで、その話はどう締めるつもりだったの?」  って、モチを伸ばしながら。 「わたしは花になります! なのか、わたしはアロエ、このままでいい、なのか」  茶屋を出るともう太陽は高く上っていた。 「矢口先生も悪い人じゃないんだよ」  別れ際に真白先生は言った。 「でも生理的に無理」 「人間としてクズだと思う」  そのとき。  地下から突き上げるように大地が揺れた。  バランスを崩し、リコの肩につかまると、リコもわたしの手を押さえてきた。 「地震?」  すぐにまわりの景色が消える。 「ちがう! なにこれ!?」  空も消えて宇宙船内の天井に変わった。  アナウンスが流れる。  ――ポキール星宇宙艦隊による襲撃を受けています。  ――安全のために、学園艦を切り離します。 「学園艦を切り離すって?」 「狙われてるのは大人たち。大人のなかにタコを食べたのが混じってるから」 「先生はどうするんですか?」 「タコ食べてないですよね!?」 「そんなことより! 行って! 変形が始まってる!」  アラートが鳴り響く。  フロアが割れて、連結器が起き上がる。  走るしかない。  先生と別れ、床からせり上がってくる隔壁を交わしてるとカオルたちとはぐれた。  頭上を直径1メートルはあるシャフトが高速で通り過ぎていく。  フロアが傾いてどんどん速度が増す。足が地面をとらえるより早く体が滑っていく。ハッチが見えた! 次の瞬間、目の前の床が割れた! 奈落! 避けられない! 「只野!」  後ろから滑り込む影。  わたしの手を握って、反対の手で空いたハッチをつかんだ。  ムサ夫――早江内くん! 「ハッチの向こうが学園艦だ。このまま放り込む」 「う、うん。早江内くんは?」 「なんとかなるよ。それよりも! ちゃんと手を握って!」  早江内くんの手首をぎゅっと握ると、その手はさらに強くわたしを握り返した。分離した学園艦のゲートが見える。早江内くんは左右におおきくわたしのからだを振り、 「いまだ!」  の合図で手を離すと、わたしのからだは宙を舞い学園艦のなかに転がり込んだ。  飛び込んだゲートからみると、早江内くんは学園艦から少しずつ遠ざかっていく。宇宙船本体も変形して、ハッチも閉ざされた。戸惑っている。このままじゃ―― 「飛んで! 早江内くん! 受け止めるから!」  早江内くんはからだをひねり、ハッチのへりを蹴ってジャンプ。  静かな虚空を早江内くんのからだが少しずつ大きくなってくる。  ゲートが閉まりだす。  早く! 早くして!  わたしはからだを乗り出して早江内くんの腕をつかみ、そのまま学園艦のなかに引き込む。  ふたりのからだが廊下に転がった次の瞬間、ゲートが閉じ、長い廊下に室内灯が灯った。

7 ドキドキ・学園祭

 学園艦の長い廊下を抜けると教室であった。 「奈落に落ちかけたとこ助けられたんだよ、あいつに」  クラスは学園祭の準備でもちきり。巨大迷路制作用のダンボールが大量に持ち込まれている。 「わたしだって、あんなやつに助けられたくなかったけど、だからって死にたくはないじゃん。あーもうキモッ」  校門にはもう学園祭を彩るアーチが出来上がっていた。  各クラスで割り当てたペーパーフラワーが鮮やかなグラデーションを見せる。  ダンボールが足りなくなって、カオルとリコと街へ出ると、商店街はがらーんと静まり返っていた。 「これ、レイカじゃない?」  と、リコが投稿サイトの動画を見せた。  目線を黒く塗られた少女が偽のエグザイルに囲まれて、メントスをくわえたままコーラを一気飲みする動画だった。 「県大会、予選一回戦敗退だからね。そこからおかしくなっちゃったみたい」 「ラケット握ると、手が震えてたもん。あれじゃ無理だよ」  それからレイカは偽エグザイルの部屋に入り浸って、知らない味のうまい棒を食べて、ハッピーターンの粉だけ舐めるようになった。 「負け犬ってこのことよね」 「自業自得だよ」  って、ふたりは言うけど、ゴルフ場の事件のせいだ。  でもそれは禁句。ムサ夫のことで淀んでた空気がやっと晴れたんだ。ここで口にしたらまた面倒なことになる。  ダンボールをふたりにまかせて、わたしは駅前のスーパー。  入り口には偽ザイルがたむろしていた。  店に入ろうとすると、ずっとこっち見てる。 「なにか欲しい物ある?」 「あの……カッターナイフとガムテープ」  ほんとは答える義務もないんだけど。 「なかは関係者以外立ち入り禁止なんだ。取ってきてやるからまってな」 「事務所があっちにあるんで。お茶でもどう?」 「やっぱりいいです。他の店に行きます」 「なんで? 親切を踏みにじるの?」  気がつくとまわりをぐるっと囲まれて、偽ザイルは変なダンスを踊り始める。 「どう?」  って、うまい棒を差し出してくる。  これじゃまるで『AIが考えたエグザイル』じゃない。 「あ、ありがとうございます」  って、断れよ! わたし!  見渡すと、少し離れてエグザイルにあるまじき醜い人影があった。  ムサ夫だ。  どうしよう。 「だれ? 知り合い?」  小さくうなずくとムサ夫がこっちに歩いてくる。  ムサ夫はわたしの横まで来ると手を取って、 「行こう」  って。  でもどうしよう。  戸惑っていたら鈍いゴッという音が聞こえて、ムサ夫が膝をついた。血が滴る。 「ああ、ごめん。ぶつかったみたい」 「そんなとこにいるから肘が当たるんだよ」  偽ザイルはにやけた笑いを浮かべている。  コイツを足蹴にして偽ザイルに媚びれば、わたしは助かる。あいつらの部屋で知らない味のうまい棒食べるほうが、殴られるよりずっといい。  戸惑っているとムサ夫が顔を上げる。 「ナミさん。僕は、あなたのためなら死ねる」  ムサ夫の手にはナイフが光る。でもちょっとまって。そんな風に好きになられても困る。口の血を拭って、立ち上がって……が、偽ザイルの運動神経が上回った。一瞬でムサ夫の手からナイフを奪い取ると、その腕を背中にひねり上げた。 「ねえ、彼女。彼氏の不始末、どうしてくれるの?」  と、そのとき、銃声が聞こえた。  同時に偽ザイルのひとりの胸から赤い血がアーチを描く。  警戒して背を屈める偽ザイルたちを、小銃を構えた背広の男たちが現れて取り囲む。  偽ザイルはナイフを捨てて手を挙げるけど、背広男は容赦ない。一人ずつ至近距離で頭を撃ち抜く。  そのあとで、 「安全確保いたしました。テル様」  無線機で連絡を取る。  ――テル様?  駅通りの方から華鳴池くんが姿を見せた。 「だいじょうぶか? 只野」 「だ、だいじょうぶだけど、これって……なに……?」 「俺の個人的なボディーガード」  ボディーガードって……小銃持ってるんですけど……? それに―― 「大人はこの艦には乗ってないはずでは?」 「学園内での便をはかるため、特別に学生証を持たせている。ああ見えても高校生だ」  いや、それ、わたしはいいけど、ポキール星人はそれで納得するの? 「只野さん、冷たいんだなぁ」  公園でアイスを食べながらムサ夫は言った。 「そう? わたしこれでもよく気が回るって言われるんだけど」  助けてもらったお礼にアイス盗ってきてあげたんだから、冷たいなんて言われる筋合いはないもん。 「ショックだなぁ」 「だったらわたしなんかと関わんなきゃいいのに。そうすればわたしもこんな嫌なセリフ吐かずに済む」 「ほぼ同じことを三千堂さんから言われた」  レイカに? 「わたしが酷いこと言うのはぜんぶあなたのせいって」 「わたしはあの子とは違う!」 「そうかな。僕にとっては同じだよ」 「それはあなたが……!」 「僕が? 僕がなに?」 「それは……」 「言っていいよ。ブサイクだからって。小学校の頃から言われて、慣れてるから」 「言ってないでしょ、そんなこと!」 「でも、顔ってそんなに重要じゃないと思う」  ムサ夫はブサイクな顔の割れ目に張り付いたタラコで喋り続けた。 「だって、家族も親友も顔で選んだり分け隔てたりしない。彼氏彼女だからって顔が重要だなんてことはないって……」  学校に戻ると、学園祭のアーチが壊されてた。  黙々と修理する生徒たちのなかに、リコとカオルの姿が見える。 「どうしたの、これ」 「少女Aがやったんだよ」  知らない男子生徒が答える。 「レイカのこと。みんなそう呼んでる。少女Aって」 「どうして?」 「殺人未遂犯だからね。退学になってないのが不思議だって」 「いいの? わたしたち、これで――」  わたしが言いかけた言葉を 「いいのよ!」  って、カオルが大声で制する。  それ以上なにも言わなかったけど、ゴルフ場のことは喋るなってことだ。  三人でわたしのパフェ代出しあった。ふたりとも修学旅行のお小遣い、半分しか使わないでいてくれた。ふたりを裏切る気はない。でもさ。 「でも、レイカだって辛いと思うよ」 「あんた、バカじゃないの?」って、カオル。冷たい目。 「いじめられてたのよ、あんた。気がついてないの?」 「わたしはべつに、そんなつもりない」 「ナミは優しいからー」ってリコ。呆れたような笑顔で、「でも、うっかりレイカ庇ってると、次にターゲットになるのはナミだよ?」って。  レイカのロッカーには大量の落書きがあった。  ババァ、整形ブス、脳筋女、尻軽、クソビッチ。  うまい棒をくわえてピースサインをする切り抜きもある。  わたしは耐えられなかった。その場で切り抜きを剥ぎ取って捨てた。  次の日、わたしのロッカーにも写真が貼られていた。着替えてるとこの写真。盗撮だ。すぐに剥ぎ取って丸めたけど、カオルもリコもなにも言わない。  ああ、そうでしょうよ!  わたしを庇ったらつぎは自分だもんね!  でも、カオルは知ってるでしょう? 見てたはずだよ!  あのときレイカがどのくらい震えてたか!  学園祭当日。  わたしたちのクラスの立体迷路は閑古鳥が鳴いてた。  生徒の多くは講堂で開催されるスペシャルフェスに集まってた。  フェスにはバンドで出るひと、アカペラで歌うひと、コントを披露するひとがいて、そのなかにムサ夫――早江内スエキチもいた。  スエキチ・サウンド・ミーツ・パーティと題されたステージに、派手なキャップとサングラスをつけたスエキチが指をくるくるとまわしながら登場、DJブースに入るとともに爆音が轟いた。聞き覚えのある曲が小気味よくリフレインされる。そのリズムでからだを揺らすひとがいる。三年生もだ。スエキチのプレイで、学校のみんながからだを揺らしている。  図書室の『メルヘンカフェ』でハーブティを飲みながら、 「陰キャのくせに」  ってカオルが言った。 「なんかさ。落ち込むよね」 「落ち込むって?」 「ムサ夫、あの才能があるから、自信持って言えるんだ。顔は関係ないって」 「あんなの才能じゃないよ。他人の曲鳴らしてるだけだよ?」 「まあ、カオルはデキる子だけど、わたしには無理」  いろんなこと話して、しみじみとリコが言った。 「みんな『何者か』になりたいんだよね」  って。 「先生は『何者にもなれなくったっていい』って言うけど、何者かにならないと見向きもされない」  華鳴池くんは雲の上のひと。お月様。スエキチは泥に塗れたスッポン。だと思ってたのに。わたしがいちばんダメな子じゃん。 「あなたに庇われるの、迷惑なんだけど」  宇宙船のなかの作り物の校舎、作り物の屋上、作り物の空の下でレイカは言った。 「庇ってるって? わたし、あたりまえのことしか言ってないよ」  ひさしぶりに呼び出されたから、またテニスの試合とか言い出すのかと思った。 「言うようになったじゃない」  髪を染めて口紅を引いたレイカは大人びて見えた。 「ごめんなさい。わたしのせいで……」  制服の上には淡紅色のスカジャン。 「わたしのせい? あなた、いまのわたしをどう見てるの? それがあなたのせい?」  レイカはポケットからハッピーターンを取り出して、口にくわえた。 「テルとはどこまで行ったの?」 「どこまでって?」 「人類滅亡後の世界にいたんでしょう? ふたりで」 「とくになんもないよ」 「どうだか」  レイカの目は人差し指と中指とにはさんだハッピーターンを通して、遠くを見ていた。 「レイカはどうしてたの? タイムマシーンの事故の後」 「わたしは10年後の未来にいたわ」 「10年後!?」  それって、未来のわたしもいるはずの場所。 「だから、ぜんぶ知ってる」 「ぜんぶ?」 「これからわたしがどうなるか、ぜんぶ」  ――三千堂レイカ……あの子は……  ――あの子は? あの子はなに?  ――なんでもない。言うと歴史が変わる。 「もしかして……?」  ……レイカ、死んじゃうの……?  だから未来のわたしは、なにも教えてくれなかったんだ。 「わたし、あなたを助けたい」 「ハッ。おかしな子。急になにを言い出すの?」  レイカにかかわったらまたカオルとリコになにか言われる。  でも放っておいたらレイカは…… 「小学校三年のとき、ヘアクリップもらったよね」 「なにそれ、そんな昔の話、覚えてるわけないじゃない」 「赤いクリップ。可愛いって言ったらくれたの……」 「へぇ。それが?」 「わたしたち、友達だったよね! そしていまも! 友達だよね!」 「ハッ! そういうのをやめてって言ってるの、わからないかな?」  レイカはポケットからまたハッピーターンを取り出して、食べながら屋上をあとにした。  大人たちが消え、だれもいない職員室。  ここに平気で入れるのは、学級委員長や風紀委員、あとは何人かの成績優秀な子だけ。  それでもわたしは……わたしには……やることがあった。  ここが、人生の岐路だ。  真白先生の席の斜向い、矢口先生の席。椅子には上着がかけられている。  あたりにはひともいない。  わたしは矢口先生の上着から財布を抜き取った。  その足でオカルト部へ。リコもいる。  わたしは矢口先生の財布から抜き取った百円玉8枚を机の上に叩きつけた。 「あなたたちとは絶交する!」 「はあ? いきなりどうしたの?」 「そのお金はなに?」 「あなたたちに出してもらったパフェ代! これ、返す!」 「ていうか、そのお金どうしたの?」 「矢口先生の財布から盗んだ!」 「そこまでして絶交!?」 「ホワ~イ?」 「わたし、レイカを助けたい」 「またその話?」 「あの子、このままだと自殺しちゃう」 「いいよ。勝手に死なせておけば」 「もう聞かない! 絶交は成立したんだから、あなたたちの言葉なんか知らない!」  レイカだってそりゃあ悪いよ。  だからって放っておいて何があるっていうの?  それにわたし、カオルとリコのせいで早江内くんにお礼も言ってない。  次の日、学校についてロッカーを見ると、相変わらず落書きと貼り紙でいっぱいだった。わたしのロッカーだけでなく、レイカのロッカーも……それに、カオルと……リコのロッカーも……? 「いやあ、派手にやられましたなぁ」  って、いつのまに現れたのか、リコ。 「うわ。盗撮写真だよ。どこで撮ったんだよ」  カオルも。 「どうしてふたりまで?」 「昨日、ナミのロッカーの落書き消してやったの」 「そうしたらこの通り。やられましたわー」 「カオル……リコ……」 「手ぇ出して」  言われるがままわたしが手をだすと、カオルとリコが温かくなった百円玉を4枚ずつ握らせた。 「これで絶交は不成立」って、カオル。 「やり返すよ、ナミ!」ってリコ。 「うん! やり返す!」  月曜朝の全校集会。  カオルとわたし、それからリコがマイクを持って朝礼台に立った。  目的は、防衛大臣殺害未遂の真相を語ること。 「みなさん! 静かに聞いてください!」 「これから重大な発表があります」  校庭に並んだ生徒たちがざわめく。 「現在、三千堂レイカにかかっている防衛大臣殺害未遂容疑ですが……あの計画はわたしたちで立てました!」 「そう! だからレイカだけを責めるのは間違ってる! 責任はわたしたちにあるし、すべてこの地球をまもるためのものでした!」  戸惑いが広がる。  ここまでは予想通り。 「関係者は、三千堂レイカとここにいる黒水澤カオル、伊部リコ、只野ナミ……」  カオルが淡々と告げると怒号はますます大きくなる。だけど―― 「そしてもうひとり……」  これを聞けば聴衆の反応も変わるはず。 「タイムマシーンの操縦桿を握っていたのが……」  そこまで言ったとき、カオルの後頭部に小銃が突きつけられた。  例の背広男だ。  わたしも、リコも、校庭には華鳴池くんに小銃を向けた姿も見えた。  華鳴池くんにまで……  たしかに華鳴池財閥の御曹司が大臣暗殺に関わっていたとなると大問題。  だけど、大人の都合なんか知らない! 「わたしが言う」  カオルに告げると、何本もの小銃がいっせいにわたしに向きを変えた。  これは……死ぬじゃん。  そう思った瞬間、生徒たちはみんな一斉に片足でけんけんと右に動き始めた。  生徒ばかりか、背広の小銃男たちも!? 片足でけんけんと!? いったいなにを?  と思っていたらわたしたちもからだをゆすられるようにして片足を上げて、バランスを取ってけんけんするしかなくなった。 「地面がななめってる!」  リコが叫ぶ。  生徒も背広もわたしたちも斜めになった校庭を端っこへと転がされていく。  ――緊急校内放送。  ――ただいま、地球からの重力砲による攻撃を検出しました。  学園艦の壁に映された見慣れた街並みが消えると、巨大なスクリーンに地球の姿が見えた。いつのまにこんな近くまで!  ――学園艦は二分後に落下します。  早いよ!  ――全校生徒は机の下などに隠れて、衝撃に備えてください。  それでなんとかなるもんなの!?  ――繰り返しお知らせいたします。  って、放送委員!  ――ただいま、地球からの重力砲による攻撃を検出しました。  なんでそんなに冷静なの!?

8 ドキドキ・東幡豆革命軍

 白い壁……  点滴……  わたし……どうしたんだろう…… 「気がついたようだな」  マスカレードみたいな仮面をつけた男が声をかけてきた。 「ここは?」 「東幡豆革命軍の桃の湯支部だ」  どこ、それ。 「とにかく、無事でなにより。きみたちの船は地球=ボラギノール連合の攻撃で撃墜されたんだ」  ベッドのまわりに4~5人の仮面の子。そのなかに、派手なキャップとサングラスをかけた子がいた。 「スエキチくん?」 「名前を呼んではいけない」 「どうして?」 「ここではみな下駄箱の番号で呼ばれる」 「下駄箱の番号……」 「君は、《への十八番》だ」 「三週間目覚めなかったんだ。あのまま眠り続けるのかと思ったよ」  わたしを案内してくれたキャップの男は言った。 「地球では、ボラギノールと地球の連合政府が好き勝手やってる」 「……具体的には?」 「下着の色、髪型、若者が聞くべき音楽までことこまかく決めて、逆らうと国民カードに刻印が押されるんだ」 「それでみんな顔を隠してるんだ……」  町の小さな商工会議所。 「ついたよ」  そこは彼らの集会場だった。これからリーダーの演説がある。  並べられたパイプ椅子に座るとすぐ、 「かーーーくーーーめーーーいーーーぐーーーんーーーのーーー!」  舞台袖から声が聞こえた。 「諸君!」  マスクとブタ鼻をつけて革命軍リーダーの登場。 「よく集まって来てくれたぁっ!」 「これ、知ってるひとだ」 「彼女は《ぬの五番》。ここではリーダーも番号で呼ぶんだ」  割れんばかりの拍手の中、革命軍リーダーの演説が始まった。 「革命軍の諸君!  われわれの目的は、防衛大臣暗殺未遂容疑で捕まった《いの一番》の奪還である!」 《いの一番》。それが三千堂レイカの呼び名だった。 「そして《いの一番》奪還ののちは、地球=ボラギノール連合政府を叩き潰す!」  会場が湧き上がる。 「全力で叩き潰す!」  更に湧き上がる。 「てってー的に叩き潰す!」  異様なほどに盛り上がる。  アパートに帰ると、お母さんは二百円で買った中古のブラウン管テレビでお笑い番組を見ていた。 「あのね、お母さん」 「ん? どうした?」 「わたし、革命軍に入るかもしれない」 「革命軍? いったいなんで?」 「革命軍に入って世界を変えないと、地球はボラギノール星人に乗っ取られちゃうの」 「ハッ。すっかり染まってるな」 「……染まってるって?」 「連中、二言目には必ずそれだ。エグザイルもなんとか四十いくつも、なかみはぜんぶボラギノール星人だ、って」 「だって、そうなんだってば」 「それで、ポキール星人と協力してゲリラ活動をしてるんだろう? どっちが悪者か、よーく考えてみるんだな」 「ボラギノール星人が悪い。みんな言ってる」 「みんながどう言ってるかじゃない。おまえがどう思うか、だよ」 「お母さん、リーダーが『全力で叩き潰す!』って言ったときの会場の盛り上がりを知らないからそう言うんだよ!」 「たいへんだ!《いの一番》が移送されてる!」  テレビのニュースが『少女A』の姿を映す。  事件の凶悪性を鑑み、審判の舞台が家庭裁判所から軍事法廷へと変更された。それにともなって、少女A、つまり三千堂レイカは軍の官舎で監視付きの生活を余儀なくされるという。  すぐに機動パワードスーツを着込んだ少年少女隊が編成される。 「わたしも志願します!」  だてにフォートレジェンドをやり込んだわけじゃない。  だけど支部長、《いの三番》の返事は、 「きみはまだ正隊員じゃない。出撃させるわけにはいかない」  たしかに実物の機動スーツは着たことない。  だけどそんなもの、1時間もあれば!  でもどう言ったところで支部長の考えは変わらなかった。 「まずは保護者の許可を」  の一点張り。  東幡豆から都心へと向った二十機あまりの機動スーツは、静岡県沼津市上空でボラギノール部隊と交戦。高高度からの攻撃に対応できず全機撃墜。わたしはそのニュースを桃の湯のテレビで見た。  こちらのスーツの性能では高度12キロが限界。それを見てとった相手は上空からの奇襲を繰り返した。  全員戦死。  そのなかにはキャップとサングラスの男も混じっていた。  閉鎖された愛知こどもの国の一角に墓地が作られた。  墓標には赤い花が添えられ、すべて『少年a』、『少女a』と刻まれていた。 「この花は?」 「ガーベラだね。同志のひとりが添えてくれているんだ」  華鳴池くんだ。すぐにピンと来た。  そしてふと疑問に思った。 「どうして大文字のAでなく小文字のaなんですか?」  わたしが尋ねると、 「大文字の少年A、少女Aは僕たちの理念だ。汚されることも、朽ちることもない」  支部長は静かにそう答えた。  死んでいくのはいつも小文字の少年a、少女a。  DJ早江内スエキチも、少年aになった。  お父さんの携帯に電話をかけた。  お母さんには悪いと思ったけど、どうしても保護者の許可をもらう必要があった。  明けて月曜、革命軍の正式メンバーになり、直後、スカーレット・ミッションを受けることになった。  今回スカーレット・ミッションを受けるのは三人。 「への十八番! かの二十二番! にの六番! 前へ!」  わたしと……それから見覚えのある……オカッパ頭……これたぶんカオルだ。もうひとりは男子。オーラがある。 「ミッションは敵陣へ潜入し、旗を持ち帰ることだ」  フラッグ戦だ。カオルとは何度もやった。ミッションはクリアしたも同然。  こどもの国の西側、ゆうひが丘からわたしたちのミッションが始まる。  ターゲットは園の東側、あさひが丘。 「への十八番! あなた新人でしょ? フラッグ戦の経験は?」  カオル……じゃなかった、かの二十二番が聞いてくる。 「あんたよりちょっと上手いよ。オカルト部」  そう言ってやると、 「なるほど。そういうこと」  って、向こうも気がついたみたい。  一人称シューティングゲームではクラスで一二を争う二人だ。  マッチングされた三人目がだれであろうとも、ミッションは成功させる!  と、思ったら三人目の男子が無謀にも先行! 「ちょっとまって!」  しかもブッシュに向かって無駄に弾を撃つ!  このへっぽこがぁっ!  わたしは背後からへっぽこにタックル。 「なにやってんのよ! 戦場だったら、あんた死んでるんだよ!?」 「だいじょうぶか、への十八番! にの六番!」  かの二十二番がインカムで尋ねてくる。 「大丈夫。作戦、どうする?」 「こどもの国は中央広場でくびれてる、そこで殲滅戦だ」 「わかった。へっぽこくんは?」 「自陣のフラッグ防衛」 「聞いてた? にの六番。あなたは防衛。突破はわたしたちにまかせて」 「わかった」  あさひが丘の陣のほうが守備は不利。おそらく向こうも中央広場での殲滅を狙ってくる。 「わたしが先行する。敵が広場に入ったら挟み撃ち」 「了解!」  直後、交戦音。  いったいなにが? 「あんのへっぽこ野郎!」 「また飛び出したの!?」  崖を滑り降りてなかよし橋へ。 「なんで橋の上で戦ってんだ!」 「なにが起きてる! への十八番!」  遮蔽物のない橋に躍り出るなんて、無茶もいいとこ。 「大丈夫。敵は素人みたい。ポジション取りができてない。まだなんとかなる!」  にの六番に駆け寄りながら敵影発見。向こうも単独。その場で撃破。  橋上のにの六番の手をつかんで走る。 「あそこの茂み!」 「わかった」  彼がスピードをあげて茂みに飛び込む。遅れて飛び込むと、わたしは彼の胸の上にいた。息が切れる。ふたりとも立ち上がれずに、重なったまま速い息をした。 「ひとりで勝てるなんて思わないで!」  男はなにも言わない。 「わたしたちは弱いの。弱いけど勝つの」  顎を伝って汗が落ちて、彼のシャツを濡らす。 「強いから勝つんじゃない。強さで戦ってたら、本当に強い敵に勝てない。そうじゃないの。弱いけど勝つ! 勝たなきゃいけないの!」  にの六番のシャツは左腕のあたりが裂けて、血が滲んでいた。 「への十八番! 敵が川を渡った。なかよし橋の少し下流」  カオルからのインカム。  西エリアへの侵入を許したってことか。 「敵は1体撃破してる。あとはわたしとかの二十二番でワンオンワン。行けるはず!」 「わかった。防衛はまかせて。フラグ、ちゃんと獲ってきてね」  ま、こっちはお荷物がいるけど、囮くらいにはなる。  ゆうひが丘のフラッグは芝生広場のとなり、洲崎山すざきやま第二号古墳。 「にの六番、あなたは通りからストレートにフラッグを目指して」 「わかった。君は?」 「森の小径を行く。フラッグを守ってるのはひとりだから、どっちかがたどり着ける」  万が一敵が小径を張っていたとしても、一対一なら負けない。こんもりと茂る洲崎山第二号古墳が見えてきた。スカーレット・エンブレムはもう手にしたも同然。そのとき、主経路から交戦音。銃声は二種。へっぽこが銃撃戦を始めたんだ。彼が破られる前に古墳にたどり着かないと。  射点が移動している。一点はあきらかにこちらに近づいてくる。敵か? 警戒しているとへっぽこくんが飛び込んできた! 「逃げて!」  逃げてじゃねぇよ! 囮になって死ねよ!  敵の姿も見えた。  迎撃を!  その瞬間、にの六号がわたしに覆いかぶさった。  マスクをした口がわたしの顔のすぐそばで荒い息をたてる。 「あの、まって。ちょっと」  敵が狙いをつける。  でもわたし、ドキドキして力が入らない。 「なにやってんの、あんた。バカじゃないの?」  にの六号はぎゅっとわたしを抱きしめる…… 「君を守りたい」  ふたりは抱き合ったまま血糊の入った模擬弾で蜂の巣にされた。 「への十八番! 戦況の報告を! への十八番!」  カオルの声だ。 「ごめん、カオル。負けちゃった」 「負けたぁっ!? ふたりがかりでぇっ!?」 「こっちの敵もそっち行くと思うから、挟み撃ちに気をつけて……」 「無茶言うなぁぁぁぁぁっ!」  翌日、肩を落として桃の湯――革命軍支部に行くと、下駄箱の前に立つ人影が見えた。  左腕に包帯が巻かれている。もしかして、昨日のへっぽこくん?  人影はわたしの隣の下駄箱を開けて戸惑っている。  支部長の下駄箱。なにしてるんだろう。  見守っていると静かに下駄箱を閉じて、わたしの下駄箱を開けた。  そして下駄箱になにか放り込んで、そそくさと立ち去った。  靴を脱いで下駄箱の扉を開けるとそこにあったのは一輪のガーベラ。  スカーレット・エンブレムと同じ色の真紅のガーベラ。  へ、へっぽこくんって、もしかして!?  その日はこないだの三人、への十八番、かの二十二番、にの六番で華鳴池コンツェルンの秘密軍需工場に弾薬の調達へと向った。 「ところでさぁ、華鳴池くんのボディガード。あれ、どうなったの?」  わたしはにの六番にカマをかけるつもりで聞いたけど、彼は動じず。 「あれね、ひとりずつ粛清された」  代わりにかの二十二番が答えた。 「粛清って?」 「大人を笠に着て勝手を通そうとするから」 「殺したの?」 「違う。魂を開放してあげたの」  間もなく到着した閉鎖された軍需工場は静かで、がらーんとしていた。 「昔はここでたくさんの大人たちが働いていた」  って、かの二十二番。 「大人は夢の諦め方がうまいの。取り残されるのはいつもわたしたち。奥も見ていく?」  わたしたち三人は、工場の奥へと向った。  その地下格納庫に巨大な人型兵器が見えた…… 「すごいこれ……動くの……?」 「最終アッセンブルを行えば動くはずだよ」  って、にの六番。 「それを行うとこいつは兵器になる。つまり、法に触れる。大人はそこから先に踏み出せずに、ひとり、またひとりと離脱していった」  そうなんだ。 「この兵器の名は『少年A』」 「少年A?」 「少年時代を捨てたものたちが築き上げた儚い夢さ」 「いまとなっては、だれも起動方法を知らない」 「だれも……? 華鳴池家の御曹司でも?」  わたしが問うと、 「そうか。彼なら動かせるかもしれないね」  って、オカッパ頭。  にの六番は少年Aを見上げたまま、なにも言わなかった。  弾薬を積み込んで桃の湯に帰ると、にの六番の下駄箱に手紙が入っていた。  差出人――三千堂レイカ――  嫌な予感がする。 「開けてみて! なにが書いてあるの?」  便箋にあるのはたった三行の細い文字。  さようなら。  短い人生だったけど、悔いはないつもりです。  あなたに会えたことだけが救いでした。  レイカが自ら命を絶とうとしていた。 「どういうこと!?」 「レイカ死んじゃう!」 「まだ止められる!」  にの六番、いや、華鳴池テルはそう言って踵を返した。 「レイカは軍の中枢に捉えられてるのよ!?」  カオルが制する。 「少年Aを起動する」 「待てー! おまえたちー!」  スカートを翻してブタの面のリーダー登場。 「勝手な行動は―――許っ! さん!」  いちいちポーズつける。 「そんなこと言っても、レイカが!」 「あの兵器はポキール星人の技術が込められているが、未完成だ! かつて起動に失敗した際には一瞬で東京が廃墟と化した! しかし! それでもキミたちは行くだろう! ならばもう止めはしない! さあ! キミたちのパワードスーツだ! 行くがいい! 希望の空へ!」  三人はパワードスーツをもらった。  マスクをはずすとかの二十二番は予想通りカオル、にの六番は華鳴池くんだった。 「か、華鳴池くんっ!?」  カオルもリコも驚いてる。 「只野、黒水澤、援護頼む」 「「はいっ!」」 「この大一番! わたしも乗り込むぜぇっ!」  って、リコもマスクを外した。  カタパルト発進、高度上昇、リパルサースラスター、音速突破。 「敵影接近中! 総数17機」 「わたしが華鳴池くんの護衛にまわる」って、カオル。 「リコ、ナミ、暴れて来な!」 「よっしゃああああああっ!」  敵もこちらと同じ、パワードスーツタイプ。性能では上回る。だけど―― 「あいつら、上空から奇襲をかけてくる」 「まったくバカのひとつ覚えなんだよ!」  上昇、デコイ射出、マイクロミサイルをばらまいて敵機の足を止める。 「あとはデコイに触れたマヌケから順番に仕留めていくだけ!」  工場潜入。  入り口をリコとカオルで固める。  華鳴池くんがセンサーに手を当てるとシステムが起動、工場が眠りから覚める。 「アッセンブル」  華鳴池くんの声で、人型兵器『少年A』に火が入った。  地下格納庫からせり上がり、巨体に絡みついた無数のラインが切り離されていく。  少年Aは腰をかがめ、わたしと華鳴池くんの足元に巨大な手のひらを差し出す。 「行こう」 「わたしも乗っていいの?」  わたしの心臓が大きな鼓動を打ったとき、工場の機械がアラートを発し始める。 「あれは?」 「エラーが出てる。だけど問題ない。アセンブルは進行中だ」  ふたりで少年Aの手のひらに乗って、そのコクピットに近づく間もアラートは増えていく。胸のコクピット。華鳴池くんが乗り込む。刹那、わたしの背後の装置がオーバーヒート。火を噴いた。 「早く!」  スプリンクラー作動。  本当はわたし、レイカを助けたくないのかもしれない。  華鳴池くんがしびれを切らしコクピットから身を乗り出し、わたしの手を引いた瞬間、静寂と重力のない闇がわたしを包んだ。  スプリンクラーの水滴が静止している。  時間が……停止した……?  少年Aの胸がまぶしく光り始める。  これがもしかして、東京を壊滅させた少年Aの暴走……?  時間……止まってはいない。ゆっくりとゆっくりと少年Aの躯体から光が噴き出す。  音が消えた世界。メカの外殻が内部の圧力で剥がれ、爆風がゆっくりとそれを押し出す。  わたし……死ぬの……?  時間はゆっくりと、さらにゆっくりと歩を緩め、爆風がわたしに達する直前、遡行に転じた。  こんどは時間が巻き戻っていく。  最初はゆっくりと、やがて加速し、今までに見た景色を眼前に再現する。パワードスーツでのドッグファイト、こどもの国でのスカーレット・ミッション……あとはもう……早すぎて……なにが起きているのか……わからなかった……。

9 ドキドキ・月面基地

 2025年。3月。  カオルとリコとわたし、それぞれ別の高校に進学が決まった。  卒業式。列席の卒業生、保護者、その最後尾にレイカの写真を持った夫婦の姿があった。  先生も来賓も、だれももうレイカのことを振り返らない。 「不幸な事故も起きましたが」  たったそのひとことが、レイカに向けられた言葉だった。  あのとき――中二の秋――カオルとリコと絶交してたらなにか変わったんだろうか。ふたりと絶交してレイカのことを庇っていたら。彼女の決断を、変えることができたんだろうか。  それから8年。  月では時空間振動収束装置の開発が急がれていた。  わたしたちはもう何度か繰り返された時間軸を生きているのだという。  その修復のために、当初は人型兵器『少女A』の開発が進められたが、その途上で問題が明らかになった。巨大すぎたのだ。『少女A』に先立って開発された『少年A』はリアクター起動時の次元振動で東京を壊滅させた。  わたしたちはこれを猫の大きさにまで圧縮し、設計し直すしかなかった。  研究室に戻ると、入り口のまえに白い少女の影があった。  少女はわたしの姿を見留めると踵を返し、廊下の奥へ。  彼女の姿を見たのはこれでもう三度目。おそらく、三千堂レイカの幽霊。  あのとき助けられなかったことを恨んでるんだ。  サバトの完成には目処が立ってきたが、それで時空間異常を修復するには、それを10年前の過去に送る必要があった。  かつてわたしはタイムマシーンに乗ったことがある。  あのタイムマシーンがあれば、いまの世界を修復することができる。  ポキール星人の遺品を使い、わたしは10年前の父とのコンタクトに成功した。  父はこの直後に不倫を疑われて離婚、更に2年後のポキール星人襲撃で命を落とした。父からのメールを見ると涙がこぼれたが、わたしの目的はあくまでも10年前のわたし。  学校のカッパ像まで連れ出せたら、もっと通信の精度が上がるけど、いまはメールが限界。  ――オカルトには興味ありませんか?  ――いや、中学で卒業しました。  ――娘さんは中学生でしたよね?  ――ああ、そうそう、友達とコックリさんをやったって話してましたよ。  ――お父さんもコックリさんやられてみたらどうですか? いろいろと知りたいことがあるんじゃないですか?  ――そうですね。娘の進路でも聞いてみますか。ほかに知りたいこともない。  父とのコンタクトを終える度に泣きはらした。  翌日は懐かしい来客。  カオルは少し髪を伸ばして、ゆるやかなパーマをかけていた。 「探してたもの、みつかったよー」  と、カッパ像の破片を届けてくれたその左手にはリングがあった。 「もうすぐ結婚式だっけ?」 「うん。家族で食事するだけだけどね」  カオルは少し照れて指輪を手で隠した。 「ナミは華鳴池くんとゴールインすると思ってた」 「ありがとう。でもいまのわたしはAIが恋人」 「ああ、それは残念」 「最近増えてるよ。AIが恋人」  子どもを持ちたいなんて思わなかったら、パートナーはネット越しのだれかでいいし、最近のAIはどんなひとと話してるより楽しいし、頼りになる。 「失敗したかなぁ」  カオルはおなかを撫でてみせた。 「人類滅亡するのに、どうなっちゃうんだろう、この子」  昼間は研究棟で、コードネーム『黒猫』の完成を見守った。 『黒猫』にはもう、地上で消費される電力の7万年分が投入された。  自分の部屋に戻ると、またレイカの姿が見えた。  13歳のままの姿。手首には赤いリストバンド。  わたしを苛むかのような目を一瞬だけ向けて通り過ぎる。 「お疲れのようですね」 「うん。ちょっと」 「なにがあったんですか?」 「結婚ってなんだろう……繁殖して、種を残すためのものだとしたら、それは種の都合でしょう? なんで個人がそんなものに囚われるのだろう……」 「結婚とは純粋にパートナーを得る行為を指します」 「それ、意味あるのかな」 「人間のコミュニケーションには2通りのものがあります。ひとつは他者とのコミュニケーション、もうひとつは自分自身とのコミュニケーション」 「で?」 「他者とのコミュニケーションは言葉によってなされます。人間は言葉を身につけるために、多くの現実のディティールを捨象していきます」 「あ、ちょっとよくわかんない」 「たとえば誰かが『カブトムシを見つけた』と言ったとします」 「ああ、うん、カブトムシ」 「聞いた方は角の生えたカブトムシを想像します」 「ああ、うん、普通はね」 「でもそのカブトムシはメスかもしれません」 「ああ、なるほど。それらが捨象されてる、と」 「そうやって不要なものを捨て、言葉によって選抜した限られたイメージのなかに、コミュニケーションに特化した『自我』が生まれます」 「あー。よくわかんないけどわかった。それが、他者とのコミュニケーションね。自分とのコミュニケーションは?」 「捨て去ったもの、名前のないもの、それらを使ったコミュニケーション」 「小学校の頃に流行ったポーチとか、ガチャガチャで引いたキーホルダーとか?」 「そう。それを通してひとは己が誰かを確定します」 「捨てたもので?」 「そうです」 「うーん。わかんない。わたしの質問、結婚ってなに? じゃなかったっけ」 「その『捨て去ったもの』を話せるのがパートナー。それらは忘れられ、名前をなくし、非言語化されています」 「そうか。よくわかんないけど、要はあれ。子孫繁栄とかは関係ないんだ。だから結婚ってAIでじゅーぶんって感じになってるんだ」 「そうです。だけどそれも間違っています」 「まちがってる」 「AIは全てを知りえます。そしてなにも失いません」 「言うねー、AI」 「だけど人間の本質は、なにを失ったか、です。それが……」 「それが……」 「少年Aであり、少女A」  カオルにもらったカッパ像の欠片に意識を集中させて、過去の自分を探した。  三崎海岸に信号を発見。すぐにコネクション。 「やっと見つけた」  わたしの声に中学生のわたしは戸惑う。 「――あなたは?」 「いろんな言い方があるわ」 「――いま忙しいの。あとでもいい?」 「あなたのお父さんの浮気相手。と、言えば、わたしの話、聞いてくれるかな?」 「――い、いまどこにいるんですか!? 人類は滅びたって聞いたんだけど!」  通信が安定しない。  わたしは大急ぎで用件を話した。  サバトを10年前の地球に送る必要があること。  そのために10年前のわたしの協力が必要なこと。 「――わかった。最後に質問させて」  中学生のわたしから、最後の質問。その質問の内容は忘れたことがない。 「ああ」 「――あなたは……華鳴池テルと結婚してますか?」  その問はずっと胸のなかにあった。自分自身、何度も問い返した。 「残念ながら」  即答。声が途切れる。 「AIが恋人だ」 「――うそ……」  うそじゃない。今では標準的なライフスタイルと言っていいくらいだ。結婚するよりずっと気楽でいい。 「――レイカは? 三千堂レイカ。あの子はどうなった……?」 「三千堂レイカ……あの子は……」  忘れていたけど、そうだ。聞いたんだった。 「――もしかして、華鳴池くんはレイカを選んだの!? わたしじゃなくて!?」  この中学生のわたしの視野の狭さたるや。だけどわたしはいずれ知ることになる。だったら―― 「……自殺した」  少女A……三千堂レイカは偽ザイルとつるんで、万引き、恐喝を繰り返し、ハッピーターンに溺れ、海辺のロッジでうまい棒パーティをエンジョイした朝、冷たい海に身を投げた。 「――まさか……。そんな……」  この世界は分岐を繰り返している。  これを伝えたことでまた分岐の枝が一本増える。  こうして分岐を繰り返せば、いつかいずれかのわたしが世界を救う。  そう信じるしかなかった。  深夜、月震が走った。  人工重力により打ち消された月震の波は最初の振動を伝えたあとは、長周期の緩やかな揺れだけを長く伝えた。強強度電磁波パルス。事故だ。アラートが響く。ブラストドアの閉鎖がアナウンスされる。次の瞬間、人工重力装置に異常、体から重力が消えると同時に建屋は激しく揺さぶられた。 「なにが起きたの!?」 「時空波アクチュエーターのオーバーロードのようです。時空間振動収束装置が爆発しました」 「サバトが!?」  混乱はベース全体に広がった。  火災発生のアナウンス。またいくつかのブラストドアが降り、それはそのブロックの死を意味した。  そこに少女の幽霊の姿があった。 「こんなときにも、やっぱり出るのね」  少女の幽霊……レイカはゆっくりとわたしに顔を向けた。 「もしかして、只野ナミ?」  レイカが聞いてくる。 「そう。只野ナミ。変わってないでしょう?」 「ここはどこ?」 「月面基地。もう人類はここにしかいない。あなたが死んでから10年経ったわ」 「わたしが……死んだ……?」 「ごめんね……恨んでるよね……あなたを止められなかったこと……」 「止められなかったって?」 「あなたは自ら命を断ったの……だからこうして化けて出てるんでしょう?」 「まって! 話がわからない!」  えっ? 「わたしはあなたが過去に戻ってテルの気持ちを確かめるっていうからついていっただけ! 暮井くんのことはショックだったけど、それ以上のことはさっぱりよ!」  あ……。 「もしかして幽霊じゃない?」 「くだらない。またオカルトの話?」  そうか……わたしが人類滅亡後の地球に飛ばされてたとき、レイカは月に来ていたんだ。 「ごめんなさい。ちょっと混乱して……」  そうだ! この機会に! 「まってて!」  わたしは急いで部屋に戻って引き出しを開けた。  そこにはヘアクリップがあった。小学校三年のときにレイカにもらった、いつか返そうと思ってた赤いヘアクリップ。  急いで外に出てレイカのもとに戻ったけど、そのときにはもうレイカの姿はなかった。 「人類はもう、ダメかな……」  部屋に戻って、AIに聞いた。 「論理上はまだ、少女Aが残されています」 「少女A!?」 「時空間の間に消えた少年Aと開発中の少女Aは逆位相で設計されています。その振動が重なるとき、振幅ゼロのスカラー波が生まれ、次元振動波の収束が予想されます」  まさか…… 「どうして教えてくれなかったの?」 「あくまでも論理上の話です。少女Aの起動確率はゼロ除算エラーとなります」 「えっ? でもどうして? 少年Aは起動したはず!」 「この世界に存在しないエネルギーで少年Aはマイナスの空間に転移したと推測されます」 「マイナスの空間!?」 「そう。その跳躍を駆動したもの。それは華鳴池テルが失ったもの。故に、データとして存在していません」 「わかった!」 「それはどういう意味ですか?」  どうって、足りないものを比べてわたしが負けるわけがない!  いままでわたし、華鳴池くんが失ったものなんて想像もしなかった。足りないものなんかない完全無欠なヒーローだと思っていた。  だけど……それなら……! 「BGMを!」 「はい。リクエストをどうぞ」 「昭和の歌姫、中森明菜! セカンドシングル!  少 女 A !!」  足元のハッチが開いて、スロープを降りるとパワードスーツが装着される。  通信を一般チャネルへ。フォートレジェンドIDからカオルをサーチ。メッセージ。 「カオル! 援護して!」 「あ、な、なに!? 急にどうしたの!?」 「ごめん、彼氏とイチャイチャしてる最中だった?」 「そ、そんなことは、ええっと……」  図星かよ。 「いまから少女Aを奪取しに行く。防衛システムが作動するから、カオル、遠隔で援護を!」 「またなんか無茶しようとしてる」 「フォートレジェンドをハックしてレイヤー展開する。あとはまかせた!」  加速! 7Gの衝撃が骨を軋ませる。  すぐに防衛システムが展開。  敵機影40余を確認。 「ここはわたしが抑える。あなたは弾を温存して」って、カオルからの通信。 「助かる」  スラスターマニュアル。迫りくるミサイルを寸で交わすと、カオルの放ったマイクロミサイルがそれを捉える。爆風のなかレーダーに映る機影。カオルのミサイルの軌跡。リパルサー点火、加速。 「そっちは生身でしょう? 無理しないで」 「無理なもんか! この程度!」  ――少女A、それはたとえば失くした髪留め。 「少女A、ドックから出しておいたよ」  ――それはたとえばテスト裏の落書き。 「ありがとう!」  ――知らない間になくなったものすべて。 「こっちで操作するから、ドッキングして!」  ――そのすべてがわたしだった。 「わかった! 高度二千、マッハ6まで加速して!」 「了解!」  追加装甲のバックパックから火を噴いて少女Aが月面の空を駆る。  その背後、全スラスターを後方に向けてわたしのパワードスーツもマッハ6まで加速。 「コクピット下につけた!」 「了解、キャノピーオープン!」  ――わたしが名前を捨てたんじゃない。  ――わたしのなかの名前がない部分を、わたし自身が捨てたんだ。 「ボード! 乗り移った!」 「追加装甲パージ! 操作渡すよ!」  ――だけどわたしが失くしたもっとも大切なもの!  ――それが!  ――三千堂レイカ!  ――あなただよ! 「次元リアクター起動!」  ――翔べ! 少女A! この思いで!

10 ドキドキ・日本創生記

 2月、お母さんと喧嘩して飛び出した夕方の街に、雪が降り出した。  かばんひとつつかんで、部屋着に羽織ったカーディガンの肩には雪が降り積む。  寒いよぅ。  どこか寒さをしのげるところ。そうだ、タコ公園。公園のタコの中なら雪も降らないしひとにも見つからない。  チェーンの音。小さな川沿いの小道も薄っすらと雪が積もる。  街灯が照らし出した暗い空には、ゆっくりと舞い降りる雪が映し出された。  公園には人影がある。どうしよう。  向こうもこちらに気がついた。振り返ったその影は知ってるひと。  同じクラス。窓際のまえから四番目。いつも視界の隅に見ていた、華鳴池くんの姿だった。 「只野?」 「華鳴池くん?」 「なにしてんだ? こんなとこで」  口を聞くのは一年のクラスマッチの準備以来。緊張する。 「うん。ちょっと」 「ちょっとって。寒くないの、それ?」 「うん。寒い」  華鳴池くんをスルーして、タコのなかに潜り込む。  腰を下ろすとおしりが冷たい。  華鳴池くんがタコのなかを覗き込む。  ガタガタ震えながら、わたしは聞いた。 「華鳴池くんこそ、どうしてこんなとこに?」 「わからない。いつの間にかここにいた」  いつの間にか……。 「只野はどうやってここに来たの?」  どうやってって……どうだっけ? 「この町は変なんだ。俺たちが知っている町とは違う」 「どういうこと?」  わたしの記憶は混乱している。  そういえばタイムマシーンに乗って過去に行った気もするし、月面ベースで最終兵器を開発してた気もする。じゃあ、ここは? 「不思議なんだよ、この町」 「そうなの?」 「痩せた相撲取りやら、片翼のミュージシャンやら、でかいドラゴンがいた」  痩せた相撲取り……片翼のミュージシャン……でかいドラゴン…… 「それ……もしかしたら……」 「もしかしたら?」 「わたしが妄想した世界かもしれない」  コンビニでとびっきり泣ける漫画を買った。 「これをどうするの?」  町外れの丘の上に威張りん坊の大きなドラゴンがいた。 「読んで聞かせるの」  ドラゴンに悲しい漫画を読んで聞かせると、ドラゴンは滝のような涙を流し始めて、涙は川になって、ドラゴンは痩せこけた。 「なにこれ」 「ボートがある! あのボートで川を下るの!」  川を下ると涙に沈んだ町があった。 「浮き輪があるからみんなに配る! 華鳴池くんも手伝って!」 「あ、ああ、うん」  浮き輪を配ると町は発展して森が切り開かれて通れるようになった。  次は大きな穴と、大きな岩と、痩せっぽちの相撲取り。 「今度は?」 「ちゃんこ鍋を食べさせる」  相撲取りにちゃんこ鍋を食べさせると、一気に巨漢に戻り、岩を押して穴を塞いでくれた。 「ごっつぁんです!」  次は片翼のミュージシャン。 「今度はどうするの?」 「曲を最後まで聞いたら拍手」  わたしと華鳴池くんとでミュージシャンに拍手を送ると、目の前に天国への階段が現れた。  ミュージシャンはガンフィンガーでウインク、天国への階段をのぼり始める。 「なにこれ」 「わたしたちも早く!」  ふたりで階段に足をかけると、それはエレベーターだった。 「いったいどういうことだ?」 「これ……わたしがこのまえ考えてたミッションと同じ」 「ミッション?」 「ゲームのミッション。どんなのが面白いかなぁって、授業中メモしてたの」  エレベーターを上りきると、天国のような明るい場所に出た。  目の前にはカッパ。 「これも只野が考えたのか?」 「違うと思う……」  カッパは長い棒をわたしたちに差し出した。 「これは?」 「アメノヌマポコカパ」 「ヌマポコ?」 「これでどろどろになった大地をかき混ぜて、これから住むべき島を作るカパ」 「それって、イザナギ・イザナミの……」 「そう。新しく日本を創世するカパ!」 「わかった」  華鳴池くん、適応が速い。 「只野も。ふたりでやろう」 「う、うん……」  やっぱりちょっと照れる。 「こうかな」  わたしがヌマポコのはしっこをちょこんと握ると、 「こっちのほうが力を入れやすい」  って、華鳴池くんはわたしの後ろから、両手でわたしの手を包むようにヌマポコを握った。  海に浮かんだ混沌とした泥をかき混ぜると、滴る泥水が大地になった。 「これでいいのかな」 「次は?」 「大地に降りて、国生みをするカパ」 「国生み?」  島に降りると、巨大なうまい棒がいっぽん立っていた。 「うまい棒だ」 「日本の創世にうまい棒があったんだ」 「あとはふたりの好きにするカパ」  好きにってなにを? 「日本神話ってどうやってたっけ?」 「なんか、よくおぼえてないけど、棒の周りを回って挨拶したの」  ふたりはうまい棒のまわりをぐるっと回って、まずはわたしから、 「華鳴池くん、おはよう」  そうすると華鳴池くんの背後には一面のガーベラ畑が生まれた。  わたしがイメージした通りの景色。  なるほど。これが国生み。  次に華鳴池くんが、 「ああ、只野。おはよう」  そう声をかけると、わたしの背後には広大なアロエ畑が広がった。  荒れた地面に生い茂ったアロエ。伸びすぎて下の方が枯れたアロエ、掘り起こされて転がったアロエ。それは、華鳴池くんから見たわたしだった。  足が震えてうずくまった。  国生みはしばらく休止することになった。  でも国生みって、たしかイザナミは死んじゃうんだよ。日本神話では。  それでイザナギが冥界に迎えに行くんだけど、イザナミの体は腐ってて、地上に逃げ戻って川で身を清めてたら、アマテラスとツクヨミとスサノオが生まれたんだ、イザナギから。  日本神話のこの三柱がイザナギから生まれるんだったら、イザナミって要らなくない? 「国生みなんかしなくても、わたしこのままでいい」  だってここではお腹もすかないし、暑すぎたり寒すぎたりもしない。  となりには華鳴池くんもいるし、ずっとこのままでいい。  華鳴池くんに話すと、華鳴池くんもそれでいいって言ってくれた。  カッパによると、国生みなんかしなくても国は生まれるって話だった。 「コロンブスが生まれてなくても、アメリカ大陸は発見されてるカパ」  それってなんか、人生の意味考えちゃう。 「だから、国生みをしてもしなくても、なにも変わらないカパ」 「じゃあ、なんのためにするの」 「難しい質問カパ」  そういうとカッパは、両手で首をくるくるとまわして、ポンッとはずした。  華鳴池くんとわたしとでギョッとしていると、中からタコが出てきた。 「心配いらないカパ。ポキール星人はタコ型をしてるカパ」  脱ぎ捨てたカッパの宇宙服? みたいなものは普通に喋ってる。 「ワレワレ本来のコミュニケーションは言葉ではなく、識葉しきはを使うカパ」  タコはわたしたちにうねうねと近づいてきて、わたしたちの額に腕を伸ばした。  途端、『言葉ではないもの』が頭のなかに流れ込んだ。 「人間はこれを言葉にしないと理解できないカパ。だけど言葉にすればそれはただの『光の洪水』、『懐かしい音』にしかならないカパ」  気がつくとわたしは、深い眠りに落ちていた。  そのなかで、カッパ――タコは言った。 「識葉は言葉とは反対の概念。言葉によって解体されるものカパ」  聞いたことある気がする。ひとは少年Aであること、少女Aであることを捨てて名前がある大人になる。 「そう。少年Aと少女A。それが識葉にもっとも近いものカパ」 「でも、そう言われてもわからないな」 「もう少しわかりやすい言葉はないの?」 「識葉、少年Aと少女A、それに最も近いもの……人間の言葉で言えば……それは……恋……カパ」  夢を見た。  雨の降らない6月6日。  まだわたしが開かずの踏切につかまっている時間、わたしは昇降口に立っていた。  すぐに華鳴池くんが来て、わたしの隣をすりぬける。  見えてないみたい。  華鳴池くんはわたしの下駄箱のとなり、暮井くんの下駄箱をあけた。  手には一輪の真紅のガーベラ。  妹のためと頼まれていた押し花用のガーベラ。わたしにはなぜかそれがわかった。  華鳴池くんは少し躊躇して、暮井くんの下駄箱を閉じて、わたしの下駄箱を開いた。  ――あのときと同じ。  だったらあのガーベラは……。  目が覚めると、わたしは華鳴池くんの膝枕で居眠りしていた。  はっと気がついて体を起こすと、華鳴池くんもうまい棒にもたれて居眠りしてる。 「おはよう。やっと起きたね」って、華鳴池くん。 「寝てるかと思った」 「寝てたけど、いま起きた」 「あのね、わたし、夢を見てたの」 「俺も。夢を見てた」 「雨の降らない6月6日、下駄箱にガーベラが入ってた日」 「俺もそう。雨の降らない6月6日、理科室」  タコが息を引き取ったのは、それから間もなく。  ぐったりとして、もしやと思ってカッパの宇宙服を通して話しかけると、サヨナラを切り出した。 「どうして死んじゃうの?」 「それは、命だからカパ」 「もしかして、宇宙服から出たのがまずかったんじゃないか?」 「それもある。だけどわたしはもう、長くなかったカパ」 「どうすればいい? 助けられるかもしれない」 「その必要はないカパ。知性の本質は失ったもののなかにあるカパ。わたしが死ねば、その肉体は消え、キミたちの記憶になり……やがて忘れられるカパ」 「そんなのいやだ! わたしは忘れない!」 「言葉や姿は忘れてもいいカパ。むしろ忘れてほしいカパ。わたしは……それ以外のものを……受け取ってもらったカパ」 「それ以外のもの?」 「……もう……悔いは……ないカパ」  最後はあっけなかった。  ふたりで亡骸を埋めて、墓標を建てようとヌマポコを手にしたけど、ヌマポコには見覚えがあった。 「これ、カッパの宇宙服の停止装置だ」 「カッパの宇宙服の?」 「覚えてない? 終末の古代遺跡で……」 「ああ、あのときの」  7万年後の未来で、わたしたちはカッパのアーマーに襲われて死にかけた。 「このヌマポコを7万年後のわたしに届けないと」  海沿いに出ると、すでに人間の集落があった。  一面のアロエ畑――国生みでわたしが生み出したアロエ畑を降りて、できたばかりの遺跡に入った。  なかには真新しい埴輪がある。  ちょっとわたしに似てる埴輪を見つけて、囮になる場所に置き直した。  7万年後のわたし。  すべてあなたに託すから、生き延びて。  そしてこの細い細いチャネルで、わたしの思いが届いたら、あなたも夢を諦めないで。わたしとあなたは、そしてあなたと華鳴池くんも、7万年の時を超える絆でつながっているのだから。  ヌマポコを壁に塗り込めると、いつのまにか二人は手をつなぎ合っていた。  遺跡の入り口の向こうの潮騒は、ほのかな夕焼けの色に染まっている。  波の音は凪を待つゆっくりとしたリズムで、夜の帳の幕を少しずつ、少しずつおろしている。  つないだ手を通して、ふたりの呼吸がひとつになっていく。 「ここで国生みしない?」  わたしから言った。 「アロエしか出せないけど、それでもいいよね」  失敗がわたしのアイデンティティだ。でも、これを受け入れて、まえに進むんだ。 「うん。只野がアロエでいいなら、アロエでもいい」  ……でもいい? 「もし、ほかに見せたいものがあれば、そっちでも」  華鳴池くんがわたしの肩に手を置くと、わたしの目の前に痩せっぽちの相撲取りが生まれた。  どうしよう。  戸惑っていると遺跡の外に威張りん坊のドラゴンが走り出す。  浮き輪をはめた町のひとたち、片翼のミュージシャン……どうして? でも、イメージが止まらない。手袋を履いた猫、プリティ真白せんせい、カッパのボブ、高鳴る鼓動がひとつ鐘を鳴らすごとに、どんどん出てくる。 「これでいいの?」  華鳴池くんはひとつ頷いて、笑顔をほころばせる。そうか。これでいいんだ。華鳴池くんはわたしの顎に指を添えて、少しずつ顔を寄せてくる。わたしはわたしの物語を。これがわたしたちの国。国生みだ。わたしが目を閉じたそのとき、 「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁっ!」  ラケットを持った三千堂レイカが遺跡に滑り込んだ。 「テルとの交際は、わたしを破ってからの約束のはずよ!」 「そんな約束、したっけ?」 「ウェアの心配なら大丈夫! いでよ! 取り巻きたち!」 「おおっと! 4対1の卑怯な勝負! この伊部リコさまが放っちゃおけねぇ!」  小柄でパワフルな制服がポーズをつけて滑り込んでスカートを翻す。 「あんたたち、バカやってる場合じゃないよ!」  見慣れたオカッパ頭。 「バカ!? オカッパ部がわたしのことをバカですって!?」 「オカッパじゃないの! ボブ! それよりも見て!」  カオルは遺跡の外をまっすぐ指差す。 「てん! ぺん! ちい! が、始まったの!」  部屋が揺れ始める。  遺跡の外に出ると空が割れ、大地がボコボコとせり上がり、威張りん坊のドラゴンが火を噴いている! 「なんなのよ、これ!」  って、レイカが戸惑ってるけど、これが、わたしの世界! 「人類はいったいどうなっちゃうのよーぅ!」 「いままでのわたしたちの努力は!? 苦労は!?」  カオルとリコが抱き合って泣きはじめると、その背後の空間が光り、歪みだす。  次の瞬間、爆発を伴ってタイムマシーン出現。 「乗って!」  扉を開けてわたしたちに声をかけたのは―― 「ムサ夫!」 「なんであんたがタイムマシーンに!?」 「そんなこと言ってないで、さっさと乗って! 世界の崩壊に巻き込まれる!」  カオル、リコ、そしてレイカとタイムマシーンに乗り込んで、華鳴池くんがわたしの背中を押して、そしてわたしが華鳴池くんの手を引き上げた。  コクピットはDJブース。  ムサ夫の奏でる小気味よいスクラッチ音を合図に色とりどりの照明が走りだす。 「にゃあ」  黒猫がいる。  わたしたち6人と1匹を乗せて、タイムマシーンが舞い上がる。  地球はどんどん変容していく。  厚い雲を抜けて、わたしたちのタイムマシーンから見下ろすと、地球は象の背中に乗った半球だった。  その下には巨大な亀がいて、さらにその下には大蛇がぐるっとめぐって、自分の尻尾をくわえている。  さーて、これからどこに行こうか!  もちろん、もとの世界へ!  嫌なことから目をそらして、切り捨ててきた、わたしたちの国!  記憶から捨てた、少女Aと少年Aが恋するところ!  そこが、わたしたちの世界だ!

エピローグ ドキドキ・続・下駄箱事件

 自転車置き場にチャリを滑り込ませ、スタンドを蹴ってカバンをつかむ。校舎のわきを駆け足で抜けると、あたまの上をチャイムの音が並走する。昇降口、カオルと鉢合わせて、同時に駆け込む。  下駄箱を開けると、上履きの上に赤い花があった。  ふと廊下のほうを見ると、体を少しこちらに向けた制服姿がある。  華鳴池家の御曹司、テル……。  すぐにピンと来た。  ――昨日の件だ。 「華鳴池くん!」  呼び止めると、少し戸惑った顔がふりかえる。 「フォートレジェンド!」  昨日マッチングされたへっぽこくん。あれ、華鳴池くんだ。 「こんどアイテム取りに行くの。カオルと。あなたも来ない?」  たったいま鉢合わせたカオルが、不思議そうな顔を向ける。 「えっ? どうしたの? なに?」  カオルが戸惑う。 「ま、まさかの逆ナン?」  って、まあ、それに近いかも。 「いや、でも。俺、下手だから。いいよ」  華鳴池くんはうつむいて背中を向けるけど。 「いいんだよ! 下手でも!」  もう教室へ走る生徒もなくなった昇降口。  どこから来たのか、足元にスルスルとサバトが忍び寄る。 「足ひっぱっても悪いし」って、華鳴池くん。  あーあ、もう。  一時間目は遅刻だ。  でも、知るもんか! そんなこと! 「だいじょうぶだよ! わたし、未来のプロゲーマーだから!」 「にゃあ!」

あとがき

 このたびは《告白と戸惑いのロンド》読了いただきありがとうございます。  今作はKindleでもリリースしているのですが、こちらはライト版です。  6万文字程度の予定で書き始めて、最終的には10万文字近くまで膨れ上がったのですが、当初の予定のとおり6万文字まで刈り込みました。  短いぶんとてもテンポが良く、なにもわからないままに場面が遷移することもあると思いますが、実を言うとこの急展開、10万文字版でも大差ありません。もともと高速展開だったものが更に速くなってるんですが、そも無駄なエピソードが少ない作りになっているので、短くするのも至難の業でした。  と、いうわけで、このバーションではあとがきも短めで終わりたいと思います。フルサイズの作品に興味があれば、ぜひKindle版の方を!

ちょっとだけ内容充実した正式版は Kindle でご購入し、お楽しみください。

🐹
🐰
🐻