第一章 青銅の檻
高校二年、秋の終わり。
母、
樺島裕美が急逝、その告別の席、喪主には祖父が立った。
通夜には友人の姿も見え、中には小学校、中学校以来の顔も。懐かしさと、場違いな思い出話。後ろに並ぶ焼香客に押され、「また今度、いつか」と、笑顔をこわばらせて、寡黙な黒い列に並ぶ。
受付には父、
高松真雪の姿も見えるけど、祖父、祖母と話しただけ。母方の親戚の人垣の外に立ち尽くしている。両親が離婚してもう六年。胸の底にまだ父への嫌悪感が消えない。
父の後ろには姉、
奏絵の姿も。今年から福岡の大学に通っていると聞いた。少しだけ視線が交わると、
「
勇!」
僕の名前を呼ぼうと、一瞬だけ綻んだ顔が見えて、でもすぐに僕は視線を反らしていた。その声も、笑顔の続きも、想像の中。僕は最後の瞬間に見えたその顔を、記憶の中の姉の頁に貼り付けた。
畳の席で叔母がグラスを持ったまま、その背中でずっと父の姿を追っている。美しく波打つ髪を結び、喪に服した黒い服は少し艶やかにも見える。ネイルの指。横目で父の背を見送ると、ケータリングの小さなサンドイッチをつまみ、紅に触れないように口に運ぶ。
叔母の傍らには従兄弟の
樹。僕より三つ下。言葉をかけるきっかけを探しながら、僕の方を覗き見ている。樹は三歳で父を亡くした。もう十年以上も昔。その父、高松
真陽の死因はバイク事故だった。遺体からは薬物が検出されて、叔母はその後すぐに旧姓の古賀に戻した。
まだ六歳だった僕には、樹の苗字が変わったことは奇妙に思えた。だけどその五年後には僕の両親が離婚、僕の苗字も変わった。樹も奇妙に思っただったろうに、そのことには何も言わなかった。幼いなりにいろんなことを考えていた。それは僕も、姉もそう。両親が離婚する前の一ヶ月、父母が交わす言葉を布団の中で耳にしながらよく泣いていた。僕も姉も、寝たふりをして。
父の家を出て、母とふたり、小さなアパートを借りて、隣の校区の小学校に転校すると、新しい友だちは新しい名前で僕を呼んだ。その中でときどき、昔の友だちから昔の僕宛に手紙が届くと、一年ぶり、二年ぶりの僕が起き出して、手紙を読んで、返事を書いた。
公園で前の学校の友達に会うと、奇妙な距離を感じた。それまではコンビニで買う菓子が違っていてもそれだけのことでしかなかったものが、まるで通っている学校の違いがそこに現れているように思えて、だれかが買ってきた菓子に、別のだれかが言った、「それ、美味しかろう」の言葉も、僕の胸に届く少し手前でこぼれていった。
JRの久留米駅に近い
荘島町の、小さなアパートで暮らした十一歳からの六年。最後の一年は、母の闘病生活。膵臓がん。父は古い医院を継いで、六ツ門町で小さな外科・循環器科を開業していたけど、母は最後まで父を頼ることはなかった。
泣いたり、笑ったり、泣いたり、泣いたり……
涙にはいろんな理由があった。いろんな理由で泣いた。今もまだ気持ちがこみ上げてくる。まだまだ涙にはいろんな意味があるんだ。僕はこの先、涙の意味をいくつも知ることになるんだ。
棺には、痩せ細った母の顔がある。髪はかつらで他人のよう。つい先日まで、僕が選んだ帽子をかぶっていたのに。耐えきれずに目を反らすとまた涙が溢れてきた。止まらない。言葉も息も堰き止められて、祖母が僕の肩を抱き寄せる。
どうしてあんなに苦労してきた母が、こんな最後を迎えなければいけないんだろう。安らかな眠りとは程遠い闘病の苦悶を貼り付けたまま、棺に横たわり、僕は母が天に上って花の中を歩く姿さえ思い描くことができなくて、姉がまだ近くにいるかもしれない、姉が僕を見つけて、声をかけてくれるかもしれない、目を反らさなきゃ良かった、父さんのことなんかどうでもいい、話をしたかった。十七歳ってこんなに泣くのか。高校二年生って。こんなに肩を震わせて、自分でも止められないくらいに。
嗚咽が僕を嘔吐かせると、祖母がその背をさする。ハンカチを手渡して、また別のハンカチで、自分の涙をぬぐう。だけど悲しみがどれほどにあふれても、その底にある大きな不安が喉を通ることはない。たかが生活の不安。悲しみで消せるものなら消したかった。
耳に届く音が途切れた気がして、ふと顔を上げると、涙で滲んだ視界の中、参列する焼香客に紛れて叔父の姿が見えた。その背中、ペガサスの刺繍が入ったサテンのスカジャンが、式場の光を映して浮かび上がる。ずっと昔に死んだはずなのに、その違和のある佇まいに、だれも目をくれない。
叔父の姿が棺の前まで来たとき、棺の中に横たわっていた母がゆっくりと体を起こして、叔父に微笑んだ。
ふわりとした暖かな空気が僕を包む。
「お母さん」
思わず口に漏れる。
天井からは光が降り注いでいる。光の一条一条が弦のように、高低様々の音色を響かせて、母の姿は式場の花に散る光を集めて煌めいている。
今この瞬間、繋がっているんだ。天国と、こことが。
そう言えば、さよならを言ってない。
さよならだけじゃないよ、母さん。まだ話さなきゃいけないことがたくさんあるんだ。
炊事当番の日、台所を片付け忘れたときのこと。洗濯物をたたみ忘れたときのこと。シャンプーの詰替えを忘れて、そのままにしてしまったときのこと……。胸の中には後悔ばかりだ。
今度はちゃんとするけん……怒らんでよかごつするけん……。
手を伸ばすと、ようやく母さんも僕に気がつく。
そして、優しい手を僕に伸ばす。
お母さん……。
僕も行くよ。
もうこんなとこにいたってしょうがないし、父さんとなんか暮らしたくないよ。
生きていたって、辛いことばっかりだよ。
――僕の手が母の手に触れるすんでのところで、叔母に肩を揺すられた。
「どげんしたと!」
おどけて声をかけた叔母が、呆然としている僕に気がついて、笑顔をこわばらせる。僕の視線を追っても、母の棺だけ。蛍光灯のノイズが降る中、叔父の姿もなく、もちろん起き上がった母の姿もない。棺の中には、花に埋もれて母の顔が、痩せこけて、硬直した皺を寄せている。
「いま、ヒロ叔父さんがおったごたっ気がして……」
何をどう言っていいかわからなかった。
「真陽が? 迎えに来よらしたっちゃろか」
叔母の言葉を聞いて、少し気まずさを感じた。これだと死別した夫が、僕の母を迎えに来たことになる。少し戸惑っていると、祖母がしずかに頷く。
「向こうでも知った顔がおったほうが、心細うなかろうたい」
薬物中毒の件以来、ヒロ叔父さんをよく思っていなかった祖母が口にする。
その叔父を通しての親戚だから、僕と叔母の間には血の繋がりがない。母と叔父さんも、目の前にいる叔母と祖母も血はつながっていない。それでもなんとなく、僕らは親戚どうしで、死んだ者がいたら、迎えに来るというような話を普通に受け入れられる。
祖母と叔母とが、今は亡き真陽叔父さんの話を始める。
僕の父とは仲の良い兄弟だった、優しい弟だった。
そう聞きながら僕は、血でつながったわけでもないこの絆がどこから来るんだろうと、そんなどうでもいいことを考えていた。
長い通夜の夜。
三時を過ぎた頃に眠りに落ちて、翌日、窓から差す陽の光を見て、僕は置いて行かれたんだとしみじみと感じた。
一通りの葬儀を終えて、出棺の挨拶を祖父が述べる。
式場の係の人が用意してくれた例文を、たどたどしく読んではつかえ、途中でそれを丸めてポケットに入れて、娘、裕美の人生を、自分の言葉で語り始め、僕を呼び寄せて、肩に手を置いて続けた。
「裕美はこの子――勇を残してくれました。裕美にしてやれんかったぶん、勇には尽くしてやらにゃいかんち言うて、京子とも話しました」
その先は涙声。昨日から式場で係の人と打ち合わせ、ケータリングや装花の手配、その確認で走り回り、弔問客も減った夜になって、ようやく娘と語り合えた、その小さな背中が震えている。
「もう、なんも残っとらんとです。人生に、楽しかこつが、なんも残っとらん。そいばってん、誰かば幸せにしてやらんと、なんで生きとうとか、わからんごつなるけん、勇にはもう、なんでっちゃしてやろうち思うとります」
祖父が深く頭を下げると、出棺を告げる長いクラクションが鳴る。
黒いバンの車体に映した雲が流れる。
職員の靴や、運転手の手袋、柔らかくギヤを入れて、ハンドルを回す所作。シートベルトを締めた僕の隣には、まだ母がいる。暗い箱の中で、火葬の火に怯え、それでも、「お母さんは大丈夫だから。勇は心配しなくていいよ」と、語りかけてくる。
その人生の最後は斎場が用意した画一的な処理に接続されて、何百、何千人と見送ったであろう斎場のひとたちに見送られる。その機械的、反射的な悲しみも、きっと本当の悲しみに変わりはないのだろうけど。
火葬は山の麓のほうにある市営の斎場。叔父の火葬のときに来たことがある。あの時は初夏。姉と二人でバッタを追い回していた。
祖父と祖母と、その縁者らしい人。母の知り合いらしい人が幾人か僕に声をかけてくれた。通夜では入れ代わり立ち代わりいろんな人が訪れたけど、ここまで来た人たちが僕の親戚、母の友達なんだと思う。そのひとりひとりと母とがどんな関係だったのか僕は知らない。僕にはもう開かれないだろう物語が、ぽつりぽつりと椅子に座っている。あともう一時間もすれば、この数々の物語が終わる。
そのフィナーレを前にして出番を待つ祖母の表情には、安堵にも似た疲れが見えた。
母が入院するようになってからは、ずっと僕の部屋に来てくれていた。
大川という小さな町で呉服屋を営んで、僕のアパートまでは、毎朝、毎晩、祖父が車で送り迎えしていた。祖母を車から下ろすと、祖父は行きつけの弁当屋へ行って、お昼の弁当を買って大川へ戻る。店は老夫婦ふたりで切り盛りしている。町の人口も減って、呉服が売れるようなこともほとんどなくて、「毎日が休みんごたるけん」と、笑っていた。
祖母は、高校の卒業までは、今まで通りに僕の面倒を見させて欲しいと言うけど、県道を通って車で四〇分。毎日毎日その距離を来てもらうのは忍びない。
火葬を終え、母の小さな遺骨を集めて、桐の箱と遺影、葬儀場が用意してくれた仮の位牌を持って、祖父の車でアパートへと戻る。
納骨は四十九日の法要の日。父方のお寺にはお盆のお墓参りに行ったことがあるけど、大川のお寺はどんなところかも知らない。だけど母にとってはきっと、幼い頃からお盆が来るたびに花を供えた思い出の場所なのだと思う。母と過ごす最後の七週間。母の位牌も、四十九日を過ぎたら大川の家に戻る。
「そうだ、入院費」
ふと思い出して切り出すけれど、祖母は意外そうな顔で答える。
「勇は心配せんでっちゃよかたい。真雪さんから、葬儀代にちゅうて二百万出してもろうとっと。二百万は使いきらんけん」
父から?
「通夜んときは断ったとばって、そのあと電話ん来て、郵便受けに入れといたーち言うけん、急いでノリさんに取りに行ってもろうたとよ」
ノリさんというのは祖父のことで、名前の
記嗣から来ている。
それにしても、最後の最後に父の経済力に支えられるなんて。
「もろうたぶんな、葬式代やら戒名代やら、ぜんぶ合わせたっちゃ少し残るち思うけん、あとはあんたが好きに使うたらよかよ」
祖母にそう言われても、僕はどう答えていいかわからなかった。
大通りから路地へ。車での移動は、通る道も、景色の密度も違っていた。喧騒もガラス越し。自転車に乗った友達は、他人の顔で信号を渡る。
アパートへ着くと、祖母も車から降りようとしたけど、祖父が引き止める。
「それじゃあ、また明日も来るけん、元気出さないかんよ」
そう言い残して、車は走り出した。
走る車の中で、祖母はまた泣いているんだと思う。今度は娘のことではなく、残された僕のことを思って。でも僕は大丈夫だから。きっと。
錆びた郵便受けを開けて、ここ数日封じられてきた息を吐き出した。読みもしないチラシ、読まれるはずだったチラシを束ね、鉄の階段に足音を擦りつけて二階へと上る。何日も留守にしたわけじゃないのに、部屋の扉は懐かしい。隣の部屋の枯れたアロエと、塗料の剥げたガスのメーター。ポケットの鍵を取り出して、ドアに手を掛けると、その向こうにあったいろんな景色が胸の中にあふれてくる。
でも、何もないんだ、このドアを開けても。
「おかえり」の声も、夕食の匂いも。
ドアを開けるときれいに揃えられて、母の靴。その傍には病院から引き上げてきた小さな紙袋が無造作に置かれている。母の靴を汚さないように靴を脱いで、
「ただいま」
静かに口にして部屋に入ると、ゆっくりと時間を掛けて受け入れたはずだった現実が、そこかしこから覗き返してくる。
母が使ってたタオル。ドレッサー代わりに使っていた小さなチェスト。その上にならぶ化粧水、マニキュア、口紅と、ビーズを編んだマスコット。食器棚の母の湯呑を、柱に掛けられたバッグやマフラーを、ひとつだけ片付け忘れたクリスマスの飾りを、僕はどうすればいいんだろう。
しばらく横になっていると、姉からメッセージが届く。
――話したいことがあるけど、いまいい?
姉と母とはたまにやりとりをしているようだった。三年くらい前だったか、父の家を飛び出してきたことがあって、一晩だけ泊めて、それ以来だと思う。それで僕も姉の連絡先は知ってはいたのだけど。
――いいよ。
まあ、携帯でなら。
――わかった。いまから行く。
えっ? 待って。来るの?
しばらくすると、呼び鈴が鳴る。
携帯でいいのに、本当に来たんだ。
どうしようか戸惑いながら、ソックスハンガーが風に揺れたら、と思って待っていると、また呼び鈴。そして直後、今度は携帯に。
――今どこ? 家じゃなかと?
玄関を開けると、緩いカーディガンを着た姉の姿があった。
「缶コーヒー買うてきたたい。カフェオレがよかとやろ」
姉が手渡してくれたのは、アパートの近くのマイナーなメーカーしか入ってない自販機のコーヒー。
10円安い。カフェオレじゃないと飲めないなんて言ったのは小学生の頃の話。
姉は部屋に上がるとすぐに遺骨の入った桐箱を見つけて、膝を畳んで手をあわせる。桐の箱に並んで、まだ戒名もない白木に名前を書いただけの粗末な位牌。しばらく胸に手を置いて、言葉を選ぶようにして、「残念やったね」と、一言。僕はその言葉の意味を計りかねて、姉も自分の口を突いて出た言葉の意味を探す。何年かぶりに交わした会話は、今まで通りを意識しすぎたのか、少しぎこちなかった。
「あとでマドレーヌ買うてくる」
と、姉は繕う。
ばたばたして考えが回ってなかったけど、そういえばお供え物もなにもない。姉は、母が好きだったものをちゃんと覚えていた。
「マドレーヌは明日焼くけん、他んもんがよか」
たったいま思いついたことを、最初からそのつもりだったように言うと、姉は、「じゃあ何か飲み物ば買うてくる」と笑った。
「と言うかあんた、マドレーヌ焼けると?」
「うん」
まあ、なんとか失敗しないくらいには。
「話って?」
「進路のこと」
姉は缶コーヒーを開ける。促されたような気がして、僕も。
「大学、行くとやろう? 学費はお父さん、出してよかち言うとるけん。それだけ伝えに来たと。一緒に住めとは言わんち言いよらす。こんアパートに住もうごたんなら、その金も出してよかち。高校卒業までと、大学の四年間は面倒みるち言うとらすたい」
矢継ぎ早に投げかける。
「要らない」
「要らないじゃなかろが。要ろうが。あんたの人生には要ると」
姉はやっぱり父さんに似ている。何を言っても僕の話なんか聴かない。それで少し言葉を探してると、姉も僕の意図を探る。
「大川が支援してくれるとね」
そう聞いて、少しだけ僕の表情を待って続ける。
「じいちゃんばあちゃんもそげん裕福じゃなかよ。苦労するち思う」
「でも、お父さんから支援を受けるちゃ言えんもん。それはあのふたりから、最後の希望ばむしり取るとこになるけん」
自分で自分のことを『希望』と言ったようで、ばつの悪さは感じた。姉は肩を落として、視線を泳がせる。そのままゆっくりと滑らせる視線は、壁のハンガー、先月のままになったカレンダー、冷蔵庫に貼られたマグネット、ゆっくりと母の記憶を結んで、柱に掛けられたバッグに停まる。
「お母さんの形見、なんかひとつ貰うてってよかね」
「うん。バッグとかは使わんけん、欲しかとがあったら全部持って行って」
その言い方が気に障ったのか、姉はこれみよがしなため息をひとつ吐いた。立ち上がるとその視線は、テーブルの上のティーカップに留まる。
「これ、結婚式のときに用意せらしゃったカップやろ」
姉は靴下で床を拭うように、ゆっくりと体を動かす。
「私、このカップば配らっしゃったとき、お母さんのお腹の中におったとよ」
持ち手が天使の羽根になったカップを、姉は『フライングカップ』と呼んでいた。
「懐かしかー。好いとうたとよ、これ。ばってん、『二ヶ月フライングして授かったけん、あんたのことよ』ちお母さん言うとらしたけん、
詩香さんには見せられんもん」
詩香さんというのは、いま父の家に同居してる人。姓は
向井。時期を見て入籍するのだと思う。
「大川は形見は要らんと?」
「要らんち。じいちゃんも、ばあちゃんも。実家にはお母さんの部屋が残っとうて、そこにこまか時からん思い出が残っとるち言いよらした」
「そうやね。形見っちゃ思い出の品やけんね。思い出もなしに物だけ貰うたっちゃ、しょんなかもん」
姉は柔らかな瞬きと、軽く触れる指先とで、母の思い出を集める。
「懐かしかね。お母さんの字」
冷蔵庫のメモ、カレンダーにも残る、少し丸みのある母さんの字。でも、そういうものだったら――
「押し入れに姉ちゃんの工作とか絵とか、いろいろ残っとうよ」
「えっ
!? なんで
!?」
「お父さんと別れたとき持ってきたごた。幼稚園の通園バッグやら、給食袋やら入っとう」
押入れの中には引っ越してきて六年間、開けもしなかったダンボールがあった。母が入院する段になってようやく寝間着や身の回りのものがないかと箱を開いた。
「ばって、まるまるふたつが学校関連のガラクタたい」
そう言いながら開けた箱の一番上に、筒状に丸めた画用紙がある。
「ガラクタじゃなかよ。宝物たい、お母さんには」
「そうやね」
姉が幼稚園の頃に描いた、青一色で塗りつぶしただけの「おふろ」。
僕が小学二年生の頃に描いた、「かいじゅうどうぶつえん」。
かいじゅうどうぶつえんには、怪獣の名前が書かれた付箋。そこにも母の文字がある。母が僕に聞いて、名前を書いて、付箋を貼った。その日のことはよく覚えている。
「期待されとうたとよ、あんた」
「そうかな……」
「あんたがちゃんと大学に行って、勉強して、ちゃんと働いて、ちゃんと家庭持ったら、お母さん、喜ぶよ。ぜったい」
「うん。それはわかっとう。ばって今は何も考えられん」
「来年もう受験やろ? 何も考えんで何もしよらんかったら、何もなれんとよ? お母さん死んでショック受けたけん無職になったとーとか言うたら、お母さん泣かっしゃるよ? そげんこつなったら私、お母さんの代わりに殴るよ?」
姉の髪からは高松医院の臭いがした。ときどき鼻先に思い出す、応接の革張りのソファと、壁に染み込んだ消毒液の匂い。木のテーブルの大きな節、そこに置いて傾いだ湯呑、大理石の灰皿、据え置きのライターと、
「勇はどげんすっとか」
という、父の言葉。
「あ、これ、覚えとう」
僕が言葉を探していると、姉は先に行く。
「ほらこれ」
と見せてきた紙には、頭からミミズがたくさん生えた怒り顔のおじさんの絵。
「なにこれ?」
「覚えとらんと?」
「うん、ぜんぜん」
「大嫌いやった。こればっか描いとったけんね、あんた」
裏を見るとテスト用紙。小学校の四年生かな。でもそれ以上はわからない。
「いま、九大の文学部に通うとうと。本当は上智ば受けたかったとばって、まあ、私の成績じゃ難しかったけん。九大やったら哲学も心理学もあるち聞いてくさ……ツイッターもあったとよ、哲学研究会の。そいでホームページでシラバス見て、図書室の蔵書とかも聞いて、そいからやんけん、本気出したとは。去年はめちゃくちゃ勉強しとうた」
小さい頃の姉の成績は、そんなに良くなかったと思う。中学で伸びたのは覚えてるけど、上智なんて言葉を聞くとは思わなかった。
ダンボール箱から出てくる、図画工作や落書きの数々。名札、連絡帳、遠足のしおり。
「これ、お母さんの絵やろ」
姉はPTAの会報を開いて見せる。
「お母さんも、絵は
上手かったけん。描き慣れた人じゃなかとこうは描かんもん」
僕のテスト用紙の裏の落書きを褒めてくれたのはいつも母だった。父は決まって渋い顔をした。落書きの時間があるなら答案を見直せと、何度も言われた。
「お父さんとはうまくやっとうと?」
「できるだけ顔ば合わせんごつしとう。上智も反対されたけん。大学まではこっちにおれち言うて」
「僕もそげんなっとやろうか」
「あんた、東京の大学に行きたかと?」
「そうじゃなかばって、僕と姉ちゃんとで違うとやろかーて」
「そりゃ違おうたい。男親は娘は外に出さんけん。特に九州んもんはそげんち、ネットにも書かれとう」
そう吐き捨てる姉の顔に、寂しさのようなものが見えた。諦め、悔しさ、いくつかの色が混じった名前のない表情。僕は西町高校だし、東京の大学へ行くやつはそんなにいない。でも姉は有数の進学校。周りが上を目指す中で夢を諦めるのは辛かったと思う。
「大学出たら家ば出るけん。あと三年半。お母さんのごつ出口んなかわけじゃなか」
威勢の良い姉の言葉も、少し歩調を緩めた。止まりかけたその言葉の行き先を探していると、姉の手が不意に止まる。小さく折りたたまれた紙切れを広げて、僕の顔を見る。
「どげんしたと?」
姉から渡された紙切れには『借用書』と書かれていた。
「お母さん、借金しとうたと……?」
戸惑った。生活が苦しいのは知っていたけど、人からお金を借りてるなんて思わなかった。サラ金でもなさそうだし、その先には僕の知らない人間関係がある。姉の手が書類を探る中、僕は自分の気持ちの揺れを抑えるだけ。
「お母さん、結婚してから、働かせてもろうとらんやんね。自由に使えるお金がなかったとよ。いくらかあるち言うたっちゃ、自由に習い事したり、コンサートに行ったりするわけじゃなかろう?」
姉はフォローするけど、僕の思考はどこかに巻き取られたまま。
「気にせんでよかよ。こげんとはぜんぶお父さんが悪かつやんけん。お母さん、悪うなかとよ」
「もしかして、お母さんの借金が離婚の原因やったりしたとやろか」
胸に浮かんだ言葉が、思考を通すことなく口を突いて出る。
姉はまた、ひとつため息。
「あんたが庇ってやらんでどげんすっと」
そう言うと、黙々と借用書のカーボンコピーと返済証のペアを作って並べる。
「バイトするち言うたら、反対されたと」
今のもそうだ。何も考えないで言葉だけ出てきた。答えが欲しいわけでもない。姉はもう何も答えない。沈痛な面持ちで、母の過去を占うように、証書を並べて、ただ一枚だけ、返済したとは言い切れない借用書を見つけた。
金額は三万円。
「給料日前にやりくりつかんごつなって借りたとじゃなかと? この直後に入院しとるやんね。それで返せんごつなったっちゃろ」
貸し手は福岡市中央区
警固、カコエオフィス、
加古江郁人。
「かこえいくひと……ち読むとやろか?」
「わからんばってん、返さんでよかとやろか」
独り言のように漏らす姉の言葉に、僕も独り言のように応えると、時計の針は意味のない時の長さを数えはじめる。
「えっ? 何て?」
証書を眺めていた姉が、少し遅れて反応する。
「返すって、どげんして?」
「どげんて、会うしか無かばって……」
「会う
!?」
姉が目を丸くして、僕の顔をのぞき込む。
僕は目をそらして、小さくうなずく。
「うん」
会いたいと思った。
お金を返したいと言うよりは、母にお金を貸した人がどんな人なのか、会って確かめてみたいと。